第9話 郷の掟

 茂吉は郷の仲間も殺した……。赤子の半六を助けるため――。


 苦悶の表情で半六は言葉を絞り出す。十和はそれを黙って聞いた。


「一緒に飯を食った仲間だぞ? 泣いたから俺を助けるなんて……。俺は皇族や貴族の血筋でもなければ、何の価値もない、反逆者だったかもしれない。ただの平民の……俺の命なんかどうでもよかったのに……。茂吉さんもずっと苦しんだはずだ――救いのない話さ。生まれた時から俺の後ろには沢山の犠牲になった人がいる」


「………」

「教えてくれ! 俺が疫病神じゃなければなんだ? 俺は……仲間を殺してまで助けてくれと、一度だってそんなこと望んでいない!」


 茂吉さんの表情かおが忘れられない。


 ――あれは助けたことを後悔していた眼だったのかもしれない。郷に帰るたび、俺を見つめる茂吉さんが、もしかしたら俺の本当の親なんじゃないかと思ったこともあった。事情があって伝えられないでいるのかも――と、そうだったらどんなにいいだろうと願い、渇望していた。


 ――何故、茂吉さんは……何度考えても答えに辿り着かない。仲間を殺し生き地獄だろう。今まで同じ状況でも俺のような赤子すら冷徹に殺めてきて、何でなんだよ。その場に置き去りにすればそのまま終える命だ。そうまでする理由が、俺には分からない。分からないよ、茂吉さん……。


 焼け野原の煙で、目がうまく開かない半六は手で顔をこする。


 十和は半六を真っすぐ見つめた。


「赤子、なのよ……。茂吉さんのしたことが許せない? 半六さんなら赤子を殺せるの?」

「それは……」 


「反逆者とその家族の殲滅せんめつは間者の絶対の掟だよ。理不尽な巻き添えだったとしてもこれまで数え切れぬほど、おんな子どもを殺めているの。茂吉さんだって孤児だし、掟に抗うことなどできなかった……。あなたが私にしたように、茂吉さんは掟を破ってまであなたを生かしたの。それは半六さんのお母さんの想いを受け止めたからじゃないの?」



「……十和」



「えっ……今、なんておっしゃいました⁉」

 急に予想外のことを言われて先ほどまで表情が硬かった十和は驚き、頬を桜色に染めた。


 半六は手で髪をくしゃくしゃにして顔をあげた。泣いているような笑い顔だった。


「はは。まいったな本当に……お前さんは十五も年下なのに、何で……。そういわれると、そうなんじゃないかと思えてくるから不思議なだな」

 ふと肩の力が抜けた半六は十和を見つめる。


「もぉ。せっかく名前で呼んだと思ったのに。半六さんの妻ですから当然でしょ!」

 十和は頬を膨らます。


「俺が疫病神でもか?」

「その……気が付いてたけど、ワシから俺になっているね。やっと私に心を開いてくれているってことかしら。半六さんが疫病神なら私は妖婦ようふだからお似合いです」

「妖婦? 誰がそんなこと言った」


「私ね、隣村の村長の息子に気に入られていたの。隣村には夜這いの風習があって、それを女側が了承すると婚姻関係になるの。私は半六さんが忘れられず、ずっと断っていたんだけど、昔、よく脱走していたのを快く思っていない郷の者が夜這いをけしかけてしまって。私、とても怖くて……部屋に忍び込んだ村長の息子を間者仕込みの太刀捌きで切り付けてしまった。『お前に出会わなければよかった』だの『妖婦にそそのかされた』って散々罵倒されたわ。だから郷にいられなくなったのよ」


「そうか……」


「嫌いになっちゃった?」

「いや――普通の村に嫁げばよかったのに。それでもいいのか、俺が夫で」

「もちろん。あの時、半六さんがを破ってまで縄を緩めてくれなければとっくに死ぬ道を選んでいた。それに好きな殿方の妻になるなんて日ノ国に何人いると思います⁉ これ奇跡ですよ。幸せすぎて、死んじゃいそう」

「それは勘弁してくれ」


 はぁとため息をつきながらおでこに手を当てた。それを見て十和はそっと手を繋いだ。


 温かい、手だ。


 ずっと触れてはいけないと思っていた。人を殺めた日から、心が救われてはいけないと戒めていた。それに十和は俺にとって特別だった。こんな俺と一緒になったらきっとまた不幸に巻き込まれてしまう。今ならまだ間に合う、手を離さなければ、走って逃げて消えてしまわなければ……。


「……手、あったかいな」


 俺は情けないことにそんな言葉しか出てこなかった。まだ――迷う。きっとこれから先も手を離さなかったことを何度も後悔するような気がした。


 すると十和は向き合って両手を繋いだまま言った。


「半六さん。勘違いしないでね、あなたの妻になることをが選んだんです。たとえ何があっても決して振り返らないでください。また死にたくなることもあるかもしれない。悪夢にうなされても、苦しくても、それでも人を殺めたことを忘れず―――私と生きて」


 風が優しく十和の長い髪を揺らす。


 まだ焼け野原の燻された匂いが目に染みる。心の胸の奥の棘が取れたような気がした。闇が海に引きずり込み深海から抜け出せないでいたのに、今、放たれて海面に出たよう。そこは月明かりのない夜の海であることには変わりない。常闇を持った俺でも、それでも生きていいと……。


「……」

「半六さん泣いて――」

「俺は泣いてなどいない」


 これ以上顔を見られないように十和を抱き寄せた。

 だけど本当に包まれていたのは俺の方だったのかもしれない。 

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