番外編 琴子の泡恋(はつこい)

1話 琴子のお見合い相手

 松野琴子まつのことこは、中学在学中、お見合いをした。


 相手は、御曹司だ。高ノ倉征道たかのくらまさみちという名だった。初めて会った時は帝ノ国ホテル。紳士服に身を包み、一言も話さず、真一文字の口は、どこか父を思わせた。背は高く、端正な顔立ち、髪は前髪を分けず全部うしろになで上げる髪型をしていた。


 ひと言も言葉を交わしていないのに、一体、何が気に入ったのか、御曹司から「ぜひ嫁に」と連絡があり、とんとん拍子に結婚話は進んだ。


 二度目に会ったのは、その次の年の春、中学を卒業して結納の時、高ノ倉の実家だった。結婚すれば義父になる高ノ倉家の当主は、銀行の頭取を務めたこともあり、政財界にも強力な人脈を持っていた。彫が深く眼は鋭く、白髪交じりで威厳ある風格。父上ですら小物に感じた。葉巻を吸い、注文オーダーで仕立てた紳士服は大陸から取り寄せた上等な生地だった。

 結納を交わしてすぐ、義父は忙しいからとすぐに家を出て行った。それを見てぞんざいに扱われたと勘違いして、父上は腹が立ったのか「もう用がないなら帰る」と母を連れ帰ってしまった。琴子は取り残され、あとで従業員が車で家まで送ることになった。


 三人だけになったら、しおらしくしていた征道の母が急に上機嫌で話しはじめる。


「まあ、征道さん。お嫁さんになる琴子さん、お人形さんのように美人じゃない。それでいて控えめでしっかり躾けられたお嬢さんだこと。実はね、征道は何度かお見合いをしたのだけれど、なかなか首を縦に振らなくて、やっと琴子さんに決めたのよ」

「母さんが最初に気に入ったんじゃないか、それで」

 すかさず征道の母がいう。

「わたくしは征道が、ああ、ほら、戦乱時代に活躍した……」

「そうだ、僕のすきな松野武将の末裔だったから興味が湧いたんだ」

「んまぁ。征道ったら、歴史好きなんだから~。武将でお嫁さんを決めるなんて、おっほっほ」

「それだけで決めたわけじゃないよ。一応ね」

 威厳ある父がいなくなったからなのか、お見合いのときとは違って硬い表情から柔和になり、征道は琴子をちらりと見た。


「確かに。高ノ倉家には申し分ない、聡明な方に見えますし、征道をしっかり支えてくれそうよ。じゃあ、二人で花見でもなさいな。見頃よ。わたくしは部屋で休むとします」

「そうする。じゃあ、琴子さん行こうか」

 着物を着て緊張している琴子に意味ありげに見る征道。


「疲れたろう。座ったら」

「はい」

 桜の木の下で初めて交わした言葉。木の長椅子は季節に合わせ赤い布が敷かれていた。

 優しい感じがする。そう思った矢先、意外なことを言い出した。結納の日に、だ。


「結婚をする前に、最初に言っておきたいことがある。まず、はじめに、利点として、僕は神に誓って女子に暴力を振るう器の小さい人間ではない。大陸の紳士教育は受けているからな。それにお金に余裕がある。君は好きに使ったらいいさ」

「……はい」


(利点? 突然なにを話し出すの?)


「それで、だ。次の何点か、条件を了承してくれたら、細かいことに僕は一切、口出しするつもりはない」

「はあ」

「それはね、まずひとつ、跡取り息子を産んで欲しい。もしそれが無理なら他所で女の子供を産ませるまでだ。君が石女(産まず目)だったとしても君とは離縁はしない。他所で産んだその子供を養子に迎え、君が育てることになる。了承してほしい」


(高ノ倉家は名家だ。うちなんかより全然、責任が重大だ……)


 琴子は冷やりとした。

「はい。ご期待に沿えるようがんばります」

「それに僕は子育てに参加はしない。教育方針は君にまかせる。多分忙しいから子供に構わないだろう。ときおり報告する程度でよろしい」

「……はい」


 征道はあごに手を当てていう。

「僕から見ても、たぶん君なら高ノ倉家を任せられそうな気がするから、そうしたんだ。僕は、お金を好きに使ったらいいと言ったのは、湯水のごとく使う女子には見えないから言ったにすぎない」

「はい、肝に銘じます」

「あともう一つ。一番の条件は……。僕は女が好きなんだ。花街にもよく行く。ああ、大丈夫。はらませることはない。それを黙認してくれるなら、君との結婚を進めるつもりだ」

「……」


(ど、どういうこと?)


 琴子はあまりにもびっくりするような内容で返事を忘れた。


 征道は突然、きちんと整えられた髪をくしゃくしゃにして


「ああ、やっぱり、いやだよ。この髪型にこのつんとする臭い香りは、父上と同じ匂いがする~。もう結納を交わしたし、ちょっと待っていて」


 黒色の上等な上着を乱暴に脱ぎすて、白シャツにサスペンダーをしたまま、近くの水場で突然、髪を濡らした。


「……え?」


 侍女から布を持ってこさせ水滴をふきとり、髪をおろすと、日ノ国男児にしては珍しく肩までかかる長髪だった。パーマがかかっていて都会の若者がしている流行りの洒落た髪型をしていた。たしかに、この征道という男は遊び人だという噂があった。

 濡れた布をかけたまま言う。


「それで、認めてくれるかい?」

「……はぁ?」


(どうしてそんなハッキリ浮気宣言するのかしら。もうどうにでもなれっ。軟派男め)


「―わかりました。そのように心得ます」

「そうか。よかった」

「……」

 すると征道はジッと琴子を見る。


「なんですか?」

「うーん。君って……何ていうか、本当に結婚して大丈夫か?」

「どうしてですか?」

 征道は唇に指をあてボソッという。


「男を知らなさそうっていうか……」


 琴子は顔が赤くなる。

「お、おと……殿方を知ってないといけないのですか? だって、中学卒業したばかりで……」

「いや、なんていうか、綺麗な子だと思うけど、このまま親に勧められて結婚をして、子育てして、ふと虚しくなって、うちの従業員と駆け落ちしそうな感じがする」

「……⁉ からかっていらっしゃるのですか? それは、ぶ、侮辱です」


「からかってなどいない。君より一回りも上なんだ、それなりに女を知っているつもりだよ。そう―君は玉の輿に乗る幸運の切符を手に入れた女子の顔ではなく、親から無理やり結婚を強いられた被害者の顔をしている」


 はらはら……。

 桜の花びらが舞う。琴子の頭上に花びらが雪のようにふわふわ舞い降りた。湿ったままの髪をかきあげた征道が、座っている琴子を見下ろす。


「違うかな?」

「……」


(図星だった)

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