第36話 陣内 vs 酒飲みモンスターズ


「最近、我らの扱いが雑になってないかの?」

「同感だね」

「えー、そう?」


 大学の講義が終わった夕方。3女は狭い部室内にて、カセットコンロを使いチョコレートを溶かしていた。


 明後日は2月14日、バレンタインデー。

日本企業の巧みなマーケティング戦略に翻弄された男女が、チョコレートを贈り送られる恒例行事。


 彼女達も慣例に習い、意中の男子……とまでは言わないが仲の良い男子の為、甘菓子作りに精を出していた。陣内はバイトが入っており、遅くまで帰ってこない。


「猫屋、この前の大事件を忘れたでありんすか?」

「あーー、あれねー……。やばかったよねー……」


 猫屋は顔を赤くして、新たに彼らの事件簿に刻まれた珍事を思い出す。


 

 平日の朝の事であった。陣内はいつものように彼女達より先に目を覚まして飲酒喫煙。その後、普段着に着替える為に男子更衣室まで足を運んだ。もちろん、部室を出る前に爆睡する酒飲みモンスターズを陣内はキチンと起こしていた。


 だが、彼女らは平然と二度寝した。講義に遅刻しないギリギリの時間に仕掛けられたアラームが無ければ、そのまま昼まで目を覚まさなかっただろう。最終警告を告げる音楽に飛び起きて、その場で着替え始める彼女達。女子更衣室を使っている時間の余裕は無かった。


 そこに、着替え終えた陣内が帰ってくる。

 半裸の美女達と酒の入った陣内。何も起こるはずはなく、硬直する女性陣を無視して荷物をまとめ『先に行っているからな』とだけ言い残し、陣内は何事もなかったように立ち去った。


 その時の反応は三者三様。顔を赤く染めて黙り込む安瀬、半狂乱で慌てふためく猫屋、特に動じていないが陣内の反応が不満そうな西代。


「僕らが悪かったから怒りはしなかったけど、彼の平然な顔は少し癪に触ったね」


 4月ほど前には部屋内で下着を干していたくらいで慌てていたのに、と西代は心の中で子供のように拗ねる。


「そ、そうであるな。し、下着姿を見られたくらい平気ではある、……が」

「だ、だよねー。でも、その後の陣内の反応がさー……」

「微妙だったね。お酒が入っていた故のリアクションの薄さだとは思うけど、"綺麗だ"くらいのコメントは欲しかった」


 恥じらいのある安瀬と猫屋。羞恥心がどこかに吹き飛んでいる西代。

意識の違いは多少あれど、自身の乙女のプライドが傷つけられたと感じているのは同じだった。


「凄い変なこと聞くけどさー? 私ってちゃんと可愛いよね?」


 自尊心が在るのか無いのかよく分からない疑問を猫屋は問いかける。

自分以上に容姿が優れていると思っている二人に判断して欲しかったのだ。


「猫屋は才色兼備さいしょくけんびさ。その運動神経とスタイルの良さが羨ましいよ。僕は背が低いからね」

「そう言う西代は花顔雪膚かがんせっぷじゃな。白く透き通る肌が雪の様でありんす」

「えぇと、なら安瀬ちゃんは……優美高妙ゆうびこうみょう? 綺麗で教養があるし……四文字熟語とか詳しくないけど意味合ってるー?」


 大喜利の様な言い回しでお互いを褒め合う女子達。

だが、その傷のなめ合いの効果は不発に終わる。 


「……同性で褒め合っても、ね?」

「いや、嬉しくはあるでござるよ? ただ、やっぱり、のぅ?」

「わ、わかるー……」


 目のハイライトを消して、酒飲みモンスターズは深く落ち込む。

ここに、陣内の女たらしの効果が遺憾なく発揮されていた。


 陣内はチャラ男時代に養った口説きスキルのせいか、彼女たちがを口にする事が度々ある。普段は辛口気味な彼の裏表の無い直球な誉め言葉。それは、恋愛経験皆無の糞雑魚喪女たちの脳内に甘い痺れのような愉悦の感情を生み出していた。


 生暖かい青春の風を、無意識的に彼女たちは気に入ってしまっていた。


 だが、最近は陣内が常に酩酊状態にあり甘酸っぱい雰囲気になる事は少ない。

もともと、酒、煙草、賭博、といった依存性の高い物に陥りやすい彼女達。

無自覚的に、信頼する異性からの承認欲求に餓えていた。


「うー、なんかモヤモヤするー…!!」

「なんだろうね、この気持ち」

「……なんでござろうな」


 彼に傷つけられた乙女の純情を癒す方法は二つ。

傷つけた張本人からの褒め言葉、もしくは陣内梅治の動揺した姿を見る事で溜飲を下げることだ。


「やってみるかえ? 


 碌でもない計画の発案をするのは、やはり安瀬だった。

干物女たちの目に火が灯る。悪だくみの時間だ。


「悪くないねー! いい憂さ晴らしになりそー!」

「僕も乗った。ここらで、僕達の本気を陣内君に見せつけておこう」

「うむうむ。そうであろう、そうであろう!」


 2人の溌剌とした返事を聞いて、安瀬は上機嫌に笑う。

安瀬は自分の企画を楽しそうに受け入れてくれる彼女達が大好きだった。


「では早速、今回の作戦の概要を練ろうかの!」

「とりあえずの目標はー、陣内に私たちが最高のレディーだって事を思い出させることだよねー?」

「その認識で異論はないよ。ただ、どうせやるなら陣内君に赤面くらいはさせたいね」

「んー、でもさー、酒が入った陣内は全然恥ずかしがらないでしょー?」

があるぜよ」


 トラブルメーカー安瀬が自身の荷物スペースからある物を取り出す。


「アルコール依存症用の薬でござるよ」

「「……え?」」


 安瀬が提示したのはプラスチックの包装に包まれた錠剤だった。


「な、なんだい、それ?」

「嫌酒薬と呼ばれるものである。コレを服用した状態で酒を一滴でも飲むと、悪心、嘔吐、頭痛、動悸、呼吸困難を引き起こすというとんでもない代物でござるよ」

「うえーー!? 何その劇薬!?」

「コレを陣内に飲ませた状態で篭絡デートに出陣でござるよ」


 身も凍るような悪魔的な作戦。草津温泉の際は媚薬を盛ったが、今度は正真正銘の毒薬を盛るつもりの安瀬。普段から安瀬に負けずに滅茶苦茶な事をする猫屋と西代も今回は流石に引いていた。


「ど、どこで入手したのさ、その薬」

「通販サイトであるな。最近の陣内は飲みすぎじゃからの。ドクターストップ用に購入しておいた」

「あいかわらずのとんでも行動力だねー……」


 陣内の身を案じての行動という事で、入手経路については2人は納得した。


「でもさー、それをどうやって陣内に飲ませるの? 精力剤と違って酒には交ぜられないよー??」

耄碌もうろくしたか猫屋。我らが今作ってるものはなんぞ?」

「あ、なるほどー」

「チョコレートをオブラート代わりか。甘いからちょうどいいね」


 着々と練られていく陣内見返し大作戦。一番の難関と思われた服毒方法もバレンタインのおかげで解決してしまう。


「薬を飲ませた後は、4人でどこかに出かけて、各々にアピールタイムでも設ければ良い。あぁ、ついでに、競うか? ふふっ、まぁ我の圧勝だとは思うがの!」


 安瀬の流れる様な煽りにピクンと2人が反応する。


「安瀬、君の悪事に対する頭の巡りの良さは常々驚かされるよ。僕らに軽く挑戦状を叩きつける、その短絡的な思考にもね……!」

「やってやろーじゃん……! 酒の入ってない陣内なんて、軽く100回は赤面させてみせるよー……!!」


 お粗末な挑発に2人は簡単に乗った。


 彼女らは異性にモテた事はあっても自らアプローチをかけた経験は一切ない。それにも関わらず、自身満々そうに笑みを浮かべる三者。その根拠の無い自信はどこから来るのであろうか。


「言ったな! 吐いた唾は吞めぬでござるよ!!」

「そっちこそー!! お洒落には結構自信があるんだからねー!!」

「ははっ、2人とも実に愚かだね……! この僕に勝てると思っているのかい?」


 バチバチと熱視線を交差させる酒飲みモンスターズ。


「なら、最下位は罰としてアニメキャラコスプレで講義に出席でござる!!」

「「望むところだ!!」」


 陣内見返し作戦とやらは、何時の間にか女のプライドを賭けた戦いへとシフトチェンジしてしまった。


************************************************************


「はい、陣内。あーーーん!!」


 嫌な予感が止まらないッ!!


 今日は2月14日、バレンタイン。酒飲みモンスターズが俺の為にわざわざチョコレートを作ってくれた。それは別に良い。甘い物は好きだし、俺だって男子だ。バレンタインにチョコを貰う事は素直に嬉しい。


 しかし、その他の行動に強烈な違和感を感じる。


 今は早朝。彼女達は俺が起こさない限り、基本的に昼まで寝ている。その寝坊助達が俺よりも早く起床している。何かおかしい。


 加えておかしいのは、目覚めて直ぐの俺に安瀬がチョコを食べさせようとしている事だ。あ~ん、なんて普段は絶対に口にしないような言葉を添えて、だ。絶対におかしい。


 そして、何よりも意味が分からないのが

白粉と紅を塗り、付け爪やネックレス等の装飾品を携え、皺ひとつない綺麗な服装。ファッションに無頓着な西代でさえ、恐ろしく綺麗に着飾っている。


 何かが、絶対に、おかしい。

俺の頭の中で大音量のサイレンが鳴り響いていた。


「待て、安瀬。チョコを貰うのは嬉しいがあ~んはちょっとな……。後、寝起きだから先に歯を磨きに行きたい」


 俺はもっともらしい理由を付けて逃避を試みた。

とにかく、今はこの場から逃げて情報を集めなければ。


 しかし、安瀬は俺の言葉の裏を読み取ったのか、優しい天使の微笑みを悪魔の形相へと変化させてしまった。


「ふんっ、大人しく食せばよいものを……猫屋、頼んだ」

「おっけー」


 何とか離脱しようとする俺に、猫屋がにじり寄ってくる。

彼女が傍によると、甘く優美な香りが鼻腔をくすぐった。軽く香水をつけているのだろう。


「陣内、ごめんね?」


 そう言うと、彼女は俺の手首の少し下を親指で押さえてきた。


「えいっ」

「い、っ!?」

 

 可愛らしい掛け声と共に、彼女が俺の痛点を的確に圧迫する。

神経に流れる耐えがたい痛みの信号。


「ほれっ」


 痛みによって開かされた口に丸いチョコが放り込まれた。


「よいしょっ!」


 次の瞬間、俺の顎を閉じるように猫屋の掌底が撃ち込まれる。


「ぶっ!!??」


 俺は口内のチョコを強制的に嚙み砕かされる事になる。混乱する俺に猫屋は更なる追撃を加えてきた。掌底を打った手をスライドさせ、俺の口を塞いできたのだ。


「僕の出番だね」


 今度は西代が俺の鼻を摘まんで空気の通り道を塞いだ。流れる様なコンビネーション。


「死にたくなかったら、そのまま飲み込んでね?」

(え、俺、殺されるのか!?)


 俺に殺意を感じさせる言葉を吐く西代。その目は黒く濁っていた。魔の西代さんモードだ。賭博でもないのに、何故か彼女は本気を出して、俺にチョコを食わそうとしていた。


 訳が分からないまま進む拷問の様なバレンタインデー。

俺は西代の脅しに即座に屈し、口内のチョコを飲み込んだ。せっかくの甘味だったが味わう余裕は無い。


 食道が動いた事を確認して、西代と猫屋がようやく俺を開放した。


「ぶはっ!! ……朝からいきなりなんなんだよ!? ふざけんじゃねぇぞ!!」


 俺は珍しく本気で彼女たちに怒号を飛ばした。起床してすぐにこのような扱いを受ける覚えはない。


「いやー、流石にやりすぎかなー?」

「まぁ、仕方ないだろう? 僕らの善意を疑った陣内君が悪いよ」

「そうであるな!!」


「許すかどうか決めるのは俺だろうが!! いいから説明しろ! 俺に何を食わせやがった!!」


 自分勝手に話し出す彼女達を大声でまとめ上げる。

彼女らのイタズラにしては強引で暴力的すぎる。ただのチョコではないヤバい物を食わされた事は確実だった。


「嫌酒薬、でござるよ。お主なら知っておろう?」

「……っ!? あのアル中殺しのやべーヤツか!?」

「おー凄い、本当に知ってるんだねー。酒に関する知識量だけは凄まじーね」


 俺は一度だけあの薬を飲んだことがあった。

 この大学のセンター試験の1月前。どうにも受験勉強に身が入らずに酒ばかり飲んでいた俺は断酒する為に自ら嫌酒薬を購入して服用した。効果を試すためにウイスキーのロックをダブルで飲んだが、俺は自分の軽率な行動をすぐに後悔した。丸1日、重度の二日酔いと同等の苦痛を味わう羽目になった。1日をほとんどトイレで過ごし、胃の中が空っぽになるまで吐き散らした。


「な、何でそんな物を!?」

「あー、ほら、陣内は最近お酒飲みすぎだからー心配になってー」

「僕らは休肝日が必要だと判断したんだ。それと、鬱憤の解放に気保養きほようへの招待もね」

「気保養? ……要するに遊びの誘いか?」

「正解である! 最近は色々と忙しかったからの! 今日と明日は遊びまくるでやんすよ!!」

 

 今年のバレンタインデーは土曜日だ。安瀬の言う通り、二日間は遊び費やすことができる。俺のバイトは人が足りていたため土日は休みだ。だが、彼女たちはそうではあるまい。


「お前らバイトは?」

「「「無理言って、他の人にシフトを変わって貰った」」」

「………………」


 嫌な予感は止まっていない。彼女たちは生物学的に女性に入るがバレンタインデーなどというイベントに張り切る類の女子ではない。どうにもきな臭い。俺だけが知らされていない悪だくみの真っ最中。そんな感じがする。


 ……だけど、まぁ、しかしな。


 俺は不思議とこの誘いを断る気が起きなかった。理由は彼女たちの装いにある。

何か企んでいるようだが彼女たちは本気で着飾ってきた。そして、俺は男だ。彼女たちの心意気に誠実に答える義務がある。


「はぁ、分かった。10分……いや、20分待ってくれ」

「ん? 何でじゃ?」


 安瀬が不思議そうな顔で首を傾げた。


「お前らの横を歩くんだ。身だしなみはキッチリと整えないと、な?」

「あー、なるほどねー。別に気にしなくていいのにー」

「そうはいくかよ。鏡見たのか? ちょっと凄いぜ、今日のお前ら」

「凄い? どういう意味だい?」

「高かったろ、その新しい服。全員、よく似合ってるよ」

「「「……!!」」」

「とりあえず、顔を洗ってくる。お前らは先に車で待っててくれ」


 俺はそれだけ言って、部室から出て行った。


 変な物を飲まされたが、仕方ない。酒が飲めない事は死ぬほど残念だが、別の楽しみを見出そう。。ただの2連休のつもりだったが面白くなってきた。


************************************************************


「僕の服は分かるとしてさ、2人の方にはよく気付いたよね?」

「私たちの事、案外ちゃんと見てるよねー……」

「ふふっ、常日頃から我らの美貌に目が釣られておるという事じゃの!」


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