第5話

「怪しき者が門前に現れまして、引っ捕えたところにございます。情報を得たのち、首を刎ねる所存です」

 ヒメコ様は僕を見て、不思議そうな顔をしていた。いや、僕がヒメコ様を見て驚いた顔をしたと思う。ヒメコ様は小学生くらいの小さな女の子に見えた。

 あれ?でも長い黒髪とこの顔は、どこかで見たことがあるような気がするんだけど・・。

「ヒメコ様はこのような門前に出て来てはなりません。アスカ殿、お主が付きながらなぜこんな場所へこられたのだ?」

「ナガスネ様、畝傍丸が外へ出て行ってしまったのを、ヒメコ様が追いかけてしまったのです」

「ならば、尚更お止めしなければ」

「はい、それで私が門の外へ出て、畝傍丸を見つけました」

 ヒメコ様は二人が話している間中、僕を珍しそうに眺めている。

「此奴は旦日国から来た者ですか?ならば、あちらの大須王との交渉の席に使いましょう」

「しかし」

 ヒメコ様はナガスネの言葉を遮って、直接僕に話しかけてきた。

「お前の名はなんと申す?」

 もう、この劇に乗るしかないな。

「今宮陵と言います」

「ほう、イマミヤリョウ、とな。お前は大須王の系譜にあるのか。して、お前の着ている物は何だ?見たことのない衣を身につけておるが、お前は旦日の大須王と話せる立場にある位の者なのか?」

 大須王って、誰だよ?旦日国って、どこ?ヒメコはあの日本古代史で有名な卑弥呼だろうか。こんな年齢ではなかったと思うけど。

 だとすると、ここは大和地方で、奈良のあたり?

 なんで?僕は大学の帰りだったんだぞ。しかも解剖学の再試験を落として留年が決まった直後で。落ち込んで、周りを見ないで歩いていただけだったのに。

 どうして、こんな時代の、こんな場所にいるの?

 いや、今はそんなこと考える時間はない。何とか首を刎ねられる前に切り抜けるんだ。

 元々文系だった僕は、生まれてから今まで使ったことのないスピードで頭をフル回転させてこの状況を理解しようと、記憶を辿った。

 あった。ナガスネは確か神武天皇と戦った長髄彦のことだろうか。卑弥呼とは時代が違うが、タイムワープで入り乱れているのだろうか。

 ええい、それどころではないわ。そもそも僕が過去に来ていること自体が矛盾の塊だし。

 どう答えるべきか悩んで声に出せないでいると、ヒメコ様に従って付いてきた女官が僕の方を見てニッコリ微笑んだ。

 長い黒髪を後ろで束ねて、顔は一見キツそうな表情だけど、目元がキリッとしてハッキリとした顔立ちをしている。でも微笑みは優しそうだった。

「ナガスネ様。ヒメコ様がそう申しておりますので、ここは手荒な真似をしないで、ゆっくりとご事情を聞き出して、大須王と話し合いができるようにしてはいかがでしょうか」

「アスカ殿。いかにあなたがヒメコ様お付きの女官の長とは言え、私のやり方に口を挟まないでいただきたい。この者の処遇を決めるのは私の仕事で、あなたの役割はヒメコ様をお守りすることだ」

 ナガスネが、口を出すな、と言うキツイ口調でアスカと呼ばれた女官に言った。

「しかし、これはヒメコ様のご意向でございます」

 アスカと呼ばれた女官も、意地になっているのかナガスネに負けない口調で強く言い返している。親子ほどの年齢差があるように見えるが、さっきの表情とは違い、かなり怖そうな表情をしている。

「まあまあ、二人で対立していては大須王を利するばかり。ここは、しっかりと話を言い含めて大須王の元に戻してみましょう。二人とも、もうやり合うでない」

「はは!」

 アスカとナガスネは、二人同時にヒメコ様に頭を下げて返事をした。このタイミングは息がぴったりだった。

 これで当面の間は、生き延びられることになったようだ。

「それでは、少し大須王の話をしなさい。我らは大須王を退治しようと思っておるのではない。この土地は我らが長き古より治めている土地じゃ。そこに勝手に侵入するでないと言っているのじゃ。だから、大須王が手を引けばそれで良い。なぜ人の土地を奪おうとするのじゃ?」

 だから、大須王なんて知らないんですけどね。誰?

「えーっとですね、大須王はちょっと置いといて、人がなぜ戦争するかというと、一つは人口が増えて住むところや食料が不足したときにですね、それを補う手っ取り早い手段として侵略します。あと、宗教上の理由とか、あー、信じている神様を人に強制するとか、強制されるのが嫌だとか、ですかね・・?」

 基礎科目で取った、社会学の内容を思い出して話したのでまんざら嘘ではないが、3人とも何となく疑いの目で僕の話を聞いている。

「大須王はちょっと置いといて、と言うのは何だ?どこに置くのだ?」

「あー、いや、だからまず一般論を述べて、それから個々の主張の論理性を高めていくという提案をですね・・」

 ディベートとプレゼンは元々得意じゃないんだよ・・。こんな時、将馬なら口から出任せを言って、ソッコーで言い逃れるのに。

「しかし、大須王は旦日の国からやって来ている。彼の国はここから船で何日もかかると聞いておる。住むところや食料を得るのが目的なら、もっと近くの国を襲えば良いであろう。なぜ、こんな遠い巻向の地を奪おうとするのじゃ?」

 うん、それはですね。

「ここが、」

 説明しようとして、ふと思った。

 でもそれは後で俯瞰的に歴史を見渡せる立場にいるから理解できることであって、今この時、この場所にリアルでいる人には理由なんかわかんないよな。

 それでも、そう説明してみるしかないか。

「それはですね、この地が、今の日本の中心地であり、ヒメコ様が日本の王だからです」

「日本とは何じゃ?確かに山に囲まれたこの地方全体を私は治めているが、それ以外の国のことはよくわからぬ。それが中心にいるとはどういうことじゃ?」

 ほらやっぱり。僕らが宇宙を理解しないのと一緒だ。僕らから宇宙は見えないから、存在していないものになっちゃうけど、宇宙から見れば僕らの存在はきっと見えるんだろう。

 日本という概念がなければ、存在しないものと一緒だから、理解はできない。

 その説明ができないで困った顔をしていると、またもやアスカが話に割って入った。

「大須王は、すぐにでも兵を出してくる様子があるのですか?」

 アスカが僕を見て質問をして来た。さっきのような怖い表情ではなかった。

 ここは、何て言うのが正解だろうか。この答えで僕の人生があっけなく終わってしまう。

「あのー、それは・・」

 僕を遮るようにして、アスカは別の話をし始めた。

「動物は敵かどうか見分けをつける能力が高くございます。畝傍丸は、此奴が入り込んでも何一つ吠えませんでした」

 さっき犬のそばにいたのは、この人か。

「犬ごときに何がわかる!此奴は、犬や動物を手懐ける手練手管を持っているやも知れぬではないか!」

「私の畝傍丸はそのようなまやかしに動じるものではございません!しっかりと訓練しております!」

 また二人が言い合いになっているが、ひょっとしたらこの女官は、僕が敵じゃないと思ってくれているんじゃないだろうか。

 さっきの犬が懐いてくれたことで、助けてくれているのかも。だったら、次の答え次第で僕はまだ生き延びられる。ありがとう、うなぎまる!

「いや、王は話し合いを求めています。だから、明日にでも僕が王の元に出向いて、ヒメコ様のご意向をお伝えに参りましょう」

 これでいいんだよね?これで明朝早く王の元に出向くふりをして、逃げ出せばいいんだよね?

 縋る目でアスカを見ると、またニッコリと微笑んでくれた。

「して、大須王は今何処におるのじゃ?」

 えー、そんなの知らないよ。でも、毒を食らわば皿まで、だっけな。最後まで嘘で押し通すしかないな。嘘も言い続ければいつか本当になると将馬が言ってた。

「それは今詳しいことは言えません。あの山の向こう側にいるとだけお伝えしておきましょう」

 何となく、どうとでも取れる答えだ。我ながら、素晴らしい。でも、酷い答えだ。

 アスカが僕を見てから、ナガスネに向かって言った。

「それでは、今日はもう夜も深いので、ヒメコ様もお休みになられます。明日また、大須王に伝える内容を評議致してはいかがでしょうか?ナガスネ様」

 ナガスネはあまり納得した顔をしていなかったが、ヒメコ様のお休みを妨げてはいけないと感じたのか、渋々アスカの提案に同意した。

「わかりました。明日は此奴を締め上げて、人質として伝令させましょう」

 やっとナガスネが引いて、兵の詰所に戻っていった。


「ではヒメコ様、御寝所へ参りましょう。ユキはイマミヤリョウさまを迎賓の間に案内しなさい。ヒメコ様の身支度が整ったら、私が迎賓の間に伺います」

「アスカさま、わかりました」

「そういえば、イマミヤリョウさまは夕餉をお取りになられましたか?遠くからいらっしゃったのなら、お腹が空いていませんか?」

 言われてからお腹が自分で気づいたのか、ぐうと鳴り出した。

「あはは、正直で好ましいです。ユキ、何か食べるものをお出ししてください」

「かしこまりました」

 ユキと呼ばれた女官とその他何人かの警備の者の後ろについて行き、迎賓の間と呼ばれるところに案内された。

 建物は広いが、中は質素で、廊下も案内された部屋も、もう日が落ちてかなり経つはずなのに暑かった。もちろん窓はなく、大きく開いた部屋と廊下の間に御簾のようなものがかかっていて、それが部屋の敷居になっていた。

 つまり、音が全部部屋の外に漏れて、また外の暑さもそのまま部屋に入ってくることになる。あれ、奈良って冬は寒いんじゃなかったかな。こんな開けっ放しで、寒くないのかな。

 やっぱり奈良じゃないのかな。

「こちらでお寛ぎください」

 ユキが何か食べ物を持って来るために部屋から出ていった。最初に捕まった時から比べると客人待遇になったので、扱いが雲泥の差だ。

 しかし、明日早くにここから脱出しなければならない。嘘がバレるとその場でナガスネに首を刎ねられてしまう。

 でもどうしてアスカは、僕を助けるようなことを言ってくれたのだろう。どこかで会ったこと、いや無いよな。鶴や亀を助けた覚えもないし。うなぎまる、だっけ?その犬を少しだけ可愛がっていただけなのに。

 そんなに大事な犬なんだろうか。

 ユキが食べ物を持って部屋に入ってきた。主に穀類だ。そりゃこの時代なんだし、と考えていたら、アスカが部屋に入ってきた。

「ユキ、ありがとう。みんなももう下がっていいわ」

「でも、アスカさまお一人で大丈夫でしょうか」

「大丈夫よ。私はナガスネ様と立ち回りができるくらいなの、知っているでしょう?」

「ですが、旦日国の者であれば何を隠しているか・・」

「この人は大丈夫。私を信じていいから、あなたもお休みなさい」

「はい、わかりました。でも何かありましたら、すぐにお声をおかけください」

 まあ、この部屋の構造なら、声を上げれば立ち所に誰か来そうですけれどね。

「それで、お腹の虫は納まったの?」

 アスカがいたずらっ子のように笑っている。

「アスカさま、今日はありがとうございます。感謝します」

「アスカでいいわよ。堅苦しいのは嫌いなの。あなたは、イマミヤリョウって発音するのね」

 いやそう言われましても。名前呼びする女子なんて今までいなかったよ。柳本さんだって、柳本さんなのに。

「リョウでいいです。あなたの苗字は何というのですか?」

「ん?苗字って何?」

 あ、そうか、この時代はまだ苗字なんてないんだった。

 じゃあやっぱり名前呼びするしかないんだ!

「ヒメコ様とはどこでお会いになったの?私も長くお側にいるけど、学堂で一緒に学んでいた人がいるなんて、そんな話聞いたことがないわ」

 まずい、そんな近い関係だったのか。

 アスカが、さっきとは違う厳しい顔で問い詰めてくる。

「ヒメコ様のことで私に知らないことがあるなんて許せない。だからあの場で殺さなかったのよ。それを聞いてから始末するわ」

 えー、さっきは助けてくれるために言ってくれたんじゃなかったのかい・・。

「それに」

 それに、何だよ。何で助けてくれたのか僕も知りたいよ。

「畝傍丸が、あなたを信頼していた」

「ああ、犬のことか。じゃあさっき外であの犬を呼んだ時にいたのは君だね?」

「そうよ。畝傍丸が何かに勘づいて急に外に出たから、慌てて追いかけたらあなたが畝傍丸を手懐けていたのよ。決してヒメコ様と私以外には懐かないのに、あなたには安心して撫でられていたわ」

 うん、それは確かに、なんか違和感があった。初めて会った犬なのに。

「うね?、何て発音するの?」

「うねびまる、よ」

「うねびまる、ねえ。難しい名前だね」

 アスカはちょっと驚いた表情をした。

「畝傍という地名を知らないのね。あなた本当は旦日の人じゃないでしょう?その服は何?どこから来たの?」

 さて、何てごまかそうか。でも。

 そこまで見抜かれているなら、この人には隠さないほうがいいな。

 改めてアスカの正面を向いて、ゆっくりと話しはじめた。

「僕は、たぶん、未来から来ました」

「未来って、どこの国?」

「いや、国じゃなくて、その、ずっと後の時代っていうか」

 アスカの顔がまた少し険しくなった。そりゃあ、後の時代から来たなんて言われたら、こいつちょっとおかしいと思われて警戒されるよね。僕に対するアスカの警戒モードも1ランク、いや2ランク上がって、身の危険を感じたよ。

「後の時代って、どのくらい後?何でそんなことできるの?」

「そうだよね、信じられない話だよね。僕だって何で今ここにいるかわからないんだ」

「質問に答えて。この暑い季節を何回超えるの?」

「今は西暦何年だい?」

「西暦?何年って、何のこと?」

 そうか、暦ができたのは大化の改新以後だったかな。まだ年という単位のない時代だから、季節の回数で考えるんだ。

「そうだね、うーん、多分夏を今から1500回以上繰り返した後の時代くらい」

「え」

 アスカの目がグルグルしている。そりゃあ俄には信じてくれないだろう。でも誰だってそうなるよね。

「何を言っているの?訳のわからないことを言ってごまかそうとするなら、この場で首を刎ねるわよ」

「ごめん、嘘はついていないんだ。僕も嘘はつきたくない。さっきはつきたくもない嘘をついたから疲れちゃった」

 アスカは、僕より背が低いので、上目遣いに僕の目を見る。女子にこんな風に見られることなんて今まで一度もなかったから、ドキドキする。

 でも、まだ疑っている目だ。その凛々しい目で見つめられる。こんな状態で嘘なんかつけない。

「自分でも、なぜこの時代にいるのかわからないんだ。だから驚きを通り越して、信じられない状態です」

 それでも、ため息を軽く吐いてから僕に向かって言った。

「うん、目を見ると嘘は言っていないみたいね。それと畝傍丸のこともあるし。わかったわ、その話を信じましょう。でも」

 よかった、とりあえず第一段階の危機は乗り切ったみたいだ。でもどうしてこんなに信用してくれるんだろう。

「それで、この先どうするの?今日は引いてくれたけど、明日はナガスネも容赦しないわよ。私も明日は庇いきれないと思う。ヒメコ様も少し疑っていたけど、今夜は私に免じて時間をくれたから」

「うん、わかってる。明日何とかしてここから逃げて、自分のところに戻るよ」

「どうやってその時代に戻るの?」

 アスカは、首を傾げてちょっと考える仕草をして、一番大事なことを僕に聞いた。

「というか、どうやってここに来たの?」

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