1-2 神楽

 講義棟とは食堂を挟んで反対側、レンガ造りの二階建て、一番北側の部屋にハレはいた。

「ハレ君、よく来たわね。あら、ミチヒト君も来たの」

神楽は紅茶を淹れながら歓迎する。内心浮かないハレと違い、名前を呼ばれてミチヒトはご満悦だ。

「散らかっててごめんなさい。そこに座って」

神楽は部屋の手前側の応接セットを指した。書棚は整然としており、一つのほこりもない。唯一奥の机の上だけが乱雑に書物が積み重なっている。

「すごい数の本ですね」

ソファに座りながらハレは感嘆の声を漏らす。

「数があっても、無くなる時は一瞬なのだけれどね」

そう言いながら神楽は紅茶を3つテーブルに置いた。火の国では書物が流通することはほとんどない。自然発火は良く起きることであり、そのたびに全て消え去ってしまうからだ。神楽は二人の向かい側に座った。

「これは、紅茶ですか?」

ミチヒトは物珍しさを隠さずに問う。

「そうよ。飲んだことはないかしら」

「オレ、初めて見ました。いただきます」

そう言いながらミチヒトは一口飲んだ。

「口に合うかしら」

「・・・わかんないです」

ハレも一口含む。香りが高いのだが何の香りかはわからない。飲み慣れない味、というのが正直なところだった。

「すいません、僕もわかりません」

ハレは正直に感想を言った。そもそも紅茶だって流通することは殆ど無いのだ。

「これって、神職の方が飲んでいたものですよね。もしかして、先生は神職の、、、?」

「そうね、私の先祖には神職がいたわ。もう300年も前の話よ。先代の神に近づこうとした男がいたの」

先代の神、とは火の神ケルファのことを指す。約400年前に火の国に現れ、200年前に姿を消したとされる。彼女がいなくなってから火の神フォルトが現れるまでの100年間、火の国には発火を止められる存在がいなかった。これを赤熱の100年と呼ぶ。

「私の話はいいわ。さっきの続きをしましょう」

神楽は1つの資料を取り出してみせた。

「これは私達が普段使っている火による燃焼を記録したものよ。読み上げるわね。『通常、燃焼した物質は炭となる。しかし発火により燃え上がった物質は炭化を経ることなく消え去っている』。調査府が注目しているのはこの炭化よ」

神楽は紅茶を一口飲む。

「鎮火士たちの着ている服だって、普通に燃やせば炭化する。でも発火による炎の中では当たり前に動くことができる」

「鎮火服は、確か慶朱の麓で採掘された鉱物が混ぜ込まれていましたよね」

ハレは講義で聞いたことを思い出す。

「ちょっと待って、それってどういうことだよ」

ミチヒトは混乱しているようだ。話は確信に近づいている、ハレはそう思う。

「そうね、まだ仮説なのだけれど。もしかしたら慶朱は――――」

カンカンカンカン!!!!

自然発火の鐘が鳴る。神楽、ハレ、ミチヒトは窓辺へと走った。

「ここは湿地帯にあるはずだろ!どうして発火なんか!」

ミチヒトは神楽を見てそう叫んだ。神楽の視線の先には――燃えている教育庁宿舎があった。

「今は放課後、たくさんの生徒たちがいるはずです。助けに行かないと!」

「おいハレ、待てよ!!」

ハレとミチヒトは部屋を飛び出していった。神楽はひとり呟く。

「まさか、慶朱がこんなにも弱っているなんて」




 二階建ての宿舎は既に炎に包まれていた。入り口には紙一重で助かった人たち――自身から発火する前に建物を出られた人たちがたむろしている。ハレは目もくれず、講義棟横の倉庫へ向かった。

「ハレ!どこ行くんだよ!」

「倉庫には鎮火服がある!」

教育庁での講義には実技も含まれる。治癒、防火、調査、農産、そして鎮火。全ての実技に使う用品が倉庫には詰まっている。ハレは倉庫の扉を開け、自分に合う鎮火服を探し始める。

「待てよ、ここの鎮火服って20年近く前のオンボロだろ」

「それでも無いよりはましだよ」

鎮火服を着て、兜を被りハレは倉庫を飛び出した。

「オレは、どうすりゃいいんだよ」

ミチヒトは一人、倉庫に取り残された。

ハレは走る。鎮火服は重い、硬い。20年前の鎮火服は服というより鎧に近く、体が上下するたびにどこかが体にぶつかる。痛い。慣れない重みに苦戦しながらもハレは宿舎にたどり着く。

「どいてください!!」

人込みをかき分け、玄関前まで来ることができた。目の前にはごうごうと燃える宿舎がある。怖い、自分も燃えるかもしれない、誰も生きていないかもしれない。それでも今は、助けに行きたい。ハレは火の中に飛び込んだ。



 周囲は赤く何も見えない。燃え盛る火は眩しく、目を開けることは困難だ。しかし熱くはない。たとえ古くても鎮火服は有効なようだ。この時間一番生徒たちが集まっているのは、談話室だ。一階入って一番右の奥の大部屋、そこに生徒たちがいる。ハレは火の中を、一歩一歩、ゆっくりと進む。まるでハレを恐れるように、床から上がる火は道を開けてくれる。談話室に近づくにつれ鼓動が早くなる。見たくない、見たらもう戻れないかもしれない。それでも―――。

 談話室の扉は既に消え去っていた。部屋の中はなお燃え盛る。人影が見える!ハレは駆け寄った。

「大丈夫ですか!」

知った顔ではなかった。恐らく上級生だろう。燃えているのにひどく穏やかな表情で、彼はハレを見た。

「・・・助けに来てくれたのかい」

「そうです!すぐに宿舎を出ましょう!」

ハレは彼を担ごうとする。触れられない。手も、肩も、足も触れられない。どうすればいい。

「ここには何人もいたけど、みんな消えていったんだ。僕が最後みたいだね」

「最後にはしません。一緒に帰りましょう」

どうすればいい、何をすればこの人は助かる。ハレは必死に思考を巡らせる。水は?取りに行っている間に消えてしまうかもしれない。

「君はここを出たほうがいいよ。幸い、熱くも苦しくもないんだ。僕は大丈夫だよ」

上級生はなお穏やかな口調で言う。足元から徐々に透け始めている。どうする、このままでは消えてしまう。そうこうしている間にも上半身まで透けている。

「手を出して!」

ハレは叫んだ。左手の手袋を取り、上級生の左手へ重ねる。入った。手袋の中に、手の感触がある。これだ!ハレは全身の鎮火服を脱ごうとする。

「ありがとうね」

からん、と音がした。そこに上級生の姿はなく、ハレが重ねた左の手袋だけが落ちていた。

「そんな・・・」

ハレは立ち尽くす。左手が燃え始める。手首から指の先まで。それ以上燃えないのは鎮火服を着ているからだろう。すぐに手袋をつけなくてはならない。燃えていない右手で左の手袋を掴む。それは重たかった。



「フォルト様だ!」

宿舎の前で誰かがそう叫んだ。火の神フォルトは天空にあり、宿舎を見下ろしている。

「まさかここも燃えるとは・・・」

フォルトにとって、教育庁が燃えることは衝撃的なことだった。教育庁は200年も前からここにある。200年発火しなかった場所というのはこの火の国に数えるほどしかない。警戒を強めなければならない。

大きく息を吸い、燃え盛る宿舎へ手をかざす。炎が渦巻いて自身の手へ吸い込まれることをイメージする。イメージを強くする。少しづつ火は渦を巻き、炎となり、フォルトの手のひらへと吸い込まれていく。もう300年、彼はこれを繰り返している。だが今回の発火は何かおかしい。なぜ火の国で最も安全とされてきた土地が燃えている。フォルトは動揺している。しかしそれを火の民に見せてはいけない。呼吸を整え、降りる準備をする。

「おい!大丈夫か!」

玄関前で誰かが言う。焼け跡から鎮火服を着た誰かが出てきた。フォルトはその脇に着地する。

「君、大丈夫か」

鎮火服の彼は左の手袋を右手で抱えている。なぜ手袋をはずしている?フォルトが彼の左手に目をやると、手首からその先が無かった。

「その左手はどうした」

フォルトは彼の兜を外してやる。この少年は確か、二年前に発火に遭った子のはずだ。

「この、手袋に、、、遺体が入っています。埋葬してあげてください―――」

そう振り絞り、少年は倒れた。フォルトが受け止める。遺体?どういうことだ?

「ショールはいるか」

教育庁の長はフォルトの前へ出る。

「治癒士を呼んで彼を治療してくれ。手袋は私が預かる。それからこの事は箝口令をしくように」

「わかりました。すぐに手配いたします」

ショールは玄関前にたむろする生徒と教員を指揮し始めた。治癒士たちが少年を治癒室へ運んでいく。

「彼は一体、何を見たのだ」

フォルトは手袋を見つめ、呟いた。

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