第2話 任務一日目
忍者になりたい。
確かにそう言っていたときがある。
あれは小学校二年生くらいのことだったか?
忍者は葦を飛び越えてジャンプ力をつけるということを知り、葦がなんだか分からなかったので、たまたま母が銀行で貰ったヒマワリの種を庭の鉢に植えた。ヒマワリを葦の代わりにしようとしたのだ。
しかし、ヒマワリの種はなかなか芽を出さなかった。
「晴美のヒマワリにつぼみができたよ」
ある日、母が嬉しそうに言った。
そのときにはすでにヒマワリの存在さえも忘れていた。庭に出て鉢を見てみると、ヒマワリはもうわたしの背よりも大きい。到底飛び越えられなくなっていた。
まったく、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
「こんなの飛び越えられない。わたしは忍者になれない」
まだ青くてかたいつぼみをじっと見上げて泣いていると、いつの間にか傍に父がいた。
父はそっとわたしの頭に手を置くと、
「忍者なんてなるなよ。忍者はスパイなんだぞ。利用されて捨てられる。ろくなもんじゃない。忍者になるなら、父さんみたいなサラリーマンのほうがまだマシだ」
と言った。
今思えば、現代に忍者が本当にいると思っているかのような父の発言はおかしい。
でも、もっとおかしいのは、わたしが子供の頃、忍者になりたいと言っていたのを思い出して、父のスパイを強引に頼んだ母だ。
しかし、やってられないと言って、やらないわけにはいかない。なにせ相手は思い込みの激しい母なのだから。わたしがやらないと言ったら自分でやりだしかねない。母は気持ちだけは若いのだが来年で七十だ。まだ初夏とはいえ熱中症になったりしたら困るし、転んで骨折でもしたら大変だ。
次の日、わたしは父のあとをつけるためリュックサックを背負って実家に向かった。予め聞かされていた父が家を出る時間の十五分前に着く。
実家に着いたと言っても顔を出すわけにはいかない。わたしは目下忍者業務の真っ最中。父に顔を見られてはいけないのだ。
ササッと実家の斜め前にある公園のツツジの茂みに隠れる。昨日からここに隠れようと計画していたのだ。
ツツジの生垣の一部分が枯れていて、そこからちょうどうまい具合に実家の玄関が見えた。
おお、こういうのを素早く見つけちゃうなんて、やっぱりわたしは忍者の才能があるな、ムフフ。
と自分で自分に感心する。遠い昔の忍者熱が蘇ってくる。
公園にはわたし以外だれもいなかった。
しばらくその態勢で待った。
すると、父が玄関から出てきた。
父は、図書館の方向、わたしのいる公園とは反対方向に歩いて行く。もちろんわたしには気付かない。
よし、もうちょっとで角だ。あの角を曲がったら、尾行開始だ。
父が角を曲がる。わたしは立ち上がる。そこへ後ろから、
「まあまあ、久しぶり。晴美ちゃんでしょ?」
という声がした。
振り返る。まるまると太ったおばさんがゴミ袋片手に立っていた。実家の近所に住む鈴木さんだ。
「眼鏡なんかかけて、目が悪くなったんかね?」
「いや、これ、老眼です」
本当は変装のための伊達眼鏡だけど。
「あら、やだ。晴美ちゃんが老眼だなんて。そしたら、わたし、どうしたらいいのよ」
鈴木さんがドスンとわたしの背中を叩いた。五臓六腑が飛び跳ねる。
「それはそうと、こんなところで何しとったん?」
鈴木さんの目がキラリと光った。……ような気がした。
「いや、今日は天気がいいので、実家に来たついでに、懐かしのこの公園でお茶でも飲もうかなあと……」
そんな人間おらんわ!
心の中で自分に突っ込む。けれど、なぜか鈴木さんはひどく納得したみたいだ。何度も頷いて、
「そうそう、わたしも晴美ちゃんくらいの歳のとき、そういう気持ちになったことあるわあ。わたしの若い頃はなあ……」
長くなりそうだったので、
「それより、鈴木さんはゴミ袋なんか持ってどうしたんですか?」
と、話を変えた。
でも、これが大失敗だった。
鈴木さんはよくぞ聞いてくれましたとばかりに、公園の落ち葉拾いやゴミ拾いのボランティアを毎日してそれはそれは大変だという話を事細かに話し出したのだ。
鈴木さんの話をさも関心があるように聞きながら、チラッと時計を見た。今日の忍者業務は失敗に終わったことを確信した。
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