第6話 魔空間


 新宿公園は高層ビル群の中にあり、都内でも有数の規模を誇る都立公園だ。

 この公園の中では色んな催し物を開いている。休日にはフリーマーケットを開催しており、休日はいつも大盛況だ。

 周りがビルなので、公園の外は日中から夜間まで人通りが多く、働いている人達も公園の中で食事をしたりすることもある。

 新宿公園は正に人々の生活に根ざした公園だ。


 その新宿公園の中から周りを見渡して、陽翔は疑問を口にする。


「なんで誰もいない? キマイラの時と同じだ」

「その通りです。ここは魔空間まくうかんですから」


 綺麗な声が陽翔の疑問に答えた。


「魔空間?」

「はい。魔物が私達を誘き寄せるために作った亜空間で、現実世界の新宿公園を模倣しています。この魔空間の範囲は現実の新宿公園と同じくらいでしょう」

「キマイラの時も魔空間だったのか?」

「そうです、陽翔くん達はキマイラによって魔空間に捕らえられたのです」

「じゃあ、この魔空間にも誰か捕まっているのか?」

「いいえ、この魔空間には魔物だけで誰もいません。人の気配を感じることはできませんから」


 誰もいないことに陽翔は安心した。


(良かった。これで心配はない)


 綺麗な声の主、早乙女瑠麒さおとめるきを陽翔は横目で見る。

 瑠麒の外見は変化していた。

 背中に美しい純白の翼が生え、髪色はブロンドから鮮やかなブルーへと変化している。


 瑠麒は陽翔の視線に気がつく。


「驚きましたか? 天使になると、髪が青くなるんです。人間の姿に戻ると、髪も元に戻ります。陽翔くんも今のうちに変身して下さい。魔物は公園の奥にいます」


 陽翔は頷いて、美少女戦士に変身する。


『希望の光よ、我に力を宿せ ヴァルキュリア』


 光の中からヴァルキュリアに変身した陽翔が現れた。


「陽翔くん、とても綺麗です」


 変身した陽翔を見て、瑠麒は恍惚の表情で言った。


「マジか、ありがとう。でも、俺、変身した自分をちゃんと見てないんだよな」


 陽翔は建物を見つけて、自分の姿を建物の窓で確認する。

 思わず自分の頬をペチペチと触って、色んな表情をしてみる。


(これが俺なのか? ヤバイ、本当に美少女戦士だ)


 頬が緩み陽翔の口からだらしない笑い声が漏れる。


「デエヘッヘッヘヘヘヘヘヘヘヘへ」

「陽翔くん、変な笑い声が漏れています。早く行きましょう」


 瑠麒が魔物の気配を探って、陽翔は瑠麒の後を付いて行く。


「止まってください。あそこにいます」


 建物の影から陽翔は瑠麒が指差した場所を見た。


 電灯で照らされている。

 手入れの行き届いた芝生が広がっていた。日中は子どもが遊んだり親子でピクニックしたりする心地の良い場所だ。


 その美しい芝生を壊すように闊歩する魔物がいた。

 赤い肌の大きな魔物で陽翔の二倍くらいの大きさはある。体は筋肉の鎧を纏っていていてゴツゴツとしていた。二本の黒い角に口からはみ出るほどの大きな牙はとても迫力があった。


「オーガだ。しかも、三体……」

「そうですね。ですが、ヴァルキュリアに変身した陽翔くんなら簡単に倒せます」

「……」


 陽翔は返事ができなかった。


(俺が本当に戦うのか?)


 キマイラを倒した時は無我夢中で何かを考える暇はなかった。

 陽翔は自分の手を見ると、小さく震えていた。

 倒せる自信はある。三体のオーガが自分よりも弱いことも分かる。しかし、陽翔の心の中で戦うことへの恐怖がどんどん大きくなっていた。


「陽翔くん、大丈夫です。自分の力を信じて下さい。私もいます」


 震えた手を瑠麒が両手で優しく包んでくれた。とても温かくて、陽翔の手の震えが収まっていく。


(あれ? もう怖くない、不思議だ)


「ありがとう。落ち着いた。でも、どう動けば良い? 何か策を考えるか?」

「そうですね…… オーガは賢くありませんから、単純に目眩ましを使いましょう」

「目眩まし?」

「はい。目を閉じて、オーガに突撃する準備をして下さい」

「…… 分かった」


 陽翔は目を閉じていつでも突撃できるように身構える。


 陽翔が目を閉じていることを確認して、瑠麒は建物の影から出ていく。

 オーガは瑠麒に気がついて、直ぐに横並びで向かってきた。


 陽翔はオーガが動き出したのを感じて声を上げる。


「大丈夫なのか!?」

「信じてください。絶対に目を開けちゃ駄目ですからね」


 瑠麒はオーガに手を向けて、を発動する。


『月の光よ、闇を照らせ ルーンフラッシュ!』


 目を閉じた暗闇の中が一瞬小さく照らされたのを陽翔は感じた。


「陽翔くん、今です!」


 瑠麒の声に反応して陽翔はオーガに向かって動く。

 三体のオーガは横並びに立ち止まっていて、三体とも唸り声を上げながら目を擦っていた。


(目が見えていないのか?)


 陽翔は一番近い真ん中のオーガに狙いを定めた。

 そのオーガは陽翔の気配に気がついて、目を閉じたままは陽翔を掴まえようと両腕を動かす。

 いい加減に動かしているのだろうが、腕の動きはかなりの速さだ。

 だが、ヴァルキュリアに変身した陽翔はオーガの腕を簡単に躱す。その躱し様に、強烈な横薙ぎの一撃でオーガの胴を斬り裂く。

 オーガの胴から黒い煙が噴き出すと、体全体も黒い煙となって、オーガは消滅した。


 右側にいるオーガから嫌な気配を感じる。腕をブンブンと振り回しているが、その腕から妙な力を陽翔は感じた。

 振り回していた腕から黒い刃が飛び出して陽翔を襲う。

 陽翔は瞬時に反応して、身軽な動きで飛び上がるとオーガの黒い刃は空を切った。そのまま、陽翔はオーガの体に剣を振り下ろした。

 オーガは黒い煙となって後ろに倒れていく。


「陽翔くん、後ろ!」


 瑠麒の声で最後の一体が自分の背中に迫っていると陽翔は気がついた。


 オーガは力を溜めた右腕を振り上げ、陽翔に叩きつけた。

 強烈な一撃で地面が割れ、粉塵が舞う。

 勝利を確信したオーガが見たのは、大きく陥没した地面だけ。そこに陽翔の姿はない。


 陽翔はオーガの背後で剣を構えていた。

 オーガの攻撃を横っ跳びで躱した後、気づかれないよう粉塵を利用してオーガの背後に回っていた。

 背後に気配を感じて、オーガは後ろを振り返る。


 その瞬間、一陣の風が通り過ぎた。


 陽翔が目にも止まらぬ速さでオーガを切り裂いたのだ。

 黒い煙となって、最後のオーガは消滅した。


(やべぇ、すごく疲れた)


 変身が解けて、陽翔は元の姿に戻る。


「陽翔くん、お疲れ様でした」

「ああ、ありがとう。早乙女さん、俺が目を閉じている間に何をしたんだ?」

「光の魔術を使いました」

「魔術?」

「はい、天使になった私は魔術も使えるんですよ」


 瑠麒は大きな胸を張って自慢をした。

 その大きな胸を更に強調しないで欲しいと思いながら陽翔は赤くなった顔を背けた。

 瑠麒の言葉の意味を少し考えて、陽翔は言う。


「魔術っていうのは魔力を使って発動するアレのことか?」

「その通りです」


 少し考えただけで、魔術と聞いても陽翔は驚かなかった。


(女神に会って、俺は美少女戦士になった。もう魔術くらいで驚かねぇよ)


 この一日で日常が非日常へと変わり、空想の出来事が現実となった。しかも、そのことを体現しているのが自分だ。


「陽翔くん、帰りましょうか。ご自宅に瞬間移動させますね」

「何度も使って疲れないか? 俺は電車で帰れるぞ」

「大丈夫です。私と陽翔くんだけなら余裕です。…… あの人数は大変でしたが」

「もしかして、キマイラの時、いつの間にか家にいたのは」

「はい、私です。とっても大変でした。あの人数を自宅に瞬間移動させて、キマイラに襲われた時の記憶も魔術で忘れてもらいました。もう二度とごめんです」


(だから、絆星姫きらりは何も覚えていなかったのか)


「ありがとうな、早乙女さん」

「いえ……」


 なぜか分からないが、瑠麒は不満そうなむすっとした顔になった。


 陽翔は首を傾げて訊ねる。


「どうした?」

「…… 名前で呼んで欲しいです」

「早乙女さんを名前で?」

「はい、私たちって一緒に魔物を倒す相棒ですよね」

「うーん、まぁ、そうかもな。早乙女さんがいないと魔物を見つけることはできないみたいだし」

「私は陽翔くんを陽翔くんと呼んでいます。なのに、陽翔くんは私を名字で呼ぶんですか? おかしいと思いません?」


(いや、名前で呼びたいって言ったの早乙女さんだったような……)


 陽翔が悩んでいると、ぐいぐいと瑠麒が近づいてきて、潤んだ瞳の上目遣いが見えた。


(ここで意固地になっても意味ないか)


 陽翔は小さな声で言う。


「瑠麒さん」


 すると、瑠麒は凄い勢いで首を横に振る。


「違います。瑠麒と呼んでください。さんは要りません」

「いや、だって俺も陽翔くんだし」

「瑠麒と呼んでください!」


 陽翔は嘆息して言う。


「瑠麒」

「はい!」


 陽翔に名前を呼ばれて瑠麒は花のような笑顔になった。とても嬉しそうで、無邪気に可愛らしい。虜になってしまいそうだ。


 陽翔は良からぬ雑念を振り払うように首を振った。


「じゃあ、瑠麒、頼んでも良いか?」

「はい! 疲れていると酔うかもしれないので、目を閉じておいて下さい」


 目を閉じると、瑠麒の綺麗な声が聞こえてきた。


『我、奇跡を司る者なり 断裁の時はあらず 刹那の如く時は流転す 界を超越し、奇跡よ来たれ エンジェリック・ロード』


 陽翔が光に包まれる瞬間、瑠麒は笑顔で言う。


「陽翔くん、また明日」















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