5話 群青色 

 喫茶〈まつの〉に入った。沢野先生が「いつもの」というと、良子さんはコーヒーを淹れはじめた。

 琴子は、紅茶にしようと思ったが、先生の飲むコーヒーがどんな味なのか気になりコーヒーを頼んだ。良子さんの淹れるコーヒーの味は特別おいしいというよりか、普通の味だった。けれど、ちょうどよいほろ苦さで、この店の雰囲気に合っていた。


「先生の子供の頃はどんな感じの男の子だったのですか」

「わたしかい? ええと~よくいる普通の男の子だと思うよ」

「そんなことないです。日ノ国の普通の男子は自分が上だと意識高くて、父上も弟も、威張っていて嫌なんです。まあ、弟はそのように育てられたからだと思いますが、でも先生も土田さんも優しいと思います」


「なぜだろうね。きっと、わたしもつっちーも、じゃない方の人間だったのかもしれない。わたしは色盲で軍人から爪弾き、つっちーは会社で働くには不向きな人間だ」

「……」

「男子たる者、こうあるべき、なんて男性像に抵抗しているのかも。素直じゃないんだよ。優しいというよりか、ひねくれた人間で、他の男たちは、何の疑問を持たずに素直で真っ直ぐだな。――弟もそうだった」

「……」

「わたしはね、男が偉そうして女子に優しくしないのはおかしいと思うんだ。だって元は母から生まれて育ててもらって、わたしは母を尊敬しているのだよ」

 四角い黒ぶちメガネの奥はキレイな瞳をしていた。

「……」


「――あ、いやぁ。わたしは何を言っているんだろう。ははは」

「ふ、ふふふ。沢野先生ったら」

 お互い笑ってしまった。



「じゃあ、次は個展の前日が最終日だな。琴子くんにとってはあまり意味のないデェトだっただろうけど、最後くらいはちゃんとした場所に連れて行こうと思う」

「沢野先生、本当になんとお礼をいっていいか……」

「いやーわたしは楽しかったよ。ひさしぶりに若い女子とデェトできて得した気分だった」

「じゃあ……」


 手を振る。夕方の温かく湿った風が流れた。遠くの木々が騒ぎ出す。薄暗く黄昏時で先生の顔はよく見えなかった。


 ……次で最後のデェトか。


 これで、個展が終われば沢野先生に会うのも、もしかしたら二度とないのかもしれない。私は、高ノ倉家で花嫁修業をする。心の花がすぼむような気がした。



 ***



 家に帰ると、父上の機嫌が相変わらず悪かった。先月の、高ノ倉家の自分に対する扱いが軽いと思ったのかもしれない。恥をかいたと、怒りがおさまらない。


「高ノ倉家は気に入らない。何様だ!」

「おい、なんであんな軽薄そうな男とお見合いさせたんだ」

「あれから琴子に連絡もよこさんと、ワシは結婚を認めんぞ」


 そう言って、体調崩した母に当たり散らす。ああ、もう、結納をして、もうすぐ高ノ倉家に入るというのにうるさいな。気に入らないなら断ってほしい。結納金も返納すればいい。本当に断ったら困るくせに。出来もしないのに、なぜ女の私たちにあれこれ言うのか。



 ***



 お昼過ぎ、三面鏡の前に座る琴子。母に貰った白粉を少しだけはたく。紅をさしてみたが、恥ずかしくなって拭った。

 とうとう、個展のお手伝いも最終日となった。ちゃんとしたデェトに連れて行ってくれるらしいので、服は明るい、空色のワンピースにした。


「姉さんは、この婚姻がなくなればいいと思っているの?」


 体を壁にあずけ、腕を組み、宗次むねつぐがまた琴子に絡む。

「別に、私が何か言ったところで変わるの?」


「違うよ、僕が言いたいのは、最近、なに浮かれているんだよ、姉さん。婚約者に会いもしないのに……。なあ、変な考えを起こしているんじゃないよな?」

「だから、そんなの宗次に関係ないでしょ」

「関係あるよ! 僕は松野家の次期当主なんだ。もし姉さんのしでかしたことで変な噂が広まったら、村にいられなくなるじゃないか」

「あんたって、本当に自分のことばっかりね」

「当り前だろ。姉さんは家を出れば済むかもしれないが、僕はここに一生縛られるんだぜ、僕の身にもなれよ」


(宗次も、苦しんでいるとでもいうの?)


「……じゃあ」

「なんだよ」

「じゃあ、そんなに嫌ならここから出ればいいでしょ」

「僕が出るわけにいかないんだよ。ここで一生暮らす覚悟がある、支援してもらえるとはいえ、ずっと姉さんにぶら下がっているんじゃだめだ。高ノ倉に頼らず僕が養っていくんだ。家族に肩身の狭い思いをさせられないだろ」


「……」


「宗次のいうことは、分かったわ。けど、あと一回、個展のお手伝いがあるから、それだけは行かせてよ」



 ***



 「いやー。おいらは明日まで徹夜だけど、もうめどはついた。さわ。琴子殿、あとは上がってくれ」


 土田は沢野先生と琴子にお礼をいう。土田はお風呂も入っていないのか、ボロボロの恰好だ。このあと銭湯に寄って、身綺麗にしてから、明日の個展に向けて最終段階にきていた。

 土田の展示作品を見ると、見るもおぞましい裸婦画から、繊細な風景画、ペンキをぶっかけたような作品まで、繊細なのか大胆なのか琴子には難解すぎて理解不能だった。


 土田の展示の左奥に学生の作品と琴子の絵も展示してあった。

「明日は人がたくさん見に来てくれるといいですね」

「琴子くん、今日まで手伝ってくれて、本当にありがとう。よかったら明日は顔をだしてくれるかい」

「……沢野先生、明日の個展は家の都合でいけないです」

「そうか、残念だなぁ」


「だから、私の絵は展示後、好きにしてください」

「……わかった。じゃあ、時間余ったし、約束通りデェトしようか」

「はい」

「琴子くん、帽子を深く被っておくれ」

「はい」

 空き店舗を出ると、駅に近い駐輪場に自転車が一台、置いてあった。


「これに乗って、行こう」

「二人乗りって……。一応、先生でしょ?」

 琴子はあきれたように首を傾げる。

「細かいことは気にしない。さあ、乗った、乗った」


 チリーン

「きゃ」

「しっかりつかまって、飛ばすぞ、琴子くん」

 風が吹く、琴子の髪はゆれる。自転車はぐんぐん進む。商店街を抜け、堤防へ出る。沢野先生にしっかりしがみつく。空を見上げると群青色だった。先生にはどう映っているのかな。


「風が気持ちいい」

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