第36話 理由
ザバンッ
サラサラサラ……
キュ―……キュ―……
波の音と一緒に聞こえる音
いるかの声……?
「……う」
「肩が……」
体が痛い。頭が痛い。このまま死ぬかもしれないな。
僕は愚かだ。最初から美和に伝えておくべきだった。このお見合いを―。自分に自信が持てなくて後悔することになるなんて……。
***
―寒い冬の日だった。母が亡くなり、本宅でお葬式の準備に追われていた。父上や、従業員がお掃除や片付け、来客の対応をしていた。棺に入った母の周りにはたくさんの花が手向けられ、キレイだねと誰かが言っていた、そんな中、
「正一さんもとんだ貧乏くじ引いたわね」
親戚の誰かが囁いた。母のことを言っている。僕を産んでから、体調が優れず床に伏せていた。本来なら、お店を切り盛りする父上を支えるはずだった。それができない上、子育てもままならず、どれだけ悔しい思いをしていたのだろうか。僕を産んだばっかりに……。
葬儀の準備のため本宅にあの女と、
「あら、例の
「妾の息子はもう覚醒しているのよ。凄いわ」
「もう、妾の女が、本妻気取りでお店を乗っ取っているって話よ」
周囲に噂され居心地の悪さを感じたのだろう、ぐずっていた。三歳にして早くも聖獣の霊力を持った朱翔は紛れもなく跡取りに相応しい、半獣の中で最強とうたわれた。継母は静かに、
生まれてから病気がちな僕は異界〈聖獣村〉に預けられていたので腫物に触るように扱われ、母が亡くなりいよいよ独りになってしまった。
最期まで、僕は透けた存在だった。母は僕を通り越し、憎むように夫しか見ていなかったのだ。それもあの女の策略だったのかもしれないが。父上が妾に子供を産ませることに母は文句も言えなかった。夫婦なのだから言いたいことを言えばいい。父上は自分のやっていることに母が傷ついているとは気づいていないのだから。「女だから」とか、「耐えることが女」とか、思わないでほしい。ほとんど母と離れて暮らしていたので、結局、伝えることもできず母を死なせてしまった。
(僕はここに居場所はない)
誰にも見られたくなくて裏庭の縁側でひっそりと結界を張り、顔を両手で覆い声もたてずひとり泣いていた。僕は生を受けてからどこにも心の行き場がない、母からも愛されなかった。やっと見つけた
「……」
分厚い氷の結界を張って絶対に人には視えないようにしているのに、幼い美和はあっさり僕を見つけ、じっと見つめるのだ。そして、一言もしゃべらずゆっくり歩いてくる。結界に近づき、美和は手でそれに触れた。
パンッ―。いとも簡単に結界が解かれた。
(なぜ解かれた?)
驚いている間にスタスタと横に座り、つぶらな瞳で僕の顔を見る。そして、そっと手を繋いできた。
温かい。
幼い子供というのは大人より敏感に気持ちを察すると聞いたことある。優しいのはそのためだ。だけど、手をつなぐ美和にどれほど救われたか。暗闇の中、君が僕を見つけてくれた。たったそれだけのことで僕は救われたんだよ。
十和が亡くなって僕は陰ながら美和を見守っていた。この先も―。幼い君に
覚醒しなかった父上にとって悲願とも言える誇り高き聖獣隊への入隊。それが理由で婚約破棄になった。
「父上、お願いがございます」
この時、東雲十和に恩があることや美和たちの生活が大変だからお助けしたいと申し上げた。そう、色々な言葉で言い訳を並べた。しかし父上にはすべてお見通しだった。
「今まで何一つわがままを言ってこないお前が……」
父上は涙声になっていた。
時を戻すことができるなら最初に伝えたかった。このお見合いは僕が言い出したことだと。
美和からお見合いの承諾を父上から聞いた僕は、心を落ち着かせることができず、天にも昇る気持ちで龍の姿に
「僕の婚約者になってくれますか」
―必要だったのは、僕のほう。
瞼を閉じる。もう痛さも感じない。このまま死ぬのかな……薄れゆく意識の中。美和なら大丈夫だ。朱翔はなんだかんだと美和のことを大事にするだろう……。
―バサッバサッ
遠くの方で微かに羽音が聞こえる。
波の音、いや鳥獣……?
もう一度目を少し開けてみる。
あれは―。
暗闇の夜空に、月のようにそこだけが灯っていた。
燃えるような朱色の大きな翼を広げ
朱翔がこちらに向かって飛んできた。
朱雀の背に乗っているのは、美和。
薄暗いのになぜか分かった。
意識が、ぷつりと切れた―。
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