第34話 怖がりな西代
2月の中旬の昼前。
猫屋家にお邪魔した日から3日ほどが経過した。今日はオープンキャンパスのため大学はお休みだ。埼玉インフォメーション技術大学は年に3回もオープンキャンパスを開く。休みが多くなるのは嬉しいが、生徒数が足りてないのだろうか?
そんな事を適当に考えながら、俺は部室の前で鎮座している。眩しい日光を浴びながら、タールの濃い煙を吸って頭にニコチンを巡らせていた。
「あ、あの、陣内さん? でしたよね?」
「ん、あ?」
急に俺に対して声がかけられる。
起床後の大切な、煩悩払いの時間。その時間を邪魔する見知らぬ女の子。
いや、よく見たら知った顔だ。
「君は確か、同じ学科の……」
思い出すのは、第1回目の合コン騒動。その時に酒飲みモンスターズが助けた光の女子の内の1人。俺の所属する情報工学科の数少ない女子だ。
「はい、
あぁ、そんな名前だったか。
俺は学科内に闇の女子以外に友達はいない。なので、彼女達以外の名前など憶えていない。
「以前は彼女さん達に無理なお願いを聞いてもらいありがとうございました」
「いや、そんな、畏まらないでくれ。俺は何もしてないよ」
ん? あれ? 彼女さんたち? この場合の複数形はおかしくないか?
「あの、陣内さんは何でこの部室の前にいるんですか?」
「ん、あぁ、それはだな……俺、ここのサークルに入っているんだ」
余計な事は一切話さず、嘘偽りなく答える。
俺が闇の3女とここに住んでいることは言う必要はない。変な誤解を生むだけだ。
「え、そうなんですね! それは話が早いかも……」
「?」
土屋さんは1人で勝手に何かを納得する。
よく考えれば、何で土屋さんは講義もないのに大学にいるのだろうか?
「実は急な話で申し訳ないのですが、陣内さんにお頼みしたいことがありまして」
「え? 俺に?」
酒飲みモンスターズではなく、あまり接点のない俺に頼み事をしたいという彼女。
あまりに突拍子の無い話であるため虚を突かれる。
「えぇと、とりあえず、話を聞かせて欲しいんだけど……」
「そ、そうですよね、すいません。えっと、長い話しになるのでできれば室内で話したいんですけど……」
チラリと土屋さんは部室の扉を見る。確かに外で長話はしたくない。季節は2月。まだまだ、寒い。だが、背後の扉を1枚隔てた先では闇の女たちが爆睡している。見せていい物だろうか?
「……ま、いいか」
光の女子達は確か、俺と酒飲みモンスターズの誰かが付き合っていると思っていたはずだ。なら、言い訳のしようはある。最近は花嫁だのと振る舞っていたので、その手の偽証には自信があった。
「とりあえず入ってくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
彼女は礼儀よく頭を下げる。俺は年上だが、同級生でもある。なので、彼女にそんなに敬われる必要はない。
「敬語は別にいいよ、同級生だろ? あと、ちょっとお目汚しを失礼」
そう言って、俺は部室の扉をガラっと開いた。
「おい!! いい加減起きろ、この寝坊助ども! もう11時だぞ!!」
もう昼が来るというのに、一向に起きる気配を見せない酒飲みモンスターズを大声で起こす。まぁ、俺も先ほどまで一緒になって眠っていたのだが。
「なぁーにー、陣内? ……休みの日くらいゆっくり寝かせてよー」
「うっ、眩しい。僕まだ眠いんだけど……」
「あ゛ー、まだ昨日の酒が抜けてないぜよ。頭が痛いのぅ……」
寝ぼけ眼をこすりながら、彼女たちは各々起床する。
その姿はハッキリ言ってだらしない。安瀬は寝間着が乱れて下着が見えているし、猫屋は髪がボサボサ、西代に至っては口から涎の通り道が光っている。
酷い光景だ。
「なんで、安瀬さん達がここに!?」
「あー、昨日ここで飲み会したんだ」
驚く土屋さんに対して、俺は事実を簡潔に話した。
「だ、大学内で飲み会ですか。さ、流石ですね。…………あ!? 安瀬さん、下着が見えちゃってますよ!!」
「…………なんで、土屋さんがここに?」
「そんなこと良いから! 早く隠してください!!」
「あぁ、俺の事なら気にしないでいいぞ。もう見慣れた」
土屋さんが信じられない物を見る目で俺を見てくる。
いや、だって仕方ないだろう。生活スペースが一緒で、なおかつ部屋が狭いのだ。ブラジャー姿くらいはよく見る。逆に3人も、俺のパンツ姿くらいならもう見慣れただろう。不健全な話だとは思うが、酒が入れば気にならない。
「…………やっぱり、3人と付き合ってるんですね」
「そ、それは流石に誤解だよ」
俺は彼女の疑惑をやんわりと否定する。
「認めないつもりですか!? ま、まさか、セフレだとでも──」
「もっと誤解だ!!」
俺は大声を出して彼女の声を遮った。
外でなんてことを言おうとしてるんだよ…………
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「「「「幽霊退治??」」」」
俺たちは揃えて素っ頓狂な声を上げる。
「はい、正確に言うなら幽霊騒動の原因を突き止めて欲しいんです」
土屋さんは真剣な顔をして、非現実的なお願い事を言い切った。
俺達の頭に疑問符が浮かび上がる。彼女の頼み事は理由も含めて意味が分からない。
安瀬が俺達を代表して、口を開く。
「どういう事ですか? 全く事情が理解できないのですが……」
外行き用の口調で彼女は問いかけた。
この口調になった安瀬はその凛々しい容姿が相まって、高貴で可憐な日本令嬢といった雰囲気を醸し出す。どこかカリスマ性すら感じる。
「えっと、順を追って説明すると、まず、私はピアノ奏楽部で部長をやらせてもらっています」
吹奏楽部でも軽音部とかでもなく、ピアノ専門の部活動か。
随分と先鋭的な集団だな。
「はぁ……、1年生なのに凄いのですね」
「いえ、3年生の早めの引退で経験者の私が選ばれただけです。……それで、部員をまとめる立場になっちゃったんですけど、最近、音楽室で夜になると幽霊がでるって噂が部員たちの間で広まっていまして」
夜の音楽室で幽霊騒ぎか。
「…………まぁ、別にいいんじゃないか? 幽霊がでても演奏に影響はないだろ。夜に活動するわけでもないんだろ?」
「来年の新入生勧誘の為に変な噂が立っていると困るんです。部の存続条件は部員が10人以上。来年、所属している4年生が抜けると10人未満になっちゃうので絶対に新入生を勧誘しなきゃいけなくて……だから、幽霊が出る、なんて噂は早めに払拭しておきたいんです」
俺と安瀬は顔を見合わせて、首を傾げる。
彼女が幽霊退治という非現実的な現象で困っているのは分かった。しかし、それを俺達に頼む理由が分からない。俺たちは酒には詳しいが、陰陽師の真似をして清酒で御払いなんて事はできない。
「そこで"オカルト研究サークル"の皆さんにこの調査をご依頼したいんです!」
「「「「オカルト研究サークル?」」」」
どこかで聞いた事がある響きだった。
「あーー、確か、ここの前のサークルがそんな名前だったよねー?」
「うん。…………この部屋に入る前に、全員で怪しい物が無いか調べたよ」
「西代は怖がって何もしてなかったろ」
「陣内君、うるさい」
俺達の前に、この部室を使用していたのがオカルト研究サークルだ。
話が見えて来たな。
「土屋さん、俺たちはオカ研じゃないよ」
「え?」
「あのサークルは既に潰れてるんだ。今は俺たち、郷土民俗研究サークルがこの部室を使ってる」
つまり、彼女はまだオカ研が存続していると思っていたのだ。
そして、部室前の俺との問答で俺達をオカ研の部員だと勘違いした。
「えぇ!? そ、そんな……」
その事実を知った土屋さんはガックリといったように肩を落とした。
勝手に勘違いしたのは彼女だが、少しだけ申し訳ない。
「ど、どうしよう……。わ、私、オバケとか本当に苦手で、自分で解決しようとしても怖くて無理なんです」
「うん、気持ちは凄くわかるよ」
西代が土屋さんの意見に同調した。
彼女もホラーの類は大嫌いだ。
西代恐怖命乞い事件。去年の夏、俺たちは肝試しを開いた。もちろん、言いだしっぺは安瀬だし、企画と演出も彼女が行った。暗い大学校舎内に施された安瀬特性の怪トラップ。俺と猫屋にとっては楽しい催しだったが、西代は普段のクールぶった姿を保てずに発狂していた。そして肝試し終盤、臓物の飛び出た落ち武者のコスプレをした安瀬が俺達に襲い掛かってきた。それを見て飛び出した西代の名言『お酒をあげるから、どうか命だけは助けてください』に俺たちは大爆笑。彼女のおかげで肝試しは最高のものになった。
「部長なんだから、部員に頼んだらどうだい?」
そんな臆病者の西代が土屋さんに真っ当な疑問を投げかける。
早くこの話を終わらせて帰って欲しいのだろう。
「いえ、部員が調査したのですが原因がまったく分からなくて。なので専門家の方たちにご依頼しようと……」
「あぁ、なるほどね。……まぁでも、僕たちはオカ研じゃないからね。悪いけどこの話は別の人に──」
「いえ、待ってください」
土屋さんの依頼を断ろうとする西代に安瀬は待ったを掛ける。
彼女の頬は歪に吊り上がっていた。それを見て、俺は察しが付く。たぶん、悪い事を思いついたのだろう。
「土屋さん、確か貴方は部長でしたよね?」
「え、あ、はい」
「少し聞きたいのですが、ピアノ奏楽部の活動場所は主にどこでしょうか?」
「? 別館にある音楽室です。そこにピアノが何台か置いてありますから」
「では部室は何に使っているのですか?」
「いえ、特には……物置ぐらいにしか使っていません。活動するのはほとんど音楽室ですから」
安瀬が次々と質問をしてピアノ奏楽部の内情を暴いていく。
彼女は何を考えているんだろうか?
「では、私たちが幽霊騒動を解決できれば、その報酬として1月ほど、この部屋の雑貨類を置かせていただけませんか? その条件なら私達が調査して確実に原因を突き止めて見せましょう」
安瀬の提案。それは俺たちの居住スペースを確保するためのものだった。ただでさえ広くない部室に置かれた、運よく焼却を免れたガラクタ達。安瀬の鎧武者セットや猫屋の化粧台、西代の本類がぎちぎちに部屋内に積み上げられている。
「え、本当ですか!? そ、その条件なら大丈夫です! 部長なのでそれぐらいの融通はできますから!」
「そうですか。では確かにご依頼を承りました」
提案はあっさりと受諾された。
安瀬は中々良いネゴシエイターになれるだろう。
「ちょっと待とうか、安瀬」
そこに余計な口を挟みこんだのは、当然西代だ。
彼女は顔を青くして、安瀬の肩に手を置いた。
「べ、別に僕は今の生活スペースで満足できているよ。だ、だから、無駄な事をして体力を消費させるのはよくないと思うんだ。そんな事より今日は誰もバイトが入ってないんだし、ゆっくりとお酒でも飲んで楽しく──」
「猫屋、頼みました」
「はいはーーい!! 西代ちゃーーん? ちょっと、あっち行ってよーねー!」
「え、ちょ、な、なにしてるんだ猫屋!? は、離してくれ!! ぼ、僕は嫌だぞ!! 絶対にいや────」
もがく西代を猫屋が羽交い絞めにして、部室の外まで連れて行った。
実に鮮やかな人の連行法。さすがは武道経験者だ。
「邪魔者が入りましたが、さっそく話を詰めましょうか」
「え、えっと、その、西代さんは大丈夫なんですか?」
「問題ありません」
連れていかれた西代を不憫に思う土屋さん。一方、ニコニコと楽しそうに笑う安瀬。2人の表情はまるで真反対だ。
俺もこれから起きる事態を想像して笑みを抑える事ができない。
俺は安瀬にだけ聞こえる様に小声で彼女に話しかける。
「随分と楽しい事になりそうだな」
「ふふっ。で、あろう?」
クツクツと2人で静かに笑いあった。
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