第37話 安瀬だけの気持ち


 瀟洒しょうしゃな美女たちには似合わない小さな軽自動車。運転手もまったく釣り合っていない、凡庸な男。彼女たちとはいつも一緒にいるが、今日は随分と居心地が悪い。本気で身だしなみを整えたが、まるで太刀打ちできていないせいだ。


 赤信号で停車したため、横目でチラリと助手席の安瀬を見る。


 体のシルエットが浮き出る薄手の黒ニット。膝まである白のロングスカートと黒タイツ。その下にはモデル顔負けのグラマーなスタイルをさらに際立たせようとするピンヒール。


 ここまで可憐な安瀬は、松姉さんとの騒動以来だ。

外窓に肘をついて外を眺める姿が何とも絵になる。


「なぁ、何で今日はそんなに気合を出してるんだ?」

「ん? まぁ、拙者とて年頃の女子でありんす。偶には綺麗に見られたいという事じゃ」

「ふーん、そんなもんか」


 俺はとりあえず納得した風を装って見せたが、内心の疑念は解消していない。彼女1人だけがお洒落していたのならば、今の答えで納得はできていた。しかし、後部座席に座っている2人も今日は何故か可憐な装いだ。特に、普段は白シャツと黒ズボンという簡素な服装を好む西代まで着飾っている事は異常事態だ。


 酒飲みモンスターズは確実に何かを企んでいる。そして自意識過剰でなければ、それは俺を主軸とした計画であるだろう。だが、サプライズ的な祝い事である可能性は薄い。今日はバレンタインデーという特別な日ではあるが、チョコは先ほど最悪な形で頂いた。


 俺は自力で彼女たちの悪しき企みを防ぐ必要がある。そうしなければ碌な事にはならないだろう。しかし、その問題は置いておき安瀬には一つだけ言っておきたい事があった。


「似合っているとは思うけど、そんな背の高いヒールなんて履き慣れてないだろ?」


 安瀬は普段ヒールの類を履くことはない。動きやすいシンプルな女性靴を選ぶ傾向にある。それに比べて、ピンヒールはひどく不安定で頼りない物だろう。少しだけ彼女の事が心配だった。


「初めて履いたがグラグラするでありんす……」

「危なっかしいな、気をつけろよ?」

「そうでござるな。もし転びそうになったらぜよ」

「……まぁ、それくらいなら」

「うむ! 頼りにしておるからの!」


 足でも挫いたら大変だし、その程度の迷惑なら幾らでも請け負おう。


「あー……、なるほどねー。その手があったかー……」

「酒の入っていない陣内君に、体を使っての直接攻撃か。流石安瀬、中々考えて来てる……」


 後ろで猫屋と西代がコソコソと何かを話している。

もしかして、今の会話に悪だくみの要素があったのだろうか?


「なぁ、今日と明日はどこに行くんだよ?」


 彼女達の悪企みを推測するための情報が欲しく、俺は彼女たちに今回の遊び先を問う。車を運転しているが目的地は知らされていない。カーナビに入力されていた目的地の案内通りに走らせているだけだ。


「今日は昼過ぎまでショッピングじゃな!」

「……なんか随分と普通なんだな」


 少しだけ身構えていた俺は拍子抜けしてしまった。彼女たちのことだから、飲めない俺を酒のつまみにしての居酒屋巡りといった拷問行事を企画しているのではないかとまで思っていた。


「今日はそうかもね。でも明日は凄いよ」

「凄い? どこに行く予定なんだ?」

「明日はー、山梨の遊園地で遊びまくる予定だよー!」

「おぉ、まじか」


 山梨には様々なアトラクションが楽しめる世界的にも有名な遊園地がある。子供から大人まで平等に楽しめる大型アミューズメント施設。時速180キロで爆走するジェットコースターなどがあるくらいだ。


 遊園地は結構久しぶりなので楽しみではある。……あるのだが。


「まぁ、凄い楽しみだけどさ、本当に普通に遊びに行くだけに聞こえるんだが?」

「え? 何言ってるのー? 普通に遊びに行くだけに決まってるじゃーん?」

「……」


 どうにも疑わしい。山梨と言えばブドウの名産地としても有名だ。ブドウと言えばワイン。女の感性が死に絶えている酒飲みモンスターズなら遊園地よりもワイナリー巡りを優先するように思える。


 ショッピングと遊園地。まるで付き合って間もないカップルのデートプラン。酒飲みモンスターズが立てたにしては平凡すぎる予定だ。やはり、ただの旅行と言うには何か違和感がある。常に警戒を怠らず、彼女達の動向を見張り、緊張感をもって楽しむことにしよう。


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 県外にある超大型ショッピング施設。中のテナントとして入っている企業は優に50種は越えている。以前に西代の誕生日プレゼントを購入した場所とは規模が違う。


 立体駐車場に車を止めて、俺たちは早速店内を回り始めたわけだが……


「なぁ、猫屋と西代はどこに行った?」

「さぁ? 私は知りませんよ」


 ウインドウショッピング開始早々に2人とはぐれてしまった。酒飲みモンスターズの協調性の無さには呆れを通り越して驚かされるばかり。どうやればこの短時間で迷子になれるのだろう?


「それとな、何でそんな畏まった口調なんだ? 普段のグチャグチャした語尾はどうしたんだよ?」

「失礼ですね。私の口から発せられる言葉は大日本帝国よろしくのウィットに富んだ、コケティッシュで蠱惑的な──」

「分かった。分かったから」


 早口の弁明を適当にあしらう。


 ござる、である、ありんす、やんす、そうろう、ぜよ。そこに頻度の少ないレアな"くりゃれ"と"おじゃる"を含めた系8種類の語尾。それに加えて時代錯誤な言い回しをする話し言葉。安瀬はその奇天烈珍妙な口調をかなり気に入っている……はずなのだが、今は何故か外行き用の口調になっている。冷たく距離を感じさせる隙の無い敬語だ。


「はぐれた2人の事は放っておきましょう」

「え、でも──」

「どうせゲームセンターでパチスロでも見つけて遊んでいるのでしょう」

「……西代がいるならあり得る」

「それに、後で連絡を取れば難なく合流できますから」

「まぁ、それもそうか」


 パチスロかは分からないが、きっと何か気になる店を見つけて2人で入って行ったのだろう。別行動にはなるが楽しんでいるのなら別にいいか。


「で、何か見たい物でもあるのか?」


 この施設で買い物がしたいと言い出したのは彼女達だ。

何か欲しい物があるに違いない。


「酒ですね。火災でかなりの数が燃えてしまいましたから」

「なるほど、補充するわけか」

「ですね。ついでに、珍しそうな物があればドンドン開拓していきましょうか」


 そう言って、安瀬はニッと笑って見せた。快晴の青空を思わせる元気溢れる笑顔。

口調こそ大人しいが性根の部分は変わっていない様に思える。


「だな。目利きを頼むぜ、日本酒大臣」

「お任せください」


 俺たちは酒売り場まで足を延ばすことにした。


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 陣内と安瀬のはるか後方。二人に隠れるようにしてコッソリと猫屋と西代は彼らを監視する。双眼鏡を片手に彼女たちは友の女子力を測定しようとしていた。


「おー、安瀬ちゃん、口調を変えて完全に本気モードだねー」

「普段とのギャップでも狙っているのかな? 口調さえ直せば、安瀬はただの美女だからね」

「アハハ! 行動の方も直さないとだめじゃなーい?」

「ふふっ、そうだね。口調を直してもトラブルメーカーのままだった」


 安瀬の袖には小型の収音マイクが仕掛けられている。

安瀬魔改造計画の時と同じように猫屋と西代は彼らの動向を逐一チェックする事ができた。


「しかし、酒売り場か……トップバッターを譲ったのは失敗だったかな。いかにも陣内君が喜びそうな場所だ」


 今回の女子内での魅力度争い。様子見に徹しようとする2人を置いて先陣を切ったのは安瀬であった。


「えぇー? 確かにそうだけどさー、ただのお酒選びであの陣内を赤面させるって難しそうじゃなーい?」

「……言われてみればそうだね。やっぱり最終的には直接的なボディタッチで攻めるのかな?」

「その手腕に乞うご期待っ、て感じだよねー」


************************************************************


 様々な食材が並んだ食品売り場の一角にあるお酒の販売コーナー。陣内と安瀬はそこで和気藹々と買い物に熱中していた。彼らは酒について語らせれば丸1日は話し続けられるほどの酒好き。2人の会話も当然盛り上がっている。陣内だけが知らないデートもどきの経過は順調そうに見えた。


 陣内はプラスチック状の板で区切られたあるスペースを指差して声を上げる。


「山口の日本酒コーナーなんてのがあるぜ! かなり遠いはずなのに品揃えが凄いよな、この酒屋!」

「確かに珍しい……あ、白狐がありますね」

白狐びゃっこ?」

「実家で飲んだことがあります。フルーティーな口当たりなのに、後味がキレのある辛口でとても美味しいです。確か湯田温泉の白狐伝説にちなんだお酒です」


 スラスラと淀みの無い口調で酒の解説を行う安瀬。

普段の彼女の口調からは考えられないほど清んでいて凛としている。


「へぇ、流石詳しいな」

「どうも。……買いますか?」

「そうだな! せっかくだし買って帰るか! お前が美味しいって言うのなら味は間違いないだろうし」


 ニコニコといつもよりテンション高く返事をする陣内。

今は酒が飲めないとはいえ、彼は骨の髄からの大酒飲み。すでに脳内ではシュワシュワとした飲酒欲求が絶えずあふれ出ていた。


 その様子を見て、安瀬は嬉しそうに微笑む。


(将を射んとする者はまず馬を射よ、とはまさにこの事であるな! ふふふ、逢引の基本は相手の趣味に合わせる事とみたり! 悪くない雰囲気でござる!)


 今回、安瀬が考えてきた作戦はシンプルな物であった。陣内の気分を最大限良くしてやった後、不意打ちぎみにそのグラマラスな体を押し付けるだけ。ピンヒールで伏線をすでに張っているため、不自然に思われることもない。


(まぁ、体に頼るしかないとは我ながら情けない話ではありんすが)


 安瀬に恋愛経験は一切ない。男心をくすぐる甘酸っぱい会話技術は当然持ち合わせていないため、体を使って男に甘え媚を売る術しか思い浮かばなかった。


「どうしたんだボーっとして?」

「いえ、別に……それより、あっちには洋酒コーナーがありましたよ。ここは品揃えが豊富なので珍しい物があるかもしれません」

「おぉ! 見に行こうぜ!!」


 まるでトランペットをショーケース越しに眺める子供のように目を輝かせて陣内は店内を回る。


「あ、もう……待ってください」


 その三歩後ろを安瀬はついていく。


 はしゃぐ陣内の様子を見て、安瀬は仕掛けるタイミングはここだと感じ取った。彼女は斜め後ろから素早く陣内との距離を縮める。


「おっと、失礼しますね」


 そう言うと、できるだけ自然に陣内と腕を絡める。安瀬は自身の優れた容姿を完璧に把握していた。口調を正して、精神と物理の距離を隙間なく埋めてやれば、どんな男でも手玉にできる自信があった。


(……まぁ、色仕掛けなどあまり好きではないが、勝負とあれば仕方ないでありんす)


 安瀬は小さく溜息をつく。陣内に身体を預ける事が嫌なのではない。『安瀬にとって陣内は特別な存在である』。そのため、陣内が他の男共と同様に自身を好色な目で見てしまうことがとにかく嫌だった。普段から彼は自分たちをそのような目で見ない様に努めている事もその気持ちに拍車をかけた。


(これで動揺しない男などおらんであろうしな)


 彼女の豊満な胸が陣内の腕に押し付けられる。

特別な男を自らの手でおとしめるような行為。


(……)


 至極身勝手な話ではあるが、安瀬は心のどこかで陣内が腕を振り払い『はしたないから止めろ』と怒ってくる事を望んでしまった。


(むぅ、我ながら本当に身勝手な──)

「……ちょっといいか?」


 だが、陣内梅治はその展望を大きく超えてみせる女たらしである。


「え、あ、どうかしましたか?」


 安瀬の方に振り返り、真剣な表情で安瀬を見る陣内。

その表情に一瞬、安瀬は面喰う。もしかして本当に怒られるのだろうか? と安瀬は少しだけ身構える。


「その外行き用の口調……なんでずっと使ってるんだ?」


 陣内の口から出た言葉は安瀬の予想外の言葉だった。


「え? え、えっと、ですね……特に理由なんてないです」


 突拍子の無い言葉に動揺しながら、安瀬は咄嗟に嘘をつく。

普段の口調は女らしくないので止めておいた、とは言えなかった。


 当然、陣内はそのような取って付けた嘘を真には受けない。


「グチャグチャした語尾、なんて言ったから怒ってるのか? ……悪かったよ」

「そ、それは違います!」


 安瀬はブンブンと顔を振って必死に否定した。

自分達の悪だくみで陣内が謝ることは流石に申し訳なかったからだ。


「なら、そろそろ戻してくれ。……お前の口調、割と気に入ってるんだよ」

「え?」


 呆気にとられたような声が安瀬から零れる。


「それに、ちょっと、な。……ずっとそれだと、なんか、。距離を感じるって言うか……まぁ、そんな感じで」


 陣内は恥ずかしそうに目をそらし、ぶっきらぼうに呟いた。

安瀬のおかしな口調は心を許した者の前でしかださない特別な物。いわば信頼の証。

それが急に感じられなくなり、陣内は不満毛な様子だった。


 見方を変えれば、"甘え"とも取れる彼の言葉と表情。



 その態度が安瀬の心をドロドロに融解させる。



(…………やばい、やばい、やばい!!)


 安瀬は絡めた腕を強く引き寄せて、その腕に顔を隠すように埋める。


「お、おい?」


 陣内は急に黙り込んで動かなくなった安瀬を不思議そうに見降ろした。


************************************************************


 私は顔の口角が上がっていくのを止める事ができなかった。


 ニマニマとだらしなく頬が緩み続ける。その変な顔を見られたくはなかったので、陣内の腕に顔を押し付けひた隠す。胸の奥から湧き出てくるのは淡い高揚感。体の方では発火しそうなほど熱く血潮が乱れ狂う。心臓が早鐘を鳴らして異常事態を告げていた。


(う、ぅ、ううう~~~~……!!)


 意味をなさない言葉が心の中で反響する。


 たまらなかった。私の身勝手な策略を裏切る形で、陣内は女らしくないと思っていた素の自分を強く肯定してくれた。それが、何故か、どうしようもなく胸を焦がしてしまう。陣内の手によって胸の奥に暖かい液状の何かがトクトクと注がれているようだった。


「くひゅ、うひひ……」


 気持ちの悪い声が勝手に漏れ出てしまった。

おかしい。ただの言葉でここまで心をかき乱されるなんて絶対におかしい!!


「おい、本当にどうした? 大丈夫か?」


 何時まで経っても顔を上げない私を見て、陣内が心配そうに声をかけてきた。

早く何か返事をしなければ、変に思われてしまう!


「ふ、ふへへ、何じゃお主。ず、随分と可愛らしい事を言うではないか」


 彼の要望通りに口調を戻して、必死に口角を抑えながら私は陣内を精一杯揶揄ってみた。上手く表情を取り繕えているかは分からない。


「……う、うっせ」


 私の軽口に、忌々しそうな顔をして悪態をつく。

その顔ですら今は目が離せそうにない。


「お前の敬語口調、冷たい感じがして俺に使われるのは嫌なんだよ」

「っ!」



 私だって……我だって自分を偽ってお主と逢引するのは嫌である!!



 急いで袖に仕込んだ収音マイクのスイッチを切った。ここから先は猫屋達には聞かれたくは無い。、自分だけの物にしておきたかった。


 ギュッとさらに強く腕を絡めとった。そのまま彼がいなければ立っていられないくらいに体を預ける。先ほどまではあまり気乗りしなかった色仕掛けであるが、今度は全力で慣行する。今は陣内に自分を強く意識して欲しかった。


「ちょ、おまっ!?」


 我の目論見通り、陣内は目を見開いて強く動揺する。

細く線を引いたようなカッコいい目つきが台無しではあったが、真っ赤な顔がどこか愛くるしい。


「ヒールを履いてて歩きにくいのは分かるけど、腕を絡めるは止めろよ!! う、う、動きにくいだろうが!」

「ふひひっ、なんじゃ陣内? これくらいで照れおって」

「わ、わざとやってんのかテメェ……!?」


 あぁ、そうじゃ、もちろんわざとでありんす。

だからもっと我を意識しろ、この朴念仁ぼくねんじんめ!! 今日と明日は目に物を見せてくれる!!


「約得であろう? さ、うだうだ言ってないでとっとと行くぜよ。まだまだ酒は買い足りないでありんす!!」

「あ、おい……!!」


 そのまま、陣内を引っ張って強引に逢引を再開させる。腕から感じる彼の体温が非常に心地いい。


 とりあえず、後の時間は勝負の事なぞ気にせずに陣内と2人きりの買い物を楽しみたい気分であった。後方で我らを見張っている2人は強敵であるが、1ポイントは確実に取ったので今はこれで満足しておこう。

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