第3話 赦し

 玄関から左側の部屋が十和とわの寝室に、半六はんろく囲炉裏いろりを挟んで右側の奥に休んだ。


 朝起きると、半六は羽釜にお米を入れ研ぐ、湧き水を家の水場に引き込んだお水を入れ、釜戸に細い薪をくべる。次に中くらいの薪を入れ、最後に大きい薪で火力を強くして火加減を調整するのだ。蒸気が出てきてご飯を蒸らす時間を待つとふっくらとしたご飯が炊けた。


 囲炉裏に吊るしてある鍋に大根と人参と椎茸の入った汁。豆腐の上に猪肉をひき肉にしたネギ塩だれが今日の朝食だ。来たばかりの十和は寝坊したようで恥ずかしそうに座った。


「おいしい」

 思わず、目を輝かせ十和は言った。


「そうか。たんと食べな」

 ここにきて無表情であまり話さないので、意外に明るい声音だと思った。


「今日からは私も手伝います。一から教えてください」

「なんだ、やったことないのか?」

「……はい。つい最近まで……歩き巫女をしておりまして、時々は郷に帰っていましたが、本格的な家事はあまり……」


 うつむき恥ずかしそうに十和は言った。


 歩き巫女……。特定の神社に属せず遍歴し、祈祷や宣託、占いなどをして生計を立てている。それを利用し、間者かんじゃは巫女のフリをして旅をしながら情報収集していた。


(しかし、最近は国からの支給が滞っていたため、郷に帰ってきたのか……。この齢まで一体何を教わってきたのやら……)


「まあ、よかろう」

 半六はご飯を食べた。


「――お前さんは、学校に行ったことあるのか?」

「仮初めでも夫婦なので十和ってよんでください。ええ、小学校までなら」

「すまん。そうか、普通なら女子は女学校までいくことが多いがなぁ」

「郷の経済状態見ればわかるでしょう。そんなお金ないわよ。女学校なんて主に花嫁修業でしょ? 私はもう嫁に来たので必要ないわ」

「……そうか。籍はまだいれてないぞ」

「え? どうしてですか?」


 半六は、予想外の言葉に何と返したらよいか分からなくなった。


「どうして……って、そりゃまあ、ワシは間者で穢れ者だ。仮初め夫婦なのに正式に入籍する必要もなかろう」

「私も間者です。そんなの気にしません」

「しかし、十五も齢が離れているし……」

「だから?」


(………だから)


 年の離れた娘に言い返され、ますます訳が分からなくなった。今まで十和とはほとんど会話したことがないが、年が離れていてもそれを感じさせないくらい堂々としていた。


「――まあ、とにかく、お前さんは良家に嫁げるかもしれない売り出し中の花の十五才だ。そのうち気も変わるさ。郷からの指令がなければお前さんは晴れて自由の身だ、あと数年は辛抱することだな。それまでにワシが男を見繕ってやろうか? どういう男が好みだ? ははは」

「十和です……」

 拗ねたように言って、そっぽを向き黙ってしまった。


 それから、ご飯の炊き方や料理に裁縫まで教えてあげた。二ケ月も経てば家事全般、すっかり板についた。半六は薪に使う木材を運ぶことなどの重い物など担当になった。


 秋も深まり静かで穏やかな毎日が続く――。


 ……最近、空や紅葉の景色が鮮やかに映る。一人で暮らすより余計なことを考えなくてすむ、十和のおかげで少し気がまぎれた。だが、血塗られた過去を消すことなどできない。


 半六は単調な日々の一方で悪夢に襲われた。


 真夜中、殺めた者たちがぬうっと枕元に現れ半六をぐるりと囲み見下ろす。ある亡者は泣き叫び、ある者は睨んだまま何も語らず泣きくずれる。



『どうして殺した。家族がいたのに……』


 ――俺が悪いんじゃない。悪いのは……!


 半六の足を掴み血まみれの屍が言う


『もっと、生きたかった……』

『お前のせいで、人生狂った』

『殺した後、お前は笑っていたな』



 ――違う、違う、安堵しただけだ、笑ってなどいない……。


 声が出ず、両の手が血まみれだった。殺した相手の返り血だった。


 ――俺は、俺は……人殺しだ……うぅぅ――誰か……



「……さん。……半六さんっ!!」

「!」


 暗闇の中、遠くの方から十和の心配そうな声がした。


「な……んだ?」

「いえ、半六さんがうなされていたようで、お声をかけてみました」

 低く淡々と十和は言う。


 起き上がり近づこうとする気配がしたので、

「悪いな。起こしちまったか。何でもないさ」


 半六はふらりと立ち上がり、玄関をでて水場に行き、杓子で勢いよく水を飲んだ。震える手で水を飲んだためか口元や服が濡れた。半六は息が荒かったので、秘術の呼吸法で息を整え、手の甲で拭い、服をつまんでパタパタ仰いで汗を乾かした。


(――久しぶりに夢を見てしまった)


 ……俺は死ぬまで悪夢を見続けるのか。俺が殺した男達、全員の顔を覚えている。家族だっていたのだろう……。いっそ数え切れない程、殺めれば夢にも現れないものなのか――。暗闇を眺める。


 気が付くと十和が立っていた。一体、いつからいたのか。どんな顔をしているのか、暗くて表情をうかがい知ることはできない。近づくのはためらった。


「……」

「ワシは大丈夫。寝んな」

「……はい」


 何か言いたそうな十和は部屋に戻った。


(今日は朔月か――)


 月が隠れて見えない。訓練されているので夜目は利くが気持ちが沼にはいるようにずぶずぶと沈む。辺りは真っ暗、真夜中だと虫の声も聞こえず冷たい風が吹いていた。このまま漆黒の闇に飲まれてしまいそうになる。


 いくら帝の陰の部分を引き受けているとはいえ、帝から労いの言葉もなければ慰めもない。……違う、言葉が欲しいんじゃない。ただこの虚しさを埋める術が見つからない。せめて俺が帝の――この国の民の役に立っているのか誰か教えてほしい。


 生まれた時から間者の訓練を受け、その後、衰退とともに藤夫たち偽夫婦が去り、三十歳で自由を手に入れた。


 密かに、何でもできるような気がしていた。


 それなのに今、手に入れられたのは茫漠とした長い苦痛の時間だけだった。

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