第29話 奇襲

「蒼翼さん……」


(一体、何が起こったの? これから聖獣隊はどうなってしまうの)


 不安の中、美和は休みの日を待って、〈東の地〉にある異界の入り口の大岩の下に手紙が置いてないか探しにきた。


(はぁはぁ、走って来たから息切れしそう……)


 いつものあの場所。異国風の家が建ち並ぶ坂道を上がると道が行き止まりになる。そこから舗装されていない獣道にかわり森に入る。大きな木や草に隠れるように苔に覆われた大岩がそこに佇んでいた。


 湿気を含んだ空気、日中でも薄暗い森―。前にも思ったがこの場所だけ空気の流れが違う気がする。ここは異界に繋がる神聖な入り口。周りに人がいないか確認してからゆっくり近づく。


「手紙きてないかな……ん?」


 すると以前は小さな球体の木霊こだまが、今日はおかっぱ頭で着物姿の小さな女の子がおずおずと恥ずかしそうに手紙を持って出てきた。


「まあ、成長しているのかしら? それとも私の治癒能力があがったから? でも可愛いわ。お手紙どうもありがとう」

 少しかがんで受け取ると小さな女の子の木霊が

「……」

 口をパクパクさせて、ゆっくり森と同化しながら消えた。


(う……何か私に話しかけた気がするけど、分からなかったわ、残念)


 ふう。治癒師の仕事をもっと極めれば言葉も分かるようになるのかな……。いつもお手紙を渡してくれるから何かお礼したいけど、貰ってくれるかな? そうだ早く手紙を読みたい。寮に帰る時間も惜しいわ。その場で座って封を開けようとした―。



 ―――胸騒ぎがする


 ぞわっ。全身の毛が逆立った。な……に? こんなの初めてだ。心がざわざわする。理屈ではない身体が反応する。震える手で手紙をポケットにしまい空を見上げ目を凝らすと、太陽の光が不自然に霞んで見える。静かなのにそれが不気味な感じがした。この場所にいてはいけない。居ても立っても居られなくて、一秒でも早くここから遠ざかろう。


 心を落ち着かせようと胸に手を当て、立ち上がり一気に坂を駆けおりた。すると山の陰に隠れた機体が突然、姿を現した。

 壱ノ国の爆撃機だ! 空を見上げると焼夷弾が雨のように降ってくる。


 ガガガガガドーン

 地面に落ちた焼夷弾は爆発し、木造建築の家屋はあっという間に燃え広がる。


 ウウウウウ・・・・


(怖い! 怖い! 誰か……!)


 空襲の警報だ。不安を煽るような音で冷静でいられなくなる。地震のように揺れ爆音が響く。一番近い防空壕を探す。街の神社横だ。風を切るように必死に走る。途中、息が切れて苦しい、この前のように結界を張って守ってくれる朱翔あやともいない。走るのを止める訳にはいかない。埃が美和の目に容赦なく襲い走る速度を弱める。前がよく見えない。息が苦しい。でも防空壕まであと少し! 「わっ」突然飛び出してきた子供が転んだ。


「うわぁぁん」


 泣いて道を塞ぎその場を動こうとしないので困惑した。周りを見渡すと父親と思しき人はもう防空壕の中に入っている。ここにいたら死ぬ。急いで腕を引っ張り上げ子供を抱え防空壕の穴に飛び込んだ瞬間、焼けつくような爆風が美和の後ろを横切る、喉が熱い……息を止めた。


 ひとまず助かった―。


 爆撃機は遠ざかり、警報の音だけがしばらく続いた。爆音で一時的に何も聞こえなくなった。耳を押さえしばらくうずくまる。徐々に聞こえるようになってホッとする。

 続々と防空壕に住民が入ってくる。火傷を負った人、破片でケガをした人もいて美和は防空壕に置いてあったわずかな薬で手当をする。頭が痛い。子供の泣き声が今日は耳に刺さる。治癒師だから治癒してあげたいのに大勢すぎて余力がない。最低限の手当だけで終わった。


 防空壕の中は真っ暗だ。老人、親子、赤ちゃんを抱く母親。大勢の人がこの中で横になることも出来ず座り込んでいた。疲労でため息がもれる、しかし、誰一人声を荒げる人はいなかった。時間の経過が分からない。暗闇の中、住民が小声で話している。


 ―倅が先週から戦地に向かったきり連絡ないよ

 ―本当に戦争が始まるのか……?

 ―私らは戦争なんてしたくないよ

 ―帝はどうしてこんな政をしている?

 ―軍にそそのかされたか魔物に憑かれたか

 ―聖獣様はもう民を見放されたのでしょうか


 美和は寒くて丸くなり土壁にもたれかかった。湿った土壁のカビ臭い匂い。暗い天井からポチャンと雫が落ちる音がする。水たまりができているのか、時々落ちる音が心を落ち着かせ、小さな灯りと共に一夜をすごした。


 次の日、ほとんど眠れないまま夜が明けた。外に出て煙の匂いが鼻を突いた。急いで病院に戻ると、近隣の建物は壊れているのに、病院だけ破壊されていなかった。寮にいた梅さんも無事だった。


「内緒ですがここは〈東の地〉の聖獣隊が病院だけでも守ってくれたそうです」

 梅さんがホッとしたように言った。

「それは助かりますね」


 胸から熱くこみ上げるものがあった。やっぱり、批判されているけど民にとって聖獣さまって大事だよ。現帝はどうして排除しようとしているのかしら……。

 いけない! 考え事をしていてはだめだ。集中しなくては。今は空襲でケガをした患者を助けることが先決だ。


「早速、私も手伝います」


 ――数日後、泊まり込みの看病から、一旦患者が落ち着いたので病院を出て着替えをとりに寮に帰るその足で再び森の入り口付近を捜しに戻った。

 木霊がどうなったのか心配になったのだ。しめ縄の大岩の辺りだった所がどこか分からず、火事で森が焼失したのを茫然と見ていた。木が灰になって鎮火したばかりなのか、まだ熱気が伝わってきた。


「……」

 絶句した。


(あのおかっぱ頭の着物を着た木霊は消えちゃった?)


 もうここは異界の入り口は消えてしまったかもしれない。すすが肺に入りそうになり布で口を塞ぐ。数日経っても、木が爆ぜる音、燻されたような焼け焦げた匂いだけで何も感じない。手紙を渡してくれた木霊―。言葉は分からなかったけど、あの時、木霊は危険だって知らせてくれたのかな? 霊木が燃えてしまったら木霊も消えちゃうよね……。教えてくれたのに助けてあげられなくてごめんなさい。

 ポケットから取り出し同じ場所で再び手紙を開く。


『婚約者殿

 もう知っていると思うけど、僕らは今、窮地に立たされています。詳しくは言えないが、聖獣隊を、僕を信じてほしい。任務が完了したら必ず帰ってきます』


 急いでいたのか走り書きのような字だった。それでも〈西の地〉から私のために手紙を出してくれた蒼翼さん……。

 思わず目を瞬かせた。こんなに誠実なのは蒼翼さんの理想とする夫婦の在り方なのだ、親が決めた見合い相手にも優しい方なのだと、櫛を贈るのも治癒師の仕事を応援するのも頬にふれるのも……。

 けれど、気づいてしまった。もしかして二度と会えないのかもしれないと思ったら、血の気が引いて手紙を持つ手が震えた。


 私は―私の気持ちは……。

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