第14話
どうやら、そのまま二人とも寝入ってしまったようだ。気がつくと、部屋の中はまだ暗く、アスカが僕の膝に頭を乗せている姿が見えた。
目が覚めた僕は、アスカを起こさないように、ずっとアスカの顔を眺めていた。
アスカの手を握り見つめると、手や腕にはたくさんの小さな傷があった。ヒメコ様お付きの女官長とは言うものの、実態は護衛役であり、戦いの度にこうした傷を負うのだろう。
まだこんなにあどけない少女なのに。
戦いで家族を亡くし、一人ぼっちになってヒメコ様に拾われて、何とか自分の役割を見つけて。
そうやって必死に今まで生きてきたんだろう。
できれば、このままアスカの近くで、守ってあげたい。
あれ、また僕がこんなことを考えているなんて、変だな。僕らしくないや。
僕らしくないって、僕らしいって、何だろう。
そんなの、誰が決めるんだろう。
たぶん、もう2度とこの顔を見ることはないと思いながら、答えが出ないことをぐるぐる考えていると、朝の光が少しずつ力を増してきた。
これなら、今日は夕焼けが見られるな。出発できる状況になるだろう。
そろそろ、アスカを起こした方がいいだろうか。いや、いっそこのまま起こさないで離れようか。
決めかねて迷っていた僕に、突然アスカが体を起こし、キスをした。
「え?」
「しっ!」
アスカは既に起きていて、茶目っ気のある表情で唇を離し、自分の人差し指で僕の口に封をした。
不意をつかれた僕は、何も言うことができず、されるがままにアスカを見つめていた。
「向こうに帰っても、他の女性になびいちゃダメ」
「えー?」
最初は、早く帰って、私のことなんて忘れてねとか言ってませんでしたか、アスカさん?
「問答無用!私がそう決めたんだから、そうしなさい。今、誓いの口づけをしたでしょう?こっちでは、これで夫婦になる証なんだから!」
なんてこった・・。いや、アスカとそうなるのは全然構わない。むしろ嬉しいんだけど、そうなった途端に別居夫婦ですか。しかも時空を超えた・・。
そんなの、アリなの?
「なんて、嘘よ」
自分で言っておいて、アスカはすぐにその言葉を否定した。
「嘘つきは、嫌いなの」
言ってしまったことを、後悔したような表情だ。
「ダメね、自分で嘘ついちゃ」
「いや、嘘じゃないよ。僕はそれを守るから」
アスカの最後の願いだから、いくらでも聞いてあげるよ。
「いいわよ、無理して嘘に付き合ってくれなくて」
「嘘なんかじゃないよ」
「そんなこと、できるわけないじゃない」
「できるかどうか、やってみなきゃわからないじゃないか」
同時に、最速で夫婦喧嘩を体験しました。
「だから、ごめん。言っちゃいけない嘘だったわ。謝るから」
「謝らなくていいよ。嘘にしなきゃいいんだから」
いつまでも、無限ループだ。
「ふふ、ふふふ」
アスカさんが、突然笑い出した。
「はは、ははは」
僕もつられて、笑ってしまった。
「せっかくいい雰囲気だったのに。ダメだわ私たち」
「ホントだ」
でもね、アスカ。僕は、君が言ったことを守るよ。もう、こんな風に思える人と出会うことなんてないよ。
一体他の誰が、異空間で出会った人を好きになったりできるんだよ。こんな体験をしちゃったら、他に人を好きになるなんてできるわけないよ。
「こんな気持ちになったのは、リョウが初めてよ。そのことに嘘はないわ」
アスカが寂しそうに言う。
今日は夕方まで部屋にいて、晴れているのを確認してからここを出よう。その間、アスカを独り占めできないかな。
などと、自分勝手なことを考えたことが、悪かったのかもしれない。
部屋にユキがやってきた。少し慌てている様子だ。アスカが話を聞いているが、何かあったのだろうか。
ユキが急いで廊下を戻っていった。アスカが僕の方にやってきて、それも今までとは全く違う別の顔で、話し始めた。
「敵が、山の向こう側に集まっているとの話があったの。今日は大きな戦いになるかもしれないわ」
僕も、今までの甘い気分はとっくに吹き飛んでしまっていた。
「どのくらいの数がいそうなんだい?」
「正確にはわからないけど、今までの戦いよりもかなり多いみたい。巻向の周囲の国が、向こう側に付いたみたいなの。奴らも、ヒメコ様のことをあまりよく思っていなかったから」
「なんでよく思われなかったんだい?」
「どんな民にも分け隔てなく優しくするから、ヒメコ様は人気があるわよね。周囲の国の民からも敬愛されているの。それが気に入らないんじゃない?嫉妬よ。戦いなんてそんなちっぽけな理由で簡単に起こっちゃうものなのよ」
嫉妬で戦争を起こされたら、相手はたまったもんじゃないな。それに巻き込まれる民衆も。
でも、世界史を考えると、案外そんな理由なのかもなと妙に納得がいってしまう。アスカの言うことは正しいのかも。
「リョウはどうする?夕方までどこかに隠れてる?」
さっきアスカは、大きな戦いになるかもしれないと言った。生まれてこのかた戦ったことなんてない僕が何かすることで、戦況が悪化してはいけない。
どうしよう。アスカの言う通り、どこかに隠れて夕方を待とうか。
いや、そんなことはできないよ。アスカやみんなが戦っているのに。僕一人だけ隠れているなんて。
「一人だけ隠れて待つなんてできないよ。何か手伝いをしたいけど、どこかにないかな?また、離れを守ろうか?」
アスカは、少し考えてから僕に言った。
「それなら、私の代わりにヒメコ様の側についていてくれない?リョウならヒメコ様も安心できると思うわ」
「でも、僕は武器も使えないし、体力があると言うわけでもないぞ」
「大丈夫。ヒメコ様の近くまで敵が迫ったら、もうそれは全部終わってしまう状態だから。そんなことにならないように、ナガスネががんばるんじゃないの。私もね」
「アスカをそんな危険な目に合わせるなんて・・」
「だーかーら!何度も言ってるけど、ヒメコ様のために尽くすことが、私の天命なの。勝手に決めつけるのは、やめてちょうだい」
やっぱりこの子には勝てないや。
「わかったよ、ごめんなさい」
「わかればよろしい!」
また二人で笑い出してしまった。
「それじゃあ、ヒメコ様のところに行きましょう」
「うん」
なるべく人に会わない廊下を選んで、ヒメコ様のいる部屋へ向かった。
アスカに連れられて向かう途中、近衛兵が幾重にも配置されていて、アスカを確認して先へと進ませた。
「警備はしっかりしているんだね」
「そうよ。近衛兵たちがこれだけ守っているんだから、ヒメコ様に近づくのは至難の業ね。だから、リョウも安心してヒメコ様の側にいて」
ふっと気がついた。
これは、ひょっとしたらヒメコ様はもちろん、僕を安全な場所に匿うためにアスカが考えたんじゃないだろうか。
「アスカ」
「私は急いでいるの!余計なこと言わない!」
なんだ、わかっちゃたか、という顔をしている。
「ありがとう」
「どういたしまして。もう他人じゃないんだから」
他人じゃない、か・・。
この戦いを切り抜けたとして、住む世界が違うのに、どうやってこの先、二人でいるんだろうか。
考えがまとまらないうちに、ヒメコ様のいる部屋に着いた。先にアスカが入って、事情を説明している。
少し経ってアスカが部屋から出てきた。
「リョウ、入って」
アスカに呼ばれ、ヒメコ様の部屋に入った。
前にも一度入ったが、あの時は車椅子の製作を許してもらうことで頭がいっぱいだった。
今回ゆっくりと部屋を見渡すと、そこは想像以上に広い空間で、小さな池が真ん中にあった。
一目で玉座とわかる背もたれの高い椅子があったが、それ以外はどちらかというと質素な部屋だった。
ヒメコ様は、その玉座に座っていた。
「リョウがここを守ってくれると、アスカから聞いたが」
アスカが目配せをして、僕に何やら合図をする。
「はい!」
「して、二人は契りを結んだとアスカから聞いたが、それも本当か?」
アスカが、僕の脇腹を肘打ちした。
「はい、そうです!」
「そうかそうか。それなら大丈夫であろう。そうか、あのアスカがのう」
何やら一人で回想モードに入ったヒメコ様。感慨深げに一人で頷いている。
「リョウ!そなた、絶対にアスカを幸せにするのじゃぞ!アスカを泣かすようなことがあったら私が許さぬからな!」
「はい!」
当のアスカは、僕の様子を見て、下を向いてゲラゲラ笑っているのだろう。
「契りを結んだからには、リョウもこの国の者じゃ。この国と民のために力を貸してほしい」
「はい、わかりました」
ここでアスカが口を出した。
「リョウはこの国にまだ慣れていないため、戦いには出向かず、私に代わってここでヒメコ様をお守りします。そのため、侍従の職位を賜りますようお願いいたします」
侍従?お付きの人?アスカは女官長と言っていたから、その代わりかな。
「そうか、アスカが戦いに行くのじゃな。わかった、アスカの頼みであれば聞き入れよう。リョウには今から侍従を命じる」
アスカを見ると、頭を下げなさいという合図があったので、言われるままにした。
「こういう状況なので、任命を簡略化するが、兵や民にはアスカから伝えることとしよう。同時に、二人が契りを結んだことも」
「かしこまりました」
契りを結ぶって、向こうじゃちょっと違う意味に取られるから、恥ずかしいんだけど・・。せめて、結婚した、くらいにしてくれないかなあ。
でも、アスカと結婚したことになったのか。僕、まだ二十歳なんだけど。
「では、私はこのままナガスネ様に合流します。リョウ、あとを頼んだわよ」
まさかこのまま会えなくなるわけではないと思うけれど、なんかあっさりと離れてしまうんだな。
「わかったよ。いつ戻ってくるんだい?」
「戦いが終わったら、ね。それまでヒメコ様をお願いします」
「うん」
「こういう時、あなたの世界では何て言って送り出すの?こっちでは、ご武運を、とかだけど」
「うーん、そんな怖い言い方ではないな。行く方が『いってきます』で、送り出す方は『いってらっしゃい』、かな」
「じゃあ、リョウ、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
そしてアスカは、ヒメコ様の部屋をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます