第25話 縁
美和は病院での看護助手の仕事も慣れてきて、今日は念願の出産に立ち会うことになった。この経験がのちに
「ドキドキします」
助産師の滝さんは美和の背中をドンと叩く。
「あっはっは~、大丈夫よ。しっかり指導するわね」
「よろしくお願いします」
「外は雪だね。でも〈東の地〉は積もる事はないね。じき晴れるわ」
「私は〈東の地〉に来て初めての冬をここで過ごします」
「美和さんは雪国出身かい? ここはそんなに寒くないだろう」
「そうですね。私が住んでいた場所は雪が腰あたりまでは余裕で積もりますからね」
「すごいわね~」
「梅さんは出産経験あるから、立ち会うのは余裕ですか?」
「……まあ、そうですね。美和さんは卒倒しないように」
「卒倒?」
「初めて立ち会うと女子でも卒倒しますよ。女子の股からね、神秘的とも言うけど、異質なものが……」
「はは……梅さん、出産場面が異質って」
にっこり微笑む。梅さんは少しずつ話せるようになってきた。美和はそれが嬉しい。
『帰ってください』
親の仕事関係者に頼み込み、船に乗って海を渡り、勇気を振り絞って
明花は美和が勤務する病院で、呼び出す。パタパタ、忙しなく美和は作務衣姿で待合室に現れた。あれから背も伸び、長い髪をくるりとお団子にして結っていた。化粧はしていないものの、いつの間にかきれいになった容姿に目を見張る。体も鍛えてきるのか動きも軽やかだ。蒼翼と上手くいっているのだろうか、働くその姿は自信に満ち溢れているように見えた。私には何もない、だから蒼翼が必要なのだと言いたい。
「明花さん。びっくりした。どうしたんですか。〈東の地〉に来ていらしたのですか?」
「東雲さんにお話があってね。ちょっとお時間よろしいかしら?」
「今は無理ですよ。勤務中ですから」
「何時に終わるの?」
「出産に立ち会うので、何時に終わるのか分かりません。今日は待ちに待った助産師さんの指導を受けるのです」
楽しそうにキラキラ目を輝かせながらと話す。
「美和さん急いで来て」
廊下から呼ばれる。
「はーい。いま行きます。すみません明花さんを待たせるわけにはいかないので、今日は無理です。では」
明花は、美和の後ろ姿を見送った。
あの娘は遠く離れている蒼翼に不安はないのだろうか。花嫁修業をして殿方を支えようとは思わないのか。それなら私の想いの方が負けない。誰よりも蒼翼に尽くす自信があるというのに……。
考えが堂々巡りのまま何時間、待合室にいただろうか、雪が降っていたのに、いつの間にか晴れていて茜色の雲の隙間から光が窓に差し込んだ。その時、心を動かされるような、か細い
パチパチパチ
「おめでとうございます」
「男の子ですね」
我に返った。遠く方で声が聞こえる。
しばらくすると美和が病室から出てきた。
「あれぇ? 明花さん、ここで私を待っていたのですか?」
「あ、私……」
どうしてここに留まっていたのか、分からない。美和は和やかな顔をしていた。
「ちょうどよかったです。産まれたばかりの赤ちゃん見ますか?」
「え……」
美和はおくるみを着た赤ちゃんを抱っこしていた。躊躇している明花に「どうぞ」と言って見せる。手をきゅっと結んだ小さな赤ちゃんを見せた。
「……かわいい」
「明花さん、泣いているんですか。赤ちゃんって感動しますものね。私もウルってきます」
一筋の涙が頬を伝う、思わず手で触ってみる。私、涙が出ていたの? 何故だろう本当に止まらないわ。なんで、あの子の前で泣いているの……本当にどうかしている。不思議そうに明花を見つめ、美和は赤ちゃんを梅に渡し待合室の長椅子にそっと座って尋ねる。
「何かあったのですか?」
「……蒼翼と婚約解消してから別の殿方との縁談もなげやりだし、大学に進学するとしても、何を目指すかも、やりたいことなんてないし、私って何にもないな。なんて思って落ち込んでいるの」
両手で顔を覆う。自分でも何を言っているのだろうと思う。こんな私に蒼翼が好きになるはずもないのだ。惨めな話を何であの子に言っているのかな。
「本当に何もないと……」
なぜか美和は唇をかみしめ小さな不満を口にして黙り込む。慰めてはくれないのか、明花は無性に悔しくなった。
「あなたは私が物理的に恵まれているからそう思うのでしょ? 蒼翼と一緒になれるものなら地位も財産もいらないわ。私の夢は好きな人と結婚して子供を産んで幸せになるのが全てだったの……。ああ、結婚したかったな―」
「……日ノ国の女子のほとんどが、たとえ良い縁談に恵まれたとしても好いた方と結婚できるのは皆無かと思います」
「どうして?」
「知らないのですか。男尊女卑で皆婚社会。女子は親が決めた縁談を断ることなど許されないからです。ですが、明花さんはちゃんと自分で好いた方を見つけ、恋愛をしたのではないですか?」
「でも振られてしまったわ」
「それは……恋愛のことは私には分かりません。もし、どうしても蒼翼さんが必要なら根気よく説明すればいい。やさしい方です。きっとわかってくださいます―」
「あなたのせいよっ……多分」
「わ、私……⁉ 蒼翼さんは一歳の頃、命を助けてくれた恩人で、何かの縁があって婚約者になりましたが、私のことは単なる見合い相手としか思っていないと思います」
「そう? あなたは気づいていないのね」
「明花さんこそ、ご自分が恵まれていることに気づいてないのですか? 進学も恋愛も仕事もあなたが望めば選択できますよ。女子が大学行けるのなら行ってくださいよ。二度と女子が老嬢だの行かず後家だの言われないためにも、女子の新しい生き方を導く人なってほしい―」
「はぁ? あなた―私に何をさせたいか分からないけど、買いかぶりすぎだわ。私は別に、結婚したいだけの女だし、そんな能力なくってよ」
「女子に才能あったとて何ができますか? 女子の地位が低いので働けるのはほんの一握りです。明花さんは何もないっておっしゃったけど、西薗家は時代が違えば私のような下々の者が気軽に話しかけられないような格式高い立派な家柄です。後ろ盾がなければ女子は何もできません。それに明花さんは学校では成績優秀な方だと聞くので、機会があるのに……つい反論したくなってしまって」
「まっ」
「すみません。友人が……いえ、女子は似たような環境です。子を成す使命も尊いと思っています。でも違う人生の選択ができずに諦めるしかない。私は
「……」
「私は……自分が変えられるものなら変えたいです!」
一瞬、明花の顔に風が吹きぬけた気がした。でもその空気が変わったのを気づかないふりをした。
「ふん、さっきから一体何の話をしているの? それより美和さんは蒼翼をどう思っているの? 治癒師の仕事を辞めて彼の傍で支えようとは思わないの?」
「えっ」
「私は、蒼翼の事はもういいの」
(ああ失敗した、言葉にしてしまった。ずっと認めたくなかったのというのに。もうこの想いは成就されない)
婚約を解消した後、それでも一緒になる道を模索してくれると信じていた。―違う、わかっていた、私に気持ちが無いことを。どうしても結婚したかったわけではない。―そうか、私は彼の心が欲しかったのだ。
***
病院を出る。歩き出すと、建物の谷間から夕日が差し込んだ。美和のいる病院の寮にさしかかるとソヨゴの木が風に揺れていた。
前に彼に会った時、美和さんの前では、らしくない顔をしていたことを思い出した。
ふっ……なんだか気が抜けた。ずっと悶々と過ごしていたから、今さっぱりした気分なのかも。
(選択の自由か……考えたこともなかった)
「女子、女子って。あの子、言いたいこといって―」
いつか絶対、蒼翼よりいい男を見つけて見返してやるんだから。優しくて優柔不断な男なんてこっちから願い下げ。私はこれから先、幸せな結婚だって、やりたいことだって、すべて私の手の中にある――。
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