第22話 覚醒

「結界を張った」

「結界、て」


 朱翔あやとの瞳は鮮やかな深紅しんくに。髪も光に包まれた赤毛をなびかせる。

 瓦礫が美和の方に崩れ落ちてくる。

「!」

 しかし分厚い結界が簡単に弾き返しバラバラに散る。床に置いた朱翔の手から沸き立つ燃える結界が凄まじい霊力を感じた。


「朱翔さん、もしかして……」

「ああ、そうだ。オレは聖獣に覚醒している」


 そうか、朱翔さんは日ノ国軍ではなく、蒼翼さんと同じ聖獣隊に入ったのだ。聖獣隊は年齢関係なく能力さえあれば入隊できるからだ。美和以外は誰も結界に気づいていないようだった。


(蒼翼さんでさえ、中学を卒業してからの聖獣隊なのに、朱翔さんは、中学生で聖獣隊なんて、ひょっとして凄い力を持っている?)


 けたたましく警報が鳴り、港街周辺に爆弾を落とし、やがて数機の爆撃機は去った。其処此処にけが人やうずくまっている人がいる。


(けが人を助けなくちゃ!)


 美和は慌てて外に飛び出し、自分の服を破き出血している人へ包帯代わりに巻き、けが人を介抱する。しかしここでは限界だ。急いで病院へ向かう。


「オレも付いていく」

 朱翔が足場が悪い道や瓦礫をよけ、混乱してごった返す人々を避け美和を守るように結界を張って病院に連れて行った。

 そして「軍に戻る」と言い残して走り去った。


 休診日だったが病院の入り口に着くと、大勢のけが人がドッと押し寄せてきて、現場は大混乱。病院関係者はもちろんのこと、治癒師の千穂師匠や見習いの梅さんも駆けつけていた。でも治癒するよりはるかに患者が多すぎて、師匠も治癒を施す暇もない。一人一人に時間をかけていられない。


 次々と患者が運ばれる。廊下で点滴する患者や、駐車場で待機する患者、さばききれなかった。途中から外傷の患者、重症患者と分け、ひたすら助手としての仕事をこなした。しばらくすると軍医やってきて、重症患者の治療にあたっていた。


 看護助手としての仕事は大勢の患者の前では役に立つことが限られていた。その場で命が尽きるのをただ見守り、それでも自分にできることを全うした。


 ***


 一ヶ月程たって混乱していた病院が落ち着いてきた。

 戦争が始まるのか、市民の間で不安が広がる。


 都会の華やかな街が一変した。

 お洒落に身を包んだ華やかな女たちも

 街の灯りも雑踏も消えた―。


 美和は夜遅く寮の窓から外の様子を見ると、田舎の夜が暗いのと違って、街がポツポツとした小さな灯りだと寂しく感じる。最近まで忙しくてできなかったが、深夜、寮で看護の勉強を再開した。

(やっぱり急に勉強すると疲れるな)


 寮母のたつ子さんが大量に作ってくれた麦茶を飲みに休憩をしようと、席を立った。ふと隣を見ると、治癒師見習いの梅が苦悶の表情で机にうつ伏せの状態で脂汗をかいてお腹を押さえ苦しそうにしていた。美和はゆっくり近づき、


「どうしました。お腹が痛いのですか?」


 だが梅は首を横に振って何も答えない。

(そうだ、梅さんはしゃべらない人だ)


 とうとう苦痛で床に倒れこんだ。

(千穂師匠は地方に出向中で不在だし、困ったな)


「私、院内の先生を呼んできますね」

 立ち上がろうとしたら、梅は美和の手を引っ張る。


「……それは、だめ。……お金、ない」

 小さい声で必死に訴える。気持ちが分かる。だって私も実家に迷惑かけられないから。


「じゃあ、どこが悪いか見せてください」


 ためらうことなくお腹辺りの服のボタンを外した。看護助手としても働いているから慣れた手つきで梅さんの体を見ると……手で押さえているお腹まわりにはなぜか痣があるのだ。不審に思い背中も首筋から覗いてみるとおびただしい痣や傷。美和は目を見張る。


(これは、一体ものなの?)


 その傷に手をかざす。すると映像が美和の脳内に飛び込んできた。


 ―梅さんの過去だ―

 ここはどこかの田舎の風景だ。誰かが怒鳴る声。舅、姑、旦那さんに殴られる、蹴られる、鞭で叩かれる残像が。

 食事もあまり食べられず。彼女に暴言を吐く。逃げ出すことも叶わず、助けてと叫ぶ。私の耳に梅さんの慟哭どうこくが聞こえる。その声は誰にも届かない……。


(どれだけ辛かったか……)

 美和は怒りと悲しみに震え、吐き気がこみ上げ思わず手で口を覆う。


「ごめんなさい。私、梅さんの過去が視えてしまったの」

「いい……よ。美和さんなら」

 戸惑いながらも梅さんはぽつりぽつり話す。


 梅の実家は貧しく、母も亡くなっている。十代の結婚適齢期にはお見合い話もまとまらなかった。二十五歳を過ぎ、ようやく嫁ぎ先が見つかった。安堵したのも束の間、嫁ぎ先の家族に暴力を振るわれていた。山の奥、段々畑が広がる田舎の農村地帯の狭い人間関係の中、実家に負い目があり戻ることも出来ず逃げ出せずにいた。数年の後、ほうほうの体で逃げ出す頃には言葉を失っていた。


「いっ……」

 梅さんは苦痛で顔を歪ませ再びお腹を押さえる。


 はっ。そうだ、まず治療が先だ。腹痛は何が原因だろうか再び触る、まるでお腹の中が視えるような気がしてきた。ここは大ノ腸だ。炎症しているのだ。


「虫垂ノ炎かな……?」


 ひどく炎症を起こしている。このままでは手術か、それだと相当な金額になる。千穂師匠がいないから、分けてもらうことができない。薬でも高額だ。どうしよう、助けたい、治してあげたい。

 しいんとした静けさの中、ドクン。手が熱くなっている気がした。すると目に見えなかった空気中の波動を捉えた。自分の周りがピタリと時が止まったように何かが視えた。そうだ治癒してあげたい。


 神気よ、ここに……!


 美和の心の声に応えるように無数の光の粒が揺らめきながら美和の体内へ吸い込まれていった。熱かった手のひらを見ると内側から灯っているように見えた。


「手が光っている……」


 皮膚の表面がキラキラと輝く。光る手でお腹に触れて、お腹の中をイメージして大ノ腸の血の流れがおかしい箇所に修復の念を送る。すると美和の体に吸収された眩い神気の光が波打つように梅さんのお腹に注がれる。


(梅さんの心も治癒されますように……)

 美和は祈った。

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