第4話

 再試験の会場にいたのは、理学療法学科の学生が2名、作業療法学科の学生が僕らを入れて7名であった。

 理学療法はどちらかというと理系科目が得意な学生が多いので、医学の基礎的な科目は得意な者が多い。作業療法は精神医学や心理学を得意とする学生が多いみたいだ。確かに作業療法士の職場には精神科があるからかな。

「あんなに一生懸命やったんだから、大丈夫。自分を信じて」

 開始前に柳本さんから激励のメールが来て、それを読んで試験に臨んだ。


 結果は、不合格であった。

 これで留年決定だ。まず頭に浮かんだのは、親になんて説明しようかということだった。何度も言われているが、ウチには弟が二人もいて、そのお金もかかるからこれ以上は親を頼れない。留年したら学費は自分で払えとも言われていた。

 1年生で留年決定なんて、あまりに自分が情けない。柳本さんから、自分を信じて、なんて言われたけど、こんな自分を信じたって意味なんかない。

もう大学に行きたくない。誰にも会いたくない。

 スマホには柳本さんから何回もメールが来ていたが、開く気にもなれずそのままにしていた。その後電話も来たが、出る勇気も無かった。何て言っていいか全く思いつかない。

 だって、1学年下になったら、恥ずかしくてもう顔を合わせられないよ。授業で合う機会も無くなるし。そもそも自分が気に入られているわけでもないし。

 そして、将馬は、なぜか奇跡的に再試に受かっていた。柳本さんが、メールで教えてくれた。

 僕だけが蚊帳の外にいる。

 これで、柳本さんと将馬はうまくいくんだろうか。きっと、この3人の関係は変わるだろう。

 僕はこれから4年間、ぼっち確定だよな。

 何で僕はこんな大学に入ってしまったんだろう。特別、リハビリテーションに興味なんかなかったのに。親が勧めたまま決めてしまったからだ。そうだ、お母さんが悪いんだ。

 いいや、違う。

 あの時オープンキャンパスで会った、先輩がいたからだ。あの先輩、えーっと、なんて言ったかな。そう言えば入学してから一度も見かけてないな。

 解剖学教室で、あの先輩に会って、そうしたら不思議と、この大学に入ろうかという気持ちになったんだ。

 あの先輩がいなかったら。あの時、絵を描いているという話をしなかったら。あの部屋で解剖学にスケッチがあると知らされなかったら。

 いいや、それも違う。

 もしも、この大学に入らなかったとして、じゃあ、自分はどこにいるんだい?

どうせどこにも興味なんてなかったじゃないか。今、こんな形でも自分の居場所を作ったんだから、それは誰かに文句を言ってもしょうがないんじゃないのかい?

 悪い自分と、正義を振りかざす自分が交差する。

 どっちか、じゃないのに。

 結局は全部他人のせいにして、自分で居場所を壊したんじゃないか。


 家に帰りたくないな、と考えながらぼーっと歩いていると、普段通る商店街の脇道に入り込んでしまった。

 あれ?ここはどこだろう?

 そう思っていると、道端に小さな鳥居があるのを見つけた。

 こんなところに、神社なんてあったかな?

 鳥居の前で中を見ると、小さな、神社というよりは大きな祠のような古い建物があった。普通の神社にあるような、おみくじやお守りを売っているような社務所も見えない。もう何十年も手入れがされていないような古さだった。

 なんだ、これ?

 何という神社か知りたくなって辺りを見回すが、大きな看板のようなものはない。鳥居の脇に、何か字が書いてある札のようなものが立っていた。

 縁起札っていうのかな。もう字が掠れて辛うじて読み取れた札には、岐神社、と記してあった。

 岐?岐阜県の岐かな?岐阜神社?にしては阜の字が入るスペースが空いてない。

 そういえばこの字、岐阜という地名以外で使われているのを見たことがないな。何と読むのだろう?

 この字の読み方を調べようと思いスマホで文字を調べると、クナドと出てきた。

 クナド?何の意味だろう?

 続けて調べると、悪霊を封じ込める分かれ道、とあった。

 ふうん、こんな神社があるんだ。分かれ道か。今の僕は、どっちの道に進むんだろうか。

 どっちに進んでも、いい気がしないのだけれど。

 とりあえず何かの縁だし、拝んでいこう。どうせなら再試の前に神様にお願いすればよかったかな。

 ふらふらともう一度鳥居をくぐり境内の中に入っていくと、日が暮れかかっていることに気がついた。空が赤く染まっていた。

 そろそろ帰らなきゃ。将馬や柳本さんにも連絡しなきゃ、心配してるよな。

 結局、自分では家出一つする勇気もないんだから。さっきまで、帰りたくないとか思っていたくせに。

 あーあ、明日からどんな顔で二人に会おうか。

 ため息をついてまた空を見上げると、夕焼けが一瞬、蒼くなった。

 あれ、夕焼けって蒼く見える時があるんだ?

 綺麗だな。これを絵に描きたいな。

 そう思った瞬間、目の前が真っ暗になって、どこかに落ちていく感覚だけが残った。


 気がついて目を開けると、そこには、田舎ののどかな風景があった。

 真っ赤な夕焼けがマントのように周りの山々を取り囲み、幻想的な景色だった。

 綺麗なグラデーションの空。

 ここは、どこだろう?

 そう言えば、持っていたカバンは?カバンが見当たらない。あ、スマホでここの位置を検索してみるか。

 ポケットを探るが、スマホも見当たらない。慌てて自分の服を見るが、服はさっきまで着ていたままだ。どこかで、カバンとスマホを落としたんだろうか。

 辺りが暗くなり始めたのでとりあえず道を進むが、どこに向かえばいいのかわからない。

 この道路には街灯が一つもない。道も舗装されていない。この街にこんなところあったかな?どこに迷い込んだのだろう。

 自分の姿も見えなくなるくらいになった時、山の麓に灯りが見えた。とりあえずそこに向かって、事情を話して電話を貸してもらおう。そして将馬に連絡しよう。

 不安に駆られながら、周囲の暗さと対照的に目立つようになってきた麓の灯りに近付いていった。

 もう暗くなって、あたりが輪郭しか見えないような状況になった時、僕の目の前に何か生き物の気配がした。驚いてとっさに身構えると、くうんという鳴き声を出して、近くにその生き物がやってきた。

 なんだ、犬か。

 正体がわかると、さっきまでの不安は無くなって、寄って来た犬の頭を撫でた。動物はそんなに嫌いではない。だって、裏切らないから。

 人のほうがよっぽど怖い。

 その犬は、よっぽど僕を気に入ってくれたのか、寝転んでお腹を出して僕に触られるがままにされている。これはかなり気を許している証拠だ。

 よしよし、可愛い奴だのう。名前は何て言うんだろう。飼い犬かな。

 その時、前方の暗がりから声がして、僕に頭を撫でられていた犬が、突然その声を目がけて走り去った。

「畝傍丸!こっちへ来い!」

 飼い主が呼んでいるようだ。犬はすぐに声の主のところまで戻ったようだ。もう暗くて影しか見えないが、飼い主がいるのは間違いない。

 勝手に犬を触ってしまったことをお詫びしようと思って、どんな人か確認したかったが、既に辺りは真っ暗で何も見えなかった。

 それでは仕方がないな。でも、犬の名前、なんて呼んだんだろう?うまく聞き取れなかったけど、うなぎまる?なんだそれ?


 犬がいなくなって、そのまま灯りの方に吸い寄せられるように進んでいく。

 灯りは電灯じゃなくて、松明の篝火だった。キャンプファイヤーでもやっているのかな。こんなところにキャンプ場なんてあったんだ。

 あんまりアウトドアも好きじゃないから、こんな場所知らなかったな。

 昔、家族でキャンプをしようとしたときも、僕だけ行きたくないと言って、両親や弟たちを困らせたっけ。

 だって、暗闇も、あたり構わず出てくる虫も、大嫌いなんだもの。

 篝火の前に着いた。本物の火がゆらゆらと燃えている。よかった、誰かがいるんだ。

 篝火の奥には、門があり、その向こうに建物が見える。ビルではなく、昔の大きな民家のような建物だ。篝火が邪魔をしてよく見えないが、建物の中にはぼんやりとした灯りがついているみたいだ。

 こんなに暗くて、誰もいないのかな?それにさっき日が落ちたばかりだから、まだ寝るには早い時間だろう。

 それとも、もうそんな時間なんだろうか。キャンプ場の夜は早いみたいだし。

 でも、このまま一人で夜を過ごすなんて嫌なので、家と将馬にくらいは連絡したい。誰か迎えに来てくれよ。スマホ、どこに行っちゃったのかなあ。

「誰かいませんかー」

 何となく大きな声を出すのは憚られる雰囲気だったので、小声で門に向かって声をかけてみた。きちんと伝わっているかはわからないが、だんだん気持ちも不安になってきて、一刻も早く誰かに会いたくなった。篝火がついているのだから、誰か、管理人さんくらいはいるだろう。

 スマホもないからライトもつけられない。ようやく闇と薄明かりに目が慣れてきた。

 門を叩いて、中の人に連絡を頼もうとしたその瞬間、門が開いて中から人が出てきた。

「曲者を捉えよ!」

 中からは5人ほど、昔の鎧を着た武士の格好をした人が松明を持って出て来た。そして、誰かの号令で、僕はあっという間に首筋に刃物をあてがわれ、両手を後ろ手に掴まれた。

 驚きのため最初は声が出なかったが、後ろ手の痛さに耐えかねて必死で声を出した。

「痛い、痛い!やめてください!いきなり何をするんですか?怪しい者ではありません。ちょっと家族に連絡をお願いしたいんです。痛いから離してください!」

「何を言うか!堂々と正面から忍び込もうとしておったではないか!曲者以外の何者であるか!」

「いや、忍び込んだって、まだ門の中に入っていません。曲者って、その時代がかった言い回しは何なんですか?あ、映画の撮影ですか?ごめんなさい、僕、道に迷ってしまって、勝手に入ろうとしていました。本当にすみません」

「ん?映画とはなんだ?もっとわかるように話せ!いや、いいわ。このままナガスネ様に差し出して口を割らすわ!」

 ナガスネ様、って言う人がここの管理人なのかな。きちんと話せばわかってくれるだろう。撮影の邪魔をして申し訳ないって。きっと本番中だったから怒っているのだろう。

「手に縄をかけよ!このままナガスネ様に引き合わせる。誰か先に連絡して参れ!」

「は!」

 3人がかりで捕まえられた僕の両腕は、そのまま縄で縛られて歩かされた。

 うーん、いくら映画の撮影を邪魔したとしても、縄で縛ることはないよな。

 僕をエキストラと間違えているのだろうか。男たちの顔つきは強張っているので、どうも冗談とも思えない。演技の最中なら、このままおとなしくしていたほうがいいかな。

 そう思って、素直に、されるがまま建物に向かって歩いて行った。

 途中で気がついたけど、エキストラにしたって僕は自分の私服を着ている。皆さんが着ているような衣装を着ていないよ。まだリハーサルかな?

 建物は思ったよりも大きく、お寺の大広間みたいな広さがあった。屋根の大きさからみると、この奥にも部屋があるのだろう。映画のセットって、すごいな。本物みたい。

「何を騒いでいるのだ?」

 奥から威厳のある深く重い声が聞こえた。ここの責任者だろうか。

「ナガスネ様、門前で怪しい奴を捉えました。敵の間者と思われます」

 敵ってどこだよ?そもそもここはどこなんだよ!ナガスネという名前はさっきも誰かが言っていた。どんな人だろう。

 そういううちに、ナガスネと呼ばれる男が目の前に現れた。思い切り首を上に上げないと全身が見えない。どう見ても身長が2mはある大男だった。

「お前はどこから来たのだ」

 どこから来たのかと言われても、それはここがどこかという基準があって初めて成り立つ質問であって、それがわからなければ答えようがない。

「ここはどこですか?北進市ではないのですか?」

 北進市と言われても、こんな街は見たことがないので信用できるかわからないけれど、少なくとも自分が知っている名前の街でいて欲しい。

「北進市?どこであるか、それは?ここは巻向である。我らがヒメコ様の治める土地だ」

 巻向?どこかで聞いたことがあるような。でも北進市では聞いたことがないな。僕も生まれてからずっとこの街に住んでいるけれど。

「ヒメコ様を知らぬのであれば、お前はこの土地の者ではないな。であれば敵、旦日の国の間者であろう。すぐに殺せ」

 はは、と僕をここまで連れてきた者たちが声を上げて自分を捕まえ、別の場所に運ぼうとした。

「いやいや、もう冗談はやめて離してくださいよ。友人に電話をしたいので、すみませんが電話を貸してください」

 と言った途端に、ナガスネと言われる男が持っていた刀を僕の頭に振りかざし、僕の髪の毛が少し切れてパラパラと落ちた。

 え、これ本物の刀?どういうこと?

「連れて行け」

いや、待って!このままだと、あの言葉通りすぐに殺されてしまうだろう。

 そんな馬鹿な。なんなんだよー、これは!

 こんなに不条理に切られる理由なんかない。まともに切られたら死んじゃうじゃないか!

「いや、あの、ヒメコ様は知っています!僕の大学の先輩で、僕が入学するときにオープンキャンパスで解剖のスケッチを説明してくれた人で、長い黒髪でとっても美人です!」

 ヤケになって、知っていることを全部ごちゃ混ぜにして大声で叫んでみた。

 ナガスネという大男は、その声に振り向き、僕をジロリと睨みつけた後に威厳のある声で言った。

「大学の先輩とは何だ?」

 もうこうなったら、とにかく言い繕うしかない。きっと説明できなくなった時に、自分の命は尽きてしまうだろう。

「同じ場所で一緒に勉強をさせてもらいました!」

 ナガスネは、一瞬考えるような仕草を見せて、また厳しい目を光らせて言った。

「確かに、ヒメコ様は幼少の時から博士に付き、学堂で学ばれたことはある。また、美しく長い黒髪を持っているのも確かだ」

「だからと言って、本当にお前がヒメコ様と一緒に学ばれたかは信用できぬ。そんな話も聞いてはおらぬ」

 えーい、もう何が何だかわからないよ。早く、前の場所に帰りたい。

「それでは、ヒメコ様に一度会わせてください!それで本当かどうかわかるでしょう?」

 間髪を入れずにナガスネが大声で威嚇してきた。

「無礼者!ヒメコ様がお前のような間者に会うとでも思うものか!そのような妄言を吐くやつは、今すぐ首を刎ねる!」

 ねえ、これ本当に、何かの撮影じゃないんですか!

 こんな訳のわからないところで首を刎ねられては、たまったものではない。さて、どうすればこの場をうまく凌げるか?

 いくら普段ぼんやり生きてきた僕だって、今が大ピンチなことくらいわかっている。

 さあ、どうしよう!


「何があったのですか、ナガスネ?」

 そこに、たおやかな、でも少女のような高い声が聞こえた。その声でナガスネの動きが止まり、殺気が消えた。

 正直、助かったと思った声だった。

「これはヒメコ様。。このような場所にお越しいただいては危のうございます。すぐに本殿の中にお入りください。旦日国の間者が侵入しておりました」

 そこには、ヒメコ様と呼ばれる女性が、何人かのお供の女性を連れて現れた。

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