第3話 妖魔と心気

 手術中のランプが消え、担当医が出てきた。


 「一命は取り止めました。しかし予断を許さない状況です」

 「おばさんは治るんですか?いつ目覚めるんですか?」

 衣服まで血に染まったあかりが、医師に詰め寄る。

 「いつ目覚めるかというのも、お答えできる段階ではありません。最悪の場合ずっとこのままという可能性もあります。そもそも……」


 「そもそも、何ですか??」

 天登あまとが尋ねた。

 「生きておられるのが不思議なぐらいの失血量でした。致死量の倍は失血されていました。今は輸血で落ち着かれましたが……。医師としてあまり使わないようにしている言葉ですが……、奇跡としか言いようがありません」


 天登あまともあかりも、それが長身の男が白い光で応急処置をしてくれていたおかげであると直感した。

 医学では説明できない力のようだ。


 「とにかく絶対安静です。集中治療室に移します」

 ストレッチャーに付き添い歩きながら、天登あまとは母が生きていてくれたことで胸をなで下ろしたが、あかりは泣き腫らした目をまだ充血させ、母の手を握りながら必死の想いで歩いている。

 

 そうだ、まだ母さんが目覚めたわけじゃない。

 安心できない。


 病室でさまざな医療機器の装着が完了し、母への処置が一段落した医師と看護師は退室した。

 状態は安定したが、今後目覚めるかどうかは医師にもわからないと言う。


 天登あまととあかりは無言で座っていたが、やがて天登あまとは口を開いた。

 「あかり、間違っても自分を責めるなよ」

 「うん、わかってる。でも……」

 「手に残ってる。おばさんを刺した時の感触。私の、この手に……、この手に……!」

 「大丈夫だ。母さんは絶対目覚める。それで元の生活に戻れるよ。だから、頼むから自分を責めないでくれ」

 

 2人は、母の病室で一夜を明かした。

 いつの間にかうたた寝していた天登あまとが、窓から差し込む朝日で目を覚ました時、ドアがノックされた。

 看護師かと思い天登あまとが返事すると、引き戸を少し開け、男が顔を出した。

 それは、ここまで付き添ってくれた、あの長身の男だった。


 「ごめんね。お邪魔していいかしら?」

 天登あまとが了承すると、男は一歩だけ部屋に入り、引き戸を閉めた。

 あかりも目を覚ました。

 「お母さん、どう?」

 「はい、一命はとりとめました。でもいつ目覚めるかわからないって……」

 「そう……。私がもう少し早く着いていれば、こんなことにはならなかった。無念です」


 天登あまとは、この男が催魔さいまにトドメを刺したこと、不思議な光で母を支えてくれたことを思い出した。

 「あ、あの、あなたは、一体……?」

 「申し遅れたわね。私は瑠川るかわひろみ。言葉も名前も紛らわしいけど、男です。そして、私は破邪士はじゃしという仕事をしている者です」

 「破邪士・・?」

 「そう。そして、私たちの敵が、さっきの催魔さいまのような、妖魔という存在」

 「敵が妖魔?すみません、何をおっしゃっているのか……」

 「そりゃそうよね。順を追って話すわね。これは、お母さんが目覚めるかどうかにも関わることだから、しっかりと聞いて欲しいの」


 天登あまととあかりは、顔を見合わせた。

 母さんの傷の治癒と、この瑠川るかわという人の話に関係があるなど、にわかには信じられない。

 しかし、これまでの常識では説明できない一部始終を体験した2人は、思わずうなずいていた。

 瑠川るかわは説明を始めた。


 「まず、この人間社会には、妖魔という超常の生物が存在する。生物といっても、人間にごく近い存在。古代から、この地上の覇権を人間と争ってきた種族です」

 「彼らは見た目は人間と変わらない。そして心も、妖魔の多くは自分を人間と信じて疑っておらず、人間社会で生活している。というか、九分九厘の人間には普通、妖魔の血が混ざっている。要はその血の濃さが、妖魔と人間を分ける基準」

 「例えば、昨日の催魔さいまの能力は、他の人間に微量に含まれる妖魔の血にはたらきかけ、普段は眠っている凶暴なその血を表出させ、人間を操る催眠術。お母さんも、あかりちゃんも、そうして催魔さいまに操られた。2人とも妖魔の血がごく微量で、かつ天登あまとを想う強い心から、催眠が途中で切れた。あかりちゃんの場合は、意識だけ正気を取り戻した」


 「うぅぅ・・・」

 思い出したのか、あかりが顔を伏せる。

 

 瑠川るかわが続ける。

 「妖魔の血が混ざっていること自体は、いたって普通のことなの。妖魔は古来人間社会への浸透を企て、人間との混血を進めてきた。今では純血の人間なんて100万人に1人しかいない。99%以上の人間が、濃度にして5%以内の妖魔の血を待つと言われています」

 「そして私たちが“妖魔”と呼んで敵としているのは、その血が濃い者たちのこと。妖魔は人間を憎み、殺し、根絶やしにし、人間社会を転覆させ、妖魔社会を築こうとしている。血が濃い者ほどその目的を自覚し、人間を攻撃する。その基準は個体差があるものの、概ね濃度30〜40%以上の血を持つ者」


 あまりに信じ難い話だが、瑠川るかわの顔は嘘を言っているようには見えない。


 「妖魔は一般に、血が濃くなるほど、目的意識、残虐性、身体能力が高くなり、妖力も上がって、特殊な力を操る者もいる。たまにこの法則から外れる個体がいたり、濃度が極限までくると、血の濃さだけで妖魔の強さは説明できなくなるけど、基本的には当てはまる」

 「私たち破邪士は、そんな妖魔から人を守り、社会の維持安全を担う組織。その武器となるのが、心気しんきという力なの。天登あまとはさっきの危機的状況の時、てのひらに輝く光を見たね?」


 「はい」


 「あれが心気しんき。心のエネルギーなの。心、感情が昂った時に発現する。どんな人間にもあるけど、量や質、発現性、操作性などが千差万別で、多くの人間は自分の心気を意識せずに生涯を終える」

 「心気は強いエネルギーで、使い方によって様々な効果がある。天登あまとが弾にして飛ばしたのは、武器としての使い方。他にも治癒や結界とか、多くの使い方がある。」


 一連の説明を受け、初めは信じられない気持ちだったが、現に自分が光の弾を発し催魔を攻撃した記憶が生々しく、意外にすんなりと理解できた。

 あかりもうなづきながら聞いている。


 「ここまでで、何か質問はある?」


 あかりが尋ねた。

 「おばさんの傷は、常人では助からない状態だと医師が言っていました。あなたが使ってくれたその、“心気”と、何か関係があるのですか?」


 「いい質問だね、あかりちゃん。今説明しようとしていたところよ。お母さんには確かに、私が心気で応急処置しました。但しこれは外的な処置で、止血に過ぎない。お母さんを保たせたのは、妖魔の血と思われます」


 「!!!」


 天登あまととあかりは絶句した。


 「といっても、お母さんは妖魔じゃない。血があるといっても微量で、至って平均的、むしろ少ない方。しかし、催魔さいまによってその血が活性化されている状態だった。妖魔は、身体能力、治癒能力、病原などに対する抵抗力は、人間の比じゃない。それが傷を負った時に働き、致死量の出血があっても、お母さんは生きていられたんだと思う」


 「じゃ、じゃあ母さんは、治るんですね?目覚めるんですね?」

 天登あまとが尋ねた。


 「おそらく。ただ目覚めさせ方については、私にはわからない。というのも、どうやらお母さんは今もまだ、妖魔の血が活性化している状態と思われる。だから傷はこのまま、というよりすごい早さで回復していくと思う。ただその状態で昏睡した人間が目覚められるかについては、私は事例を知らない。言わば人間としては一度生を終えているとも言える状況だから……」


 「ということは、目覚めたとしても、母さんは妖魔に?!」


 「それはない。お母さんの妖魔の血の濃度は、おそらく2〜3%。そんな微量で常から妖魔の状態でいることは、絶対にない。だから、目覚めさせるためには、何かきっかけが必要なんだろうということなのよ。きっかけがないと、このままずっと眠ったままなんじゃないかということ」


 「あぁ……!」

 あかりが顔を覆い、再び号泣しはじめた。

 「おばさんが目覚めないなんて嫌よ! おばさん、おばさん!」


 天登あまとはショックだったが、言葉に違和感を覚えた。

 「きっかけがないと目覚めない? きっかけ?」


 「そう、私が言いたかったのは、そこよ」

 瑠川るかわが続けた。

 「妖魔自身なら、お母さんを目覚めさせる方法を知っているかもしれない」

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