第6話 裁かれるカス達



「この中に、神聖な学び屋である大学内でを働いた無法者がいます」



 真っ白の室内。高そうなソファーにテーブル、それらの高級家具に不似合いなホワイトボートとPCの群れ。


 ここは佐藤さとう 甘利あまり准教授の研究室、通称"サトウ研"。

俺達の担当教授の仕事部屋であり、今は死を待つ4匹をさばく為の屠殺場とさつじょうとなっていた。


 4匹はソファーに座らずに、地べたに正座させられている。

それを命じた佐藤先生は、高級そうなイスに腰掛け俺達を高みから見下ろす。

……20歳にもなって、この恰好はかなり屈辱だ。


 俺たちは堪らず、冤罪に対して抗議の声を上げた。


「先生! これは僕達を貶めるための陰謀で───」

「そんなものはありません」


 西代撃沈。


「せんせーい! 今日も肌が若々しくてお綺麗で───」

「ありがとう猫屋さん。でも、知ってる」


 猫屋惨敗。


「先生! 拙者、先ほどから体調がすぐれな───」

「大丈夫よ。皆さん、顔が赤いから」


 安瀬自爆。


「先生! どうか大目に見ていただけま───」

「許しません」


 俺たち4匹、敵地により名誉の戦死が確定。

その短い人生に幕を下ろす。

辞世の句を詠ませていただく程度の時間は頂けるのであろうか。


……とか、言ってる場合じゃねぇえーーーーー!!!!


************************************************************


 大学内の食堂、事件はお昼休憩中に起きた。相も変わらず俺たちは4人でつるんで食事をとっていた。

……もちろん、コッソリ大学内にお酒を持ち込んで。


 その日、持ち込んだお酒はメーカーズマークという名のバーボンだ。


 メーカーズマークの特徴と言えば、高い度数とオーク樽で長い間熟成したせいか酒精についたほんのり香る木の良い香り。そして、瓶の上からぶちまけたような赤い蜜蠟だ。一瓶ごとに手作業で封蝋されているようで瓶ごとに形模様が異なる。

味と見た目の両方を高品質に携えた名酒だ。蝋をライターで溶かして、爪楊枝などで落書きすると楽しい。


……話を戻そう。


 昼休憩中、俺たちはご飯と水筒に入れてきたお酒を楽しんでいた。

流石にストレートはキツイので、食堂備え付けの飲料水サーバーで加水しながらゆっくりと舐めるようにだ。


 メーカーズマークの度数は45%。その高い度数が今回の悲劇の引き金だった。


 酔っぱらった猫屋がうっかり肘で水筒をテーブルから落としてしまったのだ。


 床に広がっていく茶色の液体。一見、麦茶に見えなくもないがアルコールの匂いが強すぎた。食堂内は溢れかえる酒の匂いでプチパニックになる。


『誰か大学内の食堂で酒を飲んでいる奴がいるぞ!』っと。


 学食内の全視線が俺ら4人に注がれた。さすがの俺達も心底肝を冷やし、迅速な対応を求められた。


 安瀬と猫屋は付近のテーブル拭きをかき集め、吸水作業。


 西代は本格的な掃除用具を探しに食堂を飛び出す。


 俺は食堂内の注意を酒からそらすために、大声で一人漫才を始めた。


 ……あれ? 俺だけおかしくないか? 焦りすぎて気付かなかったが、ただ恥をかいただけじゃないか?


 ま、まぁいいか。そうして事態は最小限の被害で済んだと思われたが、さすがに見た人間の数が多すぎた。どこからか教授たちの耳に入り、俺たちは今日の講義がすべて終わった後で佐藤先生の元に呼び出された。


 そうして、今の絶体絶命の状況にいたる。


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「や、や、やばいでござるよ」

「み、見て皆、僕の手震えてる」

「あ、あ、あはははー、これは夢なんだー」

「お、終わった……」


 正座をしたまま、4人は涙を流し放心していた。そうした俺たちの様子を見ても佐藤先生は容赦ない言葉を投げかける。


「大学内での飲酒は、本来であれば"停学処分"を受けても文句は言えません」

「「「「ひぃ……!?」」」」


 停学処分。退学ではないものの、大学生にとっては相当重い処罰。

まず4年で卒業できなくなる。停学期間の単位が取得できなくなるので当たり前だ。しかも、停学期間の授業料は払い続けなくてはいけないという糞みたいな条件までついてくる。


 あと、当然だがが行く。そうなれば、仕送り金など送ってくれる保証は一切ない。仕送り金がなくなれば、遊ぶ暇など無く大学四年間はずっとバイト暮らしだ。


「ど、どうかそれだけはご勘弁を~~~!!」


 佐藤先生の言葉を聞いた安瀬が、流麗な所作で美しきを披露する。

それはそれは、たいそう惨めで情けない姿であった。普段であれば滅茶苦茶に笑い飛ばす俺達であるが、今回は一蓮托生の身。


 俺達も彼女の保身技能を真似て、一同土下座を実行する。


「「「佐藤様のお力でどうか……! 反省文の提出程度で御許しくださいませ~~~!!」」」


 今の俺たちにプライドなど欠片も存在しない。圧倒的な権力者に媚びへつらう事しかできなかった。


「とりあえず顔を上げなさい」


 お奉行様からおもてを上げるお許しを頂く。4匹は首を捧げるように顔だけを佐藤先生に向けた。


「貴方たち、普段から問題行動ばかり起こしてるわよね?」

「そ、そんな! 僕たちは円木警枕えんぼくけいちんの精神で真面目に学問を修めています!!」


 西代が目をウルウルさせながら、俺たちがひたむきな学問の徒である事をアピールする。

良い演技力だ、頑張れ西代……!


「コスプレでの講義受講、大学の駐車場で許可なく本格ラーメン作り、食堂にて大声での漫才披露、室内運動場で一人カラオケ大会、その他多数」


 物凄い速さで4匹の視線がばらばらに中を彷徨さまよった。なんで、そんな事してるんだ俺達!!


 というか、ラーメン作りなど俺は知らない。なんでそんな楽しそう事、俺抜きでやってんだ! 誘えよ……!!


「…………はぁ」


 深いため息が佐藤先生からこぼれ出た。それには、"失意と諦め"が込められているように俺には感じとれた。


 これは終わったか……?


「実は他の教授方からの貴方たちへの評価は、意外にも高いのよねぇ」

「ほぇ……?」


 自身の大学生活の終了を覚悟していた俺たちに舞い降りたのは、意外にもお叱りの言葉ではなくお褒めの言葉だった。


「最近の就職活動は真面目に勉強している生徒なんかより、コミュニケーション能力が高かったり個性的な活動をしてきた人間が選ばれる傾向があるのよ……」


「「「「は、はぁ……」」」」


4匹は要領の得ない間抜けな返事をすることしかできなかった。


「貴方たちは『意外と良い企業に就職しそうじゃないか?』という評価になっているって事よ。そして、大企業への就職はそのまま大学の評価につながるわ」


 それだけは絶対にないと、俺は確信をもって思う。俺はギリギリ可能性はありそうだが、他3人は就職すら怪しいだろう。


「それに貴方たちの行動を面白がってる教授もいるのよ? 線形代数学の阿部先生とか」


 あの、AV発言セクハラ教授か……! ナイスだ、スケベ教授! 今度から真面目に講義受けてやるよ!!


「というか、受け持ち生徒が4人も停学になると私の評価が地に落ちる羽目にもなりますからね」


「それに関しては本当にすいませんでした」

「ご迷惑おかけして申し訳ありません」

「重ねてお詫びいたしますでござる」

「ごめんなさーーーい!!」


 再び、全員で誠心誠意の土下座を行う。佐藤先生には普段からかなり迷惑をかけてしまっている。


「幸いに特に実害は起きてない。なので、軽度の罰で許そうという話になりました」


 まさかの窮地からの逆転。

我ら4匹の人生、危機一髪の滑り込みセーフで助かったようだ。


「「「「お、お奉行ぶぎょう~~~!!!!」」」」

「だれが、お奉行ですか!」


 地獄に仏とはまさにこの事。どうやら俺たちは地獄の巨釜に落ちてきた蜘蛛の糸を手繰り寄せることに成功したらしい。


「ただし……」


 ガンッ!! っと佐藤先生が机にエアコンのリモコンの様なものを勢いよく叩きつけた。


として、ひっ捕らえよとの御達しがでたわ」

「「「「え……!?」」」」


 蜘蛛の糸が途中でプッツリと途切れる。


「大学側としても、完全に無罪というのは体面的に良くないわ」

「そ、そんなー!! 一人だけ停学なんてーーー!!」

「あぁ、安心しなさい。そういう意味ではないわよ」


 そう言うと、先生はリモコンを指さした。


「これはアルコール探知機。警察が検問とかでよく使っている物ね」


 なぜそんなものが大学の研究室にあるんだ……?

不思議に思いつつも、俺は余計な言葉を出さずに佐藤先生の言葉を待った。


「大学は、飲酒をしていたのは1だったという事にして処分をくだします」


 無罪放免は対外的にも他の生徒にも示しがつかない。でも4人全員に処罰は重すぎるし、佐藤先生の評価にも大きく響く。妥協的な提案。


「飲酒の疑いがある1名のみ、午前に受けていた講義をにします」


「……もしかして、僕たちが朝からお酒を飲んで講義を受けていた可能性があることも関係してますか?」

「その通りよ」


 俺たちが午前中に受けていた講義は"英語AⅡ"だけだ。ここは理系の大学。英語の講義には外部講師を呼んでいる。その講義での飲酒疑惑は流石にまずいという事だろう。大学側としては絶対に単位を与えるわけにはいかない。なお、午後の講義もアルコールの残った状態で受けているがそこは見逃してくれるようだ。


「さて、下手人を私は選ばないわよ。貴方たちに嫌われたくないもの」


 俺達と先生の仲は結構いい。佐藤先生は俺達を遥かに超える酒豪だ。

担当生徒で先生のペースについていけるのは俺達だけのようで、よく飲みに連れて行ってくれる。ちなみに、先生の特技はテキーラ"瓶"の一気飲みだ。俺達は彼女を尊敬と畏怖の対象として敬っている。


討論ディベートは授業でやったでしょう? あれの延長線上ね。今回の事件、誰が一番悪かったかを話し合って決めて頂戴。その子一人をアルコール探知機で検査して下手人としてつきだすわ」


 さすが先生、俺達の事をよくわかっている。俺たちの中で酒を飲んでない者などいない。その事はすでに御見通しのようだ。


 俺達は正座からゆっくりと立ち上がった。


「よかったー、その程度の事で済んでー」


 猫屋が全員の顔を値踏みする。


「本当にね……」


 西代の眼がドス暗く濁っていく。


「九死に一生を得るとはこの事でありんす」


 安瀬はべキッ! と首を鳴らす。


「ハハハ、俺もそう思う」


 なんせ、俺らの内で済むんだ。全く心も痛まないし、俺が一番悪いはずもない。この陣内梅治、口論については自信がある。知的な論証を披露して見せよう。


 このクソ馬鹿間抜けどもに負ける可能性など、那由他の彼方にも存在しない……!!


 ここはまだ、地獄の窯の鍋蓋なべぶたの上。一人は再び、灼熱の煮え湯へ叩き込まれる運命にある。先ほどまでの一致団結が幻に感じられるような敵意。怨嗟渦巻く魔女狩りの裁判は、俺たちの決意の言葉で開廷する。


「「「「ぶっ殺してやるッ!!!!」」」」


 殺意に満ちた討論会みうちぎりの幕が開けた。


************************************************************


 突如として始まった討論会、その口火を切ったのは猫屋であった。


「というかー、まずあのお酒を用意したのってー、陣内だよねー……!」


 猫屋の強烈な先制パンチ。いつもは可愛らしいと思える緩い口調が、今日は煽っているようにしか聞こえなくなる。


「確かに用意したのは俺だ。けど、皆喜んでただろ……? その時点で罪は平等じゃないか?」

 

 個人的には神聖な学び屋である大学内で飲酒した時点で全員有罪だ。ここは原罪ということにして、平等に悪人を見定めるべきだと俺は思う。


「クソ陣内君が悪いと思います」

「ゴミ陣内の死刑に賛成じゃ」

「お前ら……!!」


 日和見の風見鶏どもめ!

自分以外が不利ならば、嬉々としてその隙をついてきやがる。


「おっとー? これは早くも陣内で確定かなーー?」


 猫屋が早くも勝ち誇った様な笑みを浮かべる。確かに、今回の事件の根幹を作ったのは俺だ。しかし、だからといって事件の発端を作ったのは俺ではない。


「猫屋、……お前にとってお酒とはどういうものだ?」

「え、どーしたの急に?」

「いいから答えてくれ」


 俺は猫屋に人生の真理とも言える謎を問いかけた。俺の予想が正しければ彼女にとってお酒とは掛け替えのない物のはずだ。


「……神さまー? いや、この世の全てを救済してくださるぅー、救世主メシアかもしれないー??」


 うん、想像していた一万倍くらい重い回答が返ってきた。猫屋こっわ。

しかし、むしろ好都合だ……!


「その神を肘で下界に叩き落とした、不逞の輩は誰だ……?」

「クソ猫屋だね」

「ゴミ猫屋じゃな」


 あっさりと、手のひらを返し猫屋を批判する二人。こいつ等二人も酒で脳が焼かれているアル中だ。酒の粗相そそうに関してはうるさい。陣内宅で酒を溢したとなれば、スピリタスをショットで一杯飲み干す、血の掟があるくらいだ。


「ちょ、ちょちょ、待ってよーー!!」


両手をぶんぶんと振りながら、困り顔で否定の声を上げる猫屋。


「あ、あの時は皆酔ってたしー? 誰しもお酒を溢す可能性があったー、みたいなー」


「ないよ、ウンコ猫屋」

「ないでやんす、ゲロ猫屋」

「ないな、クソゴミウンコゲロ猫屋」

「ぶ、ぶっ飛ばすぞー!! おのれらーー!」


 余りに苦しい言い訳。俺たちが酔ったところで尊いお酒様を溢すわけがないだろう。つまりその可能性は皆無。討論する価値もない反論だった。

これは下手人は猫屋で決まりか……?


「ま、待って……!!」


 猫屋の急な大声。そうして彼女は曇りなき眼でこちらを見つめてくる。

なんて、真っ直ぐな目だ。恐らくクズすぎて毒が裏返っているのだろう。


「私たちの中にー、がいまーす!!」


 清らかな声で新たな罪人の存在を告げる。


「裏切り者……? 猫屋、下手な矛先ずらしは自分の首を絞めることになるよ?」

「そうでありんす。大人しくお縄につけば、煙草の一箱くらいは奢ってやろう」


 単位一つが煙草一箱とは何とけち臭い。


 西代と安瀬を無視して猫屋は話を続ける。


「私たちは本来仲のいい同級生。様々な苦楽を共にしてきた運命共同体。しかし、そんな私たちを引き裂こうとするユダ……!」


 猫屋は普段の飄々ひょうひょうとした口調を止め、真剣にこちらに語り掛ける。それほど切羽詰まっている状況というわけだ。目の端に浮かんだ涙は、恐らく演技ではない。

そして、彼女の言う裏切り者に対して勢いよく指を突き付けた。


「それは貴様だーーー! 安瀬 さくらーーーー!!」

「な、なに……!? せ、拙者が……??」

「安瀬ちゃんだけー、私たちの中でじゃーーーん!!」


(※『フル単』受けている全ての講義の単位取得の意味)


 俺たちに激しい電流が走る。


 そうだ、おかしい。この中で一番頭がおかしい安瀬がフル単だと……? 間違いなく、物理の法則を乱している。


「安瀬は間違いなく裏切り者だね」

「絶対カンニングとかしてるー!」

「そうだな! カンニング以外で安瀬が単位を取る事など不可能だ!」


「先生の前で変な言いがかりは、マジで止めるでござる……!!」


 そもそも、ここにいる全員が安瀬より単位が少ないという事実に耐えれていない。

だってコイツ、本当に頭おかしいんだぜ? 縄につないだ洗濯ばさみで服の上から二人の乳首を挟んで乳首相撲、とかいう狂気じみた罰ゲームを提案してくるんだ。……滅茶苦茶面白かったけど。


「でも確かに、この中で一番単位が多い安瀬なら傷は少なくて済むね」

「え、いや、単位は我の努力の賜物であって──」

「ありがとう、安瀬。お前の犠牲は忘れない」

「感謝、感謝だよー、安瀬ちゃーーーん!!」


「ぜ、絶対に嫌でござるからな! 我の単位を貴様きさんらクズどもの為に減らすなど……!!」


 おっと、安瀬よ。その発言は完璧に裏目ったと思うぞ。


「よーし、クズらしく仲間の足を引きずっちゃおー」

「「賛成」」

「わ、わぁああーーー!! ち、ちょっと待つでそうろう!!」


 ルンルンでクズの行いを実行しようとする俺達。そもそも安瀬もクズなので罰を受けても一切心は痛まない。むしろ、心が清々しい。社会貢献した気分になる。


「ふ、……ふふふ、そもそもクズと言えばこの中には飛びっきりのがいるでござるよ」


 安瀬の目が危なく光る。どうやらまだ、討論会は終わらないようだ。


「西代よ……事件が起きた時、お主はいの一番に我らを見捨てて食堂から逃げ出したな?」

「……なんだいそれ? 言いがかりは止めてもらおうか」

「そうだぞ、安瀬。西代は掃除用具を探しに行ってくれたじゃないか」


 安瀬の不躾な物言いに、毅然とする態度で対応する俺と西代。


「いいや、陣内。西代は結局、掃除用具を見つけられなかったではないかえ?」

「む、心外だな。見つけられなかった不手際は認めるけど、それだけでクズ呼ばわりとは……」


 西代の不満はもっともだ。確かに彼女は役立たずの間抜けであったが、クズというほど酷いやつではない。


 結局、あの零れ落ちたバーボンの始末はどうしたのかというと、食堂の職員さんがモップを持ってきてくれて拭き取った。今度、お礼を言っておこう。


「ほぅ、実はな西代よ……」


 安瀬がガシッと西代の両肩を強く掴んだ。お前だけは逃さんぞという彼女の気迫を感じる。


「お主を喫煙所で見た、という目撃証言が我の友人から上がっておるのじゃが……?」


 ビクッ!! と西代の体が硬直する。

え、おい、さすがに嘘だろ……?


「ば、馬鹿な……! あの時、喫煙所には誰もいなかったはず!! というか安瀬に僕達以外の友達なんて──」

「ああ、いないでおじゃる」


 西代の言葉を遮り、あっさりと嘘の供述の自白をする安瀬。


「だけどねー」

「間抜けは見つかったようだな」

「……ハッ!!」


 西代がしまった! といった顔で口元を手で押さえた。しかしもう遅い。


「お主が返ってきたとき、セッターの匂いがしておかしいと思ったでありんす」


 なるほど、安瀬が西代に疑惑を抱いた理由はそれか。

そうすると彼女は食堂で危機的状況にあった俺たちを置いて一目散に逃げ去り、呑気に煙草を吸っていたという事になる。

そして事態が落ち着いたころ合いを見計らって戻ってきた、と。


 俺たち3人は本物のドクズこと西代をギロリと睨みつけた。


「お前、びっくりするくらいクズだな!!」

「ふつー、友達置いて一人だけ逃げるー!? さいてー!!」

「度し難いな、西代!!」


「ぐ、ぐぐぐぐ……」


 西代の顔色がどんどん悪くなる。さすがに、反論の余地がないようだった。


「俺なんてあの時な! 謎に一人で漫才する羽目になったんだぞ!!」

「それは知らないよ!! というか、え、なんで……?」


 いや、本当に何でだろうね、うん……


************************************************************


「話し合いは終わったかな?」


 佐藤先生がカランっとグラスを揺らしながらこちらに問いかける。中身はウイスキーの山崎。超高級品だ。この研究室には備え付けの小型冷蔵庫が置いてある。そこから取り出したのだろう。


 どうやら先生は俺達の醜い争いをつまみに、お酒を楽しんでいたようだ。

……いや、なんか腑に落ちないな。


「満場一致で西代でござる」

「流石にねー、この裏切りは擁護できないわー」

「う、ううぅ……」


 安瀬と猫屋に左右から両腕を掴まれ、捕らえられたグレイ型宇宙人のような姿になった西代。だがなぜだろう……その姿を見ても、憐憫の情など微塵も湧いてこない。


「まぁ、なかなか面白い見世物だったわ。じゃあ、測定して終わりね」


 そういうや否や、佐藤先生は西代の口にアルコール探知機を突っ込んだ。


「んぐっ……!!」

「ハハハハ!! 西代ちゃん、マジでザマーないねー!!」

「アルコール探知機の味はどうだ、西代?」


 俺と猫屋がその姿をみて嘲笑う。安瀬などは西代の痴態をスマホで写真に収めようとしていた。まぁ、当然の報いだ。


 待つこと数秒、ピピっと電子音が計器から響いた。それを聞いて先生は西代の口から計器を引き抜いた。銀糸の液が西代の唇から垂れる。

……酒が抜けかけているせいか変な気分になるな。


「さぁ、どれくらいの濃度にって……あら?」

「……? どうかしたんですか先生?」


 佐藤先生は計器を見て頭を傾けた。俺達も計器のディスプレイをのぞき込んだ。

そこには0.00mg/Lと表示されている。


「あのー先生? コレってつまりー……」

「西代さんからアルコールは検知されなかったという事になるわね」

「ほ、本当ですか!!」


 西代の目に生気が戻る。


「計器の故障であるか?」

「ちょっと待ちなさい。……すぅ、はぁーーー」


 佐藤先生が西代の唾液を拭き取ってから、計器に自身の息を吹きかける。

そういえば、この人も飲んでいたな。


 再びピピっと電子音が響いた。そこには0.29mg/Lと確かに表示されていた。故障しているわけではないようだ。


 今度は四人全員のアルコールをチェックしてみたが、俺達から検出された呼気1リットル中のアルコール濃度は0.00mg/Lだった。


「おかしいわね……アルコールがこんなに早く抜けるわけはないし。もしかして貴方たち、本当にお酒は飲んでいなかったの??」



 その時、俺たち全員の勝利への道筋が開かれた。バルハラまで伸びる一本の逃走経路。言い逃れという脱出口。



 俺は一つの仮説を頭の中で思い描く。恐らく、先ほどまでの激しい舌戦ぜっせんが吸気内のアルコールを弾き飛ばしたのだ。唾が飛び交うほどの激しい罵りあいだったからな。何という僥倖。日ごろの行いが良かったおかげだろうか。


 ガバッ! と四人がお互いに顔を見合わせる。目だけで迅速に意思疎通をすませる。


「じ、実はそうなんでやんすよ!!」

「私たちー、でお酒を持ち込んだだけでーー!!」

「僕、生まれてこのかたお酒なんて飲んだことないよ!!」

「それは絶対にばれる嘘だからやめろ……!」


 俺達は先ほどまでの諍いなどすっぱりと忘れて、再び友情を取り戻した。まだ、先生が俺たちの呼吸の秘密に気づいていない内に急いで逃げる必要がある。体内のアルコールはまだ完璧に抜けきっておらず、いつ呼吸にアルコールが戻るか分からない。

もう一度、検知されれば恐らくアウトだ。


「き、急に仲良くなったわね、貴方たち。何か隠していない?」

「え、いや、僕らは初めから大親友ですよ?」

「マブダチでござる」

「竹馬の友よねー?」

「それは違う。……けど大の仲良しです! おまけに正直者の集まりです!!」


 キラキラとした目で必死に無罪を訴える4匹。先生は俺たちの眩しい後光に押されたのか少したじろいた。


「……そういう事なら、私の方から飲酒の事実はなかったと他の教授たちに報告しておくわ。アルコールが検知されなかったのは事実な訳だから。でも、反省文の提出ぐらいは覚悟しておいてね」


「うわぁぁあああん!! 佐藤せんせーい! ありがとうーーー!!」


 猫屋がガバッと佐藤先生に飛びついた。クソ、同性が羨ましいぜ。俺も女性だったなら佐藤菩薩ぼさつの胸元に飛び込んでいけたのに。いかがわしい意味はない。本当に感謝している。


「ちょっと、猫屋さん……! まったく大袈裟なんだから。……ん? お酒の香りが──」

「──では拙者はバイトの時間が迫っているため、失礼するでやんすよ!」


 不穏な空気を察知し、安瀬が一目散にこの研究室から逃れようとする。安瀬のバイトは今日は休みだったはずだ。だが、この波に乗り遅れるわけには行かない。


「俺もバイトです!」

「僕もバイトです!」

「私もバイトーー!」


 完璧に息の合った行動で四人は部屋の入口に集結する。


「「「「失礼しましたーーー!!」」」」


そして、勢いよく扉を開けて逃げるように退出した。


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「……相変わらず、仲がいいのか悪いのかよく分からない子たちね」


 佐藤甘利は誰もいない研究室で呆れた言葉をポツリと呟いた。


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「いやー、肝が冷えたでござるな」

「ほんとうにねー……」

「まぁ全員、お咎め無しで何よりだよ」

「そうだな!」


 研究室からの生還を果たした俺たちはトボトボと帰路についていた。今日は全員バイトがない日だ。このまま、いつものように俺の家で飲み会になるだろう。


「しかし陣内よ、これからは酒の持ち込みは止めといた方がよさそうであるな」

「そうだねー、今度バレたら次は間違いなく停学になるよー」


 安瀬と猫屋が残念そうな口調で語りかけてくる。


「ん……? あぁ、まぁこれ見てみろよ」


 そう言い俺はスマホを彼女たちに向けて見せた。そこには通販サイトが映し出されており、選択された商品はとあるだった。


「転倒しても中身がこぼれないような構造になってる水筒だ。これならテーブルから落ちても大丈夫だろ? コレに変えれば、今まで通り酒飲み放題だぜ」


 我ながら素晴らしい対応策だ。もしも中身を改められそうになっても、一瞬で飲み干して逃げれば大丈夫だろう。


「「「………………」」」


 俺の完璧な提案に感動したのか3人はジッと黙っていた。


 そして、口を開くと──


「陣内、天才かよーーー!!」

「そういった物があるのか。見識が深いね」

「久しぶりに見直したでござるよ!」


 拍手喝采の褒め殺し。彼女たちの機嫌はみるみるとよくなり、その言葉を聞いた俺も有頂天になる。


「だろ!! やっぱ酒がないと頭も回らないしなぁ!!」


 ゲラゲラと笑いながら、俺たちは暗い夜道を四人で帰っていった。


************************************************************


 後日、買い替えた水筒を持ち込んで大学の講義を受ける陣内達の姿があった。酒精を漂わす飲料水を飲みながら楽しそうに笑っている。


 周りの人間はそれを見て、『あいつ等、本当にヤベーやつなんだな』っと彼らの異常性を再認識するのであった。


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