最終話 雪椿
「
耳元で美和は必至で呼びかける。
もう意識のなくなった蒼翼が海岸に横たわっていた。
「どうしよう。死なないで」
ほとんど呼びかけに反応しない。涙が出て冷静になれない。
「落ち着けって美和。頭を冷やせ! 莫迦っ」
半泣きの
「お前しかできない
「そう言われたって……どうしたらいいの? 助けたいよ」
「
せっかく無理を言って連れてきてもらったのに。落ち着け、落ち着け、治癒しなくちゃいけないのに、手をかざしていつものように患者と思って診なくちゃいけないのに手が震えてできない。
まずは脈を測ろうと、手を触ろうとしても震えてしまう。涙が出そうになり我慢する。
(まって私は、あなたに何も伝えていない)
助けたい。
その一心で蒼翼の胸に手をかざすと、残像が視えた。
「えっ何?」
視えたのは、蒼翼の過去――。
―誰かの葬式の準備、忙しく動く大人たち。霧のような細かい雨が降る。
これは蒼翼から見た私だ。
『これは、夢の中だよ。美和……』
絹糸が切れるように、解かれた。蒼翼さんがかけた―まじない。ああ、そうだ。思い出した。雪椿の花に誘われて、蒼翼さんの実家で裏庭に迷い込み、私は、縁側に佇み、悄然と泣いているあなたを見つけ
救いたいと思った――。
「はっ……。こんなことをしていられない」
頭や背中、肩の辺り傷があった。幸い出血は止まっている。急いで応急処置をしながら、胸付近を触ると心臓の鼓動が弱くなっていることに気が付く。心肺蘇生を試みながら空に叫ぶ。
「お願い! 助けて。私の大切な方なの」
心を解き放つ。心からの叫び。助けて! ざあっと美和の周りにみえない輪ができた。朱翔がいることで共鳴した。
「オレには治癒はできねぇけど、神気を大量に呼び寄せてやる!」
朱翔は空を見上げ、指先を上に示すと、カッと閃光を発する。暗闇が一瞬、鋭く光ると青白い光が降り注ぐ。花火が散って落ちてくる星屑のようだった。
波打つ異世界の風を肌で感じ――波動を捉えた。
神気よ、ここに!
すると周辺の万物がピタリと止まり、天満月の光が美和に、波動がこちらに意識を向けてくれる。ゆっくり、霞のようなゆらめく神気。草木、海、空、月、煌めく光の集合体が浮遊しながら天上に集まってきた。
それはまるで光る龍のよう。
「きて!」
すると美和に向かって勢いよく光る粒子の風が体に入り込んだ。強い風のようにぶつかり美和の体がドンッと力に押され倒れそうになる。
「く……っ」
(体がきつい。でも絶対この手で、蒼翼さんを助けてみせる!)
美和の両手が内側から灯り神気が宿る。そして蒼翼の胸に手を置き、精いっぱい力を込めて念じる。海のように深く美和の手から幾重にも重なる彩の光が乱舞しながら蒼翼の体に入っていった。
「死なないで、あなたがどう思っていようとも、私は……」
――お慕いしています、蒼翼さん
***
どの位、時間が経ったのか……
波のように聞こえた愛しい人の声
僕は目を開けた
砂浜の上で横たわったまま動くことができない。
「痛っ……」
意識が戻ると急に痛みが襲ってきた。
「蒼翼さん」
美和が覗き込んでいる。
「美、和……」
ホッとしたような泣きそうな顔をした美和は蒼翼の手に触れ、目を閉じてその手を自分の頬にあてた。
温かい。生きている。
いつも君の手に救われてばかりだな
ぼんやりしながら思った
美和が言った言葉。夢でなければ
どうやら先越されてしまったようだ
僕が君に伝えるはずだったのに――。
真っ暗だった空がほんのわずかに白んできた。
空は蒼と朱色の紡ぐ狭間で
もうすぐ夜が明けることを知る
今までで一番美しい空だ――。
***
二人は今、東の地駅にいる――。
意識を取り戻した蒼翼は、朱翔の
――蒼翼は再び聖獣隊として〈西の地〉に配属されたので、美和は見送りに来た。
「この前、明花さんが見舞いに来てくれて話をしたけど、美和は明花さんに会ったのか?」
「はい。少し前に」
「そうか……。伝言だ。彼女はやりたいことが見つかって大学に進学希望で、それから国が落ち着いたら、大陸に留学するんだって」
「えっ凄い」
「将来、女でも頂に立って女子たちが働く環境を整えたいとか」
「明花さんならなれますね。なんといっても頼もしい一族がついています」
「美和によろしくと言っていた。何か言ったのかい?」
「いえ、私は何も……。ところで千穂師匠は今〈西の地〉にいらっしゃるの?」
「ああ、現帝の様子がおかしかったので、皇太子からの依頼でずっと前から治癒の施しを行っていた。それでも戦争を止めることができなかったが……」
「千穂師匠は心の病も治せるからね」
「おそらく現帝は退くことになる。次の代に変わるだろう。現帝は人ならざる聖獣が視えなかったそうだ」
「じゃあ、聖獣を批判していたのは……」
「目に視えぬモノを怖れていたのかな。近代科学や日ノ国軍の司令官を頼っていたそうだ。軍はその弱みに付け込んだ。しかしその幹部も聖獣隊暗殺を計画していたことが発覚し処分されたそうだ」
「……」
「壱ノ国とは停戦状態になったな。今後、戦争がないとも言い切れないが……。 ただ、壱ノ国の為政者の中に、戦争を煽った者がいる。それが麒麟の麟太郎かもしれない。これからも注意深く軍は調査をしていくだろう」
「……この後、聖獣隊はどうなるの?」
「聖獣隊の皆が職場復帰になった。半獣の失態だったが、壱ノ国から日ノ国の民を守ったこともあり、僕は〈西の地〉で皇太子の護衛に就くことが決まったから、また美和と離れることになるけど、その……」
「私も、修行の身ですから、〈東の地〉を離れられない」
そっと目を落とした。
蒼翼は時計を見る。電車が来る時刻だ。
電車は遠くの方からやってくる。
「次に会う時、美和は十五歳だ。今度こそ返事を聞かせてほしい」
「えっ」
(どさくさ紛れて告白したつもりだったけれど、蒼翼さんは聞こえなかったのかしら?)
ちょっとムッとしてしまう。
「蒼翼さんこそ、私の母が恩人だからって、責任を感じて私をお嫁にしようなんて思わなくていいのですよ」
プイっと横を向く。
「怒っているのか? 困ったな。そんなんじゃないよ……」
オロオロする蒼翼をチラッと見る。
「分かっています。入院している時、蒼翼さんのお父様が説明してくださいました」
「―参ったな。父から聞いていたのか。僕って本当に……。はぁ。いや今度、会った時に僕からちゃんと話したいことがあるんだ――」
(もう、いつもこんな調子なんだから)
すると両手を伸ばし蒼翼は美和を包み込んだ。
「ちょっと! 人前での抱擁は……!」
蒼翼は顔を近づけ耳元でささやく。
「雪椿の花言葉、しってる? それは……」
「!」
――美和はふと梅さんに言われたことを思い出した――。
蒼翼さんからもらった栞の押し花が雪椿だったので梅さんは微笑んだ。
「美和さん、雪椿の花言葉を知っていますか?」
「梅さん、なんですか?」
「ふふ……『変わらない愛』ですよ。美和さん」
思い出したとたん美和は耳まで真っ赤になって蒼翼からはなれた。そして聞こえないふりをしてごまかす。
「つ、次会う時に聞きます……」
警笛が鳴る。
電車が風と共に現れた。
車内に乗り込む蒼翼はすっきりとした表情だ。
「手紙、書くよ」
木々が風に揺れる。
「はい、楽しみに待っています」
美和は今度こそ晴れやかな気持ちで手を振って電車を見送った。
完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます