第36話 理由

 ザバンッ

 サラサラサラ……


 キュ―……キュ―……


 波の音と一緒に聞こえる音

 いるかの声……?


「……う」


 蒼翼そうすけは意識を取り戻し周囲を見渡すと、辺りは真っ暗闇。横になったまま手を動かす。砂を掴む。どうやら人魚セイレーンは興味をなくし、そして、どこかの海岸に打ち上げられていた。夜なのか、真っ暗で場所も分からず静かだ。波の音だけ聞こえ、起き上がろうとしても体がしびれ動くことができない。

「肩が……」

 体が痛い。頭が痛い。このまま死ぬかもしれないな。壱ノ国いちのくにから日ノ国ひのくにの民を守ったのだから、本望だ。それでも心残りがあるとすれば美和のことだ。

 僕は愚かだ。最初から美和に伝えておくべきだった。このお見合いを―。自分に自信が持てなくて後悔することになるなんて……。



***



 ―寒い冬の日だった。母が亡くなり、本宅でお葬式の準備に追われていた。父上や、従業員がお掃除や片付け、来客の対応をしていた。棺に入った母の周りにはたくさんの花が手向けられ、キレイだねと誰かが言っていた、そんな中、


「正一さんもとんだ貧乏くじ引いたわね」


 親戚の誰かが囁いた。母のことを言っている。僕を産んでから、体調が優れず床に伏せていた。本来なら、お店を切り盛りする父上を支えるはずだった。それができない上、子育てもままならず、どれだけ悔しい思いをしていたのだろうか。僕を産んだばっかりに……。

 葬儀の準備のため本宅にあの女と、朱翔あやとが来ていた。


「あら、例のめかけの子だわ」

「妾の息子はもう覚醒しているのよ。凄いわ」

「もう、妾の女が、本妻気取りでお店を乗っ取っているって話よ」


 周囲に噂され居心地の悪さを感じたのだろう、ぐずっていた。三歳にして早くも聖獣の霊力を持った朱翔は紛れもなく跡取りに相応しい、半獣の中で最強とうたわれた。継母は静かに、したたかにこの時を待っていたようだった。僕も覚醒していたが朱翔の霊力ほどではなかった。


 生まれてから病気がちな僕は異界〈聖獣村〉に預けられていたので腫物に触るように扱われ、母が亡くなりいよいよ独りになってしまった。

 最期まで、僕は透けた存在だった。母は僕を通り越し、憎むように夫しか見ていなかったのだ。それもあの女の策略だったのかもしれないが。父上が妾に子供を産ませることに母は文句も言えなかった。夫婦なのだから言いたいことを言えばいい。父上は自分のやっていることに母が傷ついているとは気づいていないのだから。「女だから」とか、「耐えることが女」とか、思わないでほしい。ほとんど母と離れて暮らしていたので、結局、伝えることもできず母を死なせてしまった。


(僕はここに居場所はない)


 誰にも見られたくなくて裏庭の縁側でひっそりと結界を張り、顔を両手で覆い声もたてずひとり泣いていた。僕は生を受けてからどこにも心の行き場がない、母からも愛されなかった。やっと見つけた十和とわはこの世にいない。このまま、いっそ消えてしまおう。このまま溶けない氷の結界の中で命を絶つ――。はずだった。そんな時、父親に連れて来られたのだろう、裏庭に迷い込んだ三歳の美和と目が合った。


「……」


 分厚い氷の結界を張って絶対に人には視えないようにしているのに、幼い美和はあっさり僕を見つけ、じっと見つめるのだ。そして、一言もしゃべらずゆっくり歩いてくる。結界に近づき、美和は手でそれに触れた。


 パンッ―。いとも簡単に結界が解かれた。


(なぜ解かれた?)


 驚いている間にスタスタと横に座り、つぶらな瞳で僕の顔を見る。そして、そっと手を繋いできた。


 温かい。

 幼い子供というのは大人より敏感に気持ちを察すると聞いたことある。優しいのはそのためだ。だけど、手をつなぐ美和にどれほど救われたか。暗闇の中、君が僕を見つけてくれた。たったそれだけのことで僕は救われたんだよ。

 十和が亡くなって僕は陰ながら美和を見守っていた。この先も―。幼い君に呪術まじないをかけ僕といた記憶を夢のように曖昧にした。


 覚醒しなかった父上にとって悲願とも言える誇り高き聖獣隊への入隊。それが理由で婚約破棄になった。西薗家さいえんけに自尊心を傷つけられた父上は一刻も早く結婚相手を決めたかった。次は病院の院長の娘との縁談を考えていたようだ。僕は常に完璧を求められ、そうしないと生きていけなかった。だから父の駒であり続けると納得し、そう思いながら心は乱れる。父上が次の縁談は誰でもいいと思っているのなら、もしも僕が軍人になり、戦争で死んでしまう運命ならば―。僕の存在をひと時でもいい、覚えていてほしい―。脳裏に美和が浮かんだ。


「父上、お願いがございます」


 この時、東雲十和に恩があることや美和たちの生活が大変だからお助けしたいと申し上げた。そう、色々な言葉で言い訳を並べた。しかし父上にはすべてお見通しだった。


「今まで何一つわがままを言ってこないお前が……」


 父上は涙声になっていた。

 時を戻すことができるなら最初に伝えたかった。このお見合いは僕が言い出したことだと。

 美和からお見合いの承諾を父上から聞いた僕は、心を落ち着かせることができず、天にも昇る気持ちで龍の姿に変化へんげして山を飛び越え、小学校まで君に会いに行ってしまった。


「僕の婚約者になってくれますか」


 ―必要だったのは、僕のほう。


 瞼を閉じる。もう痛さも感じない。このまま死ぬのかな……薄れゆく意識の中。美和なら大丈夫だ。朱翔はなんだかんだと美和のことを大事にするだろう……。



 ―バサッバサッ


 遠くの方で微かに羽音が聞こえる。

 波の音、いや鳥獣……?

 もう一度目を少し開けてみる。

 あれは―。


 朱雀すざくの朱翔だ


 暗闇の夜空に、月のようにそこだけが灯っていた。

 燃えるような朱色の大きな翼を広げ

 朱翔がこちらに向かって飛んできた。

 朱雀の背に乗っているのは、美和。

 薄暗いのになぜか分かった。

 意識が、ぷつりと切れた―。

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