第66話 外堀を埋める才能を持って生まれてしまった男②
夕焼けが目に染みる、駅からの帰り道。水と焼酎で割ったプロテインを飲みながら、3人でトボトボと歩く。
「いったたた……これ、明日の朝、起きられるかな」
久しぶりに本気で運動したので体が重い。もうすぐ賃貸だが、歩くのが億劫だ。
「僕も足が棒のようだ。歩くのが辛い……」
「あはは!! 西代ちゃん、目がいつもより死んでるよー? 腐った魚みたーい!!」
俺や西代と違って、猫屋は元気いっぱいだ。いつもより
「猫屋はどうだった? 楽しかったか?」
「うん!! ちょー久しぶりに皆とボコスカできて、気持ちよーく汗流せたーー!!」
「その割には無傷のように見えるけど?」
「防具着けてなかったからねー」
「……ん? それ逆じゃないかい?」
「あぁーー、ほら、私ってー、邪魔な装備さえなかったら大抵の攻撃は見切って躱せちゃうからーー」
…………こいつ、本当に片手だよな? どういった身のこなしをしてるんだ? 化け物か?
「あぁーー、でも、お腹すいたー」
「そうだね。バイト中の安瀬には悪いけど、先に3人で晩御飯にしちゃおうか」
「帰ってくるの遅いから仕方ないな」
そんな話をしていると、賃貸の前までついた。
「遅かったの、お主ら」
「あれ、安瀬?」
そこには、背をドアに預けた安瀬がいた。彼女は煙草を吹かしながら、俺達が帰ってくるのを待っていたようだ。
「お前、バイトは?」
「…………客が少なくての。早上がりできた」
「へぇ、そうか。……というか、なんで外にいるんだ?」
「客人が来ておって、中に居ずらい」
……客人?
「西代。お主にじゃ」
「え、僕に?」
「うむ、お茶を出して中で待ってもらっておる。なにやら、お主の実家に雇われている者だとか?」
「…………」
安瀬の言葉を聞いた途端に、西代の顔は渋そうに歪んでいった。
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「
俺達が家に入ってリビングのドアを開けると、そこには見慣れない初老の女性が居た。
「お久しぶりですね」
年は50代くらい。シンプルで主張の薄い女性服を着た、物腰の柔らかそうな貴婦人だ。……俺の母さんも、もう少し年を取れば似たような雰囲気を漂わせるだろう。
「なぁ、西代。この人は?」
「…………」
西代は俺の問いに答えなかった。
「おい、無視するなよ」
「…………家に来てくれているお手伝いさんだ」
おてつだいさん?
「何それ?」
「分かりやすく言えば家事代行サービスの人。僕が生まれる前からずっと、家に来てくれているんだ」
「…………へ、へぇ」
俺は間の抜けた返事しかできなかった。あまり馴染みの無い言葉を聞いたからだ。
「まぁ、僕にとっては家族みたいな人さ。小さい頃から面倒を見て貰っている」
その言い草だとメイドや召使い等の現実には居なさそうな人種に聞こえるんだが……。
「……
西代は責めるような口調で
「だから部外者の私が遣わされたんです、桃お嬢様」
「「「…………桃お嬢様!?」」」
初老の女性は西代の事を"お嬢様"と呼んだ。
あの、クールぶった倫理観0の賭博大魔神、西代桃をだ。
「ぶははは!! お前がお嬢様だって!?」
「げひゃひゃひゃ!! お主がお嬢様ってキャラでござるか!?」
「アハハハハハハハハ!! わ、私もー、今度から桃お嬢様って呼んでいーい!?」
「……く、クソどもめ。これだから僕は嫌だったんだ」
俺達の侮蔑を真正面から受けて、西代は顔を赤くして恥ずかしがった。
「…………うふふふ」
西代を嘲る俺達を見て、風見さんが何故か笑い出した。
「随分と仲の良いご友人ができたのですね。あまり乗り気ではなかったのですが、こちらに
風見さんは優しい目で西代を見つめていた。
「
「そうですね。ですが、お嬢様も用件は分かっておいででしょう。
「…………はぁ」
西代が片手で頭を抱え、大きなため息をつく。
「頭が痛くなるから止めてくれないかな。誕生日パーティーとかいうゴミみたいな物に僕を誘うのは」
「社交の場をゴミなどと言ってはいけませんよ。横のつながりという物は、家にとっては何よりも大切な物なんです」
「僕はあいつ等とつながりを持った覚えはない」
西代は突き放すような口調で風見さんと口論を始める。
俺たちは話の内容が理解できず、ポカンと口を開けてその光景を眺めていた。
「しかし、お嬢様。残念な事に、貴方には東城の方々には大きな貸しがあります。今回ばかりは、ワガママは通りません」
「……っち」
心底不快だ、といった様子で西代は舌打ちを打った。
「「「……………………?」」」
俺たちは互いの顔を見ながら疑問符を顔に浮かべる。
意味不明だった。
「なぁ、そろそろ俺達にも詳しい説明が欲しいんだけど」
「お嬢様って、え、マジの話でござるか? あの西代が?」
「い、いやーー、それはないでしょー? だって、あの西代ちゃんだよー?」
「…………君たちには関係の無い話さ。僕の事は放って置いて、先にご飯を食べ──」
「お嬢様。是非、私にもそこのお方達を紹介して欲しいです」
突如、風見さんが俺達の会話に混ざってくる。
「お嬢様のご友人というのであれば、私はちゃんと挨拶がしたいのです」
柔らかさを感じる優しい言葉が西代に掛けられる。小さい頃から付き合いというのは本当のようで、その言葉にはまるで我が子に対する暖かさが垣間見えた。
風見さんの言葉を受け、西代は居心地が悪そうに顔を逸らす。
「そ、そういうのいいから。風見はさっさと帰って……」
西代の言葉が途中で止まった。
「…………」
彼女の目に、段々と汚い沈殿物が積みあがっていく。魔の西代さんモードだ。
「………………」
彼女は返事もせずに、ただ、俺達を見つめていた。
「………………」
「…………??」
いや、どうやら西代さんの視線は俺だけに向けられているようだった。黒く濁った汚い瞳と目が合ってしまった。
「……うん、そうだね。紹介しておこう」
西代はうすら寒い微笑を浮かべて、俺達に向き直る。
どうやら紹介をして頂けるらしい。俺たちは姿勢を正して、西代の言葉を待った。
「まずこれがキチガイの安瀬」
「何じゃ!! その紹介文は!!」
「それでこっちがヤニカスの猫屋」
「西代ちゃーーん? 喧嘩売ってるのかなーー?」
西代の紹介に2人がキレる。実に核心をついた紹介だと感心するが、これでは俺の紹介もまともな物ではないだろう。俺は心の中で怒声を発する準備をした。
「そしてこっちが……」
突如、西代が抱き着くようにして俺の腕を絡めとった。
「僕の恋人、陣内君だ」
「「「はぁ!!??」」」
西代のあり得ない紹介に、俺たちは驚愕の声を上げた。
「は、ちょ、おま、何言って──」
「陣内ッ!!」
「ぐぇっ」
安瀬によって西代が引きはがされ、そのまま彼女は俺の胸倉を掴んだ。
「コレは一体どういう事でござるか!? お主ら、陰で付き合っておらぬと言っていたではないか!!」
何故か怒っている安瀬にブンブンと頭を揺さぶられる。だが、困惑しているのは俺も同じだ。
「ちょ、2人って付き合ってたわけーー!?」
「お゛っふ゛」
猫屋も安瀬に加わる。両者に頭を揺さぶられて、俺の頭がぐらぐらとヘドバンを始めてしまった。
ぐ、ぐるじぃ……。
「う゛ぉえ……!! お、お、お前ら、落ち着けって!!」
「ふふ、君たち何を驚いているんだい? 僕と陣内君は将来を誓いあった婚約者のはずだよ」
突然の恋人宣言に動揺する俺達とは違い、西代はどこ吹く風といった調子で今度は俺の事を婚約者などと
「ぐぇ゛……て、テメェ何の話をしてるんだよ!!」
「ほんの数か月前の話さ。嘘じゃないだろう?」
たしかに、正月帰省の時にそういった事件はあった。
だがあれはその場しのぎの嘘だったはずだ!!
「西代!! ふざけてんじゃ──」
「そういう訳だから、誕生日パーティーには彼を連れて行くよ。彼と僕は将来を誓い合った仲だ。お爺様に紹介したい」
「…………ほ、本気でございますか?」
風見さんが、女2人に胸倉を掴まれている俺を胡乱な目で見つめてくる。
「お嬢様、お相手はきちんと選んだ方が……」
「おいアンタ!! 初対面でソレはちょっと失礼だろ!!」
「あ、いえ、そういった意味ではなくてですね……」
じゃあどういう意味だよ!!
「……あの老獪なお方がお認めになるかどうか」
「まぁそれはこっちで上手くやるさ。それより、詳しい日程と場所は?」
「あぁ、はい。場所は東京。西代家が保有している高層ビルで開かれます。日時は明日の19時からです」
「地元じゃなくて、わざわざ
「それに関しては私も同意いたします。……ではまた明日。車でお迎えに上がります」
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謎の話し合いが終わり、風見さんが帰った後。
俺たちは西代を問い詰めるために、円卓のテーブルに座して審問会を開いた。
「おい、西代!! コレは一体全体どういった訳だ!!」
「そうでござる!! まるで話が見えてこないでありんす!!」
「被告に詳しい説明を要求しまーーす!!」
「あぁ、はいはい。分かった、分かったから」
西代は手をプラプラと振って、面倒くさそうに俺達をあしらう。
彼女は俺達の質問には答えず、ポケットから煙草を取り出した。
「猫屋、火をくれないかい?」
咥えたのはタールが7ミリ、白黒のセブンスター。西代がいつも吸っているヤツだ。
「えぇー、それより早くさぁーー」
「頼むよ」
「…………はーーい」
猫屋は銀のジッポを取り出すと、指一本でキャップを弾き、指を戻す勢いのままフリントホイールを回した。ワンアクションでジッポ特有の縦長い炎が灯る。
「すぅ…………」
ジッポから火を貰った西代は、息をゆっくりと吸い。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
死ぬほど不味そうに煙を吐き出した。もはや、ため息と変わらない。
「……ねぇ、陣内君。何か酒を持って来てくれ。度数が強いのが欲しい」
項垂れた姿を隠す事もせずに、西代は俺に酒を強請った。……事情はよく分からないが、どうやら彼女はそうとう参っているようだ。
「……仕方ねぇな」
煙草をあのように吸われたのなら、怒りを鎮めて優しくしてやろうという気持ちも湧き出てくる。俺は西代の為に酒を拵えてやる事に決めた。
「度数以外のご要望は?」
「自然な甘みがあるのを頼むよ」
それ、漠然としすぎて難しいんだけど……。
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ウォッカの入ったグラスを西代の目の前に差し出す。軽く加水してあるので度数は30パーセント前後。水は水道水ではなく、わざわざミネラルウォーターを使ってやった。
「シロックだ。いい酒なんだから味わって飲めよ」
ウォッカとしてはかなり異色の部類に入る物だ。フランス産のブドウで造られたプレミアムウォッカ。本来、ウォッカは穀物類で作られる。しかし、
ウォッカとはドイツ語で"水"を意味する。水のように清らかな酒精に、ブドウの豊かなフレーバーが立ち込める芸術的な一品だ。……ワインをよく飲んでいる西代なら気に入るだろう。
「こっちはチェイサーとつまみだ」
ウォッカに追加で、栓を開けた
「…………うんうん」
西代は煙草を灰皿に置き、微笑を浮かべて頷いた。先ほど不味そうに煙草を吸っていた時と大違いだ。
「じゃあ、いただくよ」
次の瞬間、西代はグラスを一気に呷った。
「あ、ちょ」
「────────ふぅ」
熱いため息が西代から漏れでる。ツーフィンガーはあったウォッカが一瞬で飲み干されてしまった。
味わって飲めって言ったのに……。
「…………ふふっ、陣内君、これはまたニクいチョイスだね。初めて飲んだけど、胃に落ちる熱とブドウの風味がたまらないよ」
「一気に煽ったやつが食レポなんてするな。いいから、さっさと訳を話せ」
俺は空いたグラスに追加の酒を注ぎながら、西代を催促する。
「なんだい、人がせっかく褒めてるのに。せっかちだね」
西代はそう言って、煙草をもう一服だけ付ける。
「ふぅー…………僕って人間の生まれは、かなり複雑で面倒なんだ。分かりずらいかもしれないから、順を追って話そう」
西代はフィルターギリギリの煙草を灰皿に押しつけた。
「まず、僕の家はちょっと引くほど金持ちでね」
漂う紫煙を濁った瞳で見つめて、彼女はそう切り出した。
「金持ち?」
「あぁ。曽祖父が大地主で、祖父が政治家なんだ」
「地主ぃーー?」
「政治家じゃと?」
猫屋と安瀬が怪訝な声で相槌を打つ。
「うん。……まぁ、ひい爺さんは僕が生まれた時には他界していたし、お爺様は既に隠居した身なんだけどね」
家族の話をしているはずなのに、西代は他人事のような口調で話を続ける。
「……土地と大金を持ち、政界にコネがあると、人間っていうのは格式張るものでね。本家だの、分家だの、お嬢様だのと……まるで華族ごっこ。下らない価値観に囚われた面倒くさい家に、僕は生まれてしまったのさ」
「何言ってんのお前? 博打の打ちすぎで頭イカレたか?」
「妄想はほどほどにするでござるよ?」
「もしかしてー、最近流行りの悪役令嬢系に自己投影しすぎちゃったー?」
「…………どうやら、ぶち殺されたいみたいだね」
西代の目がドス黒く濁っていく。彼女は荷物スペースからスタンガンを取り出してこちらに向けた。
俺たちはスッと身を引いて、魔の西代さんに平服する。
「西代お嬢様、そのような暴虐な行いは控えるべきかと」
「西代姫、お下品でございます」
「西代さまーー、素養が感じられないんだけどー?」
「殺す」
バチバチッ!! と電流が空気に流れた。ふざける俺達を本気で威嚇している。
「いや、だって……なぁ?」
「のぅ?」
「ねーー?」
西代の本気の威嚇を見ても、俺達は西代の話を信じる事ができなかった。
「西代ちゃん、基本的にいつも金欠だよねー?」
「ギャンブルのせいでな。賭博にハマる富豪令嬢なんて存在するかよ」
「拙者なんて、西代に1万ほど金を貸しているぜよ。金持ちというのなら
「うっ」
西代が安瀬の言葉に怯んだ。彼女は渋そうな顔をして視線を泳がせる。
友人に借金がある。そんなお嬢様はこの世にいない。俺達3人の思考は見事に一致していた。
「……15歳くらいの時からコッソリと、お爺様が建てたパチンコ屋で親戚から貰った多額のお年玉を突っ込んでたんだ。僕が賭博類にハマったきっかけはそれだ」
「…………色々とツッコミどころがありすぎて、どこから処理していいのか分かんねぇ」
俺はけっこう本気で頭を抱えてしまった。彼女が何を言っているのか理解できない。
「なぁ、どうして政治家のお爺さんがパチンコ屋なんて建てるんだ?」
「昔は節税対策になったらしいよ。今はもう法が変わって無意味になったらしいけどね」
「なら親戚から貰ったお年玉ってやつは?」
「……前に僕が親戚が嫌いだって話はしたよね」
「ん、あぁ、そういえば言ってたな」
正月に俺の家に彼女が泊った事件。あれの発端は、西代が親戚と会いたくないと言い出した事だったはずだ。
「アイツ等から貰った金を使うなんて僕は御免だ。だから綺麗さっぱり無くなるまで、台に金を入れ続けた。そのままドブに捨てるよりかは幾らか健全だと思ってね。店の儲けは、お爺様に行くわけだし」
「……それってパチンコを楽しんでるんだから結局使ってるよな?」
「で、あるな……というかお主、15歳でパチンコデビューでござるか」
「西代ちゃんって昔からヤバい人だったんだねー……」
「こ、細かい事をグチグチとうるさいよ」
西代は過去の恥を誤魔化すようにチェイサーのハイネケンを一瞬で飲み干した。
さっきから飲み方が勿体なさすぎる……。
「……まぁ、お前が自分を金持ちだって主張したいのは分かった。けど、それなら、何でバイトしてるんだ?」
実家が太いというのなら、親からの仕送りだけで遊んで暮らせるはずだ。働く必要などない。
「親やお爺様のお金に頼りすぎるのも嫌いなんだ……仕送りは貰ってるけど、常識的な額にしてもらってる」
俺の疑問に、西代は忌々しそうに答えた。
「なんで? お前自身のこだわりか?」
親の庇護下から抜け出して、自立した大人になりたいという気持ちを理解する事はできる。でも西代の普段の生活からはそういった気概は感じられない。
西代桃という人間は、本と酒と煙草を愛し、生活費を掛けて賭博することが大好きなギャンブル中毒者だ。自立したいという気持ちは薄いように思えた。
「……ここからが僕が負ってしまった、どうしようもないほど面倒な話だ」
西代はセブンスターをもう一本吸い始める。
「ふぅ……陣内君には話したけど、僕は小さい頃は体が弱くてね」
「え、そーだったの?」
「うん。だから、中学生くらいまでは隠居したお爺様と空気の良い田舎でずっと暮らしていた」
彼女は話を続けながら、今度はウォッカを舐めるように味わった。
「そんな感じだったから、僕はお爺様に物凄く気に入られていたのさ」
孫可愛がりってやつか。
「お爺様は元政治家だけあって、色々と行動の早いお人だ。既に財産の相続を始めていて、僕が12歳の時には
「そ、それは随分と気合が入ったご隠居でござるな」
……
「そしてお爺様は生前葬の際に、自分の全財産を1人の人間に相続すると親族の前で公表した。遺言書も、もう書かれている」
「…………話の流れから察するに、その相続先って……」
「あぁ、僕だ」
紫煙に溺れて、酒精を浴びながら、西代は億劫そうに短く言い切った。
「冗談であろう?」
安瀬が訝しそうな目を西代に向けた。彼女は信じられないといった顔をしている。
「お主の祖父は何を考えておるんじゃ? 言って悪いが、惚けておるとしか思えん」
「概ね同意するよ。……でも、ボケてはいないと思う。隠居しているとはいえ、策略渦巻く政界を生き抜いた、本物の古狸。そんなお爺様のお考えは長年一緒にいた僕にも理解できないよ」
「え、そんなに変な話か?」
西代のお爺さんの考えなんて簡単に分かる。西代は昔、体が弱かった。それを心配したお爺さんは、虚弱だった可愛い孫に、自分の財産を残してあげたかったのだろう。
俺にはそこまで変な行動とは思えないんだけど……。
「馬鹿じゃな陣内。孫への相続は2割増課税であろう。相続というのは配偶者、子、孫の順番が基本でござる」
「その通りだよ。かなりの金額が税金として国に徴収されてしまうからね。僕に遺産を残したいのなら、僕の父を相続先に指定すればいいだけさ」
「……猫屋、知ってたか?」
「知ってるわけないじゃーん……」
良かった。俺が無教養な訳じゃなかった。
相続を経験しているであろう安瀬は知っているだろうが、ただの大学生に相続
…………だが、西代は何故かそれを知っている。話に信憑性が出てきてしまった。
「そこから僕は
西代の目がより深く曇る。
「お爺様の財産を継ぐ予定なのは、当時12歳の虚弱体質な女の子。僕と
西代が口にする身の上話は、一般家庭に生まれた俺にはちょっと想像がつかないものだった。
だけど、煙の奥に見える彼女の苦々しい表情を見る限り、それはきっと真実なのだろう。
「3親等以上の親戚と、その傘下の者達。他にも西代家に関わりのある連中が僕に何とか取り入ろうとするんだ…………僕を舐めてるんだよね、あの蛆虫ども」
「あぁ、なるほど。合点がいった」
去年の年明け前に西代が発した言葉を俺は思い出した。
『親戚連中が実家に集まるのがとにかく嫌でね。家に蛆虫が沸いている気分になる』
たしかに、彼女はそう言っていた。……蛆虫は言いすぎだと思っていたが、そんなお家事情なら納得がいく。彼女は恐らく、欲望の視線を親族から浴びながら思春期を過ごした。それなら親以外の親族が嫌いになってもおかしくない。
そしてパーティーのお誘いとは社交の場に体よく西代を誘い出す為の口実だ。お目当ては、西代が相続する予定の莫大な財産。
ならば西代が俺を恋人だと偽って紹介したのは……
「お前にすり寄ってくる男達との壁役を俺にやれって言うんだな」
「あぁー、なるほどねーー」
「…………ふむ、そういう事か」
「くくくっ、察しがいいじゃないか。まさにその通りだ」
西代がニヒルに笑う。その顔は悪い愉悦に塗れていた。新しい悪だくみの時間だとでも言いたそうだ。
「まぁ、そう言った事情があるなら手伝ってやりたいのは山々なんだが……」
俺はこの話に乗ることを渋った。
嘘をつく事を気にしているのではない。俺の性根は確実に悪よりだ。見知らぬ相手への偽証なんかに罪悪感は一切感じない。それに面白い悪だくみは大好きだし、西代の助けになってやりたいと本心で思っている。
……だけどこの1年、婚約者だとか、恋人だとか、偽りの恋仲を演じることが多すぎる。この手の嘘を吐きすぎると、底無しの泥沼にハマってしまう。そんな予感がしていた。
『気が付いたら腰の所までどっぷりとハマって、レッドゾーンから抜け出せなくなるぞ』と俺の脳内の隅っこで警報が鳴っていた。
正直に言って、ちょっと何かが
「陣内君。コレは君にとっても悪い話じゃないんだよ?」
「え?」
西代が天使のような笑顔を浮かべて、俺に詰め寄ってくる。
「パーティーではタダでお酒が振る舞われる」
ジョバババババ!! と、飲酒欲求があふれ出した。俺の脳内に甘い痺れが走る。
お酒。お酒。お酒様。
うん、いいなお酒。俺、アルコールだいちゅき。
「見栄を張るのが生きがいのような連中だ。たぶん高いお酒が振る舞われるんじゃないかな」
「西代お嬢様ぁ!!」
俺は即座に西代の足元にすり寄った。
「是非ご同行させて下さい!! 必ずお役に立ってみせます!!」
不安感なんぞ遥か彼方に吹き飛んだ。
高いお酒が俺を呼んでいる!! 禁酒明けに最高のイベントが舞い降りてくれた!!
「任してくれよマイフィアンセ!! 婚約者だろうが奴隷の役だろうが完璧に演じきってやる!! グヘヘェ……お前に近づく拝金主義者どもを空になった酒瓶でぶん殴ってやるからな!!」
「……うん、その調子でよろしく。……頼んだ僕が言うのもなんだけど、君って本物のろくでなしだよね」
「はっはっは!! 今は何とでも言ってくれ!!」
俺のテンションは最高潮に舞い上がっていた。西代と一緒に高級で美味い酒が飲めるのだ。こんなに楽しそうな事は他にない。多少の罵倒は甘んじて受け入れよう。
「…………まぁ、その、悪いね」
西代が俺から視線を外して、安瀬と猫屋の方を向く。
「そういったわけだから、明日はちょっとこのアル中を借りていくよ」
「ま、まぁー、そう言った事情があるなら仕方ないよねー……」
「…………で、あるな」
「?」
テンションが跳ね上がった俺とは違い、2人は微妙そうな顔をしていた。
……きっと俺と西代だけが良い酒を飲めることに嫉妬しているのだろうな。気持ちは痛いほどわかる。
可愛そうなので、コッソリと酒を水筒に入れて大量に持ち帰ってやるとしよう。
あぁ、明日が本当に楽しみだ!!
************************************************************
猫屋李花を除く、全員が寝静まった深夜2時。
最低限の照明が光る台所で猫屋は水パイプを燻らせていた。
「…………ふぅーー」
換気扇がくるくると回り、煙を外に排出する。
猫屋は逃げる煙をボーと眺める。今日は異常に彼女は寝つきが悪かったのだ。
「西代ちゃんがお金持ちのお嬢様かーー……凄いなー……」
小さくて可愛い友の意外な一面。それを知って彼女は、煙と一緒に羨望の感情を吐露する。
(……いいなー、西代ちゃん。陣内って優しいから、何があっても守ってくれるだろーなー……気兼ねなくお酒飲めてー、超楽しそーー……)
ブクブクブクと、水パイプが気泡を激しく立てる。
(……明日は大学終わりに安瀬ちゃんと外飲みにでも行こーかなー)
その時、ガラっと寝室のドアが開かれた。
「あれ、安瀬ちゃん?」
寝室から出てきたのは安瀬桜だった。
「もう寝てたんじゃ──」
「寝ている隙をついて、陣内のスマホに監視アプリをダウンロードしておいたでござる」
「…………え?」
何の脈絡もなく、安瀬は淡々と恐ろしい事を口にする。
「猫屋、明日は我らも乗り込むぜよ」
「……え、えぇーっと? 何に?」
「あのムカムカが止まらない、ゴミパーティーとやらにじゃ」
そう言って、安瀬は懐からメンソールのメビウスを取り出す。ボックスを口に持っていき、品なく唇を使って強引に一本を引き抜いた。
「猫屋、悪いが火をくれぬか?」
「あ、うん」
今日は火種を求められることが多いなぁ、と思いながら猫屋は従順にジッポを差し出した。
安瀬の咥えた煙草に薄く赤色が灯る。
「ふぅ…………」
安瀬は静かに煙を吸い、ニコチンを脳に巡らせた。
「西代の大変な事情…………」
「へ?」
「……恋人……婚約者……相続……誕生日パーティー………猫屋という者がありながら…………我がどんな気持ちで…………あっの糞ボケアル中…………全部……死ぬほど…………むかつくぅぅ」
ボソボソとした言葉が、限りなく低い音量で安瀬の口から吐き出され続ける。
「あ、安瀬ちゃーーん? あの、乗り込むって、一体、どういう──」
「ぶっ壊してやる!!」
「うわぁ!?」
急に大声を発した安瀬に対して、猫屋は目を丸くして驚く。
「猫屋!!」
「え、は、はい!!」
「お主は
「え、え、どういうことーー!?」
「うるさい!! 口答えは許さん!!」
安瀬のストレスを貯蓄していた心のダムは、一瞬で決壊した。
「どいつもこいつも、我の堪忍袋の短さを見誤ったな!! 明日はただでは済まさんからの!!」
ここ1週間程度、鳴りを潜めていた安瀬の狂気が最悪の形で爆発する。
「気が晴れるまで無茶苦茶のグチャグチャにしてやるぅぅ!!」
「あ、あばばばば」
正気をなくした言動を繰り返す安瀬に、猫屋は腰を抜かして情けなく震えるのだった。
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