第6話

 この時代にどうやって来たのかなんて、僕にもわからない。ボーッと道を歩いていて、気がついたらこの時代にいた。

「ごめん、どうやってきたかは全くわからない」

「何か道具を使うの?」

 アスカに尋ねられるが、特別な道具を大学に持ち歩いていた記憶はない。せいぜいスマホと教科書の入ったカバンくらいだが、それも今はどこかに消えてしまった。直前にどこかに電話をかけたこともない。柳本さんからのメールや電話に出なかったくらいだ。

「道具は使っていないような気がする・・」

「じゃあ、どこかに入ったの?森とか建物とか」

 あの時フラフラと商店街を歩いていて、どうしたんだっけ?気がついたら、見たこともない路地に迷い込んでいたような気がする。その先は・・。

 建物・・、あ、神社があった!

「神社があったよ!それでその鳥居をくぐって、そしたら夕焼けが赤くて、でも蒼くなって、そしたら倒れて・・」

「もう、少し落ち着いてよ」

「あ、うん、ごめん。でも神社があって、そこが向こうの世界の最後の記憶だよ」

「神社ならここにもたくさんあるわ。なんて神社?」

「いや、あまり見たことのない、小さな神社だった。名前、なんて言ったかなあ。あまり聞いたことのない名前だったから、覚えてないや」

「この辺だと大三和神社が大きいけれど」

「じゃあ明日その神社に行って確かめてみよう!」

「いいけど、その神社は山一つ丸ごと神社よ。山登りする?」

 え、そんな大掛かりな神社あるんですか・・。それ神社っていうんですか・・?

「でも、山の麓に鳥居はあるので、そこまでならすぐに行けるわよ。神社から来たのなら、神社から戻れたりしないかな。神社は彼此の入口って言われるし・・。朝早く行ってみる?」

「どうやって行けばいいんでしょうか」

 地図をもらっても、目印になるものがないときっとわからないし。

「私が一緒に行ってあげる。後の時代から来たなんて馬鹿げたことが本当なのか、見てみたいわ。なんか面白そう。それに」

 アスカがまた僕をじっと見つめている。

「嘘つきは嫌い。嘘をついたなら私がその場で、この手で殺してあげるから」

 いや、だから嘘じゃないんだって!でも戻れるかどうかなんて、わかんないよ・・。


 アスカが部屋から出て行って床に着いたものの、全く眠れる気がしない。夜明け前にはここを抜け出すと言っていたから、あと3時間くらいかな。

 スマホも時計もないから、時間を測るのは自分の感覚だけだ。

 古代の人は、時計がないのにどうやって待ち合わせをしたんだろうか。

 朝になったら部屋まで迎えに来ると言っていたけど、もし僕を逃すことがバレたら、アスカがみんなに叱られるんじゃないかな。叱られるくらいならいいけど、敵を逃した罪で罰を受けるかも。

 いや、ひょっとしたら裏切り者として殺されてしまうかも。ナガスネならそれくらいやりかねない。

 神社まで案内してくれると言われた時はうれしかったけど、そうすることでアスカを危険に晒しているんじゃないだろうか。

 僕の話を信じようとしてくれたのに。

 そう考えると、怖くなって、話を取り消しに行こうと思った。自分一人で行くよ、誰にも迷惑はかけたくないんだ、と伝えに。

 でも、よく考えるとアスカがどの部屋にいるのかわからない。こんな時間に女性の部屋を一人で訪ねるなんて非常識だ。彼女のことだから大声で怒るだろう。

 いやいや、その前に一人で廊下を歩くだけで、筒抜けだって。

 いろいろ考えてはいたが、取りあえず眠る場所があって安心したのか、僕はいつの間にか眠ってしまったようだ。

 眠る直前に、あー、家に電話してないや、とか将馬や柳本さんに連絡しなかったなあ、とか色々頭に浮かんできた。

 でも、最後に頭の中に出て来たのは、アスカの顔と声だった。

 ―嘘だったら私が殺すからね。

 そんな怖い顔しないで・・、笑ったらかわいいんだから・・。

 などと思っているうちに、本当に眠ってしまったみたいだ。


 あ、しまった!と思ってぼんやりと目を開けると、アスカの顔が僕の上にあった。

 え、何?どうしたの?何があったの?

 近いって!何してるの、それ以上近づくと・・。

「リョウ、起きてよ!そろそろ出るわよ」

 僕がパニクっていると、アスカは耳元で僕に囁いた。

あたりはまだ暗い。

 そうか思い出した。僕は違う世界に来ていたんだった。

 それにしても、あー、びっくりした。他に声が聞かれないように、耳元で囁いたのか。ドキドキして心臓の音の方が大きく聞こえているよ。

「薄明になったら影が見えちゃうから、その前に出ないと見つかってしまうわ」

「うん、わかった」

 特に荷物はないから、そのままの状態で出発できる。

「音を立てないように、私について来て」

迎賓の間を二人で出ようとした時、突然門の方で声がした。

「敵襲じゃ!敵襲であるぞ!」

 え、僕はまだ部屋の中にいますけど。いや、違う!敵じゃないし。

 隣にいるアスカも、何が起きているかわからない顔をして僕と顔を見合わせている。しかし、すぐに顔が戦闘モードになった。長い髪を束ねて、何かの紐で頭の後ろで縛った。

「本物の敵が来たみたいね。まさか、あなたを助けに来たんじゃないわよね?」

 アスカの顔が険しくなったが、本当に疑っている顔ではない。

「もちろんだって!僕はこの時代の人と関係ないから!」

 疑われてしまうのは仕方ないけど。

「じゃああなた、戦える?」

 え?僕ですか?

 僕の時代は、一応平和なんだよ。剣も弓も持ったことなんてないよ。ゲームもあまりする方ではないし。

「それは無理だ!ごめん、昔から役立たずで格闘ゲームも弱いんだ」

「ゲームって何?いやこんな話をしている場合じゃないわ。私はもう一緒に付いて行ってあげられなくなってしまったから、神社まで一人で行って」

「そしたらアスカはどうするんだよ」

「どうするって、敵と戦ってヒメコ様をお守りするに決まっているじゃない!」

 そりゃそうだろうけど・・。

「でも、危ないんじゃないの?」

 それを聞いて、アスカがクスッと笑った。

「危ないから、しないの?だってそれが私の仕事だよ。自分から逃げるなんて、できるわけないじゃない」

 笑い顔で言っているけど、あの目は真剣だ。お前にはそういう覚悟を決めたものがないのか、と問われている気がした。

「じゃあ、僕も残るよ。邪魔にならないように、アスカたちを手伝うよ」

「え?」

 アスカの目が驚いたように開いて、その後柔らかくなった。

「これを逃したら、前の世界に戻れなくなるわよ。弓に当たって死んだら終わりでしょ。生き残っても、ナガスネがあなたを殺すわよ」

 それはわかってる。でも、今までの自分に、何か覚悟を決めて向かって行ったことがあっただろうか。いろんなことから逃げてばかりいて、結局、解剖学の再試だってダメだった。

 柳本さんが、あんなに親身になって手伝ってくれたのに。

「ありがとう。でも、ここはきっと逃げてはいけない場面なんだ。何かさせてください」

 アスカは少し考えるような仕草をして、僕の方を向いて言った。

「じゃあ、こっちについて来て!」

 ぐいと僕の腕を掴んで、建物を一度出てから庭を抜けて道を走った。道の周りに植えられた背の高い木からは、柑橘系の香りがして、白い花が咲いていた。

 こんな緊急事態なのに、僕はその花を見て、綺麗だと思ってしまった。

「これは、何ていう花?」

「橘よ」

 途中、ユキたち女官の一群に会った。アスカはユキに、ヒメコ様の側にいて命に換えても必ず守るようにと命じた。ナガスネたち兵士は、門の方で戦っているのであろう。

「こっちよ」


 アスカが連れてきた離れには、多くの人がいた。まだ陽の光が弱くて、薄暗くてよく見えなかったが、みんながアスカを見て声をかけてきた。

「アスカ様!」

「アスカ様だ!」

「みんな、アスカ様が来たぞ!さあ戦えるものはアスカ様について、ヒメコ様をお守りに行くぞ!」

 おー、という掛け声がかかったが、小さく弱々しい。気配ではもっと多くの人がいるような気がするのだけれど。

「みんな、ありがとう!でも今はまだみんなの出番ではないわ!今のところナガスネ様が頑張っているから心配しないで!」

 少しずつ日が昇り始め、最初は見えなかった部屋の中の様子が段々とはっきりしてきた。

 部屋は広く、本殿に比べると造りは質素だが、十分雨は凌げる。そもそも壁がないから、外の風はそのまま入ってくる。でも今は暖かい季節だから、風が気持ちいい。

 驚いたことに、この部屋にはざっと見ても50人の人がいる。しかもみんな、ケガ人のようだ。横たわって起き上がれない人も多い。

「ここは、ケガをした者たちを住まわせる部屋なの。普通ならケガ人はもう戦えないから、地元の村に帰したり、ケガがひどいとこの場で楽にしてあげたりするわ」

 楽にするって・・。

「元の村に帰ってもね、役に立たなくて何もできないから、いい思いをしないの。元気に戦っている時は英雄扱いされたのに、動けなくなって帰ってきたら邪魔者扱い。みんなそんな人生を送りたくないって言うわ」

 厳しいと思うけど、それが世間の現実かもしれない。僕の生きている時代だって、似たようなものだ。

「でも、ヒメコ様は、こういう者たちでも最後まで面倒をみたいと、こうした場所を作ってこのまま住んでもらっているの。今まで自分を守ってもらった恩返しにって」

「でも、この状態で戦うって・・」

「そうよ、戦うことなんかできないわ。ここに敵が来たらあっという間に全滅でしょうね。でもね、さっきのように私たち戦える者のことを心配して、できもしないのに、ああやって一緒に戦うって言ってくれるの。私たちはものすごく励まされて、勇気が出るわ」

 戦うことなんてできないのに、戦っているアスカたちが勇気をもらっているなんて。

「だから、戦のない時は元気な兵士もここに来て話をしたり、お世話をしたりしているわ。これが私たちの元気の源なのよ。ヒメコ様はそういうお人なの。だから、私は自分の命に変えてもヒメコ様をお守りするわ」

 アスカの目が、一段と真剣な眼差しになった。

「それで、リョウに頼みたいのは、ここでみんなと一緒にいてあげて。守ってとは言わないわ。ここまで敵を入れることなんて、私もナガスネも絶対にさせないから」

「う、うん」

「みんなが不安がるから、ついていてあげて。私の代わりに」

 アスカに上目遣いに見られると、金縛りに遭ったようになる。

「わかったよ」

 アスカがニッコリと笑って、みんなの方を振り向いて大きな声を張り上げた。

「みんな、ここはこのお客人に任せるわ。何かあったら、この人を頼って!」

 頼ってって言われても、何もできないよ。

「大丈夫よ。昨日だってピンチを切り抜けたでしょう?戦いが終わるまで頑張って!イマミヤリョウさま!」

 それは、アスカが切り抜けてくれたんじゃないか。僕がやったんじゃないよ。

 そんな気持ちが伝わったのか、みんな明らかに不安そうに僕の方を見ている。よく見ると、お世話係のような人が3人くらいいて、彼女たちもキョトンと僕を見ている。今でいう、看護師の役目だろうか。

「ほら、早くあいさつして!」

 笑顔のアスカに促されて、えーい、ヤケよと生まれてこの方、出したことのない大声を出した。

「みなさんこんにちは!僕は今宮陵、学生です!今日はよろしくお願いします!」

 みんなの顔が、さっき以上にキョトンとしている。横でアスカがお腹を抱えて大笑いをしている。

「あはは!いいわ、それ何よ!みんな、あとよろしくね、がんばってくるから!」

 まるで野球の試合にでも行ってくるかのように、アスカはヒョイっと軽い足取りで部屋を出て行った。


 アスカを見送って、後ろを振り返ると、みんなが一斉に僕を見ていた。50人に同時に見られたなんて記憶は、あまりない。大学の中だって、僕が目を合わせなければみんなに見られることはない。

 大講義室で、授業中に教授に当てられた時でさえ、僕の方を見る奴なんてほとんどいない。見られていなければ、そこに存在しないと一緒だ。だから気が楽だった。

 でも今は、期待と不安が入り混じった表情で全員僕を見ている。僕も目を離そうとするのだが、視線が捕まってしまったように離れない。

「あのー、イマミヤリョウさまは、お医者さまですか?」

 看護師役の一人が、恐る恐る僕に尋ねてきた。

「いやいやいや、お医者さまなんてとんでもない!作業療法の学生です!」

「作業療法?それは何ですか?」

 うん、まだこの時代にはないよね。

「えーっと、リハビリテーションの一つで」

 リハビリテーションなんて言葉は、もっとわからないだろうよ!

「あのですね、皆さん方を励ましに来ました。アスカ様には、みなさんと一緒にいればいいと言われています」

 みんなが僕の話を聞いて、場がざわつき始めた。こいつは何を言っているんだろうという疑いの眼差しが増えてきた。

「アスカ様はお客人と言われたが、巻向の近くの人間ではないな。どこから来たんだ?」

 だんだん物言いが丁寧でなくなって来ている。少しずつボロが出てしまっている。

「僕は別の遠い国から来ました。故あって国の名前は言えませんが、この戦いが終わるまでご一緒させてもらいます!」

「おお、お忍びで巻向に来た他の国の王子か」

「よしよし、それなら俺たちが守ってやるよ!それでヒメコ様に恩返しができると言うものだ」

「よし、みんな、王子を真ん中に入れろ!周りは、元近衛兵で固めろ!」

 なんか勘違いをされているみたいだけれど、まあいいか。下手な説明はできないし。

「うちのナガスネ様は本当にお強い方だ。弓と太刀でお一人で10人を一度に片付けたこともある。自分も昔は2番隊を任されていたが、戦でほれこの通り」

 元2番隊の隊長だったというミカシキは、膝から下が切断されていた。

「敵の弓を薙ぎ払っていたのだが数が多く、結局毒を塗った弓に当たってしまい、そのままだと腐って死んでしまうからと、ナガスネ様が悪い部分を切り落としてくれたのだ」

 この時代は、麻酔なんかないだろうから、どんな痛さを耐え抜いたんだろう、この人は。

 すごい。

「こっちのヤツは、足を斬られて、足が動かなくなっちまった」

 その人は、両足で立つことはできるのだが、左足が自由に動かすことができず、足を引きずって歩いている。これでは、戦場で逃げ遅れてしまう。

 他にも、いろいろなケガや病気の人がいた。一人では起き上がれない者、食事を摂れない者、あげればキリがない。それを、3人の看護師役の人が手伝っている。 

 でも50人に3人ではあまりに少なすぎる。

「本当はそのまま捨てられたり、死んだりするところを、ヒメコ様からお慈悲を賜り、こうやって生きているって訳さ」

「だから、こんな風に何かあったときには駆けつけてお役に立ちたいのだ。でもそれができない悔しさを、どうすればいい?」

 それは、本当に、悔しいんだろうな。僕には、何も声をかけてあげられない。

 でも、アスカはそう思っていなかった。

「何にもできないなんて思わないで。さっきアスカ様は、みんながいるから頑張れるって言ってた」

「そうなんだ、アスカ様もヒメコ様もいつもそう言っていただける。ナガスネ様も、口には出さないが時折様子を見に来てくださる。何にもしなくていいから、元気でいるようにとな」

 元気でいるのは大切だけど、何にもしなくていいかな。作業療法の学生としては、そこは気になるところだけれど。

 ここで、みんなにも何かできることはないだろうか。

「じゃあさ、みんなで今できることをして、もっと喜んでもらおうよ」

「そんなこと言ったって、わしらにできることなんてあるのか?」

「あるよ、きっと」

 まずは、ケガを治して身の回りのことを少しでもできるようにすること。この人数を3人の女官でお世話をするのはかなりキツイはずだ。

 そして、少しでも歩いたり、何かできる人は、できる範囲でいいからお世話係になってもらう。これでみんなで助け合いができる。

 いずれにしても、今すぐできるものではないし、できるためには練習が必要になる。

 ああ、もっとたくさん勉強しておくんだった。こんなときに何も使える知識がない。いや、確かにまだ解剖学くらいしか学んでないから、教えるなんて無理だけど、もう少し何かの役に立ちたかった。

 もう一度、前の世界に戻れたら、もっと知識や技術を身につけて、またここに来られないだろうか。

 戦っている者のために、みんなが応援できることか・・。

 応援か、そうだ!いいことを思いついた。

「声の出せる人はどのくらいいるかな?」

 手を上げたのは半分くらいだった。よし、それでも大丈夫だろう。何もしないでいるよりは。

「じゃあ、みんなで鬨の声をあげよう!わーと叫んでもいい。それで、敵には、こっちの援軍が来たと思わせるんだ」

「おお、それはいい考えだ。それなら我らにもできる」

 ミカシキが乗ってくれた。

「じゃあ、ミカシキさん、よろしくお願いします!」

「おーし、それでは声が出せる者は我に続け!えいえい、おー!」

「えいえい、おー!わー!」

 

 思ったよりみんな声を張り上げていて、大きな歓声になっている。これだと、窓や壁がないから、離れの外にも十分聞こえているだろう。これが役に立ってくれているといいけど。

 外からも大きな声が聞こえてきた。今の鬨の声で、何か変化があったようだ。

これなら、身体が動かせなくても、戦いに参加できる。そう思ったのか、声を出している者たちの表情はいい。声がだんだん大きくなっていく。

 まもなく、戦っていた兵士が、大声で本殿中に響き渡る声で叫びながら走ってきた。

「みんな、敵が退却したぞ!こちらの援軍が来たと勘違いしたようだ。我らはヒメコ様と巻向を守ったのだ!」

 わー、と言う歓声が聞こえて、中にいるケガ人たちも笑顔を見せている。

「やった!みんなよく戦ってくれた!礼を言うぞ!」

 元隊長のミカシキが、伝えに来てくれた兵士を労った。みんな動かない身体でも、笑顔で喜びの表情をしている。

 そこへ、また大声を出してこちらに来る一団がいた。

「道を開けろ!ナガスネ様がケガをした!ここに運ぶから邪魔にならないようにしろ!」

 よく見ると、昨日僕を威圧したナガスネが、肩に傷を負っている。傷口が大きく、出血もしている。

「ええい、大袈裟にするでない!これくらいの傷、放っておけば治る!」

 そこに、アスカが駆けつけてきた。

「ナガスネ様、おケガをしたと聞いたが大丈夫でございますか?」

「アスカ殿か、なあに心配するでない。この程度の傷、放っておけば自然に元に戻る」

「しかし」

「右肩ではあるが、矢がかすっただけだ。特に問題はない」

 まずは出血を止めることだと思うけど、その前に消毒しないと破傷風とか怖いんじゃないかな?

「あのー」

 ナガスネとアスカが同時に振り向いた。

「なんだ、お前まだいたのか。まさかお前が大須王に手引きをしたのではあるまいな!」

「だから、あ、いや」

 そういえばナガスネの中では旦日国の人間になっているんだっけ。これはマズイ。

「この方は今回の件と関係ありません。昨夜から私と一緒にいましたから」

 突然アスカが意味深な発言をする。周囲のものから、王子はなかなかやるなー、とかヤジが聞こえる。

 言ってからアスカも気がついたようで、顔を赤らめている。

「あ、いや、そういう意味じゃなくて」

「ではどういう意味だ」

 ナガスネはまだ厳しい表情をしている。でも、明け方に神社まで連れて行ってもらうために早い時間から一緒にいました、なんて言えないし。

「あー、もうそういうことでいいです!だから大須王に手引きなんてしていません!」

 これ以上恥ずかしい話を広げたくない・・。その一心で僕はそう叫んでしまった。

「え?」

 隣でアスカが驚いた様子で、もっと顔を真っ赤にしていた。

「あの、ナガスネさん」

 僕はさっきの発言ををごまかすように、ナガスネに声をかけた。

「なんだ!」

「まだ血が出ているみたいなので、一応血を止めることと、傷口の手当てをしませんか?それくらいなら僕でも少しはできるので」

「お前は医師か」

「いや、違います。でも、それに近い勉強はしているので・・」

「何をするのだ」

「まず、お湯を沸かしてください。あと水も汲んできてください。その水で傷口を拭きます。そして肩を包帯、はないだろうから、布でキツく縛りましょう。お湯に浸した布で縛れば10分くらいで血が止まると思います」

 アスカが女官に湯を沸かせと指示し、ナガスネの破れた着物を脱がせた。

「布を持ってきました!」

「ありがとう。それを細長く切ってください」

 包帯のように細く長い布切れができた。

「湯が沸きました」

 女官が持ってきたお湯の入った入れ物を近くに置いてもらい、包帯をお湯に浸し、水でナガスネの肩を拭いた。お湯はかなり熱かったが、僕が拭くところをアスカや他の女官もじっと見ていた。他のみんなも、僕たちを取り巻くように遠回しに見ている。

「うっ!」

「熱いですか、すみません、少しだけ我慢してください」

「これくらいで痛いわけがなかろう!今のは、気合を入れたのだ!」

 拭きながら、肩の傷口を見て記憶する。それから止血の布を巻く。布の熱さで手が火傷をしそうになるが、水の中に手を突っ込んで冷やすことを繰り返すと熱さを感じなくなった。

 ナガスネは、少し出血の痛みが引いたのと、みんなに見守られている安心感からか、顔の表情も優しくなって、そのまま横になって眠ってしまった。

「王子は医術も長けているのだな」

 ミカシキが、僕を見てそう言った。

「おう、すごいな!王子!」

 誰かに何かを誉められたのって、初めてのような気がする。僕はいつも失敗して、結果が出せなくて、ダメ人間なのに。

「いや、そんなこと」

 そう言ってみんなを見ると、最初の不信感がウソのように、にこやかに僕を見ている。アスカまでそんな目をしないでよ。

「すごーい!リョウって、こんなことできるんだ」

 アスカが僕を見つめていると、誰かが囃し立てるように言った。

「おお、もうそんな見つめ合う仲になっているとは。やはり昨晩契りを結ばれたのでしょうか」

「もう、そんなんじゃないから!」

 アスカが必死になって言い訳をしている。顔がもっと真っ赤になってきた。

「さあ、もう行きましょう!みんな、またね!」

 アスカはまた僕の手を引っ張り、部屋から出ていった。

「もう、みんなったら調子に乗って!リョウもきちんと言い訳してよね。そんなことしてないって!」

「でも本当のことは言えないよ」

「本当のことって、当たり前でしょう!何にもしてないんだから!あ、でも・・」

 そう言うと、アスカは何かを思い出したように、黙ってしまった。

そうだった、元の世界に帰らなきゃ。

「最後に、ヒメコ様に会って行く?」

 最後、か。

「うん、そうだね。一晩だけだけど、お世話になったから」

 もう急がなくていいのに、アスカはまた僕の手を握った。でも走ることはしないで、そのままヒメコ様の部屋へ、二人とも何も話さずに廊下を歩いた。

 ゆっくりと、このままこの時間が終わらなければいいのに、と思いながら。

みんな戦いが終わった安堵からか、どこかで休んでいるようだった。廊下はしんとして静まり返り、誰にも会わなかった。

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