第5話 図書館での追跡

 朝、起きると頭痛がした。昨日、夜遅くまで翻訳の仕事をしていたせいだ。栄養ドリンクをぐいっと飲み干していると、夫が起きてきた。

「土曜日なのに、早いね」

 ああ、そうか、今日は土曜日か。

 えっ? 土曜日? しまった、夫が家にいる。すっかり忘れて今日は図書館で待ち伏せするなんて母にメールの返信をしてしまっていた。

「あ、ちょっと翻訳してて分からないことがあって。図書館で調べものをしたいの」

 とっさに言った。言い訳は忍者並みになってきた。忍者が言い訳するかどうかは別として。

「そうなの? 大変だなあ」

 夫はまだ半分夢の中にいるようだ。

「あなたはゆっくりしててね」

 わたしはそう言うと、朝ごはんを食べ、忍者業務をするときの常となったばっちりメイクをした。水筒もおにぎりも何もかも持って、いざとスニーカーを履いていると、

「いってらっしゃい」

と夫が寝室から顔を出した。

「うん、行ってきます」

 そう言ったわたしを不思議そうに見ている。

 まだ寝ぼけてるのかな。

 そう思いながら、ドアを開けた。


 図書館の開館は九時だ。八時四十五分に図書館に着く。父の姿はなかった。しかし、図書館の前には長い列ができていた。ほとんどが学生だ。

 定期テストの前か。

 わたしはため息をついた。

 この図書館は大きい。閲覧室と言ってもワンフロア丸々なのだ。その席約二百。平日は閑散としているが、ここが満席近くになるとなかなか人を探すのは困難になる。

 御影石でできた記念碑に身を隠す。大きくて立派な石なのは分かるが、彫ってある字が達筆すぎて何の記念だかさっぱり分からない。彫られた字に手をかけながら図書館の入口をこっそり覗いていると、手にザラッとした違和感を覚えた。見ると、そこには乾いた鳥の糞がこびりついている。素手で鳥糞を触ってしまったのだ。

 忍者業務もラクじゃない。

 この数日何度思ったかしれないことをまた思った。

 長い行列のせいか、九時になる前に図書館は開いた。入口の自動扉に吸い込まれていく人を記念碑の陰からじっと見つめる。ほとんどが学生でときどき父と似た年代の人を見かけるが、それは父ではなかった。時計を見る。八時五十九分。小柄でほっそりした老人。父に似た人が図書館に向かって歩いてくる。その姿がどんどん大きくなる。

うん、間違いない、父だ。父が図書館に来ている。

 なんだか泣きそうなくらい嬉しかった。しかし、忍者ゆえ確たる証拠を手に入れねば。

他の人と同じく入口の自動扉に吸い込まれていく父を追う。閉まりかけていた扉がグイーンと音を立てて開く。父はエレベーターのボタンを押していた。父がこちらをふり返った。あわてて身を隠す。父はわたしに気付かずにエレベーターに乗った。

「はあああ」

 言って、文字通り胸をなでおろす。ちょっと早足でエレベーターへと向かう。

 エレベーターの数字が赤く光っていたのは「4」だった。

 四階?

 降りてきたエレベーターに乗り込む。

 この図書館は四階建てで一階と二階が開架、三階が閲覧室になっている。四階は会議室しかないところだ。わたしは今まで行ったことがない。

 四階に着いて、エレベーターのドアが開くと、真ん前にホワイトボードの立札があった。「関係者以外立ち入り禁止です」と書かれている。奥の会議室から声がした。

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