第3話 夢

 日ノ国にひのくには現帝が住まう帝都〈西の地〉、国の機関が集約された中心都市の〈東の地〉、その間に挟まれた〈中の地〉がある。


 美和の住んでいる地域〈中の地〉は海に面していない。そのかわり大きな川が流れていて、〈西の地〉と〈東の地〉の間を繋ぐ情報の橋渡しのような役割をしているので、美和の住む暁村あかつきむらは上流の奥地で田舎だが、下流の街の方は河のお陰で栄えていた。


 本格的な冬に入る前に食料や調味料など、街に出てまとめて買い物をしなければならない。冬の間は雪が村と街を寸断するからだ。ここ最近、塩や砂糖が入りにくくなっていた。戦争の影響もあるのだろうか。父様と二人で買い物をしに山から街まで下りてきた。

 川沿いに歩くと二つの川が合流する地点があり、本川が流れていて近くに小舟が停泊できる船着き場があり、行商人がやってきては食料品、日用品から珍しい反物などの露店や市場があり賑わっていた。


 川沿いの本通りに婚約者である日路里家のお店もあった。三軒続きの長屋で、胃薬や風邪薬、軟膏など庶民が手に入れやすい薬、消毒液や包帯が置いてあり病院にも卸している。他には日用雑貨や口紅、化粧道具なども販売していて女子に人気のお店とあって店員さんは忙しなく働いていた。長屋にあるお店とは別に本宅が近くにある。


 美和の父である半六はんろくは婚約者の父親である日路里正一ひじりしょういちに美和を紹介しようとお店に寄った。長い廊下を渡り、中庭の奥が客間で座敷に座ると中庭から紅葉が赤く色づいていた。塘路とうろと水がめが置かれ小さな庭に露に濡れた杉苔が映える。客間には床の間に掛け軸が飾ってあり、季節の草花が活けてある。細かい柄の欄間から窓ガラスに反射した日差しがほんわりとした光となって部屋に届く。


 日路里家の当主は恰幅よく羽織袴姿でどっしりとした風格の人だ。けれど商売人らしく話し上手だが威厳があり蒼翼そうすけとはまったく雰囲気が違う。日路里家は一代で商売を成功させ財を成していたので、当主は自信に満ち溢れていた。


「初めまして。美和と申します」


「ああ、美和ちゃんだね。覚えてないかもしれないが幼い頃に一度会ってはいるのだよ。随分大きくなったな。ワシは蒼翼の父、正一と申す。堅苦しい挨拶はその位にしよう、ワシと半六は旧友でなぁ。やあ可愛らしいお嬢さんに育ったな。本当にうちにお嫁に来てくれるのかい?」


「いやーこの子は気が強くて参るよ~。本当にうちの娘でいいのか? ははは」

「倅は優しすぎるからしっかりした嫁さんの方が良い」


(私はそんなに気が強くないよ)


 父様の会話になんだかムッとする。ずっと正座しているからだんだん足がしびれてきた。すると正一は美和の方を向き、

「そうだ、お美和ちゃん、蒼翼はもう寮に入ってここにいなくてなぁ。代わりに恋文を預かっているぞ~若いもんはいいのぉ」

 からかいながらそう言って、茶箪笥から取り出し渡した。


(恋文って何よ? お見合い相手ですけど)


 なんて思いつつ、頬は赤かったかもしれない。うつむきながら無言で受け取った。出されたお茶は香りも良く上品な味だ。高そうなお茶を飲むのも初めてと言っていい。つくづくどうしてここに嫁ぐことになるのか分からない。


 街で買った沢山の荷物を背負い帰ろうとしたら、「未来のお嫁さんにそんなことはさせない」と言って、正一が日路里家の従業員から後で荷物を届けさせると言うのでお任せした。


「あー疲れた」


 慣れない扱われ方に戸惑い、茅葺屋根かやぶきやねの我が家に着いて、小屋を覗きニワトリの千代とむさしを庭に放った。


「コッコッコ……」

 と言って千代が美和に近づく。


「なに?餌が欲しいのね。今日はトウモロコシね」


 いつものように歩きながらパラパラと餌をまく。ヒヨコのころからお世話をしているので母親と思っているのかニワトリの千代は美和が好きなようだ。

 羽を触っても首の下をナデナデしても嫌がらないし、近くに寄って

「コッコッコ(訳:あのねー)……」と今日の出来事を話しかけてくるように思えるから不思議だ。もしかして自分の事を人間って思っている?

 反対に父様が嫌いなご様子で父様の姿が見えただけで「コォォォォッ」と叫んで突進してくちばしで攻撃するのだ。


「父様は嫌われる理由があるの?」

「うぅぅむ。何か気に障る事をしたんじゃろか」


 心当たりはないが、知らないうちに千代の嫌がる事でもしたのでしょう。部屋に戻り、鞄の中に手紙を入れたことを思い出した。封を開け、手紙と封筒の中には切手と葉書が入っていた。それに軍学校の住所も書いてあった。


『婚約者殿

 お返事ありがとう。僕の呼び方も考えてくれたね。君がそう呼ぶなら、僕は美和さんと呼ぶことにします。またお互い歩み寄れたら、なれなれしい呼び方に変わればいいと思っています。未来の夫が僕でよかった理由を率直に書いてくれてありがとう。容姿については好みによるから、美和さんの許容範囲で安堵しています。また優しそうとの事ですが、本当に優しいかどうか、次、会う時に試されますね。夫婦については自分の理想の夫婦を美和さんとこれからゆっくり考えていきたいです。

 僕は特殊部隊とくしゅぶたいに配属されました。毎日、朝早くて慣れない家事と、体を鍛えるための訓練と勉強をしています。休みが取れれば帰るつもりですが、また連絡します。

 ところで、美和さんに夢はありますか、やりたいことはありますか?』


 どくん……


 予想外な最期の一文に心臓が跳ねた。

 夢――女子の私が結婚以外で夢があってもいいの?


 日ノ国の女子は、小学校を卒業すると女学校じょがっこうに3年間通い、そこで花嫁修業し、その間にお見合い相手が決まり卒業と同時に結婚していく。

 女子達はその3年間でよい縁談、殿方に見初められるために裁縫やお料理、ピアノにお琴など励み、あとは夫を支える妻としての心得などを学ぶ。


 結婚しない女子は令嬢であれば大学に行き指導師しどうしになる道もあるが、たとえ高貴な生まれの方であっても、「行かず後家ごけ」「老嬢ろうじょう」と言われ、蔑まされたりすると聞く。だから女子にとって結婚が一番の幸せだと教えられてきた。お見合結婚で幸せに暮らす夫婦もいれば、残念ながらそうでもない場合もよくある話。それでも離婚をしたくてもできないのだ。まず、日ノ国の女子は職に就くことができない。たとえ離婚できたとしても実家には跡取り息子家族がいて肩身が狭く、おまけに女子は財産がもらえない。そうするとどこかのお屋敷で、住み込みで働くか、誰かのめかけになるか選択肢が少ない。


 ――秘めた思いが胸の奥で熱くなっていた。

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