第41話 安眠戦争・前


「おい……おい、さくらっ!」

「ん……? ……え、陣内??」


 安瀬の意識が微睡まどろみから目覚める。肘置き付きの椅子に座り込んで寝てしまっていたようだ。


「なんだ、寝ぼけてんのか?? 陣内なんて懐かしい呼び方して。今日は大事な結婚式なんだぞ?」

「あれ……? あ、兄貴の結婚式は今日であったか」


 安瀬は眠気眼をこすりながら、ゆっくりと立ち上がる。


「はぁ? 何年前の話をしてるんだ? 今日はだろうが」

「………………は??」


 ポカンと安瀬は大口を開けて放心する。そのすぐ後、自身の恰好がおかしい事に彼女は気付く。


「な、なんじゃこの真っ白な服は!?」

「何って……白無垢しろむくだろ。桜が婚儀は和式が良いって言ったんじゃねぇか」

「せ、拙者が!? そ、そのような事、まるで身に覚えが──」

「ぱーぱー!」


 突然、2歳児くらいの子供がトテトテと拙い足取りで陣内の足元へ近寄ってくる。

 

「だっこ、だっこ」

「おぉーよしよし」


 陣内はその小さな幼子を抱え上げて愛おしそうに頭を撫でる。


「ぱ、パパって……」

「順番が逆になったけど、ちゃんと式を挙げられて良かったよ。お前の晴れ姿も見られた訳だし。…………綺麗だよ、桜」

「…………」


 陣内の誉め言葉に何も返答できずに、安瀬は目の前の光景をポカンと眺めていた。


「ほら、もう行くぞ。外で皆が待ってる」


 陣内は急に現れた重厚な扉に向かって歩いていく。


(あ、あぁ、そうだった。我は確か、陣内に告白されて……そのまま……)


 安瀬の脳内に霞のように不明瞭で曖昧な記憶が蘇る。


(そうじゃ、そうじゃ。何で忘れていたのであろうか?)


 今日は最愛の人との婚儀の場ではないか、と安瀬は事態を完全に把握する。


 事態を飲み込んでからの安瀬の行動は早かった。

動きにくい正装のはずだが恐るべき速度を出し、陣内に思いっきり抱き着く。


「うぉ!? ちょっ、桜! 危ないだろ!!」

「我の夫が情けないことを申すな! さぁ行くぞ! 猫屋と西代が外で待ってるでありんす!!」


 そう言って彼女は夫と子を引きずるようにして外へと飛び出した。


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「おい……おい、李花りか!」

「んにゃっ……?」


 陣内の呼びかけにビクッ! っと体を震わせ、猫屋は覚醒した。


「やっと起きたか……。もう昼だぞ」

「あ、あれ? じんなーい?」

「っは、懐かしいなその呼び方」


 ベットに横たわりながら陣内は昔を懐かしむ。見知らぬ部屋と寝具の上で猫屋は陣内としとねを共にしていた。


「え、え、あ、あれー……!?」


 両者とも何故か素っ裸であったため、猫屋は激しく動揺する。


「は!? え、ちょっ!?」

「? どうした急に」

「いや、なんで裸!?」

「お、お前、そりゃあ、やる事やれば…………これ以上は言わせるな。俺も恥ずかしい……」

「え、え、ええええーー!!??」


 陣内の口から語られる交わりの証明。猫屋は口をあんぐりと開けて、硬直した。


「そ、そんな驚く事ないだろ? 別におかしな事はなにも──」 

「こ、恋人ぉ!?」


 さらに追加される驚愕の新事実。どうやら陣内と猫屋は恋仲であったようだ。


「どうした? 俺の告白を李花が受け入れてくれたじゃないか」

「え、あ……そーだっけ??」


 脳内に漂う紫煙のようにおぼろげな記憶。猫屋はそれを疑いながらも信じ込む。


「そうだよ」

「あっ、アハハー。そうだった、そうだったー」

「……この寝坊助さんめ」


 そう言って、陣内は猫屋の頭を優しくなでる。


「せっかくの綺麗な髪が乱れてるぞ」

「え、えへへー、ありがとー……」


 陣内との甘酸っぱいピンク色のじゃれ合い。借りてきた猫のように大人しく、猫屋は陣内の手を受け入れる。


「…………」


 しかし、その甘い時間は陣内が猫屋に覆いかぶさることで終了する。


「え? ……陣内?」

「安瀬と西代との飲みの約束までまだ時間があるだろ? その……その前に一回だけ……ダメか?」


 恥ずかしがる陣内の交接こうせつへの誘い。猫屋は目を丸くして驚く。陣内がそのような事を言うとは考えていなかったからだ。


(そ、そういう事していいんだっけー!? ……こ、恋人だからいいのかなー?)


「猫屋?」

「…………エッチ」

「わ、悪い」

「い、いいよ、別にー……そ、その代わり、優しくして……ね?」

「…………保証しかねる」

「あっ! ちょっと、ばか……」


 お互いの合意が取れた2人はそのまま一つに重なっていく……


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「ただいま」

「おかえり、西代。はどうだった? 今日も疲れたろ」


 西代は会社から友達たちとルームシェアをしている自宅へと帰ってきたところ。陣内はエプロンを付けたまま、彼女を玄関口で労う。


「いつも通りさ。ずっとパソコンに向かいっぱなしで肩が凝るよ」

「我が家へのマッサージチェアの導入を考えてみるか? 4人で割れば安いだろ」

「そうして、1つの椅子を廻って争いが起こるわけだね」

「ははは! そうだな、お前の言う通りだよ」


 ケラケラと2人は楽しそうに笑いあう。その間に、陣内は西代の鞄とスーツを受け取る。


「ん、気が利くね」

「まぁな」


 荷物を手に持った陣内と共に、西代は部屋に入っていく。


「安瀬と猫屋は残業かい?」

「そうらしいな。今日の晩飯は手塩をかけて作ったっていうのに……」

「へぇ、先に聞いても?」

「昨日から醤油タレに漬けておいた刺身類がある。それを酢飯と合わせて海鮮丼だ」

「おぉ! それは何とも食欲をそそるね……!!」

「だろ? 酒のあてにカルパッチョも用意した。あいつ等が帰ってくるまで、ゲームでもしながら一杯やろうぜ?」

「ふふっ、そうだね!」


 西代は心底幸せそうな笑顔を浮かべて、陣内と共に部屋のソファに座りゲームを起動する。


「そうだ、久しぶりに何か賭けようよ」

「ゲームの勝敗に? ……負けた方がスピリタスでも飲むか?」

「……いいね。大学の頃に戻ったみたいで楽しそうだ」

「確かにな。……でも、飯食う前に潰れそうになっても容赦はしないぜ?」

「それはこっちのセリフさ」

 

 気合を入れるために両者は煙草を咥えて火をつける。今日は熱い夜になることだろう。


 美味しいご飯に酒と煙草。気の置けない友達と程々のスリル。

西代の幸福な日々はいつまでも続いていく。


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「あははは~~、清酒の湖だ~~~」


 陣内梅治の目の前に存在する日本酒の溜め池。そこに彼は全裸で飛び込む。


「あ゛ー、うまっ、うま、さいこー! もう俺ここに住も~! 永住しよ~。アハハハハハハ!!」


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 ぶぅぅぅぅんんぶんぶぅぅぅんんんんんんッッッ!!!!



 突如として鳴り響くエキゾースト音。それは部室の外、大学構内から鳴り響いていた。


「「「「…………」」」」


 むくりと4人は寝ている状態から体を起こす。就寝中だったが、先ほどの爆音によって叩き起こされたのであった。


「何か……、何か、凄く幸せな夢を見ていた気がするぜよ」

「私もー……」

「僕も……」

「俺もだ……」


 4人の表情は完全に一致していた。


「今日であの騒音に起こされるのは何度目じゃ?」

「毎週、3回は必ず走ってるよねー。あの

「この深夜の時間帯に、凄い危険なスピードでね……」

「俺はもう堪忍袋の緒が切れた」


 4人の意思は完全に一致していた。


「我は焼き討つ」

「私はぶっ壊す」

「僕は心を折る」

「俺は酔い潰す」


 4人の殺意は完全に一致していた。


「では皆の衆…………戦支度いくさじたくの後に、自動車部を成敗しに参るぞッ!!」


「「「御意ぎょいッ!!」」」


 4人は争いに向けて、雑多な部室内で支度を整えるのであった。


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 ナンパ信号機トリオの1人、黄山きやま とおるは自動車好きである。そのため、彼は自動車部にも入部しており部活動に精を出していた。


「あーこちら黄山。人影はない。走行して問題なし」

 

 黄山はトランシーバーを使い、部活動仲間に状況を報告する。安全を考慮して自動車部は見張りを立てるようにしていた。


 広い大学の敷地内をぐるりと囲むように設けられた道路。深夜になれば人がいなくなるため、自動車部はそこを練習コース代わりに使っていた。


(早く俺の番、来ないかな……)


 黄山は見張りを退屈そうにこなす。


 そのため、注意力が散漫となり背後から近づいてくる悪鬼羅刹あっきらせつたちに気が付くことができなかった。


「よぉ、黄山」

「っ!? な、なんだッ!?」

 

 闇夜に紛れて、陣内は黄山を羽交い締めにして拘束する。


「自動車部、はっけーん……!!」

「コイツから情報を搾れるだけ絞り取るでござる……!!」

「見知った顔だから遠慮はいらないね……!!」


 薙刀なぎなた、激辛香辛料、スピリタス。三者三様の拷問機材を片手に酒飲みモンスターズは黄山に詰めよった。


「はっ!? おい!! これは何の冗談だ!?」

「冗談などではない。お主には今から自動車部の内情を全て供述きょうじゅつしてもらう」


 安瀬は前回の部室争奪戦以来、信号機トリオに対して口調を取り繕うのを止めていた。その理由は彼らを信頼した訳ではなく、単純に敬意を払いたくないためだ。


「え、え、なんでだよ!?」

「自動車部の不祥事を暴き、活動停止まで追い込むためである」


 安瀬の目は本気だった。

 

「どうせー、自動車部なんて暴走集団の集まりだしー」

「叩けば埃が山ほど出てきそうだよね」


 事実、彼らは大学の敷地内で道路交通法に違反した速度で爆走していた。


「い、いや、話の意味が分からな──」

「ごちゃごちゃ煩い。猫屋、頼んだでござる」

「オッケー」


 そう言うと、彼女は黄山の手首の少し下を強く押さえる。


「いっ!?」

「それー」


 猫屋は陣内に嫌酒薬を飲ませたのと同じ要領で、黄山の口に激辛香辛料をぶち込んだ。


「あ、あ、あぎゃっ」

「はーい、大声出さなーい」

「んぐっ!?」


 口が開かない様に猫屋は黄山の顎を下から押さえる。陣内に羽交い絞めにされているため、黄山は抵抗する事ができなかった。


「っ、っ、っ──、──、──っ、っ、っ!!??」

「安瀬ちゃーん、何秒くらいー?」

「……い、いや、もう十分であろう。お主のそれは死人がでる」

「えーー? そう?」


 パッと猫屋は黄山の顎から手を離した。


「う、ごっ、あ゛゛……み、水ッ!!」

「はいどうぞ」


 要求に応じるように、西代は持っていたスピリタスをそのまま口に突っ込んだ。


「ッッッ!!??」

「に、西代? ちょっとやりすぎじゃないか?」

「あ、ごめん、つい」


 陣内の発言を受けて、西代はスピリタスを引っ込めた。


「うぉえ゛っ!? ゲホっゲホッ!!」

「お、大人しく全てを話した方が身のためだぞ、黄山。最悪の場合、お前は1週間程度、病院送りにされる可能性がある」

「す゛、すでに、し゛にそ゛う……」

「「「なら早く話せ」」」


 ボロボロと涙を流して半生半死となった黄山。その様子を見て、陣内だけは同情して見せるが、酒飲みモンスターズは一切の容赦を持ち合わせなかった。


 彼女たちは女性と交通安全、安眠の敵にとても厳しかった。


「ハァ……ハァ……、そもそもここは私有地だから道路交通法は適用されてない……」

「「「「え??」」」」

「大学側にもちゃんと道路の使用許可は取ってあるんだよ!! 俺たちは何も悪い事はしていない!!」


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 衝撃の事実。俺たちの安眠を邪魔する自動車部は合法的な許可を得て大学をサーキット代わりに使用していたようだ。黄山には少し悪い事をした。


「どうしようか? 騒音被害の方で大学に訴えてみるかい?」

「いや、部室を住居に使ってる俺達の方がアウトだろ」


 大学の周りの民家から苦情が来るなら分かるが、俺達が抗議しても意味がないだろう。


「えー? じゃあ、もう諦めるしかないのー?」

「ぐぐぐ、神は僕に安眠を諦めろというのか」


 俺も深夜に騒音で起こされるのは辛い。今月に入ってもう6回目だ。少しだけでいいから何とか活動を自粛させる手段はないものか。


「お主ら、頭が固いのぅ」


 そこで頼りになるのは、やはり安瀬だった。


「ここにいる黄山とやらがいれば、話は簡単であろう?」

「えー?」

「ん?」

「は?」


「……お、俺?」


 急に話を振られた黄山は事態を掴めずに狼狽する。


「お、俺はたかが副部長だ! 活動を休止させる権限なんてないぞ!!」

「ほほぅ、役職持ちか。なら好都合である。なぁに、お主は我らの言う通りに振る舞っておれば良い。そうすれば、もう危害は加えん」


 逆に言えば、従わなければ殺す、と安瀬は告げていた。


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「自動車部の皆様! 貴方たちのはこの安瀬桜が預かりました!! 無事に返して欲しければ2週間の間、部活動の休止を誓いなさい!!」

「た゛、た゛すけてくれ゛゛ーーーッ!! つ、つ、次はマジで殺される゛ーーッ!!」


 安瀬はメガホンを使い、自動車部の集会場所にて人質を利用した脅迫行為を何の躊躇もなく行って見せた。


「あ、安瀬ちゃんってさー……」

「うん、生まれる時代が違ったら大悪党になってたと僕は思うよ」

「恐ろしいヤツだよな、マジで」

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