第35話 幽霊退治


 時刻は夜の10時。

俺達は音楽室の鍵を土屋さんから譲り受け、音楽室に張り込んでいた。


 彼女から聞いた幽霊騒ぎの詳しい話はこうだ。

一、突如として音楽室内の人物画が揺れ動いた。

二、軋んだような音が音楽室内に響き渡った。

三、防音のはずである音楽室から小さな女の声が聞こえる


一と二、は夜遅くまでコンクールに向けて練習していた所、部員たちが実際に遭遇した怪奇現象らしい。三、に関してはたまたま夜に残っていた生徒が廊下で聞いて震え上がり、大学に相談までしたようだ。


 実に定番の内容。

このラインナップなら幽霊が出ると噂もするだろう。


「中々、骨のありそうな依頼だよな。酒で体を清めておこうぜ」


 俺は日本酒を煽りながら、感想を述べる。


 持ってきたのは上善如水じょうぜんみずのごとし。スーパーでも売っている日本酒だ。特徴としては、水のように透明感があってとにかく飲みやすい。個人的には濃いめの蕎麦によく合う酒だ。今回は名前が清らかなので持ってきていた。


「私、ウォッカとグラスを持ってきたんだー。後で、お祓い用の清め塩でソルティドック作ろーよ」

「お、いいな。更に清まりそうだ」

「君たち、ほどほどにしないと罰が当たるよ……」

「その罰を懲らしめにきたでござるよ」


 そう言うと、安瀬は俺の飲んでいた上善をひったくるように奪って飲み始めた。

ゴクゴクっとラッパ飲みで水のように流し込んでいく。


「あ、おい」


 確かにこの酒はそういった風に飲めるのも売りだ。

勿体ない飲み方だが、たまに俺もやる。


「…………ぷはっ。よし、酒も入ったところで、さっそく電気を消して蝋燭に火をつけるぜよ」


 安瀬はそう言って、懐から大きな蝋燭を取り出した。

流石、安瀬だ。用意が万端過ぎる。


「はぁ!? な、なんでだい!? 明るいままでいいだろう!?」


 西代が大袈裟に反対する。

その動揺した姿は実に哀れで笑いを誘う。


「何を言ってるんだ。これは依頼達成のために必要な行事だろ」

「やっぱりさー! 幽霊は暗い所じゃないと出てこないよねー?」

「うむ、我ながらいいアイデアじゃ。ついでに怪談でもして酒のつまみとするかのぅ」

「っひ、うぐ」

 

 俺たちの完璧な理論武装。

西代はぐうの音も出ず押し黙った。


 俺たちの主とした目的は依頼の達成などでは決してない。

西代の怖がる情けない姿をつまみに面白可笑しく酒を飲む。それが主目的。

土屋さんには悪いが幽霊退治などは所詮、おまけだ。


「じゃあ、ポチっとな」


 俺は音楽室の電気を勝手に消した。


「ひゅい!?」

「アハハハハ!! 西代ちゃんビビりすぎーー!!」

「ハハハハハ!! 恐怖系に対しては本当に糞雑魚ナメクジでござるな!!」


 真っ暗な室内に3女の声だけが聞こえてくる。

西代を馬鹿にして凄く楽しそうだ。俺も早く混ざりたい。


「なぁ、早く蝋燭に火を──」


 ギィィィイイ......


 瞬間、部屋内に木の軋む音が響いた。


「き、きゃあああああああああああああああああああ!!!???」


 絹を裂いたような絶叫が暗闇で響き渡る。

当然、西代のものだ。


「ちょっ!? 西代ちゃん!? そんな掴まないでよー!」

「ぐぇっ! く、首が……しま……」

「っひっきゅ、っ!!」

「なんだよ、うるせぇな」

 

 俺はポケットからライターを取り出す。

フリントを回すと火花と共に火が灯り、部屋内を照らした。

そこには西代が両手で安瀬と猫屋を抱きしめていた。目に涙まで浮かべて震えている。


「姦しいオブジェだな」

「じ、じ、陣内君は何でそんな平気なんだい!!」

「酒が入ってるからな」


 酒が入った俺は無敵だ。性欲に関して言うまでもなく、恐怖や倫理観に至るまでしっかりと抑圧される。まぁ、飲酒からくるアドレナリンで変に気が強くなるだけだが。


「というか、安瀬が窒息しそうになってるから離してやれよ」

「しっかりと決まっちゃってるよー」

「ぎ、ぎぶ……」

「ご、ごめん」


 西代が安瀬の拘束を少し緩めた。だが、手を離しはしない。

顔を青くして2人をギュッと掴んでいる。


「し、死ぬかと思ったでやんすよ」

「そうなったらー、化けて西代ちゃんの枕元に立ってたねー」

「安瀬なら怖くないよ!」

「ネタにマジになるなよな……」


 いつもの頼りになる西代はいなくなった。賭博の魔に囚われた姿が西代さんモードとするのなら、怪事の闇に恐怖する姿は西モード。

大和撫子七変化と言うが、彼女にはまだ見ぬ一面があと5個はありそうだ。


「陣内君! こ、怖くないならを見て来てよ!!」

「準備室?」

「う、うん、さっきの音、隣の部屋から響いて来たから」

「え? そーなの?」

「お主、耳が良いな」


 やはりあった西代の意外な一面。どうやら彼女は目だけではなく耳まで良いらしい。


「自分で確かめに行く気はないでありんす?」

「ぼ、僕の霊感センサーが最大音量で危険を知らせているから……」

「お前、今度は霊感キャラかよ」


 そんな設定を追加しなくとも、西代のキャラは十分すぎるほど濃い。


「まぁ、分かった。隣の部屋だな。さっさと行ってくるよ」


 一応、土屋さんから依頼を受けた身だ。最低限、調査の体を取らなくていけない。

もし運よく原因を突き止められたなら万々歳だしな。


「き、気をつけてね陣内君」

「何にだよ?」

「ゆ、幽霊に」


 西代は大真面目な顔をして幽霊が俺を襲うと口にする。


「ふ゛゛っ!! アハハハ!! マジトーンで言うの止めてよー!!」

「ハハハハハ!! 幽霊をあの西代がビビってるでござる!!」

「お前本当に大学生かよ!」

「こ、怖い物は怖いんだから仕方ないだろ!!」

「ハハッ、分かった分かった。じゃあ行ってくるわ。帰ってくるまでに、火、蝋燭に付けとけよ」


 ゲラ笑いする二人と、この世の終わりの様な顔をする西代を置いて、俺は隣の部屋にむかった。


************************************************************


 ギィィ、ギィィ、ギィィ、ギィィ


 隣の部屋に入った途端、音が断続的に聞こえて来た。


(何かいるのか?)


 自然に発生する音ではない。明らかに何かがこの音楽準備室にいる。

猫やネズミと言った小動物であろうか? 俺は幽霊などは信じない。死んだ人間は天国かどこかで現世の人間を見守っている。決して、現世にイタズラなどしない。


 スマホを光源にして暗い部屋を照らす。


 


「「「…………」」」


 全裸の男女と、固まる俺。


 もう一度言おう。

緑川が、簡易的なベットの上で、情交していた。


 俺の脳裏に土屋さんから受けた怪異の説明が蘇る。


 一、突如として音楽室内の人物画が揺れ動いた。

ピストン運動が隣の部屋まで伝わった。


 二、軋んだような音が音楽室内に響き渡った。

床に2人分の振動が加わったせいだ。


 三、防音のはずである音楽室から小さな女の声が聞こえる

ここは準備室。防音がされていないのだろう。


「服を着る時間をやる。その後で説明を聞こうか」


 俺は有無を言わさぬ口調で彼らを威圧した。

事件の原因は明らかになったし、後は詳しい話を聞こう。


************************************************************


「俺らに部室を取られた後、にこの音楽準備室を選んだ、と」


 服を着た緑川に事情聴取。どうやら彼らは大学校内にラブホテルを作ることを諦められなかったようだ。


 先ほどまで居た、女は慌てた様子で逃げだした。

この音楽準備室には俺が入ってきた正規の扉とは別に、隣の部屋と通じる引き戸があった。そこから逃げたので、安瀬たちとは鉢合せてはいないだろう。


「というか、何でここに入れたんだよ。鍵は全てのドアにしてあるだろ」

「特別教室の鍵は事務室で名前さえ書けば誰でも借りられるんだ。だから鍵を借りて複製した」

「それで赤崎たちと共通の愛の巣に、ねぇ……」

「俺らも幽霊騒ぎになってたなんて知らなかった……」


 呆れて物も言えない。無断の鍵複製は普通に犯罪行為だろう。まぁ、俺達も活動理由を偽って部室を手に入れたので強くは糾弾できないが。


「他にも色々聞きたい事がある。俺たちの前にピアノ奏楽部が調査に来たはずだ。その時は何でバレなかったんだ?」

「あぁー、黄山の知り合いがピアノ奏楽部に居てな。部活のスケジュールを把握してるんだよ。まぁ完璧じゃないがな」

「なるほど」


 練習日はなるべく避けていたわけだ。だが、把握してない練習日とたまたまバッティングしてしまい噂になったわけか。


 何がそこまで彼らを突き動かすんだろうか。

やはり、性欲か……


「というか、よくこんな所まで女を連れ込めるよな。どうやったんだよ」

「専門学生とかは、大学を見せてあげるって言ったら結構ついてくるぞ」

「……常套手段かよ」

「まぁな。スリルもあって最高だぜ?」


 倫理観的には最低ではないだろうか?


「後さ、前々から思ってたけど就活の準備とかしなくていいのか? 3年だろ、お前たち」

「あぁ、俺たちは全員大学院に進むから」

「……ま、まじかよ」


 下半身で物を考えているような奴らの癖に、意外と頭が優秀なのか。

やはり合コンにはある程度の知的な駆け引きが重要のようだ。


「はぁ……しかし、つまらん」


 俺は露骨に溜息をついた。事情は全て分かった。

もっと面白い催しになると期待していたが、案外呆気なく終わってしまった。

これでは以前の部室争いの時と同じだ。


「え? それ俺のセリフなんだけど。いい所だったのに邪魔されて──」

「俺もいい所だったんだよ」


 無理やり緑川の言葉を遮る。

他人の行為の話など聞きたくもない。


「西代の恐怖面を楽しみにしてた、の、……に」


 いや、待てよ? この騒動の原因を知っているのは俺だけだ。

まだ、取り返しがつくのではないか?


「…………」

「え、なんだよ。周りを見渡し始めて……女の忘れた下着なんて落ちてないぞ」

「そんな物、探すかよ」


 この準備室には不思議と絵具や小道具という音楽には関係ないものが揃っていた。

種類が豊富なので信号機達の持ち物ではあるまい。


「なぁ、もう一つのドアの先って、もしかして美術室か?」

「ん、あぁそうだぜ。ここは音楽室と美術室の共同の準備室だ」


 俺は頭の中である企画を考える。酒のつまみにピッタリな俺にとって笑える企み。

即興で不確実なものではあるが、隣のこいつが手助けしてくれれば最高のショーになるかもしれない。


「なぁ、大学には黙っていてやるから少しだけ俺に協力してくれよ」


************************************************************


「じ、陣内君、遅いね……」


 西代がプルプル震えながら、幽霊騒動の原因を探りに行った陣内を心配する。


「そうであるな。……もしかして何かあったのか?」

「な、何かって………」

「ぷっ、ま、マジで幽霊とかー?」


 猫屋は2人の危惧を鼻で笑う。


「西代ちゃん、博打の時の肝の座り方はいったい何処にいったのさー」

「そう言うなら、猫屋。君が見に行ってくれ。じ、陣内君が心配だ」

「え、まぁ、いーけどさー」


 西代の指示に猫屋は渋々といった様子で従った。

幽霊は信じていないが、帰りの遅い陣内の事は彼女も気になっていた。


 猫屋は西代の拘束を解いて、立ち上がる。

そのまま、ジッポを取り出して音楽準備室の扉に向かった。


「は、早めに帰ってきてよ」

「一応、何かあったのならすぐに連絡するでござる」

「はいはーい」


 友たちの心配の声に適当に返事を返して、猫屋は扉を開けて部屋に入った。

真っ暗で雑多に物が積まれた室内。念のため、猫屋は扉を完全には閉めずに半開きにしておいた。


 室内の光源は扉から入ってくる蝋燭の光のみ。猫屋の視界はほとんどが闇に覆われいた。


 猫屋は右手で太腿のジーパンにジッポのフリントをこすりつけて、火を灯す。


「えーと? 電気つけるところはー……」


 彼女は少ない光源を頼りに、室内電灯のスイッチを探す。


 バタンっ


「っ!?」


 猫屋が部屋に入って数歩進んだ瞬間、半開きにしたはずの扉が閉じた。

扉は蝶番がさび付いているせいか、立て付けが悪い。自重で閉まることはない。

不可解な現象が、彼女の警戒心を跳ね上げる。


「……じんなーい? ふざけてないで出てきなよー?」


 猫屋は扉が閉まったのは陣内のイタズラだと思い込む。

彼女は幽霊など非科学的な物は信じないたちだった。


「こ……こ、猫……」

「? 陣内?」

 

 かすかに聞こえてくる陣内の声。

その方向に猫屋はジッポの光を向ける。


 そこにいたのは、頭から血を流す陣内だった。


「え、は? じん、ない……?」

「猫屋……う、うし、ろ」


 流血し瀕死の重傷を装った陣内は、猫屋の背後を指差す。

猫屋はその動きに釣られて、振り向いた。


「あぁー! あぁ、あぁーーーーー!!」


 その先に居たのは、全身が緑色をした河童だった。

緑色の上半身を露出し、手に水かきまでつけた真緑の異常生命体。

その名を緑川次郎という。


 河童は奇声を上げながら両手を伸ばし全速力で猫屋に駆け寄ろうとした。


 河童が一歩踏み出した須臾しゅゆの間。

 猫屋の両目が危なく光った。武道において、敵意を持った接近というのは立派な攻撃の部類に入る。そして、血を流す親友の姿。その二つが猫屋李花の闘争のスイッチを連打した。


 彼女は火の付いたジッポを真上に放り投げる。

勝負の制限時間は、火が床に落ちるまで。


 彼女は上体を反らし緑川の手を回避しながら、槍のような左前蹴りを繰り出す。ブーツの固い靴底が緑川の鳩尾に食い込む。


「ぐえっ!?」

「……」


 そのまま、出した左足を戻さずに踏み込む。同時に腰を回して捻りによる溜をつくり、即座に開放して速度のある左ボディを肝臓に叩き込んだ。


「ごほっ!!??」


 痛みに悶絶して床に倒れ込む緑川。


 猫屋は身を翻し落ちて来たジッポを難なく受け止め、緩慢な動作で煙草を咥えて火をつけた。紫煙を纏い、血を流す陣内に向かって話しかける。


「ふぅー……念のため、ボコったけどさー。ドッキリ……で、いーんだよねー?」


 彼女は不敵な笑みを浮かべて、この珍事の説明を彼に求めた。


「……ははっ、まぁな」


 陣内は何事もなかったように笑って答える。

彼の頭から流れていたのは美術部の備品の赤い絵の具だった。


「しかし、本当に凄いな猫屋。綺麗な動きだったよ。……緑川は生きてるのか?」

「あー、今の河童、信号機だったんだー。動きが素人っぽかったから凄い手加減しておいたー……でも、ごめんね?」

「い、生きてるぜ、陣内。何秒か、息が止まったけど」


 話を振られて、のっそりと立ち上がった河童もとい緑川。

本当に手加減がされていたようで、数秒悶える程度で済んだようだ。


「彼女、強すぎだろ……。格闘技経験者か?」

「そんな所だ。はぁ、しかし、せっかく急いで準備したけど、猫屋にはやっぱり通じなかったか」

「ふーーん? ねぇ、だいたい事情は分かったからさ。フヒヒっ! 今度は私も交ぜてよー」


 暗い準備室で猫屋は心底楽しそうに微笑んだ。


************************************************************


 猫屋が音楽準備室に入り、10分が経過した。


「遅い、であるな」

「う、うん」


 相変わらず安瀬に抱き着いたままの西代。

帰ってこない2人を心配して震えていた。


「お主、1人の時に怖い夢を見たらトイレいけるのでありんすか?」

「無理だ。だから寝る前に絶対トイレ行ってから寝る」

「……子供でござるか」

「なんとでも言ってくれ。怖い物は仕方ない」

「酒を飲んで恐怖を紛らすがよい」


 そう言って、安瀬は拘束されたまま手を伸ばして酒瓶を取ろうとする。

その時、ブーっとスマホが震えた。


「ん?」


 安瀬がスマホを確認する。そこには猫屋からのメッセージが表示されていた。


 タスケテ、っと。


(おー、随分と凝った催しを企んでいるようじゃの)


 安瀬は短文を見て、全て察した。本当に緊急の事態があったのなら、わざわざカタカナで文章を打たない。帰ってこない2人が音楽準備室で待ち構えている事を安瀬は即座に看破した。


「西代、ほれ」


 彼女は陣内達の意を汲んだ。猫屋から送られてきたメッセージを西代に見せる。


「ぼ、僕の方にも通知が来てた……ど、どうしようか」

「助けに行くしかあるまい」

「え、な、なにから? 2人は何で助けを呼んでいるんだい?」

「……お主は何だと思う?」

「し、知らないよ!! 考えたくもない!!」

「では、確かめに行くぜよ」

 

 震える西代を自分と一緒に強引に立たせて、引きずるように安瀬は音楽準備室まで向かおうとする。 


「あ、安瀬! ちょっと待ってくれ!! 引っ張るな! こ、心の準備という物がだね──」

「女と博打は度胸でござるよ」


 適当な言葉で西代を誤魔化して、自ら進んで陣内達が待ち構えるであろう音楽準備室の扉を開けた。


 何の躊躇もなく、暗闇の中を進んで行く。


「ほ、本当に待ってくれ!! ぼ、僕、怖いのは苦手で!」


 バタンっ


 部屋に入って数歩進んだところで、ドアが閉まった。


「っぴ!?」


 西代は不自然なドアの移動に驚いた。

奇声と共にその場にへたり込んでしまう。


「なんじゃ今の声。くふふっ、笑わさないで欲しいでやんすよ」

「だ、だって……」

「ここまで弱った西代は本当に珍しいのぅ。だがほれ、さっさと、陣内達を探すである」


 怯えて腰が抜けた西代を置き去りにして、安瀬は進もうとする。


「ま、待ってく──」


 何とかついていこうとする西代の足首を、白く細長い手が掴んだ。


「………………え?」


 西代は、その手の先にゆっくりと視線を送る。彼女の優秀な視力が本人にとって不本意な形で発揮された。


「たす、タスケ、たすけ……」


 足首を掴んでいたのは倒れ込み、流血した猫屋だった。時間が無かったため、頭から絵具を被って、軽く傷メイクを施したのみ。しかし、持ち前の美貌が乱れたギャップとメイクの技術力により、その姿は十分すぎるほどの破壊力を有していた。


「きゅっ、い……!?」

「に゛し゛し゛ろ゛ち゛ゃ~ん……」


 顔を青白くさせて、必死に逃げようと後退する西代。

だが、足を掴まれているせいで逃げる事は出来ない。


 この程度で彼らの悪意は終わらない。西代のもう片方の足首を男らしい大きな手が力強く掴んだ。


「に゛、に゛ししろ~……! い、いたいよ゛~~……!!」


 今度は陣内の番だった。猫屋と同じように流血した装いである。

陣内は腰が抜けて力が出ない西代を引っ張るようにして強く迫った。


「う、う、う、うぴ、っひ、きゅ~…………」


 友人たちの血塗られた姿を直視して、早くも西代の意識は限界を迎えた。

ブクブクと白い泡を吹いて、電気が切れた人形のように倒れ込む。

恐怖のあまりに気絶したのだ。


「ありゃー、ちょっとやりすぎたー?」

「河童の登場の前に失神するとはな。脆すぎるぞ、西代ちゃま」


 その姿を見て、陣内と猫屋は演技を止めた。


「むぅ、随分と2人で楽しそうじゃな。我も交ぜて欲しかったでありんす」

「安瀬は夏の肝試しで十分楽しんだだろ?」

「そーだよー。今回は私達の番ってわけー」


 不満そうな安瀬を宥め、2人はスマホを片手に西代の顔を覗き込む。カメラを構え自身達と泡を吹く西代をフレーム内に入れて記念撮影。彼らに西代を心配する気は無いようだ。容赦のない死体撃ち。


 既にお開きの表装を見せ始めた肝試し。その雰囲気を察して、待機していた河童こと緑川が姿を現す。


「結局、俺の出番は1回だけか。わざわざ体に塗料を塗りたくったってのに」

「うぉ!? か、河童?? なんじゃお主は!?」


 西代に対して行われた残虐行為を面白そうに見ていた安瀬が急な河童の登場に驚く。


「あー、緑川だ。コイツが幽霊騒ぎの原因」

「あ、あぁ、そうだったのであるか……」


 なんとか平静を装う安瀬。

 彼女は陣内と猫屋だけでドッキリを仕掛けてくると思っていたので動揺してしまった。もし、西代が気絶を耐えて河童が登場していたのなら、安瀬も驚いて無様を晒していたことだろう。


「さて、十分楽しんだし、帰って飲み直すか」

「さんせー!西代ちゃんを蘇生してー、いじりながら楽しく飲もー!」

「陣内、俺は帰るぜ。べたべたして気持ち悪い」


 緑川は全身、絵具まみれ。

早く体を洗い流したそうにしている。


「俺達もだな。ここ埃ぽいし、さっさと部屋から出て──ん?」


 その時、陣内は何かを踏みつけた。

彼には暗くて輪郭しか見えないが衣類の類に思われた。


(緑川の脱いだシャツか?)


 陣内は踏んだ物から足を退けて、それを手に取る。

同時に、安瀬が美術室に通じるドアの方に向かって話し出した。


「緑川さんのお連れの方ですよね? 貴方は特に絵具とかで仮装してないんですか?」

「んー?」

「え?」


 安瀬が突如として、この場にいないはずの第三者に向けて言葉を掛けた。

陣内と猫屋は驚いて視線をドアの方に向ける。



 そこにいたのは、白いワンピースを着た長髪の女だった。



 グチャグチャに乱れた髪と靴を履いていないため露出した素足。ここは大学校内。こんな深夜に警備員はいたとしても、そのような風貌の女はいない。


 女は荒い呼吸を繰り返し、陣内を指差して口を開いた。


「……か……え……し……て…………」


 ゾクゾクっ!! と陣内と猫屋の背に悪寒が走る。あまりに雰囲気のある見知らぬ女の登場。そして掠れて途切れる様な彼女の言葉。彼らは戦慄し恐怖した。


 陣内は急いで西代を担ぎ上げ、猫屋は安瀬の手を掴んだ。


「に、に、に、逃げるぞお前ら!!」

「え?」


 事態を未だに理解できていない安瀬が不思議そうに首を傾げた。


「ま、マジのオバケの登場は聞いてないんですけどーーッ!!??」

「え!? 仮装ではないのか!?」

「撤収!! お、俺まだ死にたくない!!」


 ドタバタと急いで女から逃げ出す、大酒飲みモンスターズ。

息の合った逃げ様はまさに電光石火。あっという間に全てを置き去りにして、一目散に部屋から出て行った。


 部屋に残ったのは、河童と幽霊女の2人だけ。

実に奇怪な組み合わせであった。


「み、緑川君? その恰好は……何?」

「まぁ、色々あって……君こそ、何で戻ってきたんだ?」

「慌てて帰ったら、上着と靴を忘れちゃって……」

「あぁ、なるほどね」


************************************************************


「ん、……」


 西代は電灯の眩しい光によって目を覚ました。

彼女は上体を起こして、ゆっくりと周りを見渡す。


「あれ? 僕は何で部室に?」

「き、気絶したお前を俺が運んだんだ……」


 西代の疑問に、妙に顔が白い陣内が答える。


「あぁ、思い出したよ……しかし、酷いね陣内君。僕が怖いの苦手なのに、あんなドッキリしかけるなんて……」


 西代は準備室での彼らのイタズラを思い出して、不機嫌そうに顔をしかめた。


「い、いや、うん。本当にごめんな。もう二度としないから」

「わ、私もすごーーく、反省してるー……」

「わ、我もじゃ。今まですまんかった」

「……? どうしたんだい君たち? 悪いものでも食べたのかい?」


 気味が悪いほどに素直に反省する陣内達を見て、西代は首をかしげるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る