その3 昏倒の勇者を見守るヒロインたち
豪奢なベッドに横たわっている男の息はあまりにかすか過ぎて聞こえない。掛けた布団がわずかに動いているから呼吸をしているのだと分かるくらいだ。
若い魔女が青い顔でベッド脇に魔法陣を書いている。
動物耳の少女が男に泣きついている。
女剣士はしかめっ面をしたまま腕を組んで歯を食いしばっている。
エルフは何かにとり憑かれたように、あえぎあえぎ呪文を口にしている。
メイドが入って来た。ベッドを取り囲んでいる彼女らに「少しでも」とスープを持って来たのだ。彼女らはここ数日物をろくに食べていない。彼が意識を失ってからずっと。
メイドと共に入って来た女薬師がメイドの代わりに彼女らを咎めた。
「彼が目覚めたとき、君らの一人でも憔悴していたら、彼はどう思うだろうか」
薬師とて調剤した薬剤を彼に処方する時、ぐっと体に力を入れてからするのだ。震えないように、涙を流さないように。
彼は戦った。戦士として、国を、世界を守ったのだ。魔獣と戦い、多眼の巨人と戦い、ドラゴンと戦い、そして、魔王の魔の手から。人々の安寧は、彼の昏睡と引き換えに訪れたのだ。魔王との戦闘による負傷だけではない。国の叡智を結集しても、毒らしきものとしか言えない影響が現れていたのだ。あるいは魔王の魔術かもしれないと、推定はできた。が、救国の戦士を回復する術がまるで見つかりはしなかった。エルフが呪文をただただ唱えるだけ、という現状が、予断を許さない容体を示していた。
救国までの旅を彼女たちは思い出す。今、男は言葉を発しない。けれど、彼との思い出はほんの一言二言で終わるような類のものではなかった。叙事詩にしたらどうだろう。物語にしたらどうだろう。さぞかし一冊では終わるようなものではないだろう。その旅で男と彼女たちの間には確かに絆があるのだ。その絆を他のどんな言葉で言い換えてもかまわない。けれど、それは絆が元になるのだ。だからこそ、彼女らは男の回復を願って止まないのだ。男がこと切れたとしたら彼女らの悲哀はいくばかりだろう。吟遊詩人ですら語ることはできないにちがいない。彼女らがかなしみを背負い生きる。男の本意では決してないだろう。旅の中で彼は言っていた。「君たちの笑顔が好きだ」と。彼女たちも鮮明に覚えている。だから、彼女らは信じているのだ。男が意識を取り戻すことを。だから、彼女らは待っているのだ。
――起きよう!
男は他でもない私自身だ。
ベッドに横たわっているのと同じ男がいると言うのに、室内の誰も気づかない。
肩を叩かれた。横を見ると女神がいた。水中眼鏡でも上にあげるような動作をした。まねてみた。もう室内ではなくなっていた。
私がどんな顔をしていたのかははっきりとは知れないけれど、女神はなんだかあきれるように見つめていた。足元の小さなテーブルに今しがた外したゴーグルを置いた。VRゴーグル以外の何物でもない物を置いた。両手を少し持ち上げた。コントローラーから親指を外した。右手のボタンは金色だった。左手のボタンは銀色だった。
「どっちのボタンを押したんでしたっけ?」
叫ぶように早口に言った。それを聞くと女神はうんざりしたような表情で肩をすくませ、小首をかしげた。女神は苦笑いをしていた。
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