第23話 大人の飲み会、再び②


 薄暗い店内。簡素な木製テーブルに長くて座り心地の良いソファー。

優しい寒色の光が落ち着いた大人のムードを演出していた。


「雰囲気いいだろ?」


 俺は信号トリオ達に感想を聞こうとする。

 俺達男子4人は先に店内の個室に入っていた。『バッカス』はバーにしては珍しく、奥に個室が存在している。注文は電子パネル。もちろん、マスターに直接オーダーを出せば、メニューに載っていないカクテルも作ってくれる。少し値が張るが、俺のお気に入りの店だ。

 

「確かに雰囲気は良いけどさ……」


 赤崎はどこか不満げな口調だった。


「合コンって普通は食事しながらやるもんだろ?」

「知ってるか? 食欲が満ちると、性欲って落ちるんだ」

「……え、まじ?」

「あぁ、だから開始時間を遅くして、いきなりバーなんだ」

「遅い時間なら女性陣もご飯食べて来てくれて、話してたら満腹ではなくなるな」

「それに、酒も進む。……終電も逃しやすい」


 一応、俺が言っているのは口から出まかせではない。


「あと店内が暗い方が女を意外と落とせる。クラブとかで、店内ではイケメンに見えたけど外出たら微妙だった、なんて話聞いた事ないか?」

「……あるな」

「クラブと違って、ここはバーだからな。外に出すまでに酔わせて、審美眼を狂わせればいい」

「な、なるほど」

「おまけに、この個室にはカラオケがあるだろう? だから防音だ。騒いでも問題ない」

「おぉ、考えられてるな。さすが、天才女たらし」


 なお、ここまでは全て偶然だ。俺が行きたいバーが偶々このような内装になっていただけ。彼らには悪いが勘違いしてもらおう。


「あ、でも酔い潰して強引に持ち帰るのはなしな。その時点でお前らを酒で潰す」

「「「え、なんで?」」」


 この猿ども……。その性欲を酩酊時の俺に分けて欲しいくらいだ。


「20歳を超えてるのなら、酔いに任せて体を許すのは自己責任の範疇だとは思う。けど、せめて合意はないとダメだろ。俺の目の黒いうちは許さん」


 男性目線の一方的な判断基準ではあると思う。家に蔓延る女子3人に聞かれたら怒られるかもな。


「なるほど、紳士的にベットインが理想か」

「草食獣のふりをして、後ろから襲うと」

「難易度は上がるが、燃えてきたぜ」


 信号頭たちは俺の基準に合意してくれたようだ。

こいつ等、本当に馬鹿なんだな。ちょっと愛着じみた物が湧いて来たわ。


「あとは事前に教えたカクテルの知識でも語って、口説いてみたらどうだ? そういうのが好きな女には効くだろ」


 これは本当に適当。

映画でそんなシーンがあるが、実際に成功した例を俺は知らない。


「陣内の酒の知識量はすごいよな。とても同い年とは思えん」


 緑川が俺の事を褒めてくれる。

酒の事で褒められると滅茶苦茶嬉しい。


「好きな物こそ何とやら、だな。……そろそろ来る頃じゃないか?」


 俺の予想通り、5分もしない内に個室の扉は開かれた。

看護学校に通っているらしい同い年の4人組。

赤崎らの前評判通り、暗い所でもはっきりと分かるくらいに美形ぞろいだ。


「あれ? またせちゃった?」

「い、いや俺達も来たばっかりだよー!」


 黄山がテンション高く彼女たちを歓迎する。

合コンは始まった。


************************************************************


 場所はバーの奥にある従業員スペース。

西代は変装用のカツラと伊達メガネをかけてインカム越しに声を出す。


「こちら西代。合コン相手が到着した模様。オーバー」

「確認したでござる。オーバー」

「このまま注文が入るまでは待機する。おー……。めんどくさいから止めにしないかい?」

「そーだねー」

「うむ」


 安瀬と猫屋は『バッカス』を外に出て斜向かいの所にある、ネットカフェを拠点にして西代と交信していた。ネカフェのPCの画面には、の映像が映し出されている。


「無線の調子はどうだい? 安定してるかい?」

「それは大丈夫じゃが、店内が薄暗くて見えにくいでござる」

「まぁー、いいんじゃなーい? 声さえ聞こえれば状況はわかるしねー」


 西代は清掃という名目で陣内達が予約した部屋に入りこみ、無線カメラと収音マイクを隠すように設置していた。


「お、早くも陣内のヤツがお酒を頼もうとしているようじゃのう」

「うーんと、なになにー……、ダイキリかー。ラムベース好きだよねー」


 安瀬たちの言った通り、ピピっと店内のオーダーディスプレイに注文が表示される。


「実際にカクテルを作るのは店長だ。僕はそれを運ぶだけ」

「つまりー、その時に細工できるってわけねー」

「そういう事。注文が入ったから少し黙るよ。通信はそのままでお願い」

「了解じゃ」


 西代は従業員専用のスペースを出て、店長がマスターを務めるバーカウンターに向かう。作られたカクテルを個室まで運ぶためだ。


 10分もしないうちに、陣内達が頼んだ8人分のカクテルは出来上がった。


 酒を盆に載せて、店内奥の個室へと運ぶ。

そして西代は何食わぬ顔をして部屋のドアをあけた。


「失礼いたします」


 中では男女の自己紹介が行われており、陣内も相槌を打ちながら場の雰囲気に合わせていた。


「ん?」


 しかし、どこかで聞いたような声を耳にして、ウェイター姿の西代に注意を向ける。


「……、…………にっ!?」

 

 当然、陣内は気づいた。西代はカツラと眼鏡をかけているが、普段から一緒にいる彼がその程度で気づかない訳が無い。変装は面識のある信号トリオの方に気づかれない様にするためだ。


 西代は声には出さず、『し・ご・と』と口パクで表現してみせた。

彼女のジェスチャーを受けて、陣内はフリーズする。


 事態を把握した彼は両手で顔を覆い隠しガックリと項垂れた。西代が正月前にバイトを辞めていた事を思い出したのだ。


 だが、彼には予想しようがないだろう。まさか、彼女の新しいバイト先が偶然にも合コン先に被っていたなどとは。


「こちら、ダイキリになります」


 そう言って、西代は陣内の前にグラスを置く。


「……ありがとう」


 素直に礼を言って、陣内はグラスを手に取る。

それをしっかりと確認して西代は退室した。


 陣内はカクテルグラスを穴が開くほどジッと見つめた。


「なぁ、赤崎」

「? どうした陣内」

「俺、実はダイキリ苦手なんだ。間違って頼んでしまった」

「え、そうか。……俺のマティーニと交換しようか?」

「本当か? すまん、恩に着るよ」


 陣内と赤崎は持っているグラスを交換した。

その後、酒がみんなの元に行き届いたのを見て、赤崎は立ち上がった。


「えー! では本日は皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」


 よくある乾杯の音頭だった。


「ここに集まったのも何かの縁! 20歳という同年代の仲間が集まったのは何か特別な意味があるのでしょう!! 今日は無礼講、皆で楽しみましょう!」

「「「「いぇ~~~~い」」」」


 周りもノリよく応えた。

場を盛り上げるという点について赤崎には自信があった。

陣内もそのスムーズな進行と発言には感心していた。


「では、かんぱーーーい!」

「「「「かんぱーーーい!」」」」


 大声と共に、全員が一気にグラスを煽る。


「ぐっばぁ゛゛゛゛゛───ッツ!!!??」


 突如として赤崎は倒れ込んだ。


「あー、やっぱりな」

「どうした、赤崎ッ!!」

「しっかりしろ!!」


 赤崎の周りを取り囲む、緑川と黄山。

看護学校の女子たちも、彼の卒倒を心配そうに眺めていた。


「ゲホッ! オホッ! ……初めて飲んだが、ダイキリってこんなに度数強いのかっ」


 赤崎は何とか立ち上がって、フラフラとソファーに座った。

顔を赤くして、荒い呼吸を繰り返している。


「そうだぞ、赤崎。ダイキリは度数が凄い高い」

「そ、そうだったのか。どおりで喉が焼けるし頭がクラクラするわけだ」

「知ってるかと思ってた。……本当に、マジで、なんかごめん」


 陣内の言っている事はもちろん嘘である。ダイキリの度数は25%。

カクテルなら十分飲める度数だ。



「「「……ちっ」」」



 扉の外で中の様子を窺っていた西代。それに加えて、個室の映像を見ている安瀬と猫屋が同時に舌打ちする。


 西代は酒を運んでいる途中、ダイキリと予め用意しておいたをすり替えた。内容物は持参したスピリタスと砂糖のみ。ダイキリは白く濁った酒。レシピ的にバレる事はない。


 インカムを手で押さえて、西代は結果を報告する。


「こちら西代、プランSスピリタス失敗」

「我らも確認したぜよ」

「陣内の癖に勘がするどーい……」


 悪女達は目を細めて、運よく逃げた標的を睨んだ。


「まぁ、そもそもあの程度の量のスピリタスで落ちるとは思っておらん」

「そうだね、陣内君にはもっと強い刺激が必要だ」

「じゃー、次のプランだねー……」


 地獄の夜はまだまだ続く。


************************************************************


 恐るべきことが発覚した。なんと、西代が『バッカス』でバイトしていたのだ。

変装までして何を考えているのか知らないが、碌な事ではないのは確かだ。

事実、すでに1名犠牲者が出た。


 俺の隣で合コン開始早々に赤い顔をしている赤崎。

名は体を表すというが、もう、身体の殆どが赤いのではないだろうか?


「あ、見てみてー! このお店面白いメニューがあるよ~!!」


 俺の心配をよそに、女性陣の一人が気を引こうと声をだす。全員の視線が看護学生女子に集まる。自己紹介して貰ったはずだが、西代のインパクトのせいで名前は憶えていない。彼女は電子パネルのメニュー項目を指さしている。


「ロシアンルーレットたこ焼き?」

「…………」


 その項目には商品イメージ画像が付与されていない。いかにも突貫工事で追加しました、という雰囲気を感じた。嫌な予感がする。


「1つだけ辛いたこ焼きが入ったやつだよな」

「最近はカラオケでもそういうのあるよなー!」

「いいね! 面白そう!」

「早速、頼んじゃおうよ!」

「ちょ、ちょっとま────」

「は~~~い! 頼んじゃいまーす!!」


 そういうや否や、彼女は注文用のディスプレイを操作してたこ焼きを頼んでしまった。


 ディスプレイに注文完了の文字が表示された瞬間、個室のドアが開いた。

そこには西代がホカホカのたこ焼きを持って立っている。


「おまたせいたしました」


「「「「……!?」」」」


 注文した品は一瞬にして届けられた。

いや、いくら何でも早すぎるだろう。事前に準備してスタンバってやがったな。


「こちら、ロシアンルーレットたこ焼きでございます。器は男性用と女性用で分けられております」

「そ、そうですか。ありがとうございます」


 戸惑いながらも看護女子がお礼を言うと、たこ焼きが入った二つの耐熱容器がテーブルに置かれた。一見して、見た目は普通に見える。


 だが、もし今回の""に猫屋が参加しているのなら、このロシアンルーレットは本来の拳銃を使ったものと何ら変わらない。


(1個が激辛のたこ焼き……!)


 俺の想像する激辛は致死量レベルの辛さだ。

もはや猛毒と言っても過言では無い。俺達の内、誰かは確実に死ぬ。


 死を目前にして血流が加速する。冷や汗も出てきた。

猫屋のお気に入りの香辛料は陣内宅の罰ゲームでも使用禁止令がでた。

それぐらいヤバい物だった。思い出したくもない。


「じゃあ、皆でせーので食べよっか!」

「お、いいね~!」

「へへっ、俺は辛いの好きだから案外平気かもな」

「あ、それずる~い」


(ならお前が食ってくれッ!! 緑川!!!)


 緩い会話が繰り広げられる中、俺は血眼になって爆弾を探す。

その甲斐あって、ほんの少しだが赤みがかったたこ焼きを見つけた。

暗くて判別は付きにくいが、恐らくこれがハズレだろう。


 俺は急いで、他のたこ焼きを爪楊枝で刺し手に取る。


「お、早いな陣内。もう決めたのか」

「あ、あぁ。思い切りが良い方なんだ」


 俺は理由を話さずに適当に誤魔化した。

本当にごめん、赤崎。俺はまだ死にたくはない。


 他の全員もたこ焼きを選び終わった。わざわざ、器を分けたのだから女性陣の方には何も入っていまい。そこは安心して見ていられる。


「じゃあ、いくぞ~~~……」


 またも赤崎が音頭を取った。

すでにフラフラなハズなのに女を目当てに頑張っている。凄い執念だな。

爆弾は俺を除いて1 / 3 の確率だ。彼には当たって欲しくはない。


「「「「せーーーのっ!!」」」」


 その瞬間。俺の脳裏に違和感がよぎった。


 1 / 3 ? あいつらが? そんな偶然に頼る?


「俺、タコ嫌いだった!」


 隣で大口を開けている赤崎。

その口に急いで俺のたこ焼きを放り込んだ。

咄嗟の緊急回避。成功判定はすぐに表れた。


「お、おぎゃぁぁぁぁぁああああああああ!!!???」

「うごぐぇぇぇぇえええええええええええええ!?!?!?」

「──っ────っっ──っ─────っっっッッツ───!!??」


 死屍累々の阿鼻叫喚地獄が目の前に広がった。

緑川と黄山を大声を上げてのたうち回り、二つ食べる事になった赤崎に至っては泡を吹きながら痙攣を起こしていた。


 あの小さな球体に、どれほどの劇薬を詰めたのだろうか。

辛い物が得意と言っていた緑川も、もがき苦しんでいる。


「お客様っ! 大丈夫ですか!」


 バタンッ! と勢いよく西代がこの惨劇に入場してくる。


「なにが大丈夫ですか、だ! 殺す気か!!」


 俺は西代を大声で糾弾する。本当に死ぬところだった。


「申し訳ございません。香辛料の分量とハズレの数を間違えてしまいました」


 紳士的な態度で頭を下げる西代。

だがその声は平坦で抑揚などない。棒読みだ。


 嘘をつけ、と心の中で罵倒する。俺が見つけたたこ焼きの赤みは彼女らの罠だ。

ハズレを一つだと俺に誤認させるため、紅ショウガの欠片でも入れておいたのだろう。


「「「……ちっ」」」


 聞こえてるぞ、その舌打ち。

なぜか、安瀬と猫屋の分も聞こえた気がしたが。


************************************************************


「こちら、西代。プランNねこや失敗」


 彼らに謝って退室した西代は苦々しい表情で失敗を報告する。


「こっちでも確認済みー! あ゛ー、つまんなーい!」

「あのアル中めが! 今日はムカつくほど冴えておるのぅ」

「酒が入っていないと防衛本能が働くのかな。本当に生意気だよね……!」


 忌々しそうに呪言を吐く、酒飲みモンスターズ。

彼女たちは焦っていた。まさか、あのトラップを1人だけ切り抜けるとは考えてはいなかった。他男子3人は半生半死。このままだと、陣内だけで女4人を相手に合コンが再開するかもしれない。


 そう考えると、彼女達は苛立ちを感じて仕方なかった。


「こうなったら、Lを決行するでありんす」


 安瀬が用意しておいた最後の作戦名を告げる。


「え、いいのかい?」

「よい。陣内の鷹揚おうようとした態度をぶっ壊してくれる……!」

「おー、やる気だねー! 私も頑張っちゃうよー!!」

「準備に時間がかかるで候。時間稼ぎは頼んだであるよ、西代」

「わかった。なんとかしてみる」


************************************************************


 緑川、黄山の2人は俺の蘇生作業のおかげで何とか息を吹き返した。

赤崎は残念ながら今夜は起きる事はない。もう、体中の全てが赤く染まっている。

魔女達の姦詐かんさを俺の代わりに受けたのだ。今度、酒を奢ってやろう。


「失礼します」


 再び、ドアが開かれる。また西代だ。

今度は何を企んでいるんだろうか。


「先ほどは申し訳ありませんでした。こちら当店からのサービスになります」


 そう言って、彼女は人数分のグラスを差し出してくる。

カルーアミルクだ。説明するまでもない超有名カクテル。


「え、いいんですか?」

「あ、甘い物はありがたい……」

「どうかこちらで口内を洗い流してください」


 彼女の言う通り、牛乳にはカプサイシンを抑える効果がある。

皆がグラスに手を伸ばす。緑川と黄山は嬉しそうにゴクゴクと煽っている。

だが、俺は怪しくて口をつける気にはならない。

これは西代が用意した物だからだ。


「…………」

「ご安心ください」


 西代はスッと俺に近寄ってくる。

他の奴らはカルーアを飲んでいて気付いていない。


「これには何も入ってないよ」

「信じろと?」

「他の人たちも平気にしてるだろう? ……それじゃあ、合コンを楽しんで、ね?」


 そう言って、西代は一礼して部屋から出ていった。


 彼女の言う事はもっともだった。

ここに居る人数は8人。俺に何かを仕込んだ酒を飲ませたいのなら、1 / 8 の確立になる。カルーアは激辛たこ焼きのお詫びとして提供された。

俺以外がハズレを引けば、さすがに誰かが店にクレームを入れるだろう。


「まぁ、大丈夫か……」


 俺は疑う事を辞めてグラスを手に取って煽った。

甘いコーヒー牛乳の味がする。甘い酒は特に好きだ。

煙草が吸いたくなってきた。


「あ、ごめん。煙草吸っていいか?」

「ん、あぁいいぞ。女の子たちも別にいいよね?」

「え、う、うん……」


 黄山が女性陣にも確認を取ってくれた。だが反応が微妙だ。

女子は基本的に煙草の匂いが嫌いだ。煙を彼女たちの方に飛ばさない様にして、吸うのは1本だけにしておこう。


 ライターで加えた煙草に火をつける。

甘い酒精と甘い煙。猫屋の偏食を俺も馬鹿にはできない。


「ふぅーー……」


 一服つけて、気分を落ち着かせる。

酒飲みモンスターズのせいで楽しい飲み会が台無しになっている。

碌に酒を注文できていない。


 周りは俺を置いて楽しそうに会話を回している。

赤崎は完全に沈んだが、緑川と黄山は酒でなんとか回復したようだ。持ち前のコミュ力を生かして、女性陣を楽しませている。


 今回の俺の役割は彼らのサポートだ。

黙って煙草を吸っているだけだが、それで彼女らの恋愛対象外となっているのなら多少は貢献できたのだろう。


 ニコチンで鈍る頭でボーっと彼らを見ていると、ふと、一人の女と目が合う。

彼女は会話に参加せずになぜか俺を見ていたようだ。俺は反射的に会釈を返してしまう。それに合わせて、彼女も会釈を返してくれた。


 騒ぐ周りを置いて、俺たちの間だけに不思議な縁が生まれた。

……なんか、合コンぽいな。


 彼女はあまり騒ぐタイプではないようだ。だが、話す相手がいないのはつまらないだろう。俺だってそうだ。煙草を灰皿に押し付けて、席を移動する。


「えっと、どうも陣内梅治です。ごめんね、煙草吸いだしちゃって」


 いつもより口調を和らげて、二度目の自己紹介とともに謝罪する。

初対面だし俺の名前など憶えていないだろう。


「あ、いえ。私は煙草の匂い嫌いじゃないです。……おじいちゃんが吸ってたから」

「あぁ、俺のじいちゃんもだよ。あの年代の人はよく吸ってるよね」

「そうですね、匂いがどこか懐かしくて」

「へぇ、同じ煙草だったのかな?」


 俺は煙草のパッケージを開けて、彼女に近づける。


「この煙草、甘くていい匂いがするんだ。ちょっと嗅いでみてよ」

「え、う、うん。……あ、本当だ。甘くていい匂い」


 まぁ、煙草の葉に甘いフレーバーが香りづけされているので当然だ。

バニラとチョコがミックスされた甘い香りがする。


「この甘いのがどうにも好きでね。気づいたら病みつきになってた」

「ふふふっ、甘いのお好きなんですね」

「そうかも。逆に辛い物はそんなに得意じゃなくてね」


 別にそんな事はない。会話を続けるために頭を空っぽにして話す。


「だから、外れの辛いたこ焼きなんかは苦手で食べたくなかったよ」

「あぁ、だから赤崎君の口に……」

「そうなんだ。……赤崎には悪い事をした。香辛料が多かった、なんて想像できなかったんだ」

「それなら、仕方なかったですよ」

「ハハハ、ありがとう」


 思ったより軽いテンポで小気味よく雑談は続く。

このまま合コンが終わるまで、話していてもいいかもな。


「あ、ごめん。もう一回、名前聞いてもいいかな?」


 彼女の名前が気になった。


「あ、はい。私は────」


 刹那、バタンッ! と強い力で扉が開かれた。


「ジン君!! 誰よ、その女はッ!!!」


 唐突な乱入者。その登場に全員が会話を止めて、視線を入口に集める。


「あ……安瀬?」


 そこにいたのは、珍しく本気の化粧をほどこした安瀬だった。

服装は冬だというのにどこか露出が多い。彼女の官能的なスタイルの良さが前面に押し出されている。


「いや、おまえ、なにして───」

「私がいるのに、信じられない!! あんなに深く愛し合ったのに!!」


 空気が氷点下まで凍り付いた。

俺は彼女の支離滅裂な言葉に頭を大混乱させる。


「おま、おま、お前、何言ってんだよ!!」

「私とはお遊びだったのね! 酷い!!」


 なんだその、うすら寒い口調は!

普段のイカれた語尾はどこにいった……!!


「あれ、誰?」


 看護女子の一人が呟く。


「え、あぁ、たしか陣内の彼女」


 緑川がその問いに返答した。

反射的に答えたのだろうが、それは誤解であるし今はまずい。


「え、彼女いるのに合コン?」

「ありえなくない?」

「……ひどい。話しやすい人だなって思ってたのに」


 看護女子たちの冷えた視線。

すでに心底凍えていた俺には大ダメージだ。


「ち、ちが、これは誤解であって……」 

「こんな可愛い彼女さんがいて、誤解ってどういうことですか!!」


 先ほど俺と話していた女子が本気で怒鳴ってきた。

彼女はとてもいい子だ。俺も逆の立場なら同様に怒っただろう。

だが、いわれなき中傷に心は傷つく。マジで誤解だ。


「…………っふ」


 俺は安瀬のあざけりを聞き逃さなかった。勝ち誇ったような目をして、ニタッと笑っていやがる。


 こ、これが狙いか、クソ女狐……!!


 せっかくの無料の飲み会だったが、もはや酒を楽しめる雰囲気ではない。

看護女子達の軽蔑と辛辣な表情。台無しだった。


 今日は良い酒が飲めると思って楽しみにしてたのに!


 俺は席から立ち上がり、怒りの形相で彼女に詰め寄った。


「安瀬ぇ……、今日という日は絶対に許さねぇぞ!」

「あっはっはっは!! ……逃げるが勝ちでござる!」


 そう言って、彼女は店外へ向かって走り出した。


「っ、待て! このド阿呆!! 鼻からスピリタスを飲ませてやるッ!!」


 俺も彼女を捕まえるために全力で走りだす。

安瀬は俺を発言を聞いて、必死に速度を上げて逃げる。


「そ、それは乙女に対する仕打ちではないでありんす……!!」

「じゃあ、ケツの穴だ!! 直腸摂取させてぶっ殺してやる!!」

「け、けつ!? セクハラじゃぞ馬鹿者ッ!!」

「馬鹿はテメェだよ!! 目に物見せてやるッ!!」


 二人の逃走劇はスタートした。


************************************************************


「こちら西代。プランLラバーズは成功した」

「おつかれー! いやー、終わってみれば楽しかったねー!!」

「ふふっ、うん、そうだね。……安瀬は逃げ切れるかな?」

「逃走経路は事前に考えてたみたいだしー、大丈夫じゃなーい?」

「それもそうか。でも猫屋も早く逃げた方がいいよ。化粧をしたのが猫屋ってバレてると思うから」

「そうだねー。陣内、ブチキレてたしー。私も逃げちゃおー……」


************************************************************


 翌日。


 一晩経って怒りも散っただろうと楽観的に陣内宅に集まった酒飲みモンスターズ。


 当然、まだ怒り狂っていた陣内は彼女たちを荒縄でふん縛り、本当にスピリタスを鼻に流し込んだ。泣きながら大声で謝罪する彼女達……


 この出来事は鼻孔酒拷問事件と名付けられたのだった。


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