第10話 ストレイシープ

 夜の大学の研究棟けんきゅうとうに、コントラバスのケースを背負ったミチエが立っていた。

 夏も終わり寒くなってきた。ミチエは寒さにふるえた。

 ヒールをはいた足がじんじんする。ミチエはここに来てからもう3時間ほど立ちっぱなしで、彼氏を待っていた。

 ミチエはスマホを取り出し、彼氏とのラインを開いた。『遅れる』や『ごめん』のメッセージは来ていない。

 ミチエはラインのメッセージをさかのぼった。

「最近私の方からしか連絡してないなあ」

 しかも返ってくるのはそっけない返事ばかり。

 付き合いたてのときは毎日向こうからメッセージが来ていたのに。最近会うのも毎日から1ヶ月に1回くらいに減った。

 きっと忙しいんだ。しつこくしたらいやだよね。

 この前も彼氏に人への気づかいができてないって怒られたし。

 ひまなのでスマホで大学のページにアクセスし、自分の成績を確認した。

 不可ふかの評価ばかりだった。りょう以上の評価が一つもない。

 また成績が悪くなってる。

 そこで、彼氏がやっと研究棟けんきゅうとうから出てきた。

 ミチエは甘えた声で、

「遅いよ。一緒に帰ろうって約束してたのに」

 彼氏はそっけなく、

「はあ。先輩せんぱいと話してたんだよ」

 ミチエはぞわぞわと不安になった。

 私、なんか変なこと言った?

 ミチエと彼氏は2人で帰り道を歩いた。無言の時間がつづいた。

「先輩と何話してたの?」

「このまえ研究機器けんきゅうきき講習こうしゅうで海外に行ったからその話」

「え?私その話聞いてないよ」

 何で?と聞こうと思った。でもメンヘラ女だと思われたくない。

「お土産みやげはー?」

 茶化ちゃかすように聞いてみた。

「遊びに行ったんじゃねえんだぞ」

 彼氏は強い口調で言ったので、ミチエはおどろいた。

「ご、ごめん」

「何にもできないお前と違って教授きょうじゅの先輩も後輩もみんな俺を頼ってくるから俺は忙しいんだよ」

「何でもできるもん!」

「できないだろ。この間もバイトでミスしたくせに」

 彼氏はミチエをこづいた。ミチエはイラッとした。

 ミチエのミスは、キッチンの炊飯器すいはんきのボタンを押し忘れたとか、パフェの具材ぐざいを間違えたとか、そんな小さなことだ。

 自分だって似たようなミスすることあるくせに。

 だが表には出さないようにした。

「はあ。こっちは疲れてんのにさー」

 私だって3時間待たされて疲れてるんですけど。

 ミチエはぐっとその言葉を飲みこんだ。

 きらわれたらいやだ。振られるかもしれない。

 また無言むごんになった。

 沈黙ちんもくがいたたまれず、ミチエは彼氏の手をにぎった。付き合いたてのときはあたたかくやわらかかった彼の手が、ビニールみたいに無機質むきしつでしっくりこない。

 彼氏はばっとミチエの手を払った。

「何で?」

「何も考えてないお前にわかるか」

 彼氏は無言のまま前を向いたままだった。

 ミチエは彼氏の横顔よこがおをみあげた。

 彼氏の顔がマサキみのブサイクな顔に見えた。スタイルも好みじゃない。

 彼氏がミチエのことをほめてくれたのは最初だけ。今はミチエを徹底的てっていてきに見下し、罵倒ばとうし、悪い方に決めつける。会話といえば自分の自慢話じまんばなししかしない。

 何でこんないやな奴好きになったんだろう。早く帰ってカンナちゃんとラインしたい。

 

 山道やまみち

 バスの窓から紅葉こうようした山の景色けしきが見えた。

 バスの座席には、うきうき顔のオケ部員ぶいんたちが乗っていた。

 ミチエとカンナもとなり同士どうしで座っていた。

 ミチエのとなりに座ったカンナが、ミチエの話を聞いてあぜんとしていた。

「その人大丈夫?話し合った方がいいよ」

「うーん。でも私はブスだから」

「どういうこと?」

「私みたいなブスと付き合ってくれる人なんて他にいないだろうから、変に怒らせてられたらやなんだ。告白とかされたことないし、一生彼氏できないだろうし、人から愛される経験なんて今後ないだろうし。手放したくないの」

「ミチエちゃんはブスじゃないよ」

「ありがとう。なぐさめてくれるんだね。でもブスなのは事実だから」

「違うって。だからね」

合宿がっしゅくのしおりを配りまーす」

「うぇーい!」

 カンナの説得は、オケ部員の元気な声にかき消された。

 ミチエたちの前の席に、窓際まどぎわで太く短い足を組み、景色けしきを見ているサトミと、となりでちんまり大人しく座っているヨシナガがいた。

「……サトミ、何のこと考えてる?」

「ストレイシープ。迷える子羊こひつじちゃん。よくないわ」

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