第3話 任務二日目

 本当に父は浮気をしているのかもしれない。

 母に何度も言われたせいか、そんな気がしてくる。母には鈴木さんのせいで尾行失敗した旨をメールで送った。

 家に帰るとどっと疲れが出た。何もする気が起きなかった。

どうにか夕飯の牛丼を作るのが精一杯で、それ以外はリビングのソファに吸い付くように寝ころんで過ごした。母からメールが来ていたが見ないでおいた。

たった数時間の忍者業務がこんなに疲れるなんて。今フリーの翻訳の仕事をしているが、改めてその仕事に感謝した。


「わー、今日は牛丼だ!」

 帰ってきたばかりの夫が鍋の中を覗いて喜んでいる。夫は牛肉さえあればいつも喜ぶ。

 わたしはソファからむっくりと起き上がると、インスタントみそ汁のためのお湯をわかした。

牛丼を食べながらも、父の浮気のことが頭に浮かんだ。

七十を過ぎた父が浮気? いったい、相手はどんなだというのだ? やっぱり母の思い過ごしだろう。父はなんと言っても真面目なのだ。おまけに金持ちでもないから、遺産目当ての悪い女なら父を避けて通るだろう。でも、母は本気で心配してるからな、母の安心のためにも浮気じゃないという証拠が欲しいよな。


 次の日は公園に隠れるのはやめた。母の情報によれば、父は毎日必ず八時四十分に家を出る。そして、昨日の鈴木さんの話から、鈴木さんもいつもほぼ同じ時間に公園の清掃をしているとのことだったからだ。

 ちょうど角の家の近くに軽自動車が路駐してあったので、その陰に潜む。わたしは普段全く化粧をしないのだが、今日はバッチリメイクだ。昨日、伊達眼鏡で変装したつもりが難なく鈴木さんに見破られたから。つけまつげもして、アイラインもひじきよりうんと太く書いた。出来あがった顔を見たら、夜のお店でも働けそうで、鏡に向かって思わず笑みがこぼれた。調子に乗って、結婚前十年、結婚後十年ともに箪笥の肥やしになっていたピチッとしたフリル付きカットソーとタイトスカートをはいた。これなら、実家の近所の人はもちろん父だとてわたしと分かるまい。

 父が角を曲がった。二軒過ぎればまた角だ。この辺りは住宅街なので道が入り込んでいる。尾行向きだ。父がまた角を曲がった。

 さあ、尾行開始!

と思ったら、路駐してある家の中から人が出てきた。サラリーマンと思われるスーツを着た男が不審そうにわたしを見る。そりゃそうだ。知らない女が自分の車の前でしゃがんでたら、そういう顔になるだろう。

「あ、あ、わたし、そこの安藤って家の娘なんです。実家に帰る途中で立ちくらみがしてしまって……」

 言いながら、言い訳は昨日よりうまくなったなと成長を感じた。

「ああ、一昨年の地区長さんの」

 男は急に朗らかになる。

「そうです、そうです、そうなんです」

「大丈夫ですか?」

「何が?」

 何を言っているのだ?

「いえ、だから、大丈夫ですか、立ちくらみ?」

 男が再び不審そうな顔をしたので、

「あーあー、そうでした。立ちくらみ。ちょっと働きすぎかもしれません」

とあわててごまかす。

「接客業も大変ですもんね」

 完全に夜の商売だと勘違いされている。

年齢的に言ったらスナックのママか?

 オホホホホと笑顔でかわし、その場を去る。

 大急ぎで角を曲がったけれど、父の姿はもうなかった。

 ダッシュする。父は見つからない。

どんだけ歩くのが早いんだ!

頭にくる。カコンと靴が転がって、わたしは道路に立ち尽くした。

 かかとが痛い。

 見ると、右足のかかとに靴ずれができていた。

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