第9話 上昇

 雨はそのうちやんだ。

 

 その晩、買った服の袋をかかえたミチエのアパートに帰ると、

「ん?鍵あいてる」

 部屋に電気もついていた。

「あ。やっと帰ってきた」

 部屋の中には母親がいた。

「ちょっとお母さん。何勝手に来てんの?」

「いいじゃない。家でお父さんと2人じゃ会話がないの」

「そういう問題じゃないよ」

「それよりあんた部屋の片付けしなさい。女のくせに散らかり放題ほうだいなんだから」

「私だって忙しいんだよ」

「服と雑誌と化粧品ばっかり買って。高校までは興味なかったくせに。色気づいても片付けられないんじゃ男の子も逃げるよ。テレビでやってたんだから」

「そうなの?」

「そう。片付けられない女は愛せないって統計とうけいが出てるって」

 それを聞いた途端とたん、ミチエは顔をゆがめ、わんわん泣きだした。

「何?どうしたの?」

「私もう誰にも愛されないのかなあ」

「はあ?何なの?」

 ミチエは泣き続けた。

「何があったの?言ってごらん」

「私ブスなの」

「え?」

「だから人よりがんばらなきゃ」

「……そんなこと?あはは」

「なんで笑うの?」

「あんたよりブスでつらい思いしてる人なんていっぱいいるって。この前テレビで顔に生まれつき腫瘍しゅようのある人の特集とくしゅうやってたよ。あんたはちゃんとした顔で十分幸せだよ」

「それはそうだけど」

「大体あんた勉強の方はどうなの?家に成績表届いてたけどありゃひどいよ」

「う」

 勉強する気にならないでいたら、成績は暗澹あんたんたるものとなった。

「誰のおかげで大学行けたと思ってるの?最近はお父さんの会社不景気で厳しいんだから、成績落ちたら仕送りもしないよ。金ばっか使って」

 ミチエは何一つ言い返せなった。

  

 数日後、とあるチェーンのファミレスは、客でにぎわっていた。

 ファミレスのキッチンに、エプロンと頭をおおう帽子、それからマスクをつけたミチエが入った。

 キッチンにはすでに従業員がいた。若い男性だ。

「あ、今日からバイトで入る水橋みずはしです」

「よろしく。とりあえず皿洗いお願い」

 ミチエは言われた通り、大きなシンクにたまった皿をスポンジで洗った。

 途中でちらちらとシンクに映る自分の目元をながめた。

 目がブスだな。アイプチ変えようかな。

 すると男性がミチエのとなりに来て、一緒に皿を洗い始めた。

「キッチン大変だけど大丈夫?店長に言ってホールに変えてもらったら?」

「え?あ、でも私、接客向いてないと思うんで」

 こんなブスに食べ物運ばれても、お客さんが気を悪くするだけだろうし。

「そう?どんぐらい入れるの?」

遅番おそばんで毎日入れます」

「そんなに?君フリーター?」

「あ、学生ですけど」

加尾大かおだい?」

「はい」

「俺も加尾大かおだいなんだ。院生いんせいだけど」

「え?そうなんですか?」

「てかそんなに入って大丈夫?」

「あ、はい。がんばります」

 お金ほしいんで。

「ふーん。俺そういう子好きだよ。がんばる子って何かかわいいじゃん」

「え?あ、そうですか」

 ミチエの頭の中がふわふわしたもので満たされた。

 男性がヨシナガ先輩並みのイケメンに見えてきた。

 

 大学の音楽室。

 オーケストラ部の部員たちが、思い思いに楽器を練習していた。

 カンナもフルートを吹いている。

 カンナの近くでサトミとヨシナガも、バイオリンとチェロを練習していた。

 そこへコントラバスのケースを背負ったミチエがやってきた。

「カーンナちゃん」

「あ。ミチエちゃん。何か今日きれいだね」

「ほんと?」

「うん。どうしたの?」

「実は彼氏できちゃった」

「えー!すごいじゃん。どんな人?」

「バイト先の人なんだけどね」

 ミチエはスマホを取り出し、彼氏の写真をカンナに見せようとした。

 カンナはミチエのスマホの画面をのぞこうと、顔を近づけた。

「あれ?ミチエちゃんくま大丈夫?」

「え?見える?コンシーラーつけてるけど。てかカンナちゃんも彼氏できたんじゃないの?」

「できてないよ。何で?」

「チューバの先輩だよ。あの人が好きなの?」

「……別に。しつこく誘われただけ」

 カンナは目をふせた。

 ミチエにはその表情が、つらさを押し殺しているように思えた。

 ずきり胸が痛んだ。カンナがつらそうにしていると、自分までつらい。

 話題を変えなければ。

「くまできたのは深夜アニメの見過ぎかなー」

「最近面白いアニメあった?」

「うーんとね」

 カンナは笑顔になり、おしゃべりに花が咲きだした。

 よかった。楽しんでくれてるみたい。

 2人がおしゃべりをしていると、マサキが近くを通りかかった。

「おいティタン」

 ミチエはすまし顔でマサキを無視した。

「ノリ悪い」

 マサキは舌打ちし、通り過ぎていった。

 ミチエとカンナは顔を見合わせ、したり顔で笑った。

 ヨシナガとサトミもにっと笑い、小さくミチエに声をかけた。

「……やるじゃん」

「その調子よ」

「えへへ」

 これも彼氏のおかげかな。プライド持てたから。

 私の人生、うまく行き始めたかも。

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