第12話 文化祭に這いよる最低のゴミ


傾聴けいちょう~~~~っ!!」


 安瀬が大声で俺たちの気を引く。

ここは大学内の生徒が使用可能なミーティングスペース。旅行帰り翌日の金曜日、俺たち3人は安瀬に呼び出されていた。無数の机と椅子、大きなホワイトボード。そこにが達筆な字で書かれていた。


 『天才! 現代の錬金術師、安瀬 桜の金策術!!』というものだった。


「では、発表を始めさせてもらうでありんす!」

 

 彼女は珍しくスーツなんかを着ており、そこに伊達の黒ぶち眼鏡をかけていた。

恰好から入るタイプであることは分かった。分からないのは今から俺達が何を発表されるかだ。


「おい安瀬、いきなり呼びつけておいてどういう事だ」

「はいそこっ! 質問をする際は挙手をお願いするでやんす」

「……はぁ」


 俺は大きくため息をついた。完全に安瀬のペースだった。

俺は彼女の言う通り手を挙げて質問してやった。


「まずここに呼び出した意図を教えろ。金策ってなんだよ? 俺、この後バイトがあるんだよ」

「私もー…………あんまり時間がないんだけどー」


 どうやら唐突な呼び出しに不満を持っていたのは俺だけではないらしい。猫屋も今日はバイトのようだ。西代はバイトが休みなようで、特に不満はなさそうだ。優雅に家から持ってきたであろうホットワインを楽しんでいる。


「なに、そんなに時間はとらせん」


 そう言うと、安瀬はホワイトボードにキュキュっと何か書き始めた。


「文化祭?」


 俺はデカデカと書かれた文字をそのまま読み上げた。


「埼玉インフォメーション技術大学祭、通称"メイ祭"じゃな。それが来週に開かれるで候」

「あぁ、あったねそんなの。興味なくて休みとしか認識してなかったよ」


 俺も西代と同様の認識だった。大学祭は前祭と後祭の二日間。もちろんその間に講義は行われない。なので、その二日はバイトか遊びに費やそうと思っていた。


「文化祭と金策ってー、私たち関係なくなーい? 私達じゃ売店は開けないしー」


 猫屋の発言の通りだ。売店を開くことを許可されているのは、活動費を稼ぎたいサークルや部活動のみ。俺達はどの集団にも所属していないはぐれ者。文化祭などに行けば金に餓えた他の学生に、美味しくもない冷凍の揚げ物を高値で売りつけられるだけだ。


「うむ、だが我らが参加できるものもある」

「それは学祭実行委員会の企画イベントの事かい?」

「あれってー、面白くないって評判だよねー」

「俺も佐藤先生にそう聞いたぞ」

 

 文化祭では毎年大きなステージが設置されて、そこでイベントを開催しているらしい。ダンス部の集団パフォーマンスや空手部の演武、また一般生徒が参加できるミスコンやカラオケのど自慢といったものがあるらしい。後者はたしかに俺達でも参加できるが……


「ミスコンにでも出るのか? お前らなら優勝狙えるかもしれんが、あれって優勝商品がクソしょぼかっただろ?」


 優勝すれば花と豪華なドレスを着て写真を撮り、大学のHPに載せられるだけ。

金一封などは貰えない。強いて言うのなら、自己顕示欲が満たされるくらいだ。


「のど自慢大会も実行委員の内輪ノリが激しいってきいたー」

「他のイベントもどれもパッとしないらしいね……あぁでも、最後のビンゴ大会の景品は凄いって聞いたよ」


 西代の目が少し濁る。ビンゴ大会と聞いてギャンブラーの性が疼いたのだろう。


「それでおじゃるよ、西代。そこにでありんす」

「ほぅ、詳しく聞かせてもらおうじゃないか」


 西代の表情が真剣なものへと変わる。魔の西代さんモードに切り替わってしまったようだ。こいつは確率と金が絡むなら何でもいいのか……

まぁ、これはあの安瀬の発案だ。俺も少しは真面目に聞くとしよう。


「ビンゴ大会は後祭の大締め。当然、上位の景品は豪華絢爛ごうかけんらんぜよ」


 そう言いながら、安瀬は去年のビンゴ大会の景品らしき物をホワイトボードに書き始めた。そのラインナップは確かに凄まじかった。大型家電、クロスバイク、最新ゲーム機といった普通に買えば諭吉さんが何枚も飛んでいくようなものばかり。


「こういった商品をビンゴした者が先着順で、好きに選んでいく方式になっている」

「いやー、思ったより凄いねー。私、ドラム式洗濯機とかほしーい」

「それは俺も欲しいな。ビンゴだけ参加しに文化祭に顔を出すのもアリだな」


 もし自分が欲しかった商品が無くなっていても、他の高そうなものを貰って売ればかなりの儲けになるだろう。安瀬の書いていた錬金術とはこれの事か。奴はリサイクルショップの店員でもある。うまく売りさばく自信があるのだろう。


「そうは問屋が卸さない、のじゃ」


 しかし、安瀬は俺の短絡的な考えを否定する。


「ビンゴカードは前祭の昼間に参加客に配られるのである」

「あぁ、なるほど。ちゃんと文化祭に参加している人間のみに配るのか」


 学祭実行委員会も馬鹿ではないらしい。俺の様な不埒な考えの者を弾くため、ビンゴの行われる前日にビンゴカードを配るのだろう。


「景品が豪華なのもその為かもね。ビンゴに参加するには2日間ちゃんと文化祭に来なければならない」

「あー、それかしこーい」


 2日間も来訪すれば、売店で落とす金も自然と増える。部活動やサークルの事もちゃんと考えられている。


「おまけにカードには複製できないよう、一枚ずつ手書きで実行委員のサインが書いてあるようじゃ」

「え、凄い大変じゃないかそれ?」

「まぁ、一年に一回しか活動しないし暇なんじゃろ……」


 それもそうか。


「で、まぁ、毎年500枚くらいのカードが配られるらしいのじゃ」

「僕ら四人が参加したとしても、景品を得るのは難しい確率だね」


 4 / 500 = 1 / 125。そんな単純な計算にはならないだろうが、難しい可能性だ。


「そこで、このカードを牛耳ぎゅうじろうと思っての」

「え? どーやってー……?」


 安瀬の割ととんでもない発言に俺も驚く。

 

「まず入手方法1、カードは14時頃に各委員の手で適当にばらまかれるらしい」

「ふむ、僕達で変装して姿を誤魔化せば、何枚も受け取る事ができると」

「その通りじゃ西代。さすがこういう事には頭が回るのぅ」


 そうなると、四人で必死に手を回せば50枚くらいは集められるだろうか?


「入手方法2、毎年結構なカードがごみ箱に捨てられているらしい」


 これはそうだろう。受け取ったはいいが翌日来る気が無くなった人は捨てて帰るだろう。


「え、あー、ちょっとやりたくはないけど景品貰えるなら、まぁー……」

「あらかじめゴム手袋でも用意すれば気にならないかもね」

「佐藤先生の情報から分析するに、100枚くらいはいけると我は踏んでおる」


 景品の為にゴミ漁りか。まぁ無料で洗濯機やらゲーム機が貰えるならやってみてもいいかもしれない。


「そして、本命の入手方法3……交換トレードじゃっ!」


 安瀬が部屋の隅に置いてあった段ボール箱を俺たちの前に持ってくる。


「なんだ、それ?」

「ここに今年の実行委員の服を用意しておいた!!」


 段ボールから長袖のシャツと帽子を取り出した。

その二つは真っ青に染色されており、シャツの背面には"メイ祭!!"と大きくプリントされていた。何ともダサいが青い春を感じさせる。


「コレを着て学祭実行委員に偽装し、前祭の終わりに安い飲料水やお菓子などをビンゴカードと物々交換する!!」

「おぉ~、二日目来るか悩んでる人もいると思うしー、元々無料のカードで交換なら結構な人がカードを渡してくれるかもねー」


 猫屋の発言はもっともだ。メイ祭という催し物は、まだ1回生のため参加したことがない俺の耳にも"つまらない"という噂が聞こえている。二日目来るか迷う人もでるだろう。


「いやその前に、どうしてお前がそんな服持ってるんだよ?」


 そもそもの疑問。普通、実行委員の服など毎年新たに作るものだろう。俺たちには当然、実行委員の知り合いなどいない。出所が不明だ。


「あぁ、シャツの発注先など毎年同じ所であろうと思って調べてみてのぅ。そこに電話して『発注枚数を間違えた』と噓をついて4着ほど追加で作ってもらった」

「相変わらずとんでもない行動力だな……」

「褒めるな、褒めるな」


 カカカっと愉快そうに笑う彼女。俺は褒めたつもりはない。その行動力の源がどこからくるのか疑問に思っただけだ。


「委員に偽装はいいアイデアだと思うよ。一般生徒がやっていたら不審がられそうだし。だけどもし、バレたら少し面倒じゃないか?」

「なに、前祭終わりに大学の外でやる。実行委員の奴らは翌日の準備と車の誘導作業で手が一杯で気づかんであろうよ」

「たしかにそーかもー」


 意外にも緻密に練られた、ビンゴカード牛耳り作戦。

だがまだ穴は合った。


「ちょっと待てよ、それでカードが全体の半数近く集まったとして、そのチェックに時間がかかるようじゃダメじゃないか?」

「…………あ」


 やはり安瀬は気づいていなかったようだ。景品を選ぶ権利が先着順というのなら、250枚など膨大な数をチェックしている間に先にビンゴする人は現れるだろう。

というか人力でこなすにはきつい量に思えた。また、その枚数をチェックしている事がバレて怒られる可能性もある。


「いや、それも問題ないね」


 西代が俺の懸念をきっぱりと否定する。


「なに? どうして?」

「フフフ、僕らは情報学科生だよ? あらかじめカードに書かれている全ての番号を変数に格納しておいて、プログラミングコードでチェックするようにすればいい」

「……たしかに」


 俺は思わず口元を手で押さえて真剣に考えた。確かに、西代の言っている事は実現できる。まず集めたカード1つずつに番号を割り振る。そして抽選番号をチェックするプログラムを作り、ヒットしたカードの番号を俺たちは懐から出すだけでいい。


「ビンゴの当たりをチェックするありきたりなプログラムなんて、ネットに転がってるだろう。僕たちは前提情報の打ち込みだけすればいいはずだよ」


 250枚分の前提情報の打ち込みは凄い量だが、4人でやれば3時間程度で終わる。

ビンゴ大会自体は後祭の最終イベント、時間には余裕がある。


「UIはちゃんとしてるものがいいな。C#でいいのがないか探してみる。見つからなかったとしても僕が作っておくよ」


 なんとも頼もしい西代さんのお言葉。プログラムが無ければ自作すると発言するとは……


「に、西代ちゃんが輝いてるー。私より単位落としてるくせにー……」

「失敬な。僕はプログラムの授業だけなら最高評価を貰ってるよ」

「流石、西代ぜよ。ギャンブラーは数字に強くなければならんからの」


 コイツ、俺より頭いいのに何で単位落としてるんだろう。サボりすぎが原因か? 

なんにしても意外な西代の機転によって問題は完全に解消されたように思えた。


 だが、まぁ、しかしだ。


「いやまだ、1つ問題があるぞ。人間として、とても重要な問題だ」

「え、なんだいそれ……?」


 褒められてご満悦だった西代が不思議そうな顔で俺を見る。


「そもそも、こんなみたいな事していいのかよ。一応、実行委員の奴らは全力で頑張っているわけだし」


 それは道徳的な問題。確かに成功すれば俺たちはかなりの収益を上げることができるだろう。だがそれは真面目な実行委員の奴らの気持ちを踏みにじる行為になってしまうように俺は感じた。


「なぁ、陣内よ……」


 いつになく真面目な事を言う俺に、何処か怒ったような表情で安瀬は問いかけた。


「お主はは毎年どこから出てくると思う?」

「……? えっと、普通に考えたら部費や寄付金とかか?」


 まさか実行委員の奴らが身銭を切ってまで用意する事はあるまい。

安瀬が書いた去年の景品の合計額は確実に30万を超えている。


「この学際に募金活動による集金は行われていない事は調べがついておる」

「なら単純に部費で全額まかなってるってことか」

「そうじゃ。では、部費とは何から支給されているものでありんすか?」

「……まさか」


 そこまで言われて俺はハッとなった。


「気づいたようじゃの」


 部費をだしているのはもちろん大学に決まっている。そして、その大学にお金を払っているのは俺たちの親だ。つまり……


「つまり、今年でる豪華な景品群は元をたどれば、俺たちの親の金で買われていると……」

「その通りぜよ」


 俺の心に絶叫が響いた。授業に使われるのはもちろんわかる。部の活動費に費やされるのもまだわかる。部活動は俺たちの自由意志で参加していないだけなのだから。

しかし、学外の誰でも参加できるビンゴの景品に親の金が使われるだと……?


 俺の心には怒りにも似た感情が沸き上がっていた。

周りをよく見ると、猫屋と西代も同じように険しい顔つきになっている。


「やるにゃー」

「一番高額なのを4つほど僕たちに返してもらおう」

「よし、俺もやるぞ」


 二人の返事もあってか、俺の心の憂いはきれいさっぱりと消え去った。


「決まりじゃな!!」


 全員の意思の統一がなされたところで安瀬が場を締める。


「では各々方! 文化祭の日は我とともに戦に参るぞ!!」

「「「御意ぎょいに!!」」」


 俺たちはその場にひざまずいてかしずいた。今から俺たちは来週の戦に向けて各々牙を研ぐ事になるだろう。準備する事は意外と多い。バイトの休みを取るのも少し面倒だ。だが、俺にとって初めての大学の文化祭はとても楽しい物になるだろう。


 そんな予感がした。


************************************************************


 決戦当日。戦場である大学校内は中々の賑わいを見せていた。

つまらないと噂していたのは内情を知る学生だけで、一般客の人気は意外とあるようだ。大学の講義が少なくなった3,4年生たちが参加していることもあるのだろうか。彼らの娯楽は今の時期は少なそうだし。


「ふん、一般民衆どもがいい気なもんぜよ」

「その通りだな」


 俺たちはその多すぎる人に辟易として、佐藤先生の研究室に逃げ込んでいた。

先生は忙しくしており今はいないが、使用許可は予め取ってある。

 

 佐藤研は本館と別にある教授専用の建物の2階にある。その窓から有象無象を見下す俺達。彼らは売店で購入したであろうお祭り価格の飲食物を持ち歩いて、親族や友人と楽しく笑っている。


「あいつらは敵さ。僕らの物であるはずの景品を狙う卑しい盗人どもめ……」

「そ、そう言われれば、なんか全員凶悪な顔に見えてきたー……」


 眼下に広がる無数の大群。あいつらのカードをもぎ取ることこそが今回の俺たちの目的だ。


「そろそろ委員がカードを配りだす頃だな。変装の準備は整ってるよな、安瀬?」


 今回の初めのミッションは、愚かにもカードをばらまく実行委員の奴らからカードを騙し取ることだ。彼らには自らが配っている物が金券という自覚がないらしい。


「ふふふ、もちろんぜよ。準備は抜かりないである」


 自信満々な安瀬。そうして家から持ってきたであろう段ボールを開けた。どうやらその中に変装グッズを入れてきたらしい。


 中には、鼻眼鏡、バーコードのカツラ、馬面の被り物、バニースーツ、スクール水着、ふんどし、新選組と書かれた羽織、踊り子の─────


「何、用意してんだよ馬鹿ッ! こんなんで外で歩けるか……!!」

「安瀬ちゃーん? ふざけてるのー? ねぇ、ふざけてるんだよねーッ!?」

「っは!? し、しまった……! いつもの癖で罰ゲーム用の変装グッズを用意してたでござる!!」

「お、終わった……」


 俺たちの戦は開戦を待たずして終了した。今日の為に用意した、飲料水やお菓子はどうすればいいというのだ。すでにそこそこのお金を払ってある。


「なーんちゃって、でござるよ!! 流石の我でもそこは間違えたりせんでありんす」


 そう言って、彼女は横に置いてあったもう1個の段ボールを開封する。

その中にはちゃんとした変装グッズが入っていた。


「マジでぶっ殺すよ、安瀬」

「あーぜーちゃーんー……!!」

「どうやら、死にたいらしいな」


「あ、あはは、悪ふざけが過ぎたでやんすよ。も、申し訳ない……」


 俺たちの怒気に怖気づいたのか、安瀬は素直に謝罪した。

今回は俺たちの大切なお金がかかっている。ふざけていい時ではない。


「はぁ……とっとと行こうぜ」

「やる前から少し気疲れしたー」

「僕もだよ」


「ご、ごめんって言ってるではないか~~!!」


 俺達は各自変装グッズを手に取り、半泣きの安瀬を置いて佐藤研を後にする。


************************************************************


 第1作戦は思った以上の戦果を挙げ、当初の期待以上の枚数が集まった。


 実行委員の奴らは本当に忙しそうにしており、ビンゴカードなどはさっさと配ってしまいたそうだった。そこに目ざとく気が付いた西、ニセの実行委員の衣装を着て『半分配るのを手伝うよ』っと言葉巧みにビンゴカードを掠め取ったのだ。


 学祭実行委員会の人数は50名を超える。それに今は外部の学祭サークルからも応援に来ている者もいる。なので、衣装さえ着ていれば疑われる心配はなかった。


 俺たちがなぜそんな事を知っているかというと、もちろん調べ上げたからだった。

安瀬が言うには『敵を知り己を知れば百戦危うからず、孫子の言葉じゃ!!』だそうだ。しかし、実際に役に立った。


 奮戦の結果、驚くことに110も俺たちの元に集まっていた。まさに大富豪。俺は万引きに手を染めてしまったような、妙な興奮とスリルを味わっていた。


「ふふ、いいのかよ、こんなに集めて。もうこれ絶対勝ったろ」


 俺はニタついた気持ち悪い笑みを浮かべて戦利品を見る。

だが、興奮しているのは俺だけではないようだ。


「グヘヘー、ゲーム機、洗濯機、冷蔵庫……いくらになるんだろー……!」

「ハァハァ……やはり僕は博打の天才! 発想と肝の据わり方が常人とは違う」

「ウヒヒ、西代のファインプレーであったな。しかし、勝って兜の緒を締めよ。まだまだ荒稼ぎするぜよ!」


 大金に目の眩むとはこのことであろう。

だが、俺たちのやる気はかつてないほどに高まっていた。


「今からもうゴミ箱も漁りに行くか?」

「いや、まだ配られたばかりでそんなに時間が経ってないよ。客が少し帰り初めてから見回りに行こう。すでに学内のゴミ箱の位置は全部リサーチ済みだ」


 西代が焦った俺に冷静な意見を投げかける。こういった事では頼りになりすぎる奴だ。さすがは西代さんモード。今は俺も見習おう。

俺が感服していると、安瀬が口を開いた。


「なら、少し休憩するでやんす」

「あ、僕さっきタピオカ売ってるところみた。ちょっと美味しそうだったよ」

「俺も甘いものが飲みたいかも」

「私、飲みたーい」


「「「なんだそれは!?」」」


 猫屋の恐るべき発言に俺たちの浮かれた気分は吹き飛ばされた。


「お前、味音痴だとは思ってたがそこまでヤベーやつだったか」

「ドン引きでござるよ、猫屋」

「本当に同じ人間かい?」


「い、いやいやっ! 待って、マジで美味しーんだって!!」


 俺たちの侮蔑を受けて、猫屋は焦って否定の言葉を出す。

普通に意味が分からない。タピオカは飲んだことがあるが、あそこに日本酒をぶち込むという発想がまず理解できなかった。


 彼女は口早にタピオカの日本酒割りとやらの魅力について説明しだした。


「タピオカってー、要するにミルクティーじゃん? そこに日本酒を入れてみるとカルーアミルクみたいな味がするんだよー……!」


 一応、世の中には紅茶リキュールを牛乳で割ったティーミルクというカクテルは存在している。確かにミルクティーにアルコール成分を足せば似たような味にはなるとは思うが。


「タピオカをモチモチ噛んでたらー、なんか次の一杯が欲しくなってきてー」


 本当か……? 俺たちは半信半疑で猫屋の続く言葉に耳を傾ける。


「お酒が勝手に進んで行く、……みたいなー。意外に美味しいんだよー……?」

「「「………………」」」

 

 猫屋を除いた三人は思わず顔を見合わせた。

一応、まともな説明にも思えなくはない。日本酒と他の飲み物の親和性は実は高く、ヨーグルトやオレンジジュースで割っても美味しい。

だが、タピオカに日本酒……


「一端の酒飲みとして、試しておく、か……?」

「え、マジでござるか?」

「うん、まぁ、まずかったら、猫屋に残飯処理してもらおう」


 俺たちは日本酒の可能性に賭けてみることにした。


************************************************************


「……飲めるな」

「そこそこ美味いね。僕は気に入ったよ」

「う、うそであろう!? 拙者はなんか微妙なんじゃが……?」


 未知との邂逅かいこう、今の俺の心情を語るとそんなところだ。

確かに、安物のタピオカが口内の水分を吸い取って余計に酒が欲しくなる。

それに甘くて飲みやすくはある。人を選ぶようだが甘党の俺には悪くはない。


「でしょーー!! 誰が味音痴だってーの!」


 猫屋は俺達の評価が、意外にも好評なことに得意気だった。


「猫屋に物を教わる日が来るとはな」

「確かにね、でも何でこんな変な飲み方知ってたんだい?」

「私の婆ちゃんがやってたー」


 恐るべき猫屋一族。なんてファンキーなお婆ちゃんだ。というか、コイツの肝臓の強さは遺伝的なものか。なんか納得した。


「なんか変なもの飲んだら、煙草が吸いたくなってきたで候」


 安瀬が不満そうにニコチンを所望する。


「ハハハ、じゃあ喫煙所に─────」



うめちゃん?」







 俺の息が止まった。






 ザァァァアアア!! ザァァァアアア!!! と嫌な記憶が際限なく溢れ出してくる。


 俺を『梅ちゃん』と呼ぶ人物はこの世に唯一人しかいない。心臓が痛いほど跳ね打つ。不整脈だ。気持ちの悪い嫌な汗が額から溢れ出した。


 俺はゆっくりと声の方へと振り返る。


由香里ゆかり……?」


 そこには俺のかつての恋人がいた。


************************************************************


 視界がグルグルと回る。天地が逆さまになったかのように不安定だ。

酔ったわけではない。ただ吐き気をこらえるのに必死なだけだった。


「陣内?」


 安瀬が俺の顔をうかがって不思議そうに顔を傾けた。

俺はそれを見て少し平静を取り戻す。


 そうだ、今はこいつらがいる。情けない態度は────


「梅ちゃん……!」


 由香里が笑顔で俺に近づいて来る。

ギュッと心臓が握りつぶされたような気がした。


「久しぶりだね! えっと、以来だよね?」

「え、あ、そう、だな……」


 俺は何故か当たり前のように返事をした。

あの時とは最後に公園で話した時だ。


「なんか大人になったよ、梅ちゃん!」

「う、ぁ、……ありがと、う」


 俺は何故かお礼を言った。

嬉しくはなかった。


「私ね! 今年から大学の学祭実行サークルに入ったの。だから今日はこの大学の応援に参加してるんだ!」

「そう、なんだ」


 由香里は俺の地元近くの大学に進学した。俺はコイツに会うのが嫌で、地元から離れたこの大学に入学したんだ。


「でも本当に偶然!! 梅ちゃんここに入学してたんだ!」

「……あ、あぁ」


 なんだ、この、馴れ馴れしさは……?


「良かった! があったからさ、本当に心配してたんだよ!」


 その原因はお前にあったはずだ。


「私は今、梅ちゃんが幸せそうで嬉しいな!!」

「ぉ、……ぁ」


 なのに、なんで……なんで、笑って……


「文化祭! 楽しもうね!!」


 


 その時、遠くで由香里のことを呼ぶ男の声が聞こえた。


「あ、ごめんからいくね? じゃバイバイ、梅ちゃん!」



ザザeザぁぁァァアアdsaアアアアア、アアaアアアlajアアアアアア!!!!!!




 気づけば視界は灰色に埋め尽くされていた。




************************************************************



「……い、……な……、い、陣内っ! どうしたっ!! 陣内っ!!」


 俺は意識をぼんやりと取り戻した。立ちながら意識が飛んでいたようだ。

安瀬が俺の胸倉を握りしめて、何かを大声で呼んでいる。


 心臓があり得ない速度で脈を打っていた。それに釣られてか呼吸も激しく荒い。

まともに息をしようと意識する。しかし、その行動は空廻ってしまい余計苦しくなるだけ。どうやら、この苦しさは過呼吸のようだった。


「いま、西代が人を呼んできてくれてる!! 大丈夫じゃ! しっかりしろっ!!」


 目の前の安瀬が何かを話している。心配してくれてるようだった。

俺は彼女に心配をかけたくなくてニッコリと笑った。


「だい、じょ……ヒュっ…………大丈夫だか、ら」

「喋るなッ!! しっかり……しっかり息をしろ!!」


 ようやく彼女の声が聞こえてきた。……少し安心する。

『息をしろ』っと言っているようだった。


「ハァハァ……ゲホッ! ……っ…………すぅーー、はぁーーーー」


 過呼吸は安瀬の声のおかげで簡単に収まった。

別に大したことはない。昔、


「はぁ……はぁ……」


 それでも一度乱れた呼吸は簡単に治らず、荒い呼吸を繰り返す。

ちょっと恥ずかしい。


「じ、陣内……ごめっ、私……なにもっ……!!」


 猫屋が俺を心配そうに見つめていた。その視線が今は堪らなく痛い。

ごめんの言葉は聞こえていないふりをした。


 俺は大きく息を吐き、吸い込む。

空手の息吹と呼ばれる呼吸法。過呼吸になった時、医者はコレを俺に勧めてきた。

効果は高い。まぁ、それができる精神状態にあればの話だが。


「はぁー…………、落ち着いた。すまんな、急に」


 俺は極めて冷静を保ちつつ、何でもない様に返事をした。

そして、言葉を続ける。


「まぁ、その……な。本当に迷惑かけてごめん。西代も連れ戻してくれ」


 俺が意識を失っていたのは10秒にも満たない間だろう。その間に彼女は状況を察して駆け出してくれたようだ。ハハハ、流石、西代さん……


(こうやって恩人を茶化す、自分が本当に嫌いだ)


 彼女には素直に心から感謝すべきだ。西代は俺の事を心から心配したから、この場にいないはずだ。こんな腑抜けだから、今も彼女らに心配をかけている。


「悪い……ちょっと、酔って気分悪いかも」

「ぁ、あぁ…………そ、そうでありんすな! ちょっと休むでござるよ!! 一緒に付き添うから……な?」


 俺を気遣うように、言葉を選ぶ彼女。情けない。いつも天真爛漫で明るい彼女にこんな気を遣わせる、俺自身が本当に情けない……たかが、振られた女に会っただけだぞ。


 俺は安瀬から少し視線を外した。彼女の優しさが今はつらかった。


「すまん、……ちょっと先に帰るわ」


 そう言って、安瀬の手を振りほどいて背を向ける。


「ぁ、……うん」


 彼女の消えそうに小さな返事を聞いてから、俺は逃げるように走り出した。


************************************************************


「はぁ……! はぁ……! はぁ……!!」


 俺は家に向かって全速力で走った。しかし、体力がすぐに底をつく。過呼吸を起こしていたのだから当然だ。大学外のいつもの帰り道の途中。俺は徒歩5分の我が家にすらたどり着けずに、足を止めた。


「はぁはぁ……くそっ」


 俺は自分に悪態をつきながら、ポケットに入れた煙草とライターを取り出す。

今は何でもいいから、思考を鈍らせるモノが欲しかった。


 煙草を咥えて、ライターのフリントを回す。

ジュッと音がするだけで、火は付かなかった。


「……ッ」


 ガスが切れていた。


「くそっ……!!」


 俺は思いっきり、使い物にならないライターを地面に叩きつけた。

物にあたらなければ、この苛立ちを抑えていられない。


「陣内っ!!」

「っ……!?」


 背後から猫屋の声が聞こえた。

俺は慌てて振り返る。今、一番見られたくない友人にこんな姿を見られた。物にあたる姿などなんとも惨めで情けない。


「えっと、あの……」


 猫屋はいつもの緩い口調が完全に消え去っていた。慌てて走り去った俺を心配して追ってきてくれたようだ。だが、俺の事情を3人の中で唯一知っている彼女と今は話したくなかった。


「あの……さ」

「……はぁ……はぁ、なんだ?」


 俺はだらしなく息を切らしながら猫屋の言葉を待った。息一つ切らしていない彼女の姿が何故か少し、俺の苛立ちを刺激した。


「あの人が……前に言ってた彼女さんだよね?」

「っ」

「ご、ごめん! 変な事聞いてっ!! ア、アハハー……」


 猫屋のカラ元気が誰もいない歩行者道路に響いた。

彼女のそんな顔など、本当に見たくない。


「あぁ、その通りだ。悪いな、心配かけて」


 俺は精一杯強がって笑顔を作ってみせた。うまく笑えたかは分からない。


「………………っ」


 どうやら失敗したようだ。猫屋は悲痛な面持ちで俺を見ていた。

本当に無能でどうしようもない男だな、俺は。


「あ、あの、ね? 辛い時はその……」


 そう言って、猫屋が俺のそばに近づいてくる。

俺は彼女が底を抜けて優しいのを知っている。きっと俺を元気づけようとしている。


 猫屋が俺の手を優しく握ってきた。


「誰かがそばにい────」


ザザァァァアアアアアア!!


 反射的に俺は彼女の手を払っていた。


「え、あ……」

「あ、……」


 最低な事をした。俺は本当に最低な事をした。

猫屋は俺を励まそうとしてくれていた。

……!!


「わ、わるっ」


 謝ってどうなるのだ? ほら、彼女は傷ついた顔をしている。

俺はゴミだ。最低の最悪のクソゴミだ。


(あ、明日になったら、謝る)


……は? なんだそれは?


「あ、明日になったら、平気だから」


 取り繕って、口に出してしまった。

だからそれはなんだ……!! 彼女に失礼だろうが!!


「ご、ごめんな…………あ、ありがとう、気遣ってくれて嬉しかったよ」


 目から涙がこぼれだす。

言い訳の様な言葉しか出せずに、俺は猫屋の前から走り去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る