第2章 キャンパスライフ

第2話 キャンパスライフ

○ミチエのアパート(朝)

   散らかった部屋。ファッション誌が開きっぱなしで床に放置されている。

   ページのモデルは、淡い花柄のピンクのワンピースを着ている。1万8千円と書かれている。

   全身が見える立ち鏡の前に、ミチエ(19)が立っている。ニィっと笑ったり、口をすぼめる。

   メガネは外してコンタクトし、髪も茶色に染めている。服は、ファッション誌のモデルと全く同じワンピース。太ったミチエには、服がきつくてはち切れそう。さらに胴体が長いので、どうしても猫背になる。

   ミチエはスマホで動画を見る。顔体操の動画。

 

動画「はい笑顔。はい口をすぼめる。この動きを1日20回! 小顔体操でした」

 

   動画が終わる。ミチエはお気に入りリストの別の動画を再生する。タイトルは小鼻縮小。

 

動画「小鼻を優しくクルクルします」

 

   ミチエは動画の通りに小鼻に指を当て、クルクルする。

   広告の動画が入る。

 

ミチエ「広告うざい」

 

   ミチエは広告動画を消そうとする。広告内の『二重』の2文字を見、手を止める。

   

動画の声「二重まぶたがこんなに簡単にできちゃいます!」

 

   まぶたのビフォーアフターの写真。

   ミチエはその広告のURLを押してみる。

   美容外科のページ。様々な症例。目や鼻や顎を切った例もある。赤黒いカサブタができ、紫にむくんでいる。

   

ミチエ「痛そう。こんなのやる人いるの?」

 

   と言いながら、ミチエは症例写真に釘づけ。

   「ライン友達登録でさらに症例を紹介!」と書いてある。ついクリニックのラインを友達に追加してしまう。

   スマホの時計の時間を見て、

   

ミチエ「あれ? もうこんな時間? 授業始まっちゃう」

 

 

〇加尾良大学・大教室(朝)

   授業前。

   座ったカンナ(19)が、生協のモーニングサンドイッチを食べている。

   しまむらの灰色のワンピースを着ている。

   そこへ男子学生がやってくる。


男子学生「ねえ、キミ比文の子?」

カンナ「え? あ、考古学科ですけど」

男子学生「かわいいね。名前何て言うの? ライン交換しない? 隣座っていい?」

カンナ「(戸惑い)え? えー……?」

 

   花柄のワンピースを着たミチエがやってくる。

   

ミチエ「あ、おはようカンナちゃん」

 

   カンナはすがるようにミチエを見つめる。

   男子学生はムスっとし、少し離れた別の席に座る。

   ミチエは立ち止まる。

 


〇大学・音楽室

   学生たちが各々楽器を練習している。

   カンナはフルートのグループでフルートを吹いている。マサキ(19)が近づいてくる。


マサキ「カンナちゃんフルートにしたんだ」

カンナ「え。ああ。ジャンケンで負けたから……」

マサキ「俺パーカス。遊びに来て」

カンナ「え? あ、うん」

 

   弦楽のグループでは、部員たちがバイオリンやチェロを弾いている。他のグループより女子学生が多い。

   ミチエは自分の背丈より大きいコントラバスの弦に弓を当て、左右に動かし、ギーギー音を鳴らしている。

   ミチエの隣では、白のワイシャツに黒のスーツのズボンを着た、長身で彫りの深い端麗な顔立ちの男子学生(ヨシナガ)(20)が、チェロを華麗に弾いている。眉根をよせ、真剣な表情をしている。

   ミチエは聴き惚れる。

   周りの女子学生たちも、うっとり見惚れている。

 

女子学生1「二年の佳永よしなが先輩、数学科の人なのにプロみたい」

女子学生2「小さい頃からチェロやってたんだって」 

 

   ヨシナガが演奏を終えると、拍手が上がる。

   ミチエは感動する。


ミチエ「あ、ヨシナガ先輩!」

ヨシナガ「……ん?」


   ヨシナガは表情を動かさず、きれいな顔をゆっくりミチエの方に向ける。

   ミチエは赤面し、しどろもどろになる。

  

ミチエ「あ、えっと、私水橋って言うんですけど、ほんとは好きなアニメでチェロうまいキャラがいて、チェロやりたかったんですけど、ジャンケンでコンバスになったんですけど……」


   ヨシナガは不思議そうな様子で黙っている。女子学生たちが嫌な顔をする。

   ミチエの額に脂汗が浮く。

   

ミチエ「えと、だから、ど、どうやったらそんなにうまく弾けるようになるのかなって……」

 

   沈黙が降りる。ミチエはいたたまれない。

 

ヨシナガ「(ボソッと)……時間」

 

   ミチエは時計を見上げる。

 

ミチエ「今は18時すぎですけど……」

ヨシナガ「……違う。正しい」

 

   ミチエは混乱する。

   急にバイオリンの美しい演奏が始まる。弾いているのは、ショートボブの小太りの女子学生(サレン)(21)。肉饅を鉄板で潰したような顔をしている。目も潰れていると言っていいほど小さいし、鼻の穴が全部見える。そのくせ真っ赤な唇にアイラインをくっきり引いた、海外タレントのようなメイクをしている。

   服装は高そうな花柄のワンピース。

   ヨシナガが口角を上げ、


ヨシナガ「サレン」

 

   サレンは演奏をやめ、ミチエに自信たっぷり、色気たっぷりに話しかける。


サレン「あなた、新入生の水橋さんと言ったかしら」

ミチエ「あ、はい」

サレン「あたくしは金前院きんぜんいん沙蓮されん。教育学科の三年、オーケストラ部部長よ。バイオリンと指揮者をしているの。部長の仕事が忙しくてきちんとあいさつができなかったわね」

ミチエ「あ、はい。どうも」

サレン「うまくなるには練習時間を正しい方法で重ねることよ」

ミチエ「え? あ、はい」

サレン「さっきリョウくんが時間、正しいと言ったのはそういうこと」

ミチエ「リョ、リョウくん?」

ヨシナガ「……サレンだけ。俺をわかってくれるの」

 

   ヨシナガはサレンにキスする。

   みんなドン引きする。

   サレンは得意げに、


サレン「あらやだぁ〜。いくらあたくしたちが部公認のアベェ〜ックだからって。みなさんが見ていらっしゃるじゃないのぉ〜」

 

   女子が騒然とする。

 

女子学生「二人は付き合っているんですか?!」

サレン「(堂々と)何か問題でも?」

 

   サレンは余裕綽々で、ヨシナガの唇についた真っ赤な口紅を拭き取る。

   女子学生たちが顔をひきつらせ、ヨシナガたちから離れる。

 

女子学生1「あっちで練習してくる」

女子学生2「私オケ部やめようかな」

女子学生3「私も」


   残ったのは、二人だけの世界で演奏するヨシナガとサレン、呆然としたミチエだけ。

 

 

〇土曜日の大学・同(夕)

   大学は閑散としている。

   オケ部の全体の合奏。サレンが指揮を取っている。ミチエやカンナも演奏している。

   演奏が終わる。


サレン「(色気たっぷりに)今日はここまで。夏の定期公演に向けてなお一層練習にはげんでくださいな。自主練習はどうぞご自由に」

 

   早々にチェロを片付けたヨシナガと、サレンは出ていく。

   部員が騒ぎ出す。

 

部員1「この後焼肉行く人ー」

部員2「はーい」

 

   チューバの先輩が気さくにミチエに声をかける。

 

先輩「水橋、コンバスの演奏いい感じだった」

ミチエ「(照れ)あ、ありがとうございます」

 

   ミチエは先輩に見惚れる。

   

ミチエ「この後は残って練習しますか?」

先輩「うん。そうするつもり」

ミチエ「よかったら一緒に……」

 

   突然マサキの大声があがる。

   

マサキ「カンナちゃんが飲みにくるぞ!!」

 

   男子部員がワイワイ盛り上がる中心で、カンナが困ったようにしている。

   チューバの先輩も「おおっ」と声をあげる。

   

先輩「俺やっぱ飲み行くわ」

 

   ミチエはあぜんとする。

   カンナたちを取り巻く男子たちを、女子部員は冷たい目で眺め、さっさと音楽室から出てる。

   カンナがミチエに駆け寄り、

 

カンナ「ミチエちゃんミチエちゃん。一緒に来て。マサキがしつこいから行くって言っちゃった」

 

   マサキがミチエに言葉を投げる。

  

マサキ「水橋は来なくていいからな。ブタの前でブタ食ったら罪悪感すげーんだよ。顔までそっくりなんだぜ」

 

   男子部員が大笑い。先輩もくすっと笑う。

   ミチエもカンナも暗い表情。

 

カンナ「ミチエちゃん。気にしないで」

 

   ミチエは引き攣った笑みで、

 

ミチエ「いいよ。私この後も練習するの。ブスがいたらみんなのお酒がまずくなるから」

マサキ「カンナちゃん早く行こうよ」

先輩「カンナちゃん話すと面白いよなー。面白くてかわいいとか最強じゃん」

 

   カンナは男子学生たちに取り囲まれる。

   

   

〇同・同・廊下(夜)

   隅で黙々と練習するミチエの前を、カンナを取り囲んだ男子たちが通り過ぎる。

 

マサキ「かわいい子はやっぱちがうよなー」

 

   ミチエは黙々と練習を続ける。



○ホールの前

   夏。オケ部の定期演奏会の看板が立てかけられている。

 


○ホールの中・壇上

   観客席に座る観客を見下ろし、半袖のオケ部員たちが演奏する。サレンが指揮をしている。

   前でカンナがフルートを、後ろでミチエが一生懸命コントラバスを弾いている。春より上達している。

   演奏が終わると、一斉に拍手があがる。サレンが堂々とおじぎをする。

   ミチエは顔をあげる。やつれている。


 

○居酒屋の座敷(夜)

   オケ部の学生たちが座っている。

   

部員「オケ部定期演奏会の成功を祝してかんぱーい!」

 

   部員たちがワッと盛り上がり、乾杯する。

   隣同士のミチエとカンナは、二人でおしゃべりしている。

   

ミチエ「進撃のティタンの最新話読んだ?」

カンナ「読んだ。続きが気になるんだけど……」

   

   カンナはミチエの皿を見、

 

カンナ「あれ? ミチエちゃんお米食べないの?」

ミチエ「うん。炭水化物抜きたくて」

カンナ「ミチエちゃん最近やせた?」

 

   そこへ、マサキとその他の男子部員が割って入る。


マサキ「カンナちゃん進撃のティタン読むの?」

カンナ「あぁ、うん……」

マサキ「俺も1巻読んだ。あれ面白いよなー」

 

   ミチエは黙って男部員子にサラダを取りわける。男子たちはお礼も言わずにサラダを貪る。

   

マサキ「ティタンの顔、水橋に似てね? 体型も似てね?」

 

   男子部員たちが大笑いする。

   女子部員もニヤッとする。

   カンナが口を開きかける。

   ミチエが大笑いする。

   

ミチエ「だよね! 私もそう思ってた。1巻3話に出てた巨人だよね」

マサキ「そーそー。よく覚えてんなぁ」

ミチエ「だって私に似てたもん」

マサキ「ちょっとあのポーズやってみ」

 

   ミチエは白目を剥き、うめいてみせる。

   男子部員たちは大笑いする。女子も笑っている。

   カンナは心配そうにしている。

   少し離れた席に座ったサレンが、ヨシナガの隣でミチエをじっと眺めている。


 

○居酒屋の前(夜)

   酔っ払ったオケ部員が店から次々出る。

   

部員1「二次会行く人ー!」

部員2「はーい」

部員3「カンナちゃんも来なよ」

カンナ「え? 私はいいです」

マサキ「いいじゃん。俺おごるからさー」

 

   カンナは嫌そうにするが、男子学生たちに囲まれ、強く反論できない。

   ミチエはスッとその場を離れる。

   一人で帰ろうとする。

   

サレンの声「ちょっと水橋さん」

 

   ミチエの横を、後ろからヨシナガの漕ぐ自転車が通り過ぎる。

   荷台に乗ったサレンが、腕を組んで神妙な表情をしている。

   

ミチエ「部長、家近いんですか?」

サレン「リョウくんの住まいがすぐ近くなの。それより今日のコンバスの演奏はなかなかだったわ。初心者ビギナーにしてはインプルーブメントが早いようよ。筋がよろしいのじゃないかしら」

ミチエ「は、はあ……」

サレン「だからあなた、自分にもっとプライドをお持ちなさい」


   ミチエはキョトンとする。

   ペダルを漕ぐヨシナガが、ぜいぜいと苦しそうに息をする。

   

ヨシナガ「……サレン、疲れた。やせて」

サレン「レッツ・トレーニング・ユア・レッグ。足をお鍛えなさい。あなたがね」

ヨシナガ「……うん」

 

   太ったサレンを乗せたヨシナガの自転車は、さっさと遠くへ行ってしまう。

   ミチエは見送る。

 


○デパート・アパレル

   色とりどりの服。売り子が売り文句を叫んでいる。

   ミチエは一人で服を探し回っている。


ミチエ「プライドってどうやってつければいいの? 少しでもかわいくなれればいいの?」

 

   姿見の前に立ち、さまざまな服を体の上に重ねてみる。鏡の前で首を伸ばし、じっと自分の顔を見つめる。

   

ミチエ「うわ。ブス」

 

   売り子が話しかけてくる。

 

売り子「お決まりになりました? もう一時間になりますが」

ミチエ「え? あ、はい、すみません」

  

  

○同・薬局・コスメカウンター前

   座っているミチエのまぶたに、店員がアイシャドウを塗りたくる。

   

店員「今期はブラウンのシャドウが流行ってます。このマッドな口紅は当店の人気商品でして」

ミチエ「はあ」

店員「あ、こちらのチークは当店一推しですよ」

   

   鏡を見るミチエは、

   

ミチエ「ブスだなぁ。これじゃ塗り絵」

   

   店員は硬直する。

   ミチエはそそくさと立ち上がり、店を出る。


    

○路上・カフェの前(夜)

   小雨。カフェの軒下で、買い物袋を抱えたミチエが雨宿りしている。

   

ミチエ「最悪。新しい服濡れちゃったよ」

    

   カフェのショーウィンドウのガラスに、ミチエの顔が写っている。メイクが雨で崩れている。

   ガラス越しに、何組ものカップルが見える。

   客の中にカンナがいる。いつもよりおしゃれな白いワンピースで、笑っている。

   

ミチエ「あれ?」

 

   カンナの前には、チューバの先輩が座っている。

   ガラスの向こうのカンナの笑い顔と、ガラスに写ったミチエの顔が重なる。ミチエの顔は歪み、崩れている。


 

○ミチエのアパート(夜)

   部屋に疲れたようなミチエが入る。

   電気がついている。

   部屋の中に母親がいる。

   

母親「あ。やっと帰ってきた」

ミチエ「お母さん? 何勝手に入ってんの?」

母親「いいじゃない。家でお父さんと二人だと会話がないの」

ミチエ「そういう問題じゃないよ」

 

   母親はミチエの部屋を片付けながら、

 

母親「あんた部屋の片付けしなさい。女のくせに散らかり放題なんだから」

ミチエ「私だって忙しいの」

母親「服と雑誌と化粧品ばっかり買って。高校までは興味なかったくせに。色気づいても片付けられないんじゃ男の子も逃げるよ。テレビでやってたんだから」

ミチエ「え?」

母親「片付けられない女は愛せないって」

 

   一拍固まってから、ミチエは泣きだす。

   母親は戸惑う。

 

ミチエ「(えずきながら)私もう誰にも愛されないの?」

母親「何があったの? 言ってごらん」

ミチエ「私ブスなの。だから人よりがんばらなきゃいけないの」

 

   母親は大笑いする。

 

母親「あんたよりつらい思いしてる人なんていっぱいいるって。この前テレビで顔に生まれつき腫瘍のある人の特集やってたよ。あんたはちゃんとした顔で十分幸せだよ」

ミチエ「(怒り)そういう問題じゃない」

母親「大体あんた勉強の方はどうなの? 家に成績表届いてたけどありゃひどい」


   ミチエは口ごもる。

  

母親「誰のおかげで大学行けた? 最近はお父さんの会社不景気で厳しいんだから仕送りもできないよ。金ばっか使って」

 

   ミチエは言い返せない。

  

 

○ファミレス・キッチン(夜)

   ミチエが皿洗いしている。

   となりで大学院生が皿を洗っている。

   

大学院生「新しく来た子だよね。どんくらい入れるの?」

ミチエ「遅番で毎日入れます」

大学院生「そんなに? 君フリーター?」

ミチエ「あ、学生ですけど」

大学院生「加尾大? 俺も。院生だけど」

 

   ミチエは目を丸くする。

 

大学院生「そんなに入って大丈夫?」

ミチエ「あ、はい。お金ほしいんで。がんばります」

大学院生「ふーん。俺そういう子好き。がんばる子って何かかわいいよね」

 

   ミチエは顔を上げる。大学院生が、ヨシナガ先輩並みのイケメンに見えてくる。

   

 

○大学・音楽室

   カンナがフルートを吹いている。

   近くでサレンとヨシナガが、バイオリンとチェロを練習している。

   コントラバスのケースを背負ったミチエがやってくる。


カンナ「あ。ミチエちゃん。何か今日きれいだね」


   ミチエは照れ笑いする。

 

ミチエ「実は彼氏できちゃった」

カンナ「えー! すごいじゃん。どんな人?」

ミチエ「バイト先の人なんだけどね」

 

   ミチエは自分のスマホを差し出す。

   カンナは画面をのぞこうと顔を近づける。

   ミチエの目元に乗った粉に気づく。

 

カンナ「クマ大丈夫?」

ミチエ「見える? コンシーラーつけてるけど。てかカンナちゃんも彼氏できたんじゃないの?」

カンナ「できてないよ。何で?」

ミチエ「チューバの先輩だよ。あの人が好きなの?」

 

   カンナは目を伏せ、つらさを押し殺しているような表情で、

 

カンナ「……別に。しつこく誘われただけ」


   ミチエは気まずくり、引き攣った笑みを浮かべる。


ミチエ「クマできたのは深夜アニメの見過ぎかなー」

 

   カンナの表情が柔らかくなる。

 

カンナ「最近面白いアニメあった?」

ミチエ「うーんとね」

 

   マサキが近くを通る。

 

マサキ「おいティタン」

 

   ミチエは澄まし顔で無視する。

 

マサキ「ノリ悪ぃ」

 

   マサキは通り過ぎる。

   ミチエとカンナは顔を見合わせ、したり顔で笑う。

   ヨシナガとサレンがミチエに声をかける。

   

ヨシナガ「……やるじゃん」

サレン「その調子よ」

ミチエ「えへへ」


 

○同・研究棟の前(夜)

   秋。木枯らしが風に吹き飛ばされる。

   コントラバスのケースを背負ったミチエがくしゃみをする。

   ヒールを履いた足の踵を上げ下げする。

   ミチエは大学院生とのラインを開く。メッセージは来ていない。ここに来てから、もう三時間ほど立って待っている。


ミチエ「最近連絡してくれない。私からばっかり。ここで待つのは習慣だけど」


   しかも返ってくるのは、「ああ」とか「そう」とか、そっけない返事ばかり。

   ラインを遡ると、毎日向こうからメッセージが来ている。

   一番最近のメッセージは、昨日送った「最近1ヶ月に1回しか会えてないね」というメッセージ。返信は来ていない。

 

ミチエ「返信なかったら連絡するの怖いよ。でもきっと忙しいんだ。しつこくしたら嫌だよね」

 

   大学院生が研究棟から出てくる。

   

ミチエ「(甘えた声)遅いよ。一緒に帰ろうって約束してたのに」

大学院生「(そっけなく)先輩と話してたんだよ」

 

   二人で帰り道を歩く。無言。

   

ミチエ「先輩と何話してたの?」

大学院生「研究機器の講習で海外に行ったからその話」

ミチエ「え? 私その話聞いてない。なん……」

 

   大学院生の迷惑そうな表情に、ミチエは口ごもる。

 

ミチエ「(茶化すように)お土産はー?」

大学院生「(強い口調)遊びに行ったんじゃねぇ!」

 

   ミチエは怯む。

   

大学院生「何にもできないお前と違って、教授の先輩も後輩もみんな俺を頼ってくるから俺は忙しいんだよ!」

ミチエ「何その言い方。なんで決めつけるの?」

大学院生「できないだろ。この間もバイトでミスしたくせに」

 

   大学院生はミチエを小突く。ミチエはイラッとする。

 

ミチエ「自分だって似たようなミスすることあるくせに」

大学院生「はあ。こっちは疲れてんのにさー」

ミチエ「私だって三時間待たされて疲れてるんですけど」

 

   ミチエは大学院生の手を握る。

   大学院生はばっとミチエの手を払う。

   

ミチエ「何で?」

大学院生「何も考えてないお前にわかるか」

 

   大学院生は無言のまま前を向いている。

   ミチエは大学院生の横顔を見上げる。

  

ミチエの心「マサキ並みにブサイク。スタイルも好みじゃない。ほめてくれたのは最初だけ。今は徹底的に見下し、罵倒し、悪いほうに決めつける。会話といえば自分の自慢話だけ。自己中のクズ男。何でこんな嫌な奴好きになったんだろう。早く帰ってカンナちゃんとラインしたい」

 

 

○山道・道路を走るバスの中

   オケ部員が乗ったバス。窓から紅葉した山の景色が見える。

   ミチエの隣に座ったカンナが、ミチエの話を聞き、口をポカンと開ける。


カンナ「その人大丈夫? 話し合った方がいいよ」

ミチエ「うーん。でも私はブスだから」


   カンナはギョッとする。


ミチエ「私みたいなブスと付き合ってくれる人なんて他にいない。変に怒らせて別れられたらヤなんだ。もう一生彼氏できないだろうし」

カンナ「(深刻そうに)ミチエちゃんはブスじゃないよ。あのね……」

部員「合宿のしおり配りまーす」

 

   カンナの言葉は元気な声にかき消される。

   ミチエたちの前の席に、サレンとヨシナガが並んで座っている。

   足を組んだサレンは、チラッと後ろの席を振り返る。

 

ヨシナガ「……サレン、何考えてる?」

サレン「迷える子羊ちゃん。よくないわ」

 

 

○山・ペンション

   大きな別荘のようなペンション。

   オケ部員たちがバスから楽器を運び出す。

 

 

○同・同・小ホール 

   オケ部が合奏する。


 

○同・同・キッチン(夕)

   女子学生たちが野菜を切り、肉を用意している。炒め物やスープも作っている。

   

女子部員「切り終わったらバーベキュー場に持ってこ」


   キッチンから外が見える。

   セットされたバーベキューのコンロやテーブルの前で、男子学生たちが酒の缶をあけている。

   ミチエはたまごスープの鍋をかき回し、近くで野菜を盛り付けるカンナに声をかける。


ミチエ「何で女子だけ料理なんだろうね。朝ご飯も女子だけで準備したじゃん」

カンナ「料理は女子がするものだからじゃん?」

ミチエ「なんかさー、料理もして部屋の片付けもして、勉強も楽器もサークルの仕事もして見た目もきれいになきゃいけないって、女子って大変じゃない?」

女子部員「(大声)カンナちゃん! 野菜切ったなら早く運んで」

カンナ「あ、はーい!」


   カンナは野菜の盛られた皿を持って行ってしまう。


ミチエ「(ため息)なんか疲れた」

 

 

○同・バーベキュー場(夜)

   飲んだくれたオケ部員たちが、肉を焼いている。

   カンナはマサキやチューバの先輩ら男子に囲まれている。

   椅子に座ったミチエは、ひとりモグモグとキャベツを貪っている。

   サレンがやって来る。ワイングラスを三つ持ったヨシナガを連れている。

   

サレン「水橋さん。ヴァンもいかが? パパの出張のお土産よ」

ミチエ「? ヴァン?」

サレン「おフランスの言葉でワインのことを指しますわ」

ミチエ「あ、そうですか。どうも」

 

   ヨシナガが無言でグラスにワインを注ぐ。


サレン「余計なお世話ですけど、今のあなたの男、あたくしは別れて何の問題もないと思いますわ」

ミチエ「聞いてたんですか?」

サレン「おいやだった?」

ミチエ「別にいいですよ。でも私はブスだから」

サレン「はっきり言いますけどね。確かに入部したてのあなたは美しくありませんでした」

 

   ミチエは納得したように何度も頷く。

 

ミチエ「ですよね」

サレン「ですけれど最近はなかなかよ。雰囲気が出てますもの。努力してらっしゃるのでしょう?」

ミチエ「なぐさめをありがとうございます。でもいくら努力したって元の顔がブスならいつまでもブスですよ」

サレン「例えそうでもあなたは優しくて努力家。もっといい相手が見つかるに決まってますわ」

ミチエ「絶対ないです。私ほんとブスなんで」

サレン「あなたがそこまで言うなら何も言いません。でももう一度はっきり言いますけどね、その男、害よ。あなたにとって」

 

   ミチエは苦笑いする。

 

ミチエ「はっきり言いますね」

サレン「害になる縁はキッパリお捨てなさい。自分を大事にするのが優先」

 

   ミチエは大きく息を吸う。

 

ミチエ「……いいこと聞いた気がします。合宿から帰ったらとりあえず話し合いはしようかな」

 

   ヨシナガが、ミチエとサレンにワイングラスを渡す。

   サレンはグラスを掲げる。

 

サレン「健闘を祈るわ。水橋さんのよりよい未来に乾杯」


   三人が突き合わせたグラスが、チンッと音を立てる。


サレン「話は変わるけれど、あたくしもうすぐ部長を引退する時期に来ているわ。そこであなたをこの場で次期主務に指名したいの」

ミチエ「(驚く)主務は部長補佐みたいなものじゃないですか。私なんか」

サレン「あなたが一年生の中で一番いい働きをしてくれるもの。今の主務はリョウくんよ。引き継いでちょうだい。来年から部長はリョウくん、その補佐の主務はあなた。その体制がベストだと思ってますの。頼めるかしら」

 

   ヨシナガも頷く。

   ミチエは照れる。

 

ミチエ「そんな風に言ってもらってうれしいです。サレン先輩がいなくなっちゃうのは寂しいな」

サレン「あたくしは大学院に進学します。しばらくオケ部にいますから、いつでも相談に乗ります。どちらにせよリョウくんを助けるつもりでしたから」

ミチエ「心強いです。お二人がいてくれたら私、何でもできる気がします」

サレン「よろしくね」

ヨシナガ「……よろしく」

 

   サレンとヨシナガが、同時に手を差し出してくる。

   ミチエは少し迷ってから、自分の両手をクロスさせ、二人と握手する。

   サレンは満足げにする。

 

サレン「せっかくですからお肉も食べてらっしゃい。このヴァンとよく合う品をリョウくんが用意したの。あのテーブルの上のよ」

 

   ヨシナガが、向こうのテーブルを指差す。

   

ミチエ「ほんとにありがとうございます。先輩方」

 

   ミチエは軽く頭を下げ、指さされたテーブルへ行く。

   学生たちがわいわい談笑している。ミチエは彼らを避け、ヨシナガが指差したテーブルの方に行く。

   テーブルには、まだ焼かれていない真っ赤な肉が、皿の上に並べてある。白色の脂が雪のようにかかっている。


ミチエ「おいしそう」


   ミチエは近くの肉を数枚焼く。

   へらへらしたマサキがやって来る。酒に酔って顔は真っ赤。足取りはふらつき、呂律は回ってない。

 

マサキ「お、水橋、うまそうなの焼いてんじゃん」

 

   ミチエは顔を上げずに、

 

ミチエ「(ボソボソ声)ヨシナガ先輩が用意してくれた肉だって」

マサキ「俺も食っていい?」

ミチエ「いいよ」

 

   マサキとミチエは肉を皿に取り、口に入れる。

   

ミチエ「(満足)うん、おいしい」

 

   マサキがチラッとミチエを見る。わざとらしく、「おえ」っと肉を吐き出す。

   

マサキ「まっじい。水橋が焼いたせいで超まずいぞこの肉」

ミチエ「え……?」

マサキ「ブスが作った料理はまずくなるんだよ。たまごスープもお前が作ったんだってな。お前の顔みたいなゲロの味したぜ。ゲロスープだ」


   ミチエは皿を落とす。しゃがみ込み、しきりにおえ、おえと、嘔吐するような声を出す。

   オケ部員が静まり返る。

   マサキはケラケラ笑っている。

   カンナがミチエに駆け寄り、背をなでる。

   

カンナ「ミチエちゃん大丈夫?」

 

   サレンがマサキにビンタを食らわせる。

    

サレン「(怒鳴る)いい加減になさい!」

 

   オケ部員たちが嘲笑する。

 

部員1「マサキざまあ」

部員2「マサキもブサイクじゃん。人のこと言えないだろ」

 

   マサキの表情が険しくなる。サレンに殴りかかる。

 

マサキ「うるせえこの勘違いブタ女! ドブスのくせに美人ぶってんじゃねえ」

サレン「何ですって?」

マサキ「デブのブスは俺が大人しくさせてやる」

マサキ「上等よ。あたくしのプライドにかけて受けて立つわ」

 

   サレンとマサキは取っ組み合いの喧嘩を始める。

   酔っ払ったオケ部員たちがはやし立てる。

   

部員3「いいぞ。やれやれ」

部員4「ブス対ブサイクの戦いだ」

部員5「珍獣対決!」

 

   写真や動画を撮る者もいる。

   ヨシナガや何人かのオケ部員が止めようとする。

 

ヨシナガ「……サレン、やめて」

部員6「マサキは悪酔いしてるだけですよ」

 

   その間、ミチエはカンナに背をなでられたまま、激しく呼吸をする。

   

 

○同・部屋(夜)

   ミチエがベッドで横になっている。

   カンナが付きそっている。


ミチエ「楽になってきた」

カンナ「本当に大丈夫?」

 

   部屋がノックされる。外から男子の声がする。

 

声「カンナちゃん、二次会来れる? 話があるんだけど」

ミチエ「行って来なよ」

カンナ「でも心配だよ」

 

   ミチエは弱々しく、

 

ミチエ「一人にしてくれない?」

カンナ「(沈んで)……わかった」

 

   カンナは部屋を出て行く。

   ミチエのスマホにラインの通知が来ている。大学院生から。

   

メッセージ「別れてほしい。バイトも辞めるから」

 

   ドア越しに、廊下からの声がする。

 

声「俺、カンナちゃんが好きなんだ」

カンナの声「ええ?」

声「初めて会ったときからすごいかわいい子だと思ってた。合宿で絶対告白するつもりで」

 

   ミチエは声を殺し、ひたすら泣く。

   ミチエは体をかきむしり、転げ、床に落ちる。

   部屋に置いてある姿見が目に入る。

   ミチエの顔も体もドロドロに溶け、歪み、形をなさない異様なものになっている。


ミチエ「死にたい。死にたい。死にたい。死にたい」

 

   スマホに新着メッセージの通知が届く。

   美容クリニックのアイコン。

   

メッセージ「パッチリ二重をゲット!今なら埋没法50%オフキャンペーン実施中。注射で小鼻縮小も」


   ミチエはスマホの画面を、まつ毛の先が触れるくらいまで近づける。

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