第7話 猫屋の目は暗闇で光らない


「よっほ、よいしょ、うんしょっと」


 大きな木製の台座の上で、西代が可愛らしく上下左右に踊っている。台座には固い餅の様なものが置かれており、西代が踏みつけるたびにグニャグニャと形を変えていた。


「相変わらず、本格的だねー」

「毎回、僕も面倒なんだけどね。なぜか皆は僕にばかり作らせるよね……」

「いや、西代の作る料理がまずい訳ではないよ? でも、ぶっちぎりでそれが美味しいから、ついな」


 西代が俺の家でを打っているのだ。


 彼女が作るうどんは超ハイクオリティと言っても過言ではない。麺は自家製手打ち、スープはあご出汁、薬味は各種すべてをそろえてくれる。正直、店で食べる物よりうまい。自家製の為か麺に絡みつく出汁の濃さが段違いなのだ。


「そう言ってもらえるのは、確かに嬉しいけどね」

「というか何で作れるんだ……? 実家がうどん屋だったとか?」

「香川県民は割と大抵の人がてるよ」

「カルチャーショックーってやつだねー」

  

 猫屋が適当な相づちを打ちながら、隣で大根をすり下ろす。俺はその隣できつね揚げを醤油、酒、みりん、砂糖を混ぜたもので煮込んでいた。うどんの薬味と具だ。

西代の指示で手伝っている。


「群馬県もうどんの消費量が多いんじゃなかったけ?」

「あー、なんか最近押してるねー。でも本場にはボロ負けだとおもうよー」


 どうでも良さそうな口調で地元を卑下する彼女。地元愛のないやつだ。ふと、彼女が使っているすりおろし器の横にはハイボールのロング缶が置かれていることに気づく。


「珍しいな、市販のハイボールなんて。いつも食前は缶ビールだろ?」

「うーん、なんか最近、肉付きが良くなった気がしてー」

「あ、そう」


 心底どうでもいい理由だった。猫屋はラフな部屋着を着ている。

男の部屋なのになんとも無防備な格好に思えた。彼女の健康的なスタイルは微塵も揺らいでいないように見える。


「というか、猫屋は辛い物食べて脂肪燃焼させてるから太らないだろ」

「僕の作ったうどん、七味まみれにしないでね?」

「あ、あははーー、西代ちゃん辛辣ーー」


 ヘラヘラと笑う猫屋。恐らく釘を刺されなければ、大量の七味をぶち込んでいたであろう。


 俺達はくだらない事を話しながら、調理を進める。緩やかな時間だ。

だが少し、騒々しさに欠ける。

その理由は俺らの中でがいないからだった。


「安瀬は何してるんだ? あいつも今日バイトじゃないだろ?」


 俺達は週に何日か、全員にバイトがない日を作ることにしている。その方が全員で長く遊べるし、調理の時だって人手が増える。

そして、今日はその日だった。


「安瀬ちゃんはー、『今日はスペシャルな機材搬入があるから遅れるでありんす!』って言ってたー」

「……はぁ?」


 安瀬の残した意味不明な言伝に、疑問符を返す。


「絶対ヤバい事企んでると思うよ。今日の飲み会は荒れるかもね……」


 西代の意見に俺も大賛成だ。アイツに限らず、大問題三子女達が張り切ると碌なことにならない。


「猫屋、何か詳しく聞いてないのかい?」

「んにゃー? 詳しく話を聞く前にー、走ってどこか行っちゃったからー」

「その返事、痛いからやめよーぜ、お前もう21才だろ」

「うぐっ」


 謎のぶりっ子返事で答える猫屋に現実を突き付けてやる。彼女の誕生日は9月15日。先月に誕生祝いを俺ら全員で行ったばかりだ。


「やーい、21歳のクリスマスベイビー」

「猫屋の親、クリスマスにHしたー」

「それ言うのやめてーー!! 親の事情とか想像させんなーー!!」


 俺と西代は猫屋に更なる追撃を加える。コレを指摘すると彼女は顔を真っ赤にして怒り出す。超楽しい。


  クツクツと笑う俺達を猫屋はうんざりした顔で眺める。


「はぁ……なんか疲れたー。煙草吸ってくるー」


 そう言い煙草を持ち、外へ出ようとする。部屋内で喫煙の許可は出しているが、まだ日も落ちていないので外で吸ってくれるようだ。部屋の空気は綺麗な方がいいからな。


 ガチャっとドアが開かれ、そこにはがいた。


「え?」

「ありゃ?」


 お互いに顔を見合わせて静止する安瀬と猫屋。

ついでに俺と西代の動きも停止する。

安瀬の後ろに2mを見たからだ。


「おお、貴様きさんらちょうど言いタイミングじゃな」

「えー、いや安瀬ちゃん? 隣の馬鹿でかい黒いのは、なにー……?」

「フフフ、……これかえ?」


安瀬は腕を組んで胸を張り、仁王立ちで高らかに謎の物体の正体を告げた。


「ダーツ筐体きょうたいぜよ!! これで陣内の家でいつでもダーツが楽しめるぞ!!」

「ちょっと待て馬鹿! 人の家に勝手に何持ち込もうとしてやがる!!」


 大型冷蔵庫並みのサイズをしている強い存在感を発するダーツ筐体。決して部屋に気軽に持ち込めるサイズではない。確かに安瀬の言っていた通り"機材搬入"という言葉はふさわしいのだろう。


 俺はいきなり現れた謎のダーツ筐体の疑問を安瀬にぶつける。


「というか、ソレどうやってここまで持ってきたんだよ!」

「バイト先の店長がここまで軽トラで運んでくれたんじゃよ。さっきまで居たんじゃがちょうど入れ違いになったの……」


 なるほど、このクソデカ物体の出所は安瀬のバイト先か。安瀬は隣町の大型リサイクルショップでアルバイトしている。そのおかげで安瀬は偶に変な物を買って持ち込む。今回ほど大きい物は初めてだが。


「『最新機種に変えるから引き取ってくれないか』というお客さんが来ての。それを見た拙者が、社員割引を効かせて格安で買い取ったでござるよ!」

「なんて余計なことを……」


 やはり、こいつ等が張り切っている時は俺には碌なことが起きない。


「おい、クーリングオフだ。今すぐ、返してきなさい!」

「それ、未成年にしか適応されないでござる」

「じゃあ普通に返品だ!」

「中古品ゆえ、返品は受け付けていないでやんす」

「ぐ、フリマアプリで出品……」

「転売対策の為に購入者の出品は控えていただきたい。どうかご理解を、である」


 なんという事だ。逃げ道がすでに塞がれている。

恐ろしきリサイクルショップ店員、安瀬 桜……!


「まぁ、待ちなよ陣内君」

「そーだよー陣内」


 怒る俺の前に二人はスッと出てきて、安瀬のそばに近寄った。


「ここは男としてー、安瀬ちゃんの好意には答えてあげないとー」

「そうだね、男としての包容力を見せる時だと思う」

「き、貴様ら……」


 安瀬と同じように猫屋と西代は仁王立ちをして俺の前に立ち塞がった。

急に男だ女かを口に出し、ダーツ筐体を受け入れるように説得しているようだ。

こいつら女もどきにそんな事言われるとヘソで茶を沸かしそうになる。


「お前たち、ダーツしたいだけだろ!」

「おっと、下衆の勘繰りは止めてほしいね」

「そーそー」


 プンスカとした口調で俺の正当なる推測を邪推だと抗議する彼女たち。最近は美顔ローラーや生理用品まで持ち込んでいる、その面の皮の厚さを見せつけてくる。

……生理用品は別にいいか。


 安瀬がパンっと手を叩き、場の視線を集めた。そう言う仕切るの好きだな、お前。


「では多数決の結果、賛成3票、反対1票。という事でこの度のダーツ筐体搬入法案は──」

「「可決ッ!」」


 何という事だろう。よく分からない法案が、多数決という名のごり押しで通ってしまった。


「さ、再検討を要求する……」

「「「却下ッ!」」」


 暗君かつ暴君。下々の意見をないがしろにして悪政を敷く為政者のごとく、家主である俺の正当な主張は握りつぶされた。


************************************************************


 ダーツ筐体の搬入作業は意外にもあっけなく終わった。縦長で横には細かったので、倒して四人で運べば簡単に部屋に入れる事ができた。

俺の部屋に設置された2m越えの新たなインテリア。急に現れたそれは妙な圧迫感で俺達を圧倒していた。


「部屋にあると存在感がやばいねー」

「そうだね、……というか地震が来たら危険そうじゃないかい?」


 西代の危惧はもっともだ。床に直置きしているだけのため、何の固定もしていない。縦長であるためバランスも悪そうだ。


「明日、ホムセンで固定器具でも買ってくるでござるよ!」

「あぁ、……よろしく頼んだ。俺達の身の安全の為にも」


 他人が持ち込んだ物体で圧死など冗談ではない。その場合の責任は安瀬に取らせることは確定だ。


「じゃあ、僕はうどん作ってるから……設定とかよろしくね」


西代は設置作業が終わると、台所に引き込んでいった。さすが、うどん職人。


「設定……って言われてもな」

「そもそも、電源はなにー?」

「普通にコンセントである」


 安瀬がスタスタとダーツ台に近づく。その裏手に回りガサゴソと何か作業をし始めた。


「設定は我がやっておくから、二人は別の作業を頼んだでありんす」


 安瀬はどこからか取り出した、紙の説明書を見ながらそう言ってきた。


「別の作業?」

「投擲ラインの目印着けじゃ」

「あーねー」


 得心が行った俺と猫屋は、早速押し入れからメジャーとガムテープを取り出した。


「とりあえず、目印はガムテープ張ってりゃいいよな?」

「少しダサいけどねー。まぁ誰も気にしないでしょー」


 どうせ設置するなら、カッコいい物を用意したいな。今度、通販サイトで探しておくか。そんな事を考えていると猫屋がスマホをいじり始めた。


「ええとー? ハードダーツの場合、237cm。ソフトダーツの場合、244cm?」


 恐らくダーツ盤から投擲ラインまでの距離の事だろう。ハードやソフトやらの事はよく分からないが、とりあえず2メートル強の距離が必要になるのだろう。

この部屋は普通の賃貸に比べれば広い方だとは思うが、そこまでの横幅はない。


「隣の寝室まで使ってー、距離を伸ばす必要があるねー」

「だな」


 俺の賃貸は2DK。普段、俺達が飲みに使っている部屋の隣に寝室がある。俺専用の大きなベットに女子もどき三人が寝る用の布団が雑に敷いてある。


 そのせいで朝起きてベットの下を見ると、綺麗に整った彼女らの寝顔が広がっている事が多い。深酒した日は寝相が悪く、寝間着が乱れている場合もある。

染み一つない綺麗な肌をした、煽情的な胸元や太腿が三人分だ。

酒と煙草をキメテいない状態でその花園を覗き見る事は、さすがの俺の理性も大揺れをおこして瓦解しかける。


 そんな俺の朝のルーティーンは彼女らを見ないように、枕元に置いてある酒瓶を開ける事だ。俺が朝から喫煙と飲酒をするのは、絶対にこいつ等のせいだな!

間違いない……!


「まぁチャチャッと測ってー、つけちゃいますかー」


 俺がそんな思惑にふけっていると、猫屋が俺が握っていたメジャーから器用に先端だけを伸ばす。それを握ったままダーツ盤の足元にしゃがみ込む。


「とりあえずー、237cmでー」

「短いほうでだな」


 ハード、ソフトはこの際置いておこう。別にプロを目指すわけでもない。酒を飲んで適当に遊ぶだけだ。俺は計りが示す通り237cmのところで、ガムテープを張り付けた。


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 晩御飯の西代特製キツネうどんを食べ終わった俺たちは早速ダーツに興じようとしていた。投擲ラインが寝室になったため、珍しく寝室に大量の酒を持ち込んでいる。


「煙草がないよー、口さみしいよー」

「まぁ、仕方ないよね」


 この部屋で喫煙は流石に禁止にしている。

ベットや布団に匂いが付いたら嫌だし、引火しやすい毛布類が多いためだ。


「とりあえず、本日の罰ゲームから決めるであるよ!」

「望むところだ、安瀬」


 不承不承の思いで我が家にあのような大型設置物を置いたんだ。誰かの恥を見て笑わなければ溜飲が下がらない。


「その前に聞いておきたい。皆はダーツの経験は?」


 西代が俺たちの顔を見ながら問う。


「3回くらいだな。投げ方は知ってる」

「経験なーし」

「何度かダーツバーに行った事がある程度で候」

「じゃあ、未経験は僕と猫屋か」


 各々が熟練度を申告していく。誰かひとりが抜きん出て上手いという事はないようだ。なら罰ゲームがあっても、不公平ではないだろう


「よしなら、10ゲームの合計トータルでビリが一番多かったヤツがスピリタスショット三杯じゃな!」

「あれー? 今日は随分とバツが軽いねー?」


 猫屋が不思議そうに顔を傾けた。確かに、いつもの安瀬なら頭のネジが数本飛んだ狂気の罰ゲームを提案してくる。


 ……いや、感覚が麻痺してるが何も軽くないし十分狂気的だ。

度数96%を三杯だぞ。


「初回であるしあんまり重い罰はな、楽しくいこうでござるよ。それに先週、佐藤先生に呼び出されたばかりだしのぅ……」

「「「あー」」」


 確かに、あのような騒動が起きてすぐ騒ぎを起こすのはまずい。今月くらい大学では大人しくしておこう。


「じゃあー陣内、投げ方教えてよー」

「え?」

「さっき言ってたじゃーん。ってー」

「そうだね、僕もフォームがあるなら知っておきたい」

「あぁ、はいはい」


 二人の要望に従い、手本を見せるべくダーツの矢を一本手に取った。

この矢は安瀬があらかじめ用意しておいたものだ。謎に手際の良いやつだと思う。


「まず、利き手側の足を投擲ラインに水平にする」


 俺は右足の小指側をガムテープのギリギリに寄せた。


「そして、人差し指、中指、親指で摘まんだ矢を目の前に持ってきて……投げる」


 スッと俺の手から放たれた矢は浅い放物線を描き、蜘蛛糸状の盤面に着地した。真ん中を少し外れ、1と書かれたスペースに突き刺さっている。思ったよりは真ん中にいった。


「「おぉ~~~」」


 猫屋と西代が二人でパチパチと拍手する。当たったところは最低点だが、真ん中に近いことが彼女らの歓心を得たのだろう。俺は思わず得意げな気分になった。


「まぁこれくらいは簡単にできる。とりあえず二人もやってみたら?」


 そう言い、俺は二人に矢を手渡した。


「おーではさっそくー」


 猫屋は矢を受け取って、ライン際に立つ。、さっき俺が見せた手本とは左右対称的に構えた。


「ん? たしか、猫屋は右利きであろう?」

 

 俺も安瀬と同じ疑問を持った。彼女は箸を持つ手も、字を書く時も右手だったはずだ。


「あー、昔に右肘を故障してるんだよねー」


 あっけらかんとした口調で自身の怪我を語る。本人は特に気にしていないようだが、俺たちは少し申し訳ない事を聞いてしまった気がした。

それを気にしてか、猫屋はすぐに口を開いた。


「それにー、私の場合、左手の方が安定しそーだし」


 猫屋の言った通り、彼女の立ち姿はとても安定していた。左足に重心を集め、一本軸の通った綺麗な姿勢だ。普段から俺が彼女のスタイルがやたら良いと思うのは立ち姿が可憐であるからだろうか?


「ほーい」


 気の抜けた声とともに投げ出された矢は、その素敵なフォームを裏切らず真ん中に向かっていった。刺さった場所は20。BULL、赤いど真ん中の1mm上に着弾した。


「んー惜しい!」

「いやいや、初めてなら上出来だよ。ちょっと見惚れたわ」

「え、えー? 陣内、おおげさーー」


 彼女は照れているのか頬をポリポリと掻いて恥ずかしそうだ。すぐに、布団にペタンと座り込んでしまった。


「いいフォームだったね」

「我もそう思う。弓道でもやってたのかえ?」

「えへへへー、ひみつーー」


 誤魔化すように彼女はタンブラーに入ったお酒に手を伸ばし飲んだ。

ブラインドアーチャーの炭酸割りだ。味をざっくり言うなら青リンゴの味がするウイスキー。甘すぎないリンゴの優しい風味があり、炭酸で割ればスカッとした爽快感があって美味しい。


「まぁ、そういう事なら次は僕が……」


 同じ未経験者の西代が矢をもって立ち上がった。猫屋に負けていられないと思っているのかやる気は十分なようだ。


 彼女の立ち姿は……何というか頼りなかった。姿勢は前傾しすぎだし、右足はその無理な姿勢を支えているせいでプルプルしている。標準も定まっていない。


「えいっ」


 可愛い掛け声とともに矢を放つ。糞みたいなフォームから繰り出された矢はダーツ盤に届くことなく、地に落ちた。それを見た俺達は、ちゃんと西代を笑い飛ばしてあげることにした。


「下手だな」

「すごーい汚いフォーム」

「先ほどとの差が酷いでござる」


「ぐぅ、僕としたことが、ふが悪い」


 彼女はよく分からない方言を口にして、悔しがるのであった。


************************************************************


 そんなこんなで俺たちはゲームを始めた。ダーツのルールはプロの物でもない限り簡単なものが多い。やりながらでもルールを簡単に把握できる。

そのためカウントアップ、ゼロワン、クリケット、といった基本的なルールを一通りプレイした。


 三回の勝負が終わり、その結果は……


「さ、三連敗……」


 西代の一人沈みだった。本来初心者が行うダーツはほとんど運ゲーなのだが、それにしても彼女は下手過ぎた。ダーツ盤の外に当たったり、そもそも矢が届かなかったりして、まともに得点が増えなかった。


「今夜のにえは決まりでござるな」

「西代ちゃんの死に顔たのしみー」

「ま、まだ勝負の決着はついてないだろ……!」

「いや、技量を見ても今日はお前の日だ西代」


 まぁ未経験者ならこんなものなのかも。猫屋はすでに俺より上手いので比べたらかわいそうだ。運動神経の差かもしれない。


「ぐ、ぐぐぐ……ちょっと小腹が減った。昨日の残り物でも食べてくるよ。ついでに煙草も……」

「腹が減っては何とやらか。我も煙草休憩じゃ。二人は先に投げといていいでありんす」


 そういうと二人はスタスタと台所へ向かっていった。煙草は恐らく台所の換気扇の下で吸うのだろう。昨日の残り物は電子レンジにかけるだけだ。灰の入る心配はない。


「じゃあ俺から行こうか」


 俺は矢を持ってスッと立った。最下位が決まっているとはいえ気は抜かない。

すると、なぜか同じように猫屋も一緒に横に立った。


「なんだよ、投げるのに邪魔だろ」

「邪魔してるんだにゃー」


 また、ぶりっ子のような返事で堂々と俺への妨害を宣言する。昼間の事をまだ根に持っているようだ。


「何度でも言うがその口調キツイぞ、21歳」

「へぇー……そういう事言うんだー」


 猫屋が細めになってこちらを見つめる。何か嫌な予感がするが俺は気にせずにダーツの矢を投げようとした。


「ふぅー……」

「ぐ、ぇ!?」


 俺が矢を投げようとした瞬間に、猫屋の生暖かい息が俺の耳に直撃した。驚いて標準が狂った俺は、矢をあらぬ方向に投げ飛ばしてしまう。


「はーい、一投無駄にしたー! 陣内ってマジたんじゅんー!」

「お、お前な……!」


 俺のすぐ隣で腹を抱えて心底楽しそうに笑う彼女。前から思っていたが、俺の性別を何だと思ってやがる。露骨に挑発しやがって……。


 今日は酒はともかく、煙草はあんまり入れていない。おかげで猫屋のイタズラに反応してしまった。


「あれー? 顔が赤いよ陣内ちゃーん? もしかしてー、21歳のキツイ女さんを意識しちゃったかにゃー?」

「ぐ、ぐ、ぐ、お前ほんとに……!」


 彼女が俺を馬鹿にしている隙に、素早く二本の矢を投げた。ダーツ盤には刺さったが狙った場所は適当だ。点数は度外視で早く自分の手番を終わらせたかった。


「あれー、よかったのー陣内? もっと真面目に狙いなよー」

「お前、次も邪魔してくるだろ。……さぁ次はお前の番だぜ猫屋……!」


 キレ顔をしながら俺はガムテープの目印から離れた。

そういう事するなら、目に物を見せてくれる……!!


「へー、面白いじゃーん。あ、言っとくけどー、直接触るのは無しねー」


 俺の妨害を織り込み済みなのか、猫屋は自信たっぷりな顔で妨害行為への牽制をする。ダーツで直接的な妨害をするほど、俺は無粋ではない。耳に受けた恥辱は、同様の行為によって禊ぎを行うまで。


 猫屋が素早く姿勢を正して、ダーツ矢を構える。俺はその隣に立った。彼女は耳への吐息を警戒しているようで、なかなか投げなかった。


「こういうのってー、タイミング外せばいいだけよねー」


 そう言い、余裕綽々と言った表情で佇む。まるで、主導権はまだ自分にあるといった表情だ。今にその顔を耳まで真っ赤に染め上げてやる。

俺はできるだけ声質を落としながら、彼女の耳元で囁く。


「猫屋って本当にかわいいよな」

「ぶ、゛゛っ!!」


 奥義、褒め殺し作戦。彼女ら酒飲みモンスターズは怒られる事はあっても褒められることは少ない。それを逆手にとり、照れさせて標準を狂わせる戦法だ。


「ちょ、ちょーいっ!?」

「いつも、思ってたんだ。笑った顔とか好きだなって……」

「は、はー!? な、な、なに言ってんのお前ーー!!」

「俺の本心だよ。そのカールした金髪も素敵だ。許されるのなら触ってみてもいいか?」

「え、え、い、ー! 触るなーーー!!!」

「そうか、残念だな。でも見てるだけでも目の保養になるよ。本当に美人だ」

「う、う、う、う、うー!?」


 陣内梅治、渾身のASMR。正直やっているこっちも死ぬほど恥ずかしいが、売られた喧嘩は買わなければならない。本気でやっているせいか、効果は出ている。猫屋の耳は真っ赤になっていた。


「さぁ、魅せてくれよ猫屋……いや、李花りか! 君のステキな一投をね」

「な、名前で呼ぶなバカーー!!」


 彼女も恐らく、これは俺のイタズラだとは分かっている。しかし、耳元で延々と自分を褒められるのは恥ずかしいのだろう。


「く、くそー! やってやるー! やってやるぞーー!!」


 彼女は俺の妨害に抵抗するように、ダーツ盤に向き直った。そして投擲の為に左手を後ろにそらす。よし、今度は耳に吐息をかけてやろう。精神をグデグデにしてやる!



 だがその瞬間、ブツンっと部屋の電気がすべて切れた。



「「…………!?」」


 停電だった。俺は家主が故、すぐに原因に心当たりが付く。

西代が電子レンジを回したせいだ。

寒いためにつけた2部屋分のエアコン、ダーツ筐体、そして電気消費の大きい電子レンジ。いつもより多い過剰な電力消費のせいだ。


 そして停電の直前、俺は姿を一瞬見た。猫屋は先ほどダーツの矢を放つ態勢に入っていた。まずい……!


「猫屋、打つなっ!」


 静止の声と共に、俺は猫屋の左手を上から包むように掴んだ。


「ひゃっ!?」


 万が一にでも安瀬に当たってはいけなかった。当たり所が悪ければ失明もあり得る。

しかし、その意図は猫屋には伝わらなかったようで、手を掴まれた彼女は反射的にもがく。


「ちょ、お、おい……!!」


 二人がバランスを崩し、ぐらぐらと酔っ払いのようにふらついた。

このままじゃ倒れる!


 その刹那、俺の頭の中にが思い出される。


『あー、昔に右肘を故障してるんだよねー』


(手をついたらヤバい、肘に衝撃がっ!!)


 咄嗟の機転で、猫屋の後頭部と右肘に両手を回した。そのまま彼女を抱き寄せ、俺が下になるように倒れた。ポスンっという音が暗い室内に響く。下は布団だったため、衝撃はまったくなかった。これで恐らく猫屋にもケガはないだろう。


 ピカッという音とともに部屋の明かりが戻った。西代が慌ててブレーカーを引き上げたのだろう。


「すまん、猫屋っ! だい、じょうぶ、か……?」


 俺は胸に抱きしめたままの猫屋の無事を確認する。

すると、そこには耳どころかがあった。


 やっべ、肘をどこかにぶつけたか!?


「おいっ! もしかして肘を──」

「あー! あーー!! あぁぁぁぁああああーーーー!!!!!」


 俺の切羽詰まった声を掻き消す大声を上げ、猫屋は勢いよく俺の上から転げ落ちた。そのまま、両腕を使いガバッと立ち上がる。


「わ、わた、私ー!! きッ!! 急用を思い出しちゃったーー!! あはははーーー!!」

「は……? え……?」


 だらだらと汗を流しながら、赤い顔で変な事をまくしたてる。


 え、どうしたコイツ。頭は打ってないはずだが。


「それより肘はどうなんだよ? 大丈夫か?」

「へ……? あ、そっかかばって……」


 慌てた様子から一転、猫屋は一瞬真面目な表情になる。そして、ボスンッ! という音を立ててさらに顔を朱色に染めた。


 え、今の音は何だ……? なんか猫屋から破裂音が響いたような……


「肘は大丈夫だからー! か、庇ってくれて、あ、ありが……もう無理ッーーーー!!??」


 そう言うと猫屋はスマホと財布だけ握りしめ、ものすごい勢いで部屋からでていった。


 お、おい、寝間着のままだぞ……


「な、なんでござるかー?」

「ごめん、停電起こしちゃって。……猫屋がすごい速度で出ていったけど停電中になにかあったの?」


 安瀬と西代が騒ぎを聞いて寝室に戻ってくる。俺のポカンとした顔を見て心配そうに声をかけてきた。


「…………タバコが吸いてー」


俺は心の底から訳が分からず、間抜けに声を漏らすしかなかった。


************************************************************


ガタンゴトン──


揺れる電車の中、姿が隠れるように隅っこに座っていた。


「やらかしたなー」


 頭を手で抱えて、がっくりとしてうなだれる様子の彼女。その問題は決して、だらしない恰好で外に出てしまったことを後悔している事ではなかった。


(陣内に抱き寄せられたと思っちゃったー。は、恥ずかしー……!)


 先ほどまで痴態を思い出し、再び顔を赤くする猫屋。

思い返せば彼の行動は全て他人の身を思っての行動だったっと深く理解しなおす。

あのまま、ダーツを投げていれば安瀬に当たっていたかもしれないし、倒れて手を付いたら肘に強い衝撃が加わっただろう。

そうなれば事実、は再び開いた可能性がある。


(明日、どーやって顔を合わしたらいいんだろー……)


 パタパタと熱い顔を手であおぎながら、彼女は明日の事を考える。


(はーーー、何とかして言い訳考えないとー)


 結局、素直に恥ずかしくて逃げたなんて言えるわけもなく。猫屋李花は都合のいい言い訳を考えようとする。

その時、扇いでいた手が急に彼女の目に留まった。思い出したのは暗闇の中、その手を異性に掴まれたことだった。


 猫屋の人生において、あんなに力強く手を握られた経験など親以外で思い当たらない。


(手、なんかごつごつしてー、大きかったなー……)


 どこか浮かれたような目で、触れられた自身の左手を見つめる。

その顔は真っ赤な朱色から薄いピンク色に代わり、綺麗に火照って見えた。

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