第21話 琴子の岐路

 近くの女学校よりも家から遠い芸美ノ術科目のある中学校に進学した松野琴子まつのことこは今年、油絵の品評会で金賞を獲った。

 美術の沢野先生も


「本校始まって以来の快挙だ」


 琴子を褒め称えた。画家になりたい夢もあったが、美術の指導師になるのもいいと思った。画家で食べていけるなんて恐れ多く、それよりできるだけ長く絵に携わる仕事であれば何でもいいような気がした。指導師になるにしてもまず〈東の地〉にある大学に行きたいと思うようになっていた。そこまで夢を見ていいのかな。

 家族も喜んでくれるかと思いきや、逆に怒られる始末。


「殿方より優れていると思われては駄目だ。男の立つ瀬がない」

「女は控えめで良いのだ」

「欲が出たか、やはり女学校に入れておくべきだった」


 今さら嘆く。

 父上は私を褒めたことなど一度もなかった。弟には関心を寄せるくせに。母にどれほど支えられているかも分かっていないのかしら。それなのに気に食わないことがあると酒の席で、たとえ家族が見ていようとも母に手をあげる。妻をどう扱ってもいいと思っているのか。


(……女を何だと思っているの)


 白壁の塀で囲っている木造の立派な屋敷が小松家の家だ。その二階に琴子の部屋がある。一般の家より広く立派な部屋を与えられ、彫り師が施した文机を美和がうらやましそうに見ていた。部屋に入り明かりもつけず琴子は座り込んだ。


(それでも、わたしは何もできやしないんだわ)


 自由の聖地である〈東の地〉、確かにあの場所は都会だが軍工場が密集している。戦争になったらただではすまない。だけど、夢がある。〈東の地〉には芸美ノ大学がある。この田舎で大学など、ましてや美術では行かせてもらえないだろうな。万が一、大学に行けたとして、きっと画家にも指導師もなれず終わるのだろう。男社会だから。そんなことは分かっている。それでもこのまま親に勧められた結婚をするだけの人生は嫌だった。


 その昔、先祖が帝から下賜された松野家の領土だが、琴子には〈西の地〉から遠く離れたこの場所が腑に落ちない。戦乱の世に成果を挙げた先祖の功績を誇らしげに父上は語っていたが、有能な部下は反旗を翻しかねない、だから、こんな商売もできないような山奥に領地を与えたのかもしれない―と思っている。なんて、そのようなことをこの国では口が裂けても言えないが。


 庭師が、いつものように広い庭の松の木の選定をしていた。松野家は山も所有しているので雨季になれば椎茸や筍が収穫でき、田畑も人に貸したりしてこの辺では裕福な家に映る。だけど先祖が建てたこの屋敷がいくら立派でも、それほどではないと知っている。お手伝いさんを雇うお金がどこにあるのだろうか。昔からお手伝いさんを雇っていたから急にいなくなると村の人に噂されるのが嫌なのか、単なる虚栄心ならお手伝いさんにお暇を出したらいいのにと思う。


 父上は娘のお見合い相手は自分の家より格上でも格下でも許せない。いっそ格上なら金銭の援助があって、助かるのだろうが弱みを握られたくないのだろう。その難しい条件を満たしてくれる家はそう多くない。母は同等の家柄のお婿さん探しに奔走していた。

 深いため息をつき、立ち上がった時、騒がしい声が聞こえた。


「大変よ。琴子さん」

 慌てた様子のお手伝いさんが下から琴子を呼ぶ。

「何?」

「奥さまが倒れました」

 庭師の剪定の音だけが響き渡った。


 ***


 夏が来る。

 ここは日ノ国の〈東の地〉美和は病院勤めが終わると、森の中を夜中に走り、瞑想して治癒師ちゆしになるための修業をしているが、木霊こだまが見えるようになってからは、目が冴えて空気中に漂う何かが分かるようになってきた。あと一息な気もするし、まだまだ物凄く遠い気もする。うーん。両手を広げ、空を見上げる。


 最近、美和は困ったことがあって、それが休日、毎週のように朱翔あやとが寮に来て、どこか連れ回すのだ。街案内に、喫茶店に公園へ。一体どういうつもりだろうか。今日も朱翔がやってきて連れまわす。


「朱翔さん、そのぉ、蒼翼そうすけさんに頼まれたのか知らないけど、私、忙しいから治癒師の修業あるし、勉強も。毎週のように連れ出さなくてもいいですよ」

「はっ何だよ。人がせっかく案内しているっていうのにその態度はよぉ」

 朱翔はそっぽを向き腕を組み軽くキレる。

(蒼翼さんと違ってぶっきらぼうだし、強引だし、歩くのも早いし何なんなのよ……)


 お茶を飲み終わると


「私、買いたい本あるし、もう行くね」

 立ち上がり去ろうとする美和の腕を朱翔が掴むので固まった。

「え? な、なに」

「ちょっと待てよ……」

 朱翔くんは何か言いたげだが、美和には分からない。


「お前が気になるんだよ」

 うつむいていた顔を真っすぐな目でこちらを見る。

「あの……」


(もしかして告白された? いっぱい女の子いるのになぜ私、焦って混乱する。いや、それよりも)


「そ、それは困るよ、だって……」

「兄との婚約は、まだ正式じゃない」

「……」

(確かに、まだ正式じゃないけど)

「断れよ」

(はぁぁぁ? さすが日ノ国男児だ。勝手だ、勝手。しかもこれ言われたの、2回目だ)


「どうして断らなくちゃならないの?」

「お前はだってそういうものに縛られたくないだろ? 花嫁修業の女学校にも行かず、治癒師になろうとしているんだから。オレも自分の気持ちに正直に生きる。兄だろうと誰だろうと遠慮しない」

「だからと言って朱翔さんはお断りです」

「なっ、なんでなんだよ。人が下手にでりゃあ」

 感情まかせにバンッとテーブルを叩いた。


(あ―、も―。そういうところです)


 突然


 ド……ン バンバンバンバン

(地震? 違うこの音は何? 振動がだんだん大きくなる……?)

 ドォン

 空から焼夷弾しょういだんが雨のように降ってきた。一瞬で、先ほどまでの風景が惨状に変わる。


「あれは壱ノ国いちのくにの爆撃機だ」と誰かが叫ぶ。

「きゃああああああ―――っ」

「逃げろ」

「建物に隠れろ」

「そこをどけえぇ――っ!!」


 怒号、混乱、人々は泣き叫び、逃げ惑う。阿鼻叫喚あびきょうたんの有様だ。外に目を向けると血を流している人がたくさんいる。風圧がすごい、埃が舞い上がる。建物のあちこちが硝子の破片が爆風で飛び散る。突然の出来事に驚きながらも美和は急いでテーブル下に隠れる。


 朱翔は「こっちだ」と言って腕を引っ張り伏せさせる。地面に両手を置き何か唱える。するとパシッっという音とともに美和と近くにいた店にいた数人の人たちを入れて半透明の光の球体に包まれた。

 これは……。



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