第6話 禍根
郷から戻った半六に先ほどの十和の問いに首を傾げる。
――泣いているのですか?
「泣く? はっ……どうしてワシが?」
「違うならいいのです。でも……服も汚れていて、足を引きずって怪我もしています。何かあったのですか?」
「……」
十和は尋ねるが半六は黙ったまま、足を引きずりながら
(……俺は泣いていたのか?)
瞼下にそっと触れてみた。小雨だったので、全体的に顔は濡れてはいたが涙が零れてなかった。
「あいつ何だ……」
八つ当たりだと思いつつ、十和に腹が立ってきた。すると今になって足の感覚が戻りジンジンして、体が熱く頭が痛かった。
ほとんど休憩も取らず道なき道を歩き、心身ともに疲れ切っていたので玄関土間の上がり口に腰を下ろす。
背中を丸めたまま、しばらく微動だにせず足元に視線を向けていると、開きっぱなしの玄関扉から人影が視界に入り、顔をあげると十和が息を切らしながらびわの葉っぱと包帯を持って立っていた。
「半六さんの足、捻挫しているみたいだから……」
そう言って、半六の前にかがんで、慣れた手つきで足に湿ったびわの葉を巻き始めた。
「……」
包帯を巻く十和のつむじを見ていたら、ふっと気が抜けて温かく感じた。と同時にキュッと胸が苦しくなる。
「―――ワシに優しくするなよ」
どうしようもなく心が弱っていて思わず言葉がついて出た。
十和が驚いて顔を上げた。
「……どういう意味ですか? 怪我人を放っておけとでも?」
「そうじゃねえ……」
しまったと思った。この話の流れが良くないと、話を逸らすつもりであれこれ言い訳を考え視線を彷徨わせるも次の言葉が出てこなかった。すると十和がいう。
「今は仮初めだけど半六さんの妻です。夫の体を心配するのは当然でしょう。それとも本物の夫婦になりますか」
「……」
「あの時のこと覚えていますか……。半六さんは私がお嫌いですか?」
十和の頬が紅潮していた。半六は思わず顔を背ける。
「それは……違うが……」
「でも半六さんは私に心を見せようとしない。私の気持ちを知っていながら応えないつもりなのですか? でしたらはっきりおっしゃってください!」
真っ直ぐ半六を見つめる十和の瞳は澄んでいて、恐ろしかった。
「――ワシにはその資格がない……。すまない、今は頭が混乱して疲れているんだ。本当にすまん。休ませてくれ」
半六はそう言って手で頭を押えながらふらふらと寝床につくと意識が混濁した。
***
半六が幼い頃はたくさんの孤児がいたが、法律が変わり人権問題だとさわがれるようになり、年々孤児を引き取ることが難しくなった。
十和は最後の孤児だった。五歳で忍びの郷に連れて来られた日、ちょうど二十歳になった半六も来ていた。没落しかかった郷の皆は女村出身の十和に過度の期待をかけていた。虚ろな目をした幼い娘が哀れに思えた。でも十和は郷では異能があるとか、聖獣が視えるとは一度も言わなかった。
二年後のある日、半六が郷に訪問した時の事。
七歳頃の十和は脱走し、すぐ捕らえられていた。お仕置きと称して木蓮の木に巻き付けられ、さらし者にされていた。子供たちはからかい、荒っぽく扱われ、手首を縛られ血も滲んでいた。
痛そうだと思い、皆に気づかれないようにそっと近づき、縄を緩くしてあげた。絶望的な顔をした十和はこちらをぼんやり見つめた。
「あなたは……」
「半六だ。静かに」
「お願い。私をお嫁さんにして郷から違う場所に連れてって……」
頭から血を流し服もボロボロで震えながら涙をため必死に訴えた。
「――いいよ。いつか、な。そのかわり死ぬなよ」
励ますつもりだった。俺の顔を真剣に見て、一筋の光が差したような瞳で大粒の涙がホロリと頬を伝って滑り落ちた。
その後、十和が脱走しなくなったと藤夫さんの奥さんから聞いている。郷には年に一回くらいしか帰っていないので、七歳の十和が、俺の言ったことを覚えているとは思っていなかった。
――その時はまだ、人を殺めていなかった。
うかつだった。あんな言葉、言ってはいけなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます