第11話 灼熱と昔話


「あー、やっと着いたな」


 俺は運転で凝った体をほぐすように大きく伸びをする。

時刻は11時と少し過ぎたあたり。おおむね予定通りの到着だ。


「ほぅ、ここが今日泊まるホテルであるか。少し古いな……」

「喫煙可能な露天風呂付き客室ってー、古い所しかなくてさー」

「それもそうだよね」


 ここは草津温泉街の近くにあるホテルだ。

俺たちはホテルの外装の感想を言いながら、車から荷物を取り出していった。


「しかし、温泉宿と聞いていたから僕はてっきり旅館に泊まるのかと思ってたよ」

「あー、旅館はお値段が倍くらい変わっちゃうからねー。でも、部屋の内装は和室だからー、そこは大丈夫ー」


 荷物を持ち、ホテルのエントランスに入る。

ふかふかのカーペットと大理石のような素材でできた受付フロント。お土産売店や無料のドリンクマシーンの付いた広めの休憩スペースがお出迎えをしてくれた。


 おぉ、内装は凄く綺麗でいい所じゃないか。

こんな高級そうなホテルに泊まるのは初めてだ。俺は酒も飲んでいないのに、不思議な高揚感に包まれる。それは、他の3人も同じであるようだ。


「うむ、中々悪くないでござる」

「さすが、一泊4万円のホテルだねー」

「そう考えると装飾が全部高級品に見えてくるよ。……まぁ、見学は夜にして早く遊びに行こう」


 四人はフロントまで荷物を預けに行く。チェックインの時刻は3時以降だ。

先に荷物だけ預け、夜まで草津温泉でゆっくり観光する手筈となっている。

このホテルからは温泉街までの無料シャトルバスも出ており移動には困らない。


「ねぇねぇ。あそこ見てよー……!」


 興奮した口調で猫屋がどこかを指さしていた。

そこには浴衣レンタルと書かれた、小さい店内着物屋があった。


「私、浴衣着てみたーい!!」

「おぉ……! 我も賛成でありんす!!」

「温泉街に浴衣……うん、風流だね」


 急に女性陣のテンションが跳ね上がった。車内の出来事で忘れそうになるが、酒飲みモンスターズは生物学上は女に分類される。可愛く着飾りたいのは当然だろう。

男の俺としては衣服などより酒と食事だが、そのような無粋は決して口にしない。

むしろ、彼女たちに同調しておく。


「いいじゃないか、浴衣。そんなに高くないし、まだバスが来るまで結構時間がある。全員でレンタルするか」

「「「さんせーい!」」」


 愉快適悦な様子で足早に駆けていく彼女ら。歩行速度の差は如実にでる。

気持ちの差だ。俺もついていかなくては。

その途中、西代が急に振り返った。


「あ、そういえば陣内君」

「どうした?」

「コレ渡しとくよ。僕らは君より時間かかるから。先に出て休憩所で飲んでて」


 そうして彼女が手渡してきたのは日本酒の二合瓶だ。


「運転してたから今日は飲んでなかったろ?」

「おお、気が利くな西代!」

「そろそろアル中特有の禁断症状が出るかと思ってね」

「ア、アハハハハ」


 西代の鋭い指摘にたいして乾いた笑いで返すしかなかった。

最近、酒が抜けると手が震えてる気がする。冬なので寒くて震えてるのだと思いたい。


「ん? なんか、、コレ」

「さ、先に僕が飲んでたのさ。別に飲みかけでも気にしないだろ?」

「まぁそりゃそうだけど」


 それにしてはあまり量が減っていない気がするような……?

俺がいぶかしんでいると猫屋の大声が聞こえてくる。


「二人ともー! 何してるのー? 早く来なよー!!」


 猫屋が着物屋で手を振っていた。

他に人もいるので大声で呼ぶのは勘弁してほしいんだが。


「二人が待ってるね。さ、行こう」

「ん、あぁ……」


 俺は後ろ髪を引かれながらも着物屋に向かっていった。


************************************************************


 シャトルバスで温泉街外れにあるバス駐車場についた俺たち。

ここからは徒歩だ。案内看板を見る限り、ここからなら3分程度でメインスポットに行けるだろう。


 カラン、コロン、と下駄の小気味よい足音を鳴らして歩く。雪駄もレンタル品にあったがこちらの方が歩いて面白い。絹生地の浴衣の肌さわりも心地よい。湯源がそこかしらにあるせいか冬にしては暖かく、寒くはなかった。温泉街で浴衣、これで俺も粋な日本男児の仲間入りだ。


 だがまぁ、俺の浴衣姿など目の前を歩く美女3人に比べれば霞んで見える。


 零れ桜、猫の肉球、桃の花。自身の名前にあやかった紋様が刺繍された浴衣を着飾る彼女たち。その着こなしは暴力的なまでの色気と美しさを兼ね備えていた。普段の性格は子供らしい彼女らだが、その御身はすでに成熟した華。三者三様が別種の色香を醸し出す。


 安瀬は長い茶髪を一つにまとめ上げてかんざしで留めている。

時代錯誤の口調で話す彼女らしい装いだ。気立ての良い品性を強く感じさせられる。


 猫屋の浴衣は明るい黄色をしている。金髪と彼女の明るい雰囲気とよく似合う。

嫣然えんぜんという言葉は彼女の為にある。帯を締めた腰の細さは抱きしめれば折れてしまいそうだ。


 西代はまるで良家のお嬢様。巾着を持ち、肩をすくめて歩く姿が何とも儚げだ。黒髪の小さな大和撫子。クールなその表情が月下美人を思わせて、庇護欲を刺激するだろう。


 平日だが、有名観光地のためか人は多い。みやびではんなりとした彼女達の姿は、嫌でも他の男性客の目を引いている。


 俺は彼女たちにはバレない様にそっと距離を離して歩く。別に大した理由はない。

ただ俺ごときが彼氏と勘違いされて、そういう目でコイツらを見られるのが嫌なだけだ。それに露骨に凝視してくる奴の視線を遮って歩くこともできる。


 そんな事を考えていると、すぐに目的地についた。


「「「「おぉ~~~……!!」」」」


 草津温泉の名所、"湯畑"。源泉の熱い湯を冷ますために、設置された無数の木製水路群。清んだ温水が湯気をあげながら流れていく姿は日本人なら誰もが感銘を覚えるだろう。夜になればライトアップされてより幻想的な景色になるらしい。


「すごく綺麗だね」

「だねー、久しぶりに見たー」

「そうか、猫屋は来たことがあるのか……おい見ろ、あそこに足湯があるぞ」

「おぉ! 足湯に浸かりながら、ポン酒で一杯といきたいでござるな……!」


 俺たちは記念写真を取る事さえ忘れて観光に夢中になった。

観光地らしく出店も数多く出ており、どれしも俺の目には真新しく映った。

早速、猫屋に船頭を取ってもらい案内をしてもらう。


************************************************************


 ある時は、売店をめぐり。


「本場の温泉卵であるな……」

「観光地だから少し高いね」

「なんか、一瞬で食べるのが勿体ないな」


 ある時は、甘味を求めて。


「ここがー、私のおすすめの甘酒屋さーん!」

「こういう特別な所で飲む甘酒って無性に旨いよな」

「あー、神社とかねー」

「我はあの為だけに、初詣に向かっておるよ」

「食い意地張りすぎでしょ……」


 ある時は、蕎麦屋に入り。


「祝日だとー、馬鹿みたいに混むんだよねーここ」

「それだけあって旨いな。だけど、なんか……?」

「き、気のせいでござろう?」

「も、もしかして、ちょっと温泉水が入ってたりするのかな?」

「あぁなるほど、温泉水って体にいいらしいよな」

 

ある時は、トイレへ。


「トイレかと思って入ったら、凄く小さな銭湯だったよ」

「あー、それ私も小さい頃やった事あるー」

「え、!? あれ風呂だったのかえ……?」

「恐ろしいな、草津温泉」


 そうして俺たちは旅行を夜まで満喫した。


 最後には、ライトアップした湯畑を背景に記念写真も撮った。

酒飲みの記憶とは常に不安定な物。酩酊状態では物忘れが激しくなる。

でもこうして形に残れば一生忘れない宝物になるだろう。


************************************************************


 チョロチョロと湯口から熱い湯が絶えず流れる。


 ここはホテルの室外露天風呂。竹の柵で覆われて機密性が高く、上を見上げれば満天の星空。岩でできた浴槽と休憩用の木製の浴室椅子。どれも景観を損なわない、趣のある品々。まさに、至高の湯。

 

 そこにうら若き3名の女子が酒を持ち込んで、湯浴みを楽しんでいた。


「あぁぁ……、溶けそうでおじゃる」

「僕もー……」

「私もー……」


 緩み切っただらしのない顔で旅の疲れを癒す華たち。

個室の露天風呂は意外に広く、三人が足を延ばし寛ぐくつろことが可能だった。

徳利を置いた桶を湯に浮かべ、酒と月を楽しむ時間。


 陣内梅治は当然ここにはいない。彼はこの乙女の花園が見えない様にカーテンで遮られた部屋で酒と煙草を楽しんでいる。


「さて……」


 そうした極楽の雰囲気を振り切って話題を振ろうとしたのはやはり安瀬であった。


「旅行を満喫したのは良いとして、進行中の作戦はどうでありんす?」

「僕、かなりの量の精力剤を飲ませたよ」

「アハハハー! 飲む酒全部に入れてたもんねー!」


 西代だけが持っていた巾着の中には、粉末状の精力剤が入っていた。

彼女はそれを陣内の見ていない隙に酒へとコッソリ盛っていたのだった。


「あれだけ入れればさすがに効くでしょー」

「どうかな? 彼、いつもよりテンションは高かったけど、旅行の熱に当てられただけに見えたよ」

「人目がある所でさかるヤツでもなかろう。それに、この後はとっておきの精力剤を入れ込んだハブ酒もあるしの」


 安瀬は自信満々に笑って見せるのであった。


************************************************************


 空の瓶の中からこちらを見つめてくる、生気を感じないハブの眼差し。

ことによって潤いを奪われたことを怒っているかのようだった。


「美味かったなハブ酒。薬膳の香りを詰め込んだみたいで良い風味だった」


「あ、あぁ、そうであるな」

「お、美味しかったよねー」

「う、うん」


 男の問いに、彼女たちはどこか上の空で答える。陣内を除いた3人の顔は赤い。

湯から上がったばかりというわけではない。後から入った陣内がすでに風呂から出ている。


「どうしたお前ら? なんか顔が赤いぞ……? まさかこの程度で酔ったとか言わないよな?」


 それに加えて息も熱っぽい。その荒い呼吸によって、着替えた就寝用の浴衣がすこし乱れてる。胸や太腿がだらしなく、はだけていた。


「ちょっと、のぼせただけで候……」

「私も少しだけー……」

「僕は旅行疲れがでたかな……」


「へー、いつも元気いっぱいのお前らが珍しいな」


「「「ま、まぁねーーー」」」


 三人はどこか焦った様な顔をして陣内に返事を返した。

悪だくみを企て、悪戯を仕掛けていた彼女たちが焦るこの状況。

理由は全員で飲んだハブ酒にあった。


(胸の奥が熱いでありんす……)

(な、なんか、下の方が疼いてるー……)

(頭がボーとして、喉が渇く……)


 悪女たちはとんでもなく発情していた。


 温泉で巡りのよくなった血流に乗って、強い催淫作用を持つ酒精が体を犯していた。この手の作用は男女共用に効き目があることを彼女たちは知らなかった。『女には効かない』という勝手な推測でハブ酒をグビグビと飲んでしまっていたのだ。


 また、精力剤の効果は思い込み、つまりプラシーボ効果によって強く表れる。陣内は元からの体質と精力剤を盛られている事を知らないため特に発情は見られない。

しかし、彼女たちは酒に混ぜられた多量の粉末や薬液を知っている。自身の発情に少しでも気づいた瞬間には、その熱は体中に広がっていった。


 猫屋は陣内には聞こえない様に、小さな声で仲間に話しかける。


「や、やばくないこれー? じ、陣内から目が離せないんだけどー……」


 そばにいる自身の性的欲求を唯一解消できるであろう男。

異性が放つフェロモンに惹かれているのか、いつもよりその存在を強く感じているようだった。


「ね、猫屋もかい? 僕も陣内君がいつもの十倍かっこよく見える」

「わ、我もじゃ。あのアル中に目を奪われるとは……」


 彼の一挙一動いっきょいちどうに釘付けになっている女性陣。

だが、決して近づこうとはしない。陣内から距離を置き、部屋の隅に集まり固まる。

そんな、目だけをこちらに向けボソボソと話し合いをしている彼女らを、陣内は当然だが不審に思った。


「おい、お前ら……何してるんだ?」


「ちょ、ちょっと女子だけで秘密の作戦会議中じゃ!」

「陣内君は今、話しかけないでくれ!!」

「すごくいい声してるからーーー!! あ゛ー、頭に響くぅー……!」

「え、うん、ありがとう……?」


 唐突に声音を褒められて困惑する陣内。だが、彼女たちが何をしているかは詳しくは聞かなかった。『女子だけで』と言われると、男性としては話に入りづらい。


「仕方ないな」


 そう言い、彼はお気に入りの甘い煙草を取り出す。

足を立てて男らしく座り、慣れた手付きで優しく火をつけた。

風呂から上がったばかりの濡れた黒い短髪が静かに揺れる。

男らしい厚さを見せる胸板が浴衣からチラリと見えた。


「ふぅー…………」


 目を細めて、気怠そうに煙を吐く。美丈夫びじょうふ伊達男だておとこ


「ぐはっ゛゛゛!!」


 突如、安瀬が大量の鼻血を出し憤死した。

真っ赤な顔をしてパタリと倒れ込む。享年21歳。


「ちょ、ちょっと陣内君!! なんてもの見せるのさ……!!」

「は? え、なに?」

「わ、わ、私もマジでやばかったー!! 安瀬ちゃんは浴衣姿が性癖にクリーンヒットしちゃったかー……!」


 煙草を吸っただけで大騒ぎする女性陣。そのうち一名は気絶。

陣内はそのテンションの差についていけず、ただ安瀬の心配をしていた。


「おい、安瀬は大丈夫か……? 鼻血がでてるぞ?」


 スッと立ち上がって安瀬の容態を確認するために近づこうとする陣内。

それに西代が慌ててストップをかける。


「だ、大丈夫だからストップっ!! それ以上近づいちゃだめ……!!」

「私達で何とかするからー!!」

「お、おう。そうか……」


 そう言われた彼はすごすごと再び座り込む。そして煙草と日本酒を楽しみながら、一人で考察する。


(まぁ、二日酔いなのに飲んでたしなアイツ。疲れてんだな……)


 見当違いな事を考える、色欲をまき散らす人造怪人。

あの安瀬を一発でノックアウトする魅力爆弾。

それを生み出した悲しき女たちは、その破壊力に震えていた。


「"作戦会議"とやらが終わったのならこっち来いよ。安瀬は寝ちまったようだけど、3人でトランプでもやろうぜ」


「あ、うん」

「今行くー……」


 断って変に怪しまれる訳にもいかなかったため、二人は意を決して立ち上がった。

夜光に惹かれる蝶のような頼りない足取りで赴き、陣内と一緒の机に座った。


「おし、じゃあ3人で……神経衰弱か? 酒飲んでたら面白いし」

「い、いいんじゃなーい?」

「文句はないよ」

 

 正直、猫屋と西代はゲームの内容などどうでもよかった。

いまは一刻も早くこの猛りを沈める必要があった。


 シュっシュっとテンポよく、陣内はトランプの束を混ぜる。

身体を廻る媚毒の性であろうか、猫屋はそれを見て思わずポツリと呟いた。


「手、おっきー……」

「そうか……? 猫屋、手を真っ直ぐだして見せてくれよ」

「?」


 そう言われて、彼女は特に考えもなく手を陣内に見せる。

出された手に、


「ひゅぃっ……!?」

「おぉ、こうしてみるとデカいな俺の手。特に球技はやってこなかったんだがな」


 猫屋の脳に蘇る、暗闇の中で繋いだ手と抱擁。そして、追体験のように迫りくる手の感触。その2つは猫屋李花の脳をパンクさせるには十分すぎるほどの情報量であった。


「ぐはっ゛゛゛!!」


 突如、猫屋が大量の鼻血を出し憤死した。

真っ赤な顔をしてパタリと倒れ込む。享年21歳。


「ちょ、ちょっと陣内君!! なんて事してるのさ……!!」

「え……? え……?」


 相変わらず事態が飲み込めずに困惑する陣内。


「お、俺が何したっていうんだよ……!」

「大声で叫ぶなよっ! 胸に響いてキュンキュンするだろう……!!」

「う、お、……ごめん?」


 西代の強い圧力に陣内は押し流される。


 西代はその発言通りに小さい心臓をバクバクと打ち鳴らしていた。


「と、とりあえずこいつら寝かすか。西代、布団引いてくれ」

「ハァハァ……分かった」


 そう言うと、陣内は倒れた猫屋の背中と足に手を入れ込む。

そして、全身に力を入れてグイッと彼女を持ち上げた。

お姫様抱っこだ。

 

 それを西代は布団を敷きながら、熱っぽい視線でポぅっと見つめていた。


(羨ましい………………っは!? ち、違うぞ!! 思ってない。僕はそんなこと思ってない……!!)


「思ってないから!!」

「ぅおっ!? ……い、いや、何なんだよマジで」


 陣内が驚いて危うく猫屋を落としそうになる。

不安定な西代に疑問を抱きつつ、布団の上に優しく猫屋を下ろした。

その後で陣内は気絶した安瀬も、同じように布団まで連れていく。


「これで上から何か掛けておけば、こいつらも風邪ひかないだろ」

「うん、陣内君は本当に優しいね…………優しくない! ふ、普通だよ!!」

「お前どうしたんだよマジで。ふつうに優しくないか?」


 話している内容が滅茶苦茶で顔の赤い西代。

陣内はそれを見てふと、居酒屋で熱を出したまま酒を飲んだ阿呆を思い出した。

彼女もテンションが高く口調が乱れた。荒く熱っぽい呼吸も相まり、陣内は西代の姿が記憶の中の安瀬とダブって見えていた。


「おい、西代。嫌だったら言えよ」

「へ……?」


そういうや否や、陣内は西代の額に手を当てた。


「ぴゅ……!!」

「…………熱はないみたいだな。なんだ、本当に酔っぱらってるだけか?」


 体温を計る事に集中している陣内は彼女の異変に気づかなかった。

西代はあまりの衝撃で体がビクビクと痙攣し、まともに呼吸ができていない。

限界はすぐに訪れる。


「ぐはっ゛゛゛!!」


 突如、西代が大量の鼻血を出し憤死した。

真っ赤な顔をしてパタリと倒れ込む。享年20歳。


「…………なんだこれ」


 卑劣な酒飲みモンスターズの罠を掻い潜り、偶然にも討伐に成功した勇者陣内。

しかし、その屍の上に立つ彼の顔は虚無であった。


************************************************************


 俺は一人で露天風呂の浴室椅子に座っていた。風呂には入っていない。

持ってきていた日本酒と適当なつまみを持ち込んで晩酌を楽しんでいるのだ。


 日本酒の銘柄は亀齢きれい。広島にある西条の酒蔵が出している名酒だ。

切れ味の良い辛口の味。後を引かない透明感のある日本酒の原始的な味わいが何とも言えない。日本酒の辛口が飲みにくい人は結構いるだろうが、これならいけるという人は多いのではないだろうか。


 以前、安瀬にお勧めされ飲んだ時に気に入って愛飲するようになった。

彼女の出身地である広島はいい所なのだろう。こんなに美味い酒を造る酒蔵があるのだから。


 ボーっと酒と煙草で時間を潰す。真夜中なのに立ち昇る複数の湯気を見ていれば不思議と退屈はしなかった。


 どのくらいの時間がたったのだろうか。一度時間を確認するため部屋に戻ろうとした時にガラッと露天風呂の扉が開かれた。そこにいたのは寝ていたはずの猫屋だ。


 猫屋はすぐに俺に気づいて、近寄ってきた。


「なんだ、起きたのか」

「うん、布団ありがとねー」

「いいよ別に。しかし、体調はどうなんだ? なんか、倒れるように寝ちゃってたが」

「あ、あははー、昨日のお酒が残ってたかなー。お陰様で今は体が軽いよー…………まだ、少し残ってる感じするけどー」

「……? そうか」


 最後の方は早口で聞き取れなかったが、元気なら別にいい。

俺は彼女のために、もう一つの椅子をそばへと引き寄せた。


「酒はともかく、煙草でもどうだ? 俺のでよければ手元にあるぞ」

「あーいいね、貰おっかなー」


 そう言って、隣に座る彼女。俺は煙草とライターを差し出した。


「せんきゅ」


 早速、火をつけて煙草をくゆらせる。夜景に湯、煙草に女。やはり彼女には煙草がよく似合う。月光を浴びて紫煙を吐く猫屋の姿はとても艶やかであった。


「似合うな、煙草」


 俺は本心でそういった。まぁ酒飲みモンスターズの中で煙草を吸う姿が似合っていないやつなどいないのだが。全員が下手な男よりも手慣れた手付きで喫煙している。


「またそれー? ……本当に褒めてんのー?」

「あぁ、見惚れるね」


 俺は意地の悪い笑みを浮かべて猫屋に返事する。人の誉め言葉を疑った彼女にはこれぐらいふざけたセリフが妥当だ。


「……まぁー、そういうなら、いいかー」


 どうやら早々に俺の真意を探ることを諦めたようだ。

猫屋はその健康的で長い脚を抱きしめるようにして座りなおした。浴衣の着付けは就寝用の為、緩い。まるでスリットの入った服のように、彫りの深い肌の露出があらわれた。


 俺はスッと視線をそらした。今は酒が入っているし別に興味はない。


「あのさー、一つ聞いておきたい事があるんだけどー」


 、猫屋は改まった口調で問いかけてくる。


「私ってー、もしかして可愛くない?」

「ぶっ゛゛」


 あまりの突拍子な内容に思わず、飲んでいた酒を噴き出す。

何と勿体ない。俺は滴る水滴を袖で払い、彼女の顔を見る。


「どうした突然」

「い、いやー、なんていうかー」


 猫屋が恥ずかしそうに話すのを渋っていた。


「陣内の反応が無さすぎるーていうかー?」

「俺……?」

「年頃の男ならさー、もっと、こう、それ相応の態度みたいなのー……がね?」


 いまいち要領を得ない曖昧で煮え切らない質問。しかし、俺には猫屋の言いたい事が何となく理解できた。


 彼女ほどの美人だと、幼い頃から人から好意を寄せられることが多かっただろう。

しかし、一向にそんなそぶりを見せずに平然な顔をしている俺。

猫屋の疑問も理解できないほどではない。


「お前は可愛いよ? 容姿だけはな」


 流石に直線的に褒めるのは恥ずかしいので、余計なものを後ろにつけて答える。


「中身はどーなの?」

「下品で思慮に欠け騒々しい」

「ひっど」


 俺の遠慮のない罵倒がおかしいのか、猫屋がケラケラと笑う。

笑ってるならいいが少し酷く言い過ぎた。一応、フォローしておこう。


「まぁ、俺の場合は酒をキメてると性欲が湧いてこないんだよ。目の前に全裸の女がいても酒を優先するレベルで」

「それなにー? アル中、それかED……?」

「違う」


 俺は猫屋の失礼な疑惑を強く否定する。

酒さえ抜けばちゃんと、たつ。


「じゃーあ、体質? それにしたって、性欲が全部無くなるって変じゃなーい?」

「…………」


 俺はこうなった原因を話すか一瞬だけ迷った。ザァーっと、があふれ出す。どうしようもなく気分が悪くなる。しかし、いつまでも引きずっていても仕方ない事だ。所詮は過去。話すことで気持ちが軽くなることもあるだろう。


 俺はなるべく感情を出さない様に口を開いた。


「昔、してな」

「あ、……」


 自分で思ったよりも低い声が出てしまった。

だが、止まる事なく続きを話す。


「浮気されて、喧嘩して、別れて、その時からこんなだ」


 俺は簡潔に短く、原因を述べる。

あまり長々しく自分の不幸話をする気にはなれなかった。


「え、っと、その」

「いいよ別に謝らなくて。酒がまずくなるしな」

「あ、うん……」


 しまった。猫屋が気まずくなって黙ってしまった。

本当に彼女が気にすることではない。これは俺の問題だし、もう終わった話なんだ。

それに……


「でも、今はちょっとだけこの体質に感謝してる」

「え?」

「安瀬は大馬鹿やって迷惑かけて、お前は無駄にからかってきて、西代はギャンブルで暴走する……この半年、騒々しかったけど本当に楽しかった。酒飲んでタバコ吸ってパチンコ行って遊びまくって、勉強なんて一切してない」


 楽しかった。この半年間は別れた恋人の事など振り返ることがないほど楽しかった。今回の旅行だってきっと一生の思い出になる。


「こんな生活ができたのも、この体質になったおかげかもなって」


 そう思えば、あの辛い出来事にも意味はあったように感じることができる。


「…………」


 猫屋は何も言わずに俺の話を黙って聞いてくれた。

たまにこいつらが同性ならよかった、なんて本気で思う時がある。

綺麗で明るい彼女たちは、男の俺には少し眩しい。


「あ、長い事話して悪かったな」

「いーや、話してくれてありがと……」


 そう言うと、猫屋はまだ長い煙草を灰皿に押し付けた。


「ね、お酒ちょーだい」

「え? 今日はもうやめといた方が────」

「いーからさ、飲みたいの」


 猫屋は俺の杯を奪い取るとそれを一気に煽った。


「ん! 美味しーね、陣内……!!」


 朗らかに笑う猫屋。それは恐らく彼女の気遣いだったのだろう。今まで見た彼女の笑顔の中で一番の優しさと慈愛が伺える。美人はずるい。笑うだけで男のうじうじとした悩みなど吹き飛ばしてくれるのだから。


「そうだな、酒が美味いのがこの世で一番だ」

「お、アル中は言う事が違うねー」

「うっさい…………もう少しだけ飲んでから寝るか」

「さんせー!」


 さっきの話はもう蒸し返さない。

彼女も他人においそれと話はしないだろう。重くて暗い話など誰も望んでいない。

大人だって嫌な事には立ち向かずに蓋をしてしまうだろう。

ましてや俺たちはまだ子供のつもりだ。


 俺たちは暗い雰囲気を微塵も感じなくなるまで酒を飲み、くだらない話を続けた。

薄暗い感情など清酒と熱い湯で全て溶かして帰ってしまおう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る