4話 琴子の絵の少女

 喫茶店でコーヒーを待っている間に沢野さわの先生はいう。


「わたしは、琴子くんの絵がすきだったのは……」

「え……?」


 沢野先生の言葉に、琴子はどきりとした。


「――ああ、琴子くんの絵を推したのは、いつも全体的に華やかな色彩ではないが、一点だけ、鮮やかな赤色をさすだろ。わたしは青色の色盲だけど、赤は認識できる。それだけは印象的に見えてね」

「……」


「父は日ノ国海軍の航空操縦士だ。だから息子であるわたしを軍人にさせたかった。あろうことかその息子は色盲で軍人の試験は落ちたんだよ」

 表情を変えないのに、黒ぶちメガネの奥の沢野先生の落胆が伝わる。


「でも、沢野先生が軍人って、似合わないです」

 なぐさめのような違うような、気がついたらそう言っていた。


「……だろう、わたしには向いてないからちょうどよかったんだけどね、ははは~。かわりに弟が軍人になったよ」

 また、頭をかきかきして髪がぼさぼさになる。


「だけど、父は、軍人の中でも高い階級だったので、その息子が一般企業では許せなかった。聖職と呼ばれる職業に就かせたかった。美術専攻だったから、権力を最大限利用して、どうにか、わたしを地方の先生にねじ込んだんだよ。青色が分からないから最初どうなるかと思ったが、指導師は他にもいるから色に関しては意外と何とかなっている」


「はい、お待たせ」

 良子さんはコーヒーと紅茶を置いた。コーヒーは白のカップ、おまけのであられ付きだ。紅茶は花柄のカップに輪切りのレモンが小皿に乗っていた。


 ゆれる湯気を見ていたら、沢野先生は呟くように言った。

「琴子くんは……」

「はい」

「今まで、風景画が多かったのに、どうして金賞を獲ったあの絵だけ、人物画だったのかな。力強く、向かい風に吹かれる女子のうしろ姿が凛々しくて、頼もしくもあり、とてもよかった」

「ありがとうございます。あのころ私は、お見合いが嫌で、敷かれた道を歩くことに抗いたいと思っていたので、あれは……夢をかなえようとする……。ゆ、友人を描いたのです。でも結局、私は結婚するしか道はなかった―」

「そうだったのか……」

 紅茶にレモンを浮かべ、一息ついた。


 しばらく美術の話に花を咲かせていた。沢野先生はとても研究熱心で特に大陸美術の造形が深く、話は飽きることなくとても楽しかった。楽しい時間はあっという間にすぎ、その日のデェトはお開きとなった。



 ***



 次の日曜も、土田の空き店舗でお手伝いをすることになっていたので、引っ越しの準備を早々と切り上げ、動きやすい服装にして急いで玄関で靴を履いていた。


「最近、どこに行っているの?」

 振り返ると不機嫌そうな、弟の宗次むねつぐが腕を組んで聞いてくる。


「どこだっていいでしょ。いちいち話しかけてこないで」

「好きな男でもできたのか?」

「は? な、なに言っているのよ。ませガキ」

「お前さ、松野家に恥じないような行動をしているんだろうな。嫁入り前の娘が」

「ばか。何か勘違いしていない? 中学の生徒が作品を展示するからその準備の手伝いよ」


 カラガラ……バタン!

 勢いよく玄関扉を閉めた。腹が立って、いつもより早足で道路を歩いている。昔は私にひっついて離れないかわいい弟だったのに、すっかり父上に似てきて、女を下に見るような目で見てくる。あれだけもてはやされていたら無理もないか。


(なんなのよ。松野家に恥じないって、別に……先生に会うだけだよ)


 昼下がりの空き店舗は日差しが緩やかに入り、光に包まれた先生を見つけた。個展の準備をしていた沢野先生が琴子に気がつく。


「悪いな、琴子くん、朝日橋まで迎えにいけなくて、つっちーに画材の買い出しを頼まれちゃってさ、それで」

「いいえ、もう道も覚えたし、だいじょうぶです」

「そうか、早速だが、もうすぐ生徒が来る。つっちーは放っておいて、生徒の作品を設営して展示するため、琴子くんもどこに置くか生徒と相談してほしいからこっちを手伝ってくれ」

「はい」


 動きやすい服装で、かっぼう着をきた。

「じゃあ、とりあえず、掃除から」

 前回、キレイにした床は土田がまたスケッチや新聞、絵具が散乱していて、元の木阿弥。また最初から掃除をはじめる。しかし土田が奥の作業部屋にこもってしまい出てこないので、思ったようには進まなかった。とりあえず、明らかにゴミだけ片付けてみた。

 個展は、あと一週間後だ。琴子は散らかったままの床の掃き掃除と整頓、沢野先生は壁にペンキを塗り、キレイに仕上げていた。


 ガラッ

「せんせー来たよ~。あれ?琴子先輩もいる。こんにちは」

「こんにちは」

「おー! 待っていたよ」

 美術部の後輩である中学三年の男子生徒がやってきた。

「さわー。まさか琴子先輩を口説いているの?」

「こら、ちがうよ。ほら、琴子くんは御曹司くんとの結婚が決まっているだろ。彼女の金賞の作品も展示するし、手伝ってもらっているだけだ」

 生徒は沢野先生をからかい、頭をかきながら先生は笑っていた。三年間、芸美ノ術科で美術部だったが、先生は生徒にからかわれることが多い。でも怒った顔をみたことがない。

 彼らは自分の作品を持ってきた。琴子は作品を飾る場所や配置を考えることになった。

「じゃあ、どんな絵か見せて」

 一人目の子は男の子らしい鉄道の絵だった。

「迫力ある構図ね」「でしょう~琴子先輩」

「次、見せて」

「これはこの前、空襲があった時の〈東の地〉の空」

「そっか、うん、なかなかよく描けているよ」

「やった。琴子先輩にほめられた」

「じゃー次は?」「天使だよ」

「いいわね。かわいい。これはなんで描いたの?」

「これ、死んだ人の魂」

 この前、〈東の地〉は空襲があり、聖獣隊が神業で壱ノ国をねじ伏せ、今は停戦状態になった。被害は少なかったものの、犠牲者が出たので、その絵を描いたのだろう。

(美和ちゃん達は無事だと日路里家から聞いたけど、大変だったんだろうな……)


「おーい。琴子くん」

 のほほんとした沢野先生の声が聞こえた。

「はい」

「今日は、ペンキを塗ったばかりだから、乾くまで壁にかけられない。生徒の絵は預かるとして、このあとは、つっちーと夜まで作業にかかるから、一旦、休憩しよう」

「わかりました」

 沢野先生と琴子は商店街をゆっくり歩き始める。緑が青々と茂り、風も吹き気持ちよい午後だった。


「またまた、こんなへんなデェトでいいのかな?」

「はい、全然、かまわないです」

 琴子の足取りも軽やかだ。

「うーん、君の婚約者の御曹司くんは、どこかで会ったような気もするが……」

「そうなんですか?」


「いや、わからない。でも―。こんな感じでデェトってなぁ……。御曹司くんの要望はひょっとして、琴子くんには好きな人いると仮定して、その想いに決着させるために、言ったんじゃないのかな。琴子くんはまだ十六歳で、一年後の十七歳の年で結婚だろう? 結婚を断ってもいいと言ってくれているのだから、成就させてあげたいという夫ごころ、なのかもしれないなぁ」

「そう言われましても本当に好きな人に心当たりないです」

「だから、琴子くんに自覚ないなら、例えば、気になる男に片っ端からデェトに誘うか、今からでも思い出せば、思い切って告白してみてはどうかな? こんな、生徒にからかわれている、わたしじゃなくてさぁ」


「そんな、そんなことはないです。 先生はすてきです!」


(え? 何言っているの、私)


「え……。そうかい。いやぁ褒められたの、はじめてで、お世辞でもうれしいなぁ」

 沢野先生は頭をかきながら笑った。

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