第2話 6月29日語る必要のある過去はありますか

「肉屋の息子が魚より肉が好きとは言い切れない」


「なにそれ」


「言ってたんだ」


薮下が、と名前を出しながら彼女の反応を気にしている自分がいる。


「ああ、大川とよく話してた」


「そうそう」


「私、薮下に絵もらったことあるんだよね」


「絵?」


「なんか社会の時間に本初子午線って習ったでしょう。あれのあるイギリスの時計台かなんかの絵をね、もらったんだよ」


若い先生の耳にピアスの穴が開いていることが噂になる。

あの頃の小さいな箱の中の出来事を思い出す。


「あれのおかげで私、結婚することにした」


「へっ?」


彼女に似合わないその言葉に学生の時から聞いてきた彼女の口癖が私の頭の中でカチッと音を立てて再生された。


「私は結婚しない」というのが彼女の口癖だった。

誰が好きだの、気になっているだのといった話題に花を咲かせる女子たちの中で、彼女は浮いていた。

彼女はそういった話題を嫌ったし、遠ざけていた。

ましてやそういった話題の登場人物になることに関しては言うまでもない。


「まあ結婚しないってかたくなになってたのもあの絵が関係していたのだけど」


「へえ、誰と結婚するの?」


「まだ決まったわけじゃないよ」


「へっ?」


思った通りの反応だったのか彼女の片方の口角が不気味に上がる。


「正確には結婚するのもいいかなと思うことにしたんだ」


「どうして」


私の顔はきっとこの動揺を隠しきれていないのだろう。彼女は意地悪そうに私の顔を見てニヤリとしながら答える。


「たぶん、結婚しないって決めておく必要がなくなったんだよ。絶対に結婚するって決めたわけでもないけどね」


「そっか」


私は考える、結婚しないと宣言していた彼女を。

彼女がそう宣言していたのも、恋というような類のものから距離を置いていたことも、私はその理由をなんとなく知っていた。


「そういえば前に私に言ったよね。自分のために嘘をついてもいいって」


「言った?私が?」


よく覚えていないけれど、そんなことを言った気もする。


「言ったよ、修学旅行で一緒に星を見てるときに。あれから私、結構そのことが気になっててさ。嘘ってそもそも自分のためにつくものじゃん、とか考えてたんだよ。」


私が放った一言が彼女の記憶に跡をつける。

考えてもいなかった。無責任で自分勝手で純粋な言葉。


「私も嘘で自分を守ってたんだよ」


あの頃の私はまだ嘘が下手で、だからこそ自分が平気になれる嘘を用意しておく必要があった。それは今も変わらないのかもしれない。

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