第31話 出会い

「あなたは、蒼翼そうすけというのね」


 僕が聖獣に覚醒するまで龍だったり人間だったり自分でもどっちなのか分からず変化へんげが制御できない四歳頃、彼女に出会った。


 彼女の名は東雲十和しののめとわ

 美和の母だ。


 美和の母もまた聖獣が視える人だった。


 あのころ僕は、病弱な母の傍に居ることも叶わず、朱翔あやとが生まれたばかりで、あの女が実家にいたので父の生まれ故郷である異界の〈聖獣村〉に住んでいた。

 異界の常世と呼ばれる神域は、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする世界。神獣と妖怪や鬼が混沌として争いが絶えることはない、戦乱の世が永遠に続く感じで―無秩序だ。荒々しい血生臭い世界。そんな常世の中でも聖獣村だけはおさの霊力で守られていた。


 千年前、帝の始祖が長と出会い、契りを交わした場所である。


 それでも父上が聖獣として覚醒せず常世国とこよこくを追われ聖獣村でさえも居られなかったように、皆が安住の地というわけではなかった。


 異界でも僕の居場所はなかった。


 度々、異界の出入口から人間界へ抜け出しては暁村あかつきむらを訪れていた。

 田畑が広がる里山、小川がさらさら流れ、茅葺屋根かやぶきやねの軒下には大根や干し柿が吊るしてある。梅干しや椎茸が縁側に並べられ、鶏が放し飼いで庭の雑穀をついばむ。小鳥のさえずり、虫の声―。穏やかな風が吹き、洗濯物の隙間から楽しそうに歌う陽だまりのような彼女。


 気がついたら十和の家の前まで来た。ちょうど龍の姿に変化していたので、視えないだろうと思っていたら、彼女は龍の僕に声をかけてきた。


 十和のお腹には美和がいた。十和は僕にそっと頬に触れる手が優しく、時々、頭をポンポンする。母親に愛情を注がれなかった僕はぽっかり空いた穴を埋めてもらっていた。枯れかけの草木が潤うようにひたひたと心に沁みた。田んぼのあぜ道を、十和と手を繋いで歩いた。


 ―灰色だった景色がいろをつけた時、僕は泣いた。


 彼女に出会えなかったら今頃どうなっていただろう、もしも僕が誰かに似ているとすればそれは十和なのだろうと思う。

 不思議な女性だった。日ノ国男児に特別扱いはしない。時には対等にぶつかり合い、妹のように甘え、姉で母のようだった。


 そして、美和が生まれて死んでしまった

 僕の心は再び空っぽになってしまうのか

 十和の言葉は亡くなってからふとした瞬間思い出す


 あら、ちいさい龍だわ

 お腹の赤ちゃんが気になるの?

 生まれたら仲良くしてね

 私にはわかるの

 あなたにとって

 特別な女の子になるはずだから


 育てることが叶わなかった十和の代わりに美和を見守ることに決めた。僕は悟られないように、時々、暁村に行ってそっと陰から様子を見ていた。

 あの日、歩き始めたばかりの美和が、山に入って姿が見えなくなった父親を捜していた。不安そうな顔、ふらふらした足取り。石につまずき、あっという間に崖から落ちる寸前を目撃した。


「危ない‼」今まで不安定な変化だったが、このとき僕は初めて龍に覚醒した。


 ―バサッ。

 初めて飛ぶ龍の僕を美和はじっと見つめ―微笑んだ。でもまだ一歳だ、大丈夫。覚えていない。あれから変化を制御できるようになり僕は強い霊力もついた。

 美和は、明るく素直に育っていた。美和の表情や仕草は十和とよく似ていた。彼女は村の人たちに愛され、きっとこの先、嫁いだとしても幸せになるだろう。僕は美和が誰かと結婚するまで見守るつもりだ。


 僕は父の駒であり続けるはずだった

 それなのに―どうして望んでしまったのか

 たとえ消え散る命だとしても自分の存在を忘れないで欲しいと。



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