第15話
「リョウは、いつからアスカと懇意になったのじゃ?」
ヒメコ様って、何歳くらいなんだろう。10歳?30歳?アスカの方が年上だと思うけれど、かといって親子くらい離れているようにも思えない。お姉さん?くらいの感覚かな。
いつの時代も、女性の年齢くらいわからないものはないのかな。
「えーっとですね」
ここは、本当のことを言うところか、それともアスカの話に合わせた方がいいのか。迷いどころではある。
と言って、あとでアスカに脇腹をつつかれるよりは、アスカの意向を汲んだ方向に進めたほうが被害が少ないだろう。
「昨日の夜です。それまでも話はしましたが、決まったのは昨晩二人でいた時です」
そう言うと、ヒメコ様の顔がパアッと赤くなった。
「そうか、昨晩か」
何を想像しているか、なんとなくわかるけど。
「して、どちらから言い出したのじゃ?」
今、外では戦いが起きているのだけれど、ヒメコ様に安心してもらうためには、こういう話をしている方がいいんだろうな。
「えっと、正直に言いますと、アスカからです」
「なんと!女性から言わすとは!リョウもなかなかじゃな!」
何がなかなかなんだか、全くわからないけど、喜んでくれているからいいか。
「前にリョウが向こうに戻った時は、アスカは私のところに泣きながら来たのじゃ。それからずっと暗い顔をして、寂しそうじゃった。だから、アスカがリョウに想いがあったのは知っていたのじゃ」
ヒメコ様は、これから誰かと結婚するんだろうか。昔習った日本史では、卑弥呼は独身の女性で、占いで国を治めていた。もしヒメコ様が卑弥呼だったら、の話だけど。
「それをまた、アスカから言わせるなんて、リョウもひどい男じゃ」
そういえば、卑弥呼の肖像画って、歴史の本では見なかったな。当時は、まだ絵を描く技術が整っていなかったんだろうか。
こんなに美しいヒメコ様の絵なら、1枚くらい有ってもいいと思うけれど。あの有名な聖徳太子の絵だって、太子が生きていた時代の200年後の絵だというし。
それに、ちょっと描いてみたい。どうせ残らないんだし、出来上がりを見てもらったら、明日にはきれいに無くなっているんだから。
「ヒメコ様、僕にヒメコ様の絵を書かせてもらえませんか?」
「なんじゃ、唐突に」
「せっかくお会いできたので、そのしるしにヒメコ様の絵を描きたいと思いまして」
「絵を描いてどうするのじゃ?」
「これだけの治世をされた王ですから、その功績を後世に残すためにも、肖像画を描いておきたいと思います。この後の時代では、王は必ず自分の姿を絵に描かせます。幸い、僕はちょっとだけ絵を描く技術があるので、書かせていただけないでしょうか」
「そうか、後世に残るか。私のことよりも、これだけ素晴らしい民がいたことを残してほしいのだが」
「わかりました。それではヒメコ様お一人の姿の絵と、この巻向の絵と2枚描かせていただきます。それでよろしいでしょうか?」
本当は、後世には残らないのですが。すみません。
「ほう、それなら民の姿も残るのだな。ぜひそうしてくれ」
「かしこまりました」
さすがヒメコ様だ。いつも自分だけでなく民のことを考えている。
アスカが惚れこむわけだ。
「それでは、デッサンの間だけ、動かないで座ったままいてください」
「うむ、わかった」
それから僕は他のことを何も考えないようにして、絵を描くことだけに打ち込んだ。
「3番隊がやられたと報告がありました。今回は敵も総攻撃をかけてきたようです」
「うむ。ここらで一度体制を立て直さねばなるまい。今ならまだ組み替えられるであろう」
アスカとナガスネが今の戦況を論じている。もう既にお昼を回ったが、徐々に押し込まれている様子だ。あの高い山をどうやって越えてきているのか、倒しても倒しても次から次へと敵が出て来る。
近隣諸国の導きもあるのだろうが、近隣で巻向ほど力のある国はない。皆、何か口当たりのいい条件を見せられて乗っているような連中だろう。
「夕方までには、決着を付けたいですね」
今日は天気がいい。このまま雨になることはないだろう。夕方にはリョウを見送らなければならない。できれば落ち着いた状態で、見送って上げたい。
「あいつの様子は気にならないのか」
ナガスネが唐突にアスカに声をかけた。
「リョウのことなら大丈夫です。ヒメコ様を守ってもらっていますから」
「契りを結んだんだ。本当なら一緒にいた方がいいんじゃないのか」
どうやらアスカを心配しているらしい。
「どうせ、別の世界の人ですし、今この状況を優先するだけです。それに」
「うん?」
「いいや、なんでもありません。ありがとうございます、ナガスネ様が私を心配してくれるなんて、滅多に見られないことですね」
「いや、あいつには世話になったからというか、恩義を感じているというか・・」
「そうですか」
「ミカシキも、あの車椅子のおかげで戦いに復帰できた。実際には戦えなくても、奴がいるといないとでは兵の士気が違う。それについても、助かっている」
「そうですね、リョウは私たちのため、ヒメコ様のために手を貸してくれています。感謝しないといけないですね」
「うむ。だからこそ、このままここに残ってもらうのが良いのではないか。お前のためにも」
「それは・・、ダメです。リョウは向こうの人だから。戻ったほうが幸せになるに決まっています」
「そういうものかな」
「そういうものなのです」
こんな話ができるくらい、戦いは一旦休息状態に入ったように見えた。
「でもちょっと静かすぎますね。今日はもう手を引いたのでしょうか?」
「何か妙であるな。様子を見に行かせよう」
ナガスネが戦線に戻り、アスカはヒメコ様の様子を見に行こうかどうか迷った。
でも、もしリョウに会ってしまえば、そこから離れられなくなることを知っていたから、踵を返して戦線に戻った。
「途中で、少しだけ見せてもらうわけにはいかないか?」
「途中で見てもつまらないものですから、ある程度出来上がるまでお待ちください。色がないのでデッサンのようになってしまいますが、輪郭はしっかりとさせますから」
ヒメコ様に子どものようにねだられるが、今動かれると肖像画ではなくなってしまう。想像で書いてもいいのだが、本人がいるのだから、なるべく忠実に描こう。
肖像画を描いたのは初めてなので、結構難しい。あまり現物通り描いても、喜ばればないということは聞いたことがある。多少デフォルメして、本人の気にいるように描くのがコツだと何かの本で読んだことがある。まあそういうものだろう。
でも、ヒメコ様は素材がいいので、現物のまま描いても何の問題もなさそうだ。
そういえば、アスカの絵は描いてなかったな。向こうに戻ってスケッチブックに描こうとしたけれど、描けなかったし。
「出来ました。あまり自信はないのですが、いかがでしょうか」
僕は描き上げた絵をヒメコ様に見せた。
「おお、これが私か?このような姿をしているのか・・」
あれ、この時代には鏡はなかったかな?占いには鏡を使っていなかったかな?
「うん、素晴らしい!良いものじゃ。これはこの部屋に飾ることとしよう」
「ありがとうございます」
気に入ってくれてよかった。この絵は僕が向こうに戻ってから、もう一度描き直す。僕の大切な宝物にするんだ。
アスカの絵も。だから、忘れない。
「ところで、外の様子が気になるのであろう。一度見に行ってみたらどうじゃ?」
ヒメコ様にはバレていたか。アスカの様子が気になってしょうがない。でもアスカからは、僕にここでヒメコ様を守ってほしいと言われた。だから、ここを離れるわけにはいかない。
「ヒメコ様、ありがとうございます。でも僕はアスカにここを守ると約束しました。だから、その願いを守ります」
この世界で、もう僕にできることはない。いってらっしゃいと言って送り出したんだ。お帰りなさい、と言って迎えることくらいが関の山だ。
「アスカは、ここに帰ってきます。それを信じて、待っています」
「来たわよ!西の2番隊に応援を送って!」
敵は一旦体制を立て直して、正面ではなく西側に戦力を集中させて仕掛けてきた。
2番隊は、車椅子に乗ったミカシキが指揮を取っている。ミカシキは、体が動けないことを感じさせない状況判断の良さで、何とか少ない戦力で敵の攻撃を凌いでいたが、戦力差が違いすぎて段々と押されて来ている。
「ここは死守する!何人たりともここから前に進ませるな!」
ミカシキの檄が飛ぶ。兵士もそれに応えて力の限り相手に向かっていく。
しかし、少しずつ消耗が激しくなってきた。
「ミカシキ、応援に来たぞ!」
正面を守る本隊から、ナガスネが小隊を連れてやって来た。正面はアスカに任せてきたが、兵を多く割ける状況ではないので、小隊しか回せなかった。
「ナガスネ様、これは心強い!みんな、応援が来たぞ!ナガスネ様だ!」
ミカシキの声に応じて、2番隊が元気を取り戻す。戦いにおいては、将の存在がこれほど大きかったのだ。
「西をやられると、山を越えて旦日国の本体が流れ込んでくる。ここは食い止めなければならん」
「はい!」
「では二手に分かれよう。ミカシキは右方へ進め。そしてそこに入ってきた敵を背後から攻めるのだ」
「わかりました」
アスカが守る本隊は、遠い旦日の国の兵士ではなく、巻向の近くの小国の兵を相手にしている。強い旦日国の兵に向かっていきたいのだが、足止めされている形だ。
アスカもそれがわかっているので、焦る気持ちをこらえながら、敵を軽くいなしている。
「このままでは消耗戦ね。みんな、ここだけは守ってね!」
アスカの掛け声に兵士が応じるが、長時間の戦いで疲れが見えて来た。日も少し傾きかけて来たので、もう少し耐えて日が落ちる頃には敵も兵を引くであろう。
それに、その頃にはリョウを見送らなければならない。
無事にリョウのところに戻ったら、なんて言えばいいんだっけ。行く時は、行ってらっしゃい、だったかな。戻った時の言葉を、聞いていなかったな。まあいいや、戻ってから聞こう。
そんなことを考えていたところに、ナガスネが戻ってきた。
「アスカ、西の2番隊が突破された。間も無く旦日国の兵がここまで攻めてくる」
「何ですって!」
「お前は早く、ヒメコ様の元へ!」
「でも」
アスカは一瞬躊躇したが、ヒメコ様の名前を出されては戻らないわけにはいかない。
「わかりました。ナガスネ様、ご武運を」
「アイツにも、よろしく言ってくれ。今まで、ありがとうと」
そう言って、ナガスネは本隊に合流した。
アスカはヒメコ様とリョウのいる本殿へ戻っていった。ここを守る近衛兵は、全軍の中でも最強の兵士を揃えている。そう簡単には破られない力がある。
それでも、2番隊とナガスネが応援に行った部隊を破った敵だ。何が起きるかは、もうわからない。覚悟を決めてアスカは二人の元へ急いだ。
「ヒメコ様、2番隊が破られたとの報告がありました。これから逃げる準備をいたします」
近衛隊の隊長が、ヒメコ様にそう告げた。
え?破られたって、どういうことだよ。アスカは、どうなっている?
「2番隊隊長のミカシキ殿は、頭に矢を貫通されて即死、それから兵士も次々と狙い撃ちされていったとのことです」
何ということだ。戦いで死なせるために、車椅子を作ったんじゃないのに。
「私はここから動きません。兵や民をおいて逃げるなどということができましょうか。戦う覚悟はできています。皆も気を引き締めておくれ」
「しかし、アスカ様から、このような場面ではヒメコ様を逃すようにおおせつかっております」
「アスカの言うこともわかるが、今はダメじゃ」
ヒメコ様も相当の覚悟で言っているんだと思う。国を預かるくらいだから、そういう覚悟がなければいけないんだろう。
「ヒメコ様、ご無事ですか!」
そうアスカが叫んで部屋に入ってきた。一瞬、僕の方を見て、それからヒメコ様のそばに駆け寄っていった。
「おお、アスカ、外の様子はどうなっている?」
「少々押され気味です。2番隊が突破されましたが、ナガスネ殿が体制を立て直しております」
「そうか。皆には苦労をかけている。だが、巻向の民のために、もうしばらく辛抱してくれ」
「はい!ここには絶対に兵を入れさせません」
「旦日国の望みは何じゃ?私が命を差し出せば、ここの民を助けてくれぬか?」
「それはいけません!他の国も巻き込んでの戦いです。完全に巻向を支配下に置きたいのでしょう」
「私だけではダメか?」
「そんなこと、巻向の民が許しません!ヒメコ様、ここで怯んではいけません。もうすぐ夜になってここも闇に覆われます。そうすれば、奴らも迂闊に手を出せなくなるので、もうしばらくの辛抱です」
「そうか、アスカがそう言うのならそうなのであろう。アスカが間違った判断をしたことなど、今まで一度もなかったからな。アスカや、ナガスネらに囲まれて、私は幸せだった」
「そんな弱気にならないでください。あと少し、外の兵士も耐えております」
「そうだな、私が弱気になってはいけないな」
主従のやり取りが落ち着いたところで、アスカは僕を見た。
「もうすぐ日が沈むわ。晴れているから夕焼けも出るわよ」
「うん」
「この機会を逃すと、あなたはここで死んでしまって、永遠に向こうの世界に戻れなくなってしまうわよ」
「そうだね」
「それがわかっているのなら、早く行って」
そんな結末なんか。
「ヒメコ様の肖像画を描いたんだ。色があるともっと綺麗にできたんだけど」
僕はアスカに、ヒメコ様の絵を見せた。
「わあ・・、綺麗・・。ヒメコ様、美しいわ」
アスカに褒められて、何となくくすぐったい。
でもまだアスカを描いていないんだ。それが終わるまでは。
「次はアスカの絵を描くんだ。この戦いが終わったら」
「私の絵は残さないで」
「どうして?」
「それを見て、あなたがつらい思いをするのは嫌」
アスカが真正面から僕を見て言った。
「さあ、早く大三和神社に出発して。行き方は、わかるわよね?送っていけなくて、ごめんなさい」
何を言ってるんだ、アスカは。
「やっぱり僕はここに残るよ。残って、最後までアスカたちのそばにいるよ。何にもできないかもしれないけれど、ヒメコ様やナガスネや、ミカシキや、離れのみんなや、職工のみんなのそばにいるよ」
アスカがため息をついて、僕に言った。
「あなたには、まだ向こうでやることがたくさんあるんでしょ!そんな一時の気の迷いみたいなことを言わないで」
「アスカ」
「お願い、私の言うことを聞いて。早くここから出て」
その声と同時に、部屋の外から何かが燃える音が聞こえた。それと同時に、部屋の温度が上がり始めた。
「火矢が放たれたぞ!ヒメコ様を外にお連れしろ!」
本殿に火を放たれたようだ。古い木造建築は、あっという間に火の手が回っていく。
「ヒメコ様、こちらへ!」
アスカが声をかけるが、既に炎はヒメコ様の部屋にも届いている。
「リョウ!早くここを出て!そして、私のことを忘れて!」
「アスカ・・」
「私たちのことを思ってくれているのなら、早く逃げて!」
「そんなこと・・」
「もう十分よ・・。あなたはこの世界の人ではないのよ!こんなところで死んじゃだめ!あなたの世界でしっかりやって!」
バリバリと建物が崩れそうな音がして、一瞬怯んだ僕は本殿から外に出て様子を見た。
これではすぐに崩れてしまう。
「アスカ!ヒメコ様を早く外へ!」
「お願い、早く逃げて!」
その声をかき消すかのように、目の前の本殿が焼けて崩れ落ちた。
「ちくしょう!」
屋根が崩れ落ちてきた瞬間、火に包まれた本殿の中で、彼女は笑顔だった。
「アスカ!」
もう人影は、見えなかった。
後ろを振り向き、全力で走った。
「今、一人逃げたぞ!」
追手に気づかれたようだが、一人くらいどうということがないのか、深追いはしてこなかった。
それでも、全速力で走った。
まだ彼女の声が耳に残る。
追手から逃げたわけではなく、誰も救えなかった自分から逃げるように。
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