第18話 神気
美和は病院で看護助手と働き始めた。最初は看護師の指示に従って仕事の流れを教えてもらい、患者さんの脈の測り方や採血など基本的なことを一通り覚え、問診票の書き方、外来患者への対応など覚えることが盛りだくさんだ。
普段は看護助手として働いているが、よく患者から「お嬢さん、何歳だい?」と尋ねられ、年齢を言うと「かわいそうに」と女性が働いていることに同情される。最後には「息子がいるから嫁にならないかい」などと言われるのだ。もちろん縁談目当てで殿方を紹介してもらい、結婚して看護師をやめていく女子は数多いる。それが日ノ国では常識だ。でも働くことが好きな女子もたくさんいる。しかし病院は忙しいので仕事と両立ができないことと、向こうの両親に理解してもらえないのだろう、ほとんど結婚が決まると辞めていく。
三ヶ月が過ぎた頃、いよいよ治癒師の修業を始める事ができると言われ、師匠の元へ行くことが許された。
病院から長い渡り廊下を歩き別棟にある産婦人科の隣に
(本当にここが診察室? でも木の香りが落ち着く……)
空気がとても気持ちよく澄んでいる。夜になると星が見えるのだろう。治癒師見習いは、美和と梅という名の三十代位の短髪で背の高い痩せた女性もいた。
「よく来たね。
「久しぶりだよ。治癒師になりたい者が現れたのは。今まで治癒師になった者は全国の病院に散らばっているはずだ。
治癒師になるにはねぇ、まずは女村の血筋が重要でね。治癒ができる血統の方はめったにいないから。今回は治癒の弟子は美和さん一人よ。時川梅さんは見鬼できないようだけど大丈夫よ。
「見鬼って何ですか?」
「見えざるものが視える人の事をいうんだよ。霊ノ視だね。ああでも、美和さんは聖獣さまが視えるんだろう? 紹介状に書いてあったよ」
「はい」
「見鬼はね、鬼や妖など異なる世界に通じたモノが視えたり触れたりできる人間のことを言うのさ。自分じゃ気が付いてなかったのかい?」
「鬼とか霊なんてわたし、見たことないですよ。見えたのは……龍だけです」
(それが婚約者って言えないけど)
「私はね、お前さんのばあさんと同じ村に住んでいたよ」
「えっ。そうなんですか」
「私も、女村出身者だ。あんたの祖母は、それは見事な治癒師だったよ。その作務衣はばあさんのだね? 見覚えがある」
「……はい」
「きっとお前はいい治癒師になれるさ」
「はいっ頑張ります!」
胸が熱くなる。やっと、ここから始まるのだ。
治癒師になるにはいくつか条件がある。体力をつけるように、集中力をつけるように、精神統一できるように、体をコントロールできるように、それができるようになったら次は、森羅万象、あるとあらゆるものの神気。大地、植物、水、火、光、空、月、宇宙……。それらから発する波動を捉え、自分に取り込み力に変えて患者に還元する。
「簡単に言うとそういうことだよ。でもね、それができるには治癒の手にならないと神気を取り込むことはできないね」
「波動を捉えて、神気を取り込む?」
「さまざまな〈気〉があるけど霊力をもっているのだ。その霊力を自分の味方につけ、体に取り込みその力で患者を治ことができるようになるには、長く修業を積めばできるようになるってものでもない、研ぎ澄まされた感覚だ。その感覚っていうのが長年やっている私にも説明できなくてねぇ。早くそのやり方を自分で習得することだ」
千穂師匠は自分の手をじっと見る。
「……はい」
「美和さんは聖獣さまが視えた時、どんな感じだい」
「そうですね……。私は違う空気を感じました。神秘的な……」
「この世界にはね、人間の世界と、もう一つの異なる霊的な世界が同時に存在する。普段、霊感のない者は視えないが、たまに宵闇や黄昏時にまぎれて
(霊界……。それは、常世のような異世界のこと?)
「手に神気が宿ると治癒できるようになる」
「どうやって私……感覚か……むしろ鈍感な方ですよ」
「そうねぇ。そこが分からないと難しいところだが、精神を鍛練するのが近道だ。あちらの世界を意識して〈神気〉を感じることだね。だがね、本当の所『この人を助けたい』その強い気持ちが一番さ。霊界の〈気〉がそれに応えてくれる」
昔は女村出身の血筋は治癒師でなく呪術医だった。聖獣が視えることもあって、治癒師は聖獣に惹かれやすく、聖獣と結婚する相手が旧女村出身の者が多い。
(蒼翼さんが私に向ける優しい眼差しは、もしかして私が女村出身の血筋だからなのかな?)
そう聞いて美和は少し複雑な気分になった。
美和は昼間、看護助手として働き、夜は霊力を高めるため、運動して瞑想した。治癒師見習いの梅さんも同部屋なのだが、梅さんは一度も言葉を発しない。話せない、なのかな? 病院でも働いているが、話さないため、雑用が多いのだ。でも夜は看護の勉強を熱心にしていて、治癒師になりたい気持ちは伝わる。
(はー今日も、勉強で遅くなった)
のどの渇きを感じた。確か、寮母のたつ子さんがお茶を作ってくれていたはず。美和にとって、毎日献立を考えず寮母のたつ子さんの料理を食べられるのはありがたい存在で、おかげで勉強に集中できた。深夜、寮の部屋から出て廊下の窓をそっと開けた。頬杖をつきながら、星空を見上げ故郷を想う。
(ずいぶん、遠くに来たような気がする)
星が輝いて静かで空気が澄んでいる暁村が恋しくなった。父様は元気かな。ニワトリの千代とむさし。〈東の地〉に来たいって言っていた琴ちゃんに会いたいな。両手を大きく広げ、息を大きく吸いそしてゆっくり吐いた。
「そうだ、明日、休みだからあの大岩の場所に行ってみよう。蒼翼さんから手紙が来ていないかな?」
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