第7話
ヒメコ様の部屋へ行くと、ユキが側にいた。
「おお。今日はいろいろあったが、命があって何よりじゃ」
「はい、ありがとうございます」
礼を言ってから、次に何を言ったらいいか、考え込んでしまった。
「ところで、お前は調べてみると、大須王の系譜にないな。初めからそう疑っておったが、一体どこの国の者じゃ、イマミヤリョウよ」
やっぱり、ヒメコ様には、本当のことを言った方がいいんじゃないだろうか。
そう思って、アスカを見ると、僕の方を見ていた。きっと同じことを考えているんだろう。
「ヒメコ様、折行ってお話があります」
アスカが意を決して、ヒメコ様に話し始めた。
「なんじゃ、アスカ?お前も何か知っているのか」
「はい、此奴は、リョウは遠い未来から来たと申しております」
「遠い未来・・、未来とはどこの国じゃ?」
「未来とは・・」
アスカが、早く自分で説明しなさいよ、という感じで僕の足を蹴った。
「あ、痛い。いや、そうじゃなくて、未来とは、後の時代という意味です」
「後の時代から来たと?俄には信じられぬが、どのくらい後の時代から来たのじゃ?」
「えーと、夏を1500回くらい繰り返した後の時代です」
「なんと!妄言を吐くでない!アスカ、此奴はやはりこの国に害をもたらす!ひっとらえて縛り付けておけ!」
「ヒメコ様、落ち着いてください。そう思われるのは致し方ありませんが、どうやら事実らしいのです。リョウが嘘をついている様子はございません」
「アスカよ、なぜそんなことが言い切れる?」
「それは、昨夜、いろいろ聞き出しました。畝傍丸もなぜかリョウには懐いており、一度も吠えません」
「ほう、あの賢い畝傍丸がか?」
「どうかお願いします。私に免じてリョウをお許しください。先ほどもナガスネ様のケガの手当てをさせると、ナガスネ様は気持ちよくお休みになられました。我が国に害を及ぼす者ではございません」
「おお、ナガスネがケガをとな?して容態はどうじゃ?ナガスネがいなければ巻向はこれからどうなる?」
ヒメコ様がナガスネの状態を聞いて、狼狽えている。
「リョウの手当によって、ケガの具合が楽になったようです。ですので、ご安心ください」
アスカがさっきの事をヒメコ様に説明してくれた。
ヒメコ様は、顔を上げて僕を見て声をかけてくれた。
「リョウよ。礼を言うぞ。それでは、もう少しここにいて、私の力になっておくれ。旦日国はまたすぐ攻めてくるであろう。ナガスネがケガで動けない間だけでも、力を貸してもらえぬものだろうか?」
ヒメコ様は優しい。離れのみんなも、ヒメ子様に感謝している。アスカもゾッコン惚れ込んでいる。
ここにいれば、この優しさの中で気持ちよく暮らしていけるかもしれない。前の世界に戻れば、留年して一人ぼっちになる現実が待っている。
でも、ここでケガ人の面倒を見るにしても、今の自分の状態ではダメだ。役に立てることなんかごくわずかだ。
戦うことだってできないから、あっという間にやられてしまうだろう。今から鍛えたところで、高が知れている。
もっと、自分を鍛えて、それからじゃないとみんなの期待には応えられない。
何より、アスカの期待に。
「ヒメコ様、ありがとうございます。私の言葉を信じていただき、嬉しく思います。でも、今の僕ではここにいても、なんの役にも立ちません。できるかどうかわかりませんが、もう一度ここに戻って来られるように、向こうの世界で頑張っていきたいと思います」
僕が話をしている間、アスカはうつむいたままだった。
そう、またここに戻れる保証なんか、万に一つもない。
もう会えなくなる、ということだ。
「だけど、戻れるかどうかもわからないので、ダメだった時はトボトボここに帰って来ますから、よろしくお願いします」
本音を言って深々と頭を下げると、ヒメコ様も笑い出してしまった。
「うんそうじゃ、ダメならここに居れば良い。なあ、アスカ?」
「はい・・」
アスカの表情はあまり良くない。きっと僕が確実に向こうに戻ってしまうと思っているんだろう。僕もそう思っているから。
帰らなければ、ここにいても役に立たない。でも帰ってしまえば、ここに戻れるかどうかはわからない。
どっちを選んでも、見える先は、ぼやけている。
少しの間、沈黙があったが、アスカが顔を上げて声を出した。
「ヒメコ様、それでは彼を大三和神社まで案内してきます」
「うん、縁があったらまたこの国に来てほしい。いや、できれば戻るのに失敗してすぐに帰って来てほしい」
敵でもないのに、笑顔で失敗することを願われてしまった。なんか複雑な気分だ。
「はい、ありがとうございました」
身支度をして、と言っても荷物なんかないから、何も持たずアスカの後ろをついていった。
門を出る時、アスカは畝傍丸のところに寄った。畝傍丸はすぐにアスカに駆け寄り、頭を撫でてもらって気持ち良さそうだった。
その後、僕を見つけて駆け寄ってきた。僕の前で寝転がって、前にやったようにおなかを見せて撫でろという仕草をした。
「何でリョウに慣れているのかしら?」
「向こうで犬を飼っているわけではないから、それはわからないな」
「ふーん。何でかな」
畝傍丸にも別れを告げ、離れて歩き出すと、くーんと鳴いて、どこか寂しそうだった。
少し歩くと、近くに山が見えた。
「あの山が、大三和神社よ。山全部が御神体だから。麓に鳥居があるわ。そこまで行ってみましょう」
それはまたスケールの大きな神社だな。この神社が入り口だといいんだけれど。
向こうの入り口は、小さな神社だった。名前も覚えていない。
二人で道を歩いているが、アスカが前を歩くので何も話せない。最後だっていうのに。まあいいか。これでお別れだし。妙な期待を持つなんて、ダメだろ。
「もうすぐ鳥居に着くけど、夕焼けが出て来たからもうじき日が暮れるわ。少し急ぎましょう」
ああ、そうだ。思い出した。ここに来る前に同じような夕焼けを見た。
そして、あの時、夕焼けが一瞬蒼くなったんだ。
「着いたわよ」
鳥居の前でアスカがこちらを振り向いた。でも目に光るものが溢れているのが、夕焼けの中でもハッキリ見えた。
どうしてアスカは、泣いているんだろう。
そう思った瞬間、目の前の夕焼けが蒼くなり、それからすぐに闇が差し込み、何も見えなくなった。
突然だった。
「アスカ!」
声に出して叫んだが、返事はない。アスカの姿がない。
周りをよく見ると、今までの風景と違う。薄暗い街灯がついているのか、目の前には、小さな神社が見えた。
ああ、戻って来たんだ。
さよならを言う間もなかった。
神社の狭い境内には、僕のカバンが落ちていた。ズボンのポケットが膨らんでいて、触るとスマホが入っていた。カバンの上には、見覚えのある花が落ちていた。
手をつないで走った時に見た、白い橘だ。
スマホの電源は入っていて、日付を見ると、あれから2ヶ月後の日付だった。
もう夏が終わろうとしていた。
花を拾ってカバンの中に入れてから、暗い境内を出てそれにつながる道を歩くと、周囲に見慣れた建物や商店があった。後ろを振り返ると、神社はもう見えなかった。
車のライトの明るさや、街の騒音を聞いて、元の世界に戻ってきたんだと実感する。
でも、アスカにはもう会えない。ヒメコ様やナガスネにも、ミカシキや他のみんなにも、もう会えない。
自分で選んだのだから、それを受け入れるしかない。どっちに転がったって、もう会えないことは決まっていたじゃないか。もう一度、あの世界に行けるわけでもないし。
自分の世界に戻って来たのなら、完全に戻して欲しかった。なぜ、アスカや、あの世界の記憶がまだ残っているんだろう。
そんなの、ずるい。苦しい。
とにかく、まずは家に帰ろう。そして眠ろう。明日になれば、この記憶も消えているだろう。いや、消えていてほしい。
でも、本当は、消えてほしくなんかない。
「おかえり、今日は早かったのね」
家に着くと、母が何事もなかったように、僕を出迎えた。そう、何もなかったんだ。
「ごはん、まだだからもう少し待ってね。お母さんもパートから今帰って来たところだから」
僕が私立に進学したことによって、母もパートで働くことになった。
「うん、でも今日はもういいや。それより眠いんだ」
もう、何も考えないで今日は眠りたい。
「夕飯くらいきちんと食べなさいよ。お風呂は?」
母の言葉を最後まで聞かないで、僕は自分の部屋に入りベッドで眠り込んでしまった。
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