chapter4 「カッサンドラ(久須那美)と二人の少年の物語」


scene1-1 「カッサンドラの憂鬱」


 私は、子供の頃、「妙にカンのいい女」として周りに扱われてきた。


 日常のふとした拍子に次に何が起きるのか、そっくりそのままに見えるのだ。

 例えば、後、二分後に友達の何々ちゃんは石につまずいてこけ、泣きじゃくる、だとか、お母さんは今日、買い物に行きはするけど財布を無くして帰ってくる、だとか。その他色々。小さい内は周りはたまたま言った事が当たっているだけのちょっと頭のネジが緩めの不思議少女と大目に見られていた。

 でも、中学生になる頃には、私は周りに大目に見られなくなっていた。


「あの子さあ、不気味じゃない?」

「うん、分かるー。何か妙にカンがいいっていうか。これから起こる嫌なことを『予見』してるみたいなさあ。あの子の言った嫌な事ありそう、って『予言』、妙に当たるよねえ?」

「もしかして、あの子が裏で手ぇ引いてるんじゃないのお?」

「そうよねー、あのクソ『予言』女!」

 まったく…。聞こえてるよ、あなた達。人の聞こえるところで悪口言いやがって。


 中学に入学した頃は、私だって呑気のんきに過ごしていた。小学校からの友達―あんま居た訳じゃないけど―も居たし、周りの子も大らかだった。上手くいかなくなったのは二年生になった頃。14にもなれば、周りも少しは色気づいてくる。可愛らしい恋愛ごっこ―私はクールな目で傍目はために見ていた―なんかが起きる。私はそれに関して、幾つか不吉な「予言」を口走ってしまったのだ。


「あなたがこれから付き合う、何々君。後二週間もしたら他の女の子に夢中になってあなたの事見向きもしなくなるわよ」だとか。

「あなた、これから彼氏の何々君に、こんなプレゼントを渡そうとするわけだけど―それが原因で彼、大けがするわよ」だとか。

 最初のうちは、私の「予言」は有り難く受け入れられていた―小学校の時からの友達の女の子が私の「予言」は当たると保証してくれたのだ、しかも彼女は人気者。周りは一も二もなく信じた。でも。幾つも「予言」をしている内に周りはすっかり私を気味悪がるようになったのだ。気味悪がられるだけなら別に私も気を悪くしなかっただろう―小さい頃から近所のおばさん連中に気味悪がられていた―でも、気味悪がり始めた連中は、私を排斥しだしたのだ。最初は無視。それはまだいい。我慢が出来る。その次は嫌がらせ。机の上に汚い雑巾を山盛りにされたり靴箱から上履きが消えたり。その二つを私がクールにやり過ごしていると、今度は実力行使―男子みたいな分かりやすい暴力じゃない。実に陰湿な手口、詳しく言いたくない―

 やがて、私の周りには誰も居なくなった。

 小学生からの知り合いも嫌がらせもしてくる連中―力を持ったグループだった―が私を排斥してると知るや否や、一緒になって嫌がらせや暴力を振るってくるのだった。

 やれやれ。全く、友達がいの無い連中だこと。


 そんな日々を一年、我慢しながら過ごしていた訳だけど―学校に行かなければ楽だっただろう、ただ私はあんな下らない連中に屈したくなかった―、まあ、幼気いたいけな女の子がそんな日々を過ごせば、多少は性格がれてくる。

 いじめの事実に一年遅れで気づいた先公せんこうどもは慌てて対策を取ろうとしたわけだけど、手遅れだし、事態をさらに悪くしただけだった。まるで炎上した天ぷら鍋に水を注いだみたいに。「火」を消したければ「酸素」を奪うしかないのだ。そして私の場合の「酸素」は、私の「予見」だ。

 でも。それは私にとっての「酸素」だ。人が「酸素」なしでは窒息してしまうように、私もこの「酸素」なしでは窒息してしまう。他の人にとって有害で気味の悪い能力でも、私の日常には無くてはならないものだったのだ。転ばぬ先の杖。少し先の事が見えるのは中々便利なのだ。


scene1-2 「白馬の王子さまがクールとは限らない」


 今日もまた、嫌な一日が始まる。


 私はいじめられているという事実を両親に話していない。なんといっても私の両親は忙しい人たちなのだ。お父さんは警察官、お母さんはバリバリのキャリアウーマン。どちらも家にはあまり居ない。そして揃いも揃って自己責任論者じこせきにんろんじゃ―アンタがいじめられるのはアンタが迂闊うかつなせい―なおかげで、成績に興味を持ってくれても、学校であった色々については興味を持ってくれない。

 誰もいないリビングで味がしないトースト―その頃の私は味覚が無くなっていた。今思えば過度のストレスのせいだ―を牛乳で無理やり流し込むと、家を後にする。


 通学路の川原を今日訪れるであろう何やかんや―教室に入ると私の机の上に嫌なものが乗っかっているだとか諸々もろもろ―を反芻はんすうしながら歩いていると、背中の辺りに声がぶつかる。

「おーい、那美なみ、那美ぃ?聞こえてんなら無視してるんじゃねーぞ!」と能天気な男の子の声。私を苗字じゃなくて下の名前で呼んでくる男子という事はアイツか?まったく。私は話しかけられたって無視してやるというのに。私に声をかけた男の子は後ろで駆け出し、そして、前に回り込み、通せんぼをしてくる。

「おい。幼馴染の俺様が挨拶してやってんだぞ?不景気な顔で無視すんなや!」

「はいはい。グッモーニン、加藤かとう君?」

「他人行儀もいいとこだな、那美?」彼は悪戯っ気たっぷりに微笑む。短髪にフレームレスの眼鏡に細目細鼻。涼し気な雰囲気の男の子。たぶん、イケメン、というやつだ。たぶん。っていうのは単に彼が私の好みではないから―騒々し過ぎる―。名は加藤かとう亮平りょうへい。私の家の近所に住んでいる。歳は一緒。幼稚園から今まで学校も一緒。クラスは別だけど。

「で?何よ?大体アンタ、サッカー部の朝練はどうしたのよ?」

「ん?寝坊しちまったからな。サボり」

「なのにFWでレギュラー。その上成績も良くて性格も悪くない。つくづく嫌味で軽薄な男よね、アンタ」私は口撃こうげきを繰り出す。後二、三発ぶち込んでやればこいつも諦めてどっか行くでしょ。

 大体、アンタと幼馴染ってだけで女子連中から敵意を向けられるのだ。私が遭わされる嫌な目の一割弱はコイツが原因だ。まったく、勘弁してほしい。

「嫌味なのは否定せん―俺が運動神経抜群で頭脳明晰、尚且なおかつ聖人君子なのは事実だからな!だが、軽薄は取り消せ、那美」

「は?こんな三流少女漫画でも見かけないようなアンタが軽薄じゃなきゃ何なのよ?」

「そうだなあ…これでも等身大の中学三年生だぞ?昨日はエロ本のせいであんま寝れんかった!」

 アンタ、年頃の乙女に向かって何言っちゃってくれてんのよ。しかも、この情報社会においてエロ本て。昭和の中学生か。

 笑顔の彼はこう続ける―

「いやな?昨日のサッカー部の練習は紅白戦だった訳だが―中々白熱してなあ」

「うん。それがどうかしたの?私急いでんのよ?アンタの破廉恥ハレンチ話に付き合ってる暇は無―」

「ま。そういうな那美。異性の性欲のあり方を知るのも大事なことだぞ?」


 馬鹿かコイツは?私は男の下らない劣情れつじょうについて詳しい。お爺ちゃんが貸してくれる本には、中々こってりした性描写があるものも含まれていたのだ。

「あのね、アンタのオカズ探しの話なんか聞きたくないの。唯でさえ憂鬱な朝に余計な話聞かせるんじゃないわよ…クソの役にも立たない話でしょ?これからする話」

「まあまあ。話は最後まで聞けって、短気たんき損気そんき。俺のオカズをめぐる冒険譚ぼうけんたんにも一抹いちまつの教訓があるかも知れん」

「はあ…まあいいわ。どうせ学校に着くまで暇なのは事実だし。幼馴染、っていうのに免じて聞いてやるわよ。ただ、可愛らしいリアクションには期待しないでよね。私、そこそこ文学少女ってやつなのよ?多少エグいエロ描写には慣れちゃってんのよ」

「ふむ、エグいエロ描写…例えば―」

 ここで加藤はそこそこ有名な小説―性描写の生々しさで有名な作品―を挙げた。

「は?アンタ、あんなの読んでたの?性描写エロシーン目的で読んだんじゃないでしょうね?」

「違うっつーの。教養として読んだだけだ。読書体験ってのは、自分にはありえないような状況に片足を入れてみるって行為だ。若いうちにそういう事をするのは危険だが―有害じゃない」

 ほう。今まで、私はコイツを少し誤解していたらしい。嫌味は据え置きだけど。軽薄ってのは取り払ってやるべきかもしれない。もう12年ほど付き合いがあるけど、まだまだ知らない事はあるものだ。

「話がれたな。何処まで話したっけ?」

「えーと。昨日のサッカー部の練習が白熱して、部活終わりのアンタはよく分からないけど悶々もんもんとしてた、ってとこまで」

「そうそう、何か知らんがムラムラっとしちまった訳だな」

「明け透けにいうな、アホ」やっぱし、コイツは軽薄だなあ。

「夕飯を食って、風呂に入り、宿題をやっつけた俺は悶々としていた。オカズを探そうにも手段がない―ほれ、ウチ、パソコンはリビングにあるだろ?共用のヤツが」

 昔々に何度か行った加藤家のリビングをおぼろげに浮かべる。そして、アイツの部屋にはゲーム機はあっても、パソコンはない。

「携帯はパケット定額プランじゃないから、ブラウジングできん。パケ死する。リビングではかーちゃんとオヤジが二時間ドラマに夢中だ。そんな環境じゃゆっくり吟味できん」

 こいつにもその程度の恥じらいはあった訳だ。

「で?」

「意を決した俺は財布を取り出す。そんで幾ら入ってるか確認。千円札が二枚ほど…これだけあればエロ本を買うことが出来る!もうそりゃ、天啓てんけいを得たような気分だったね。エウレカ!我見つけたり!ってな」

「そんなクソみたいな話にギリシャ語を突っ込むな。ギリシャの諸賢しょけんたちが草葉くさは隙間すきまで泣くわよ」

「いいから聞けって。音もたてずにウチを出ると、自転車にまたがって、隣町のコンビニまで走った訳だ」

「何で隣町まで?別に近所のコンビニで買ってもいいじゃない」

「あほ。こーいうのはエチケット、紳士しんしたしなみというヤツだ。大体、ウチの校区内のコンビニでエロ本買って補導でもされてみろ、同級生の紳士に迷惑がかかるだろうが」

「なるほど」

「俺は逸る気持ちを押しとどめながら、コンビニに入り、音もなくエロ本コーナーに行き、最初に目に入った『女子高生スペシャル~DVD付き~』を何の気もなさそうに買い、家に帰った訳だ」

「アンタのフェチを公開せんでいい」

「で。ウチに帰るとかーちゃんに、今まで勉強してましたよー、疲れたんでもう寝ますよー、って声をかける―後ろ手にエロ本を持ちながら」

「後でおばさんにチクってやろうか?」

「やめろ。お互いの為にならん」

「それで?」

「俺は震える手で『女子スペ』を眺めた訳だが―ここで緊急事態発生だ」

「おばさんが部屋に来たの?」

「違う。もっと重大な話だ…」加藤は妙に真剣な顔をしている。いったい何だっていうのよ?

「恥じらいのある乙女なモデルが居ないのだ、あのエロ本には!どいつもこいつもパンツやブラジャーを臆面おくめんもなく開けっ広げにしている!まったくけしからん!」

「あんた、喜んでない?」

「そりゃまあ、イイものを見たんで嬉しいさ。でも、でもだ!本来エロスというのは―恥じらいがともなわなければならん!相手が恥じらいを持ってひた隠しにしているものを、ふとした拍子に垣間見る―そこに真理があるのだ!」

 幼馴染のそこそこイケメンな彼の性癖が、さんさんと光る朝日の元にあらわになっていた。私は、ホント、こいつはアホだなあ、と思いつつも、彼が振るうエロス論には賛成なのだった。

「ふーん。それで?泣く泣く寝た訳?悶々としながら?」

「いや、那美。最後の希望が箱の底にかがやいているではないか!DVDだっ!」

「ああそういや、そうだったわね。で?どうだったの?」

「ま、オチから言えば惨敗ざんぱいだ。ひどいものだったよ」加藤はしおれながらそう言う。

「そのDVDの映像のモデルな。ものスゲー年増としまだったんだよ。画面越しにしっかりシワが見えるレベル。そりゃもうえたね。その上眠れんかった―かくして我が『オカズをめぐる冒険譚』はお終いだ。朝練にも出れんし、最悪だ。まあ、そのお陰で、久々に那美とじっくり話が出来た訳だが」

 私は我慢できなくなって吹き出す。

「お、那美が笑うとこ久々に見たな。俺の冒険譚も無駄にならんかったらしい」

「あー、久々に笑わせてもらったわ」

 ホント、こんなに笑ったのは一年ぶりくらいだ。とげとげした私の気持ちも少し軽くなる。

「なあ、那美」加藤はさっきまでの軽い雰囲気を捨て、まじめな顔でこう言う。

「お前がいじめられてるのは、大分前から知ってた。でも、助けてはやれんかった。忙しい日々にかまけて、今までずっと放置していた」

「別に気にしなくていいわよ。下手に私を助けたら、あなたまでいじめられるかもしれない。どうせ、あと一年もないし、適当にやり過ごすわよ。だから気にしないで」

「そうはいかん!」

「何でよ?ただの幼馴染ってだけじゃない」

「されど、幼馴染だ。困ってるヤツを見捨てるのは、俺のポリシーに反する」

「ご生憎あいにく様。困ってはいないわ。ただうるさいハエが顔に時たまたかってくるようなもんなのよ?」

「じゃあ、なんで、この一年、苦虫にがむしつぶすような顔で過ごしてたんだよ?」


 そんな顔―してないハズだけど。

 でも、してないと言い切れない私が居た。いじめられてる人間が苦しそうな顔をいじめている人間に向けるのは得策じゃない―彼女達の嗜虐しぎゃく心を刺激するだけ―から努めてクールな顔をするよう心がけてはいた。

 でも。

 もしかしたら、何かの拍子に物陰ものかげでそんな顔をしてたたずんでいたかも知れない。でも、何でコイツがそんな事知っているんだろう?

「ま、幼馴染だからな」人の心を読まないでよ…

「お前は自分が思っているほど感情を隠すのがうまくない。顔に大体の事は書いてあるんだよ。何年付き合ってきたと思ってんだよ?」

「そう」

「おう」

 真剣な顔から笑顔に変わった加藤が―いや、昔からの呼び名でいけば亮ちゃん―私に手を差し伸べながらこう言う。

「たぶん、これからも辛い日々は続くだろうけどさ、俺には助けてやる事はできんかも知れんけどさ…せめてお前の愚痴くらいは聴いてやれるからさ、昔みたいに話しかけてくれ、お願いだから」

 その手に私の手を思いっきりぶつける。てのひらてのひらがぶつかるパァンという乾いた音。

「何しやがる那美!人様ひとさまが差し伸べた手に向かって」

「バーカ。カッコつけすぎなのよ亮ちゃん。ま。このことは頭のすみに置いといてあげる」

「お前、今馬鹿っていったか?この地方じゃアホは良くても馬鹿は侮辱語ぶじょくごだろうが!」

「はいはい、アホ亮ちゃん」

「まあいい…っとそろそろ学校に着くな。俺はサッカー部に寄って顧問に謝りに行かないかんから、ここでお別れだ」

「りょーかい。あ。最後に一つだけ。学校とその周辺で話しかけるのはやめてね?ややこしい事になるから」

「あ?」

「いいから早く行きなさいよ」

「そうだな―んじゃ、またな那美」


scene1-3 「カッサンドラは白馬の王子さまの夢をみるか?」


 それからの日々もいじめは続いた。

 今まで続いて来たものが急にはい、お終い、ってなるような奇跡は起きるべくもない。

 あの日、亮ちゃんとあの会話をしてなかったら、心が折れてしまっていただろう。


 あれから、私は夜、たまに亮ちゃんの家に行って、話すようになっていた。部屋に二人っきりにするのは危険だ、という亮ちゃんのお母さん―絵美えみおばさん―の配慮で、加藤家のリビングでだけど。

 宿題をしたり、ご飯をごちそうになったり、バラエティ番組を見ながら、ポツポツと色々な話をした。あまり話をしなくなった、ここ三年くらいの距離をじっくり埋めていった。

「で。結局さあ。那美、何でいじめられるようになったんだよ?」

「ほら、アンタも知ってるでしょ、私がたまに未来を正確に『予見』しちゃう事。それで『予言』しちゃう事。アレで幾つか面倒ごとを呼び込んじゃってね。年頃の女の子に『予言』なんてするもんじゃない、ってことが分かってなかったから」

「ああ。そんな事もあったっけ」

「そういえば、アンタ、昔から私の『予言』の事知ってるけど、気味悪がらないわね?」

「んー。まあ、お前の『予言』ってマイナス方向に行くからなあ。ガキの頃は怖かったけど、だからって、それでお前の事、嫌いになるほど薄情はくじょうじゃないつもりだぜ?」

「そう。ま、そー言うアンタの鈍感どんかんなというか、器がデカいところは変わってないのね」

「ま。聖人君子だからな。そこらの中学生と一緒にしてもらっちゃ困るぜ?」

 まったく。おちゃらけた浅はかなヤツ。でもまあ、そういう優しさが亮ちゃんのいいところだ。

「まー、なんか事態は色々絡まってるみたいだし、悪いやつをぶん殴って、ハイ解決、とはいきそうにない、残念だ」

「アンタ、もしかして、この事態を解決するつもりだったの?」

「そりゃ、出来りゃそうしてやりたい」

「バッカじゃないの?そんなんで解決したら、あたしだって、先公せんこうどもだって苦労してないわよ!頭を少しは使いなさいよ」

「いや、一応ずっと考えてきたプランなんだが」

この辺りで絵美おばさんが割って入る―

「那美ちゃん、まあまあ落ち着いて。こいつはアホなりに一生懸命頑張って考えたんだから、大目に見てやって」

「だって、絵美おばさん、コイツ頭は悪くないくせに―実際コイツに試験の順位で勝ったことがない―あんな馬鹿な事言うんだもん!」

「那美ちゃん。知識的な頭の良さと実際的に知恵がまわるのとには、そこそこ差があるのよ?覚えておきなさい」

 そういうものなのか?まあ、「悪」知恵が働く―なんて言葉もある。そういうものかもしれない。

「おばさんももう少し発言力があれば、PTAにでも、市の教育委員会にでも、訴えかけられるんだけど…」

「いや。おばさんが気にむ事じゃないです。毎度毎度、家に迎えてくれて、ご飯をごちそうしてくれたりする―それだけで私は救われています」

「そうかしら。まあ、ウチは困ってる人に手を差し伸べるのが仕事みたいなものだから、習慣的にそうしちゃってるだけなのよ。気にしなくていいわ」

 亮ちゃんの家はお寺さんだ―ウチと宗派は違う―。とはいえ、兼業しているみたいで、亮ちゃんのお父さんは住職の傍ら、サラリーマンをしてたりするけど。

「…ま、いいか。この糞ったれな状況を終わらせる『白馬の王子さま』は居ないって訳だ」

「何よ?『白馬の王子さま』って?」

「いやほれ、この事態をささっと解決するイケメン」

「あのねえ。私もそんなに夢見がちじゃないわよ。この状況は私が招いたもの。私一人でうまくやるわよ」

「いや、お前は一人って訳じゃないだろ?」

「はいはい。そうだったわね。ありがとう、亮ちゃん」

「はいはい、どいたま…」

 この辺りで、絵美おばさんから、そろそろ遅いし家に戻りなさい、と告げられる。時計を見ると、もう10時だ。いけない、大分長い事お邪魔しちゃった。

「では、おばさん、亮ちゃん、おやすみなさい」

「おやすみー」

 間の抜けた亮ちゃんの返事を背中に受けながら、家に帰る。


scene1-4 「悪いニュースと祈り、ファーストキスはココアの香りと共に」 


 中学3年生の秋。


 私と亮ちゃんは受験勉強に勤しんでいた。

 学校が終わると、亮ちゃんの家のリビングに集まって勉強。お互い頭は悪くないのでサクサクと進む。

 私たち二人は志望校を同じにした。

 市内北部にある国立高校。私がここから離れたそこを志望する理由はいちいち述べるまでもない。亮ちゃんはというと、照れくさそうに、

「いや。中学までも一緒だったし、高校も一緒でいいだろ?」という。いや、近所に住んでるんだから、別に高校離れてたっていいじゃない。

「いーや。お前に変な虫がつかんか見守らなきゃいかん!」アンタは私のお父さんか何か?余計なお世話―

「ま、何にしたって知り合いが近くに居るってのは悪くないだろ?」

「まあ、そうね」

 そこまで言われたら、強く断る理由もない。私は白旗を挙げる。かくして、二人で受験勉強に勤しむのだった。


 そうやって秋を過ごし、冬を迎え、遂に明日は入試。

 ここまで二人で額を突き合わせながら苦労してきたんだ。きっと実を結んでくれるだろう…。


 私は部屋の自分の勉強机の前に座っている。明日は大事な入試だが、復習するでもなく、ただ、天井を眺め、あてどもない考えに身を浸している。

 高校生になったら、この三年間で凝り固まってしまった自分を―多少擦れてしまい、厭世的えんせいてきになってしまった自分を捨てよう、と決意する。そして「予見」も捨てて、少し頭の悪い女になろう。私はそう思う。

 今の私には亮ちゃんがいる。まったくもって一人ぼっち、という訳じゃない。

  もう、私には「予見」という「酸素」なんか必要ない。

 そもそも、「予見」は「酸素」なんかじゃなかったんだ―たまたま私の人生に付いて来たオマケみたいなモノ。あれが「私」という存在の「核」じゃないんだ。「私」は「私」。「予見」なんかズルしなくても、幾つにも枝分かれする人生という道を進める。亮ちゃんと一緒なら―

 ん?私、もしかして…。いやいや。今はそんな事を考えている場合じゃない。入試が終わったら、ゆっくり考えればいい…


 眩暈めまい

 貧血でも起こしたかな?と思う間もなく、私の頭の中に今まで見た事無いような明瞭なビジョンが流れ込んでくる。それは奔流ほんりゅうだ。私という存在を押し流そうとする。


 映像。


 私が亮ちゃんの家のお堂に入る場面。私のほほぬれれている。なんで?それに亮ちゃんのお父さんの読経どっきょうの低い声。まるで―私はそこまで思うと人もまばらなお堂の奥に目をやる――亮ちゃんの笑顔の写真が花に包まれて安置されている…ここまで見えてしまえば、誰だって事態は飲み込める。そう、これは亮ちゃんの告別式こくべつしきだ。近いうちに私はこの光景を見る事になる。それが手に取るように分かる。


 映像が切り替わる――今度は「そこ」に私は居ない。

 遅刻だっ!と言わんばかりの形相ぎょうそうで変わりかけた横断歩道を渡る亮ちゃんを真横のアングルで捉える。

 あなたの側に迫るモノが見えてないの?私は叫ぶ―だけど、私はそこに居ないから声帯は震えない―

 ダメ!間に合わない―

 鈍い音。

 周りにいた人が叫びだす―

 映像が途切れる。


 私は「今」、ここの自分の部屋に戻ってくる。

 脇の下は汗でびっしょりと濡れ、髪の毛が汗で顔に張り付いている。真冬の軽く暖房がかけられた部屋だというのに。芯から冷えた体。歯がカチカチと鳴る―ダメだ、この事を一刻も早く亮ちゃんに伝えなければ。震える手でパジャマの上に羽織ったカーディガンのポケットに入った折り畳み携帯を取り出す。手が震えてまともに操作が出来なかったけど、なんとか亮ちゃんの番号にたどり着く。決定キーをプッシュ。耳に携帯を当てる。

 トゥルルルル…トゥルルルル…

 呼出音が何回も続く。もどかしい。今すぐ喉の奥につかえたコレをぶちまけてしまいたい、と思っていると、呼出音が途切れる。

「もしもし!亮ちゃん?夜遅くに悪いけど大事な話が―」

「おかけになった携帯はただ今、電源が入っていないか、電波の入らないところに…」

 あの、バカ!

 私は考える間もなく、カーディガンを羽織はおったパジャマの上にコートを引っ掛け、家を飛び出す。

 電燈でんとうともった道を駆け抜け、亮ちゃんの家の玄関へ。インターフォンを連打!今は礼儀を云々うんぬんしている場合じゃない!しばらくすると、玄関の扉がゆっくり開く――ああ、やっと伝えられる――と、そこには亮ちゃんそっくりな顔に禿げ頭のおじさんが居た。

「済みません、亮平君いますか?明日の入試の事でどうしても確認したい事が―」

「ん?メールとかしてみたかい?」

「いや、とても大事な事なんで、今すぐ口頭で本人の顔に向かって伝えたいんです!」

「…分かった。君がそう言う位だ、よほど大事な事なんだろう。ちょっと待ってなさい」

 おじさんが家の中に引っ込む。亮ちゃんを呼ぶ声や、おばさんに所在を確認する声がする。5分ばかり震えながら待っていると、おじさんが出てきて、

「いま、アイツ家に居ないみたいだ。時たま、あるんだよなあ。まあ、多分ちょっとコンビニにでも行ってるんじゃないか?」

 ああ、もう!なんで、こう上手くいかないの!

「分かりました。引き続き連絡を入れ続けてみます。夜分やぶん遅くに失礼しました!」

「おおう、じゃ、またな那美ちゃん。アイツをよろしく」

 その言葉を半分聞いたところで走り出す。

 あいつは何処に行ってしまったんだ?

 近所の交差点の横断歩道で信号待ちをしていると、コートの右ポケットが震え、着信音が鳴る。

「もしもし、亮ちゃん?今どこにいるの?大事な話があるから今すぐ会わなくちゃ―」

「おう、どうした那美?早口過ぎて聞き取れんぞ」

「この一大事いちだいじ間抜まぬけなこと言わないで――いい?よく聞いて。私は、あなたに関する、ろくでもない未来を、『予見』、したの!」

 区切りながらハッキリと、亮ちゃんに伝える――どうかお願い、この言葉で事態を理解して!

 しばらくの間、携帯のスピーカーからシティノイズが聞こえる。電話の向こうの彼は黙り込んでいるのだ。

「亮ちゃん?」私は呼びかける。

「ん。聞こえてるよ。大丈夫」

「何が大丈夫よ―分かってるの?私が必死だって事!」

「分かってるよ。なあ、那美。今、何処にいるんだ?」

「…の交差点のところ横断歩道!」

「よし、待ち合わせだ。緑地りょくち公園の西入口、変なオブジェの前に集合。俺も急ぐから、とにかくソコで待っててくれ」

 一体、あのボケは何処で何してたんだ―


 緑地公園は私たちの学校の校区内にある、大きな公園だ。学校で持久走大会なんかがあると、必ずここが会場になる。

 その西口。変なオブジェ―グネグネとした輪っかのような何か―の前に、息を切らしながら到着すると、亮ちゃんが自転車に跨って待っている。黒のダッフルコートにベージュのチノパン。何時いつもの彼の外出着。ふと、自転車のカゴに目をやると、コンビニの袋。中には雑誌のようなものが入ってる―ん?雑誌にコンビニ?この組み合わせって、まさか―

「大体お前の想像通りだよ。入試の前日だってのに寝れないから『オカズをめぐる冒険』をしていたのさ」

 彼は二ヤっと笑うと、そうのたまった。

 この馬鹿!ひっぱたきたくなる。手をわなわなと震わせていると、

「おい、怒んなよ。男の性欲のトリガーはかくも不可解、俺のせいじゃないって」

「こんの、バカタレ!!!●●●●位、妄想で何とかしなさいよ!!バッカじゃないの!!」

「おま、思春期の女の子が●●●●とか言うな!!注目集めんだろうが!!」

「あ」

 遅かった。夜とは言え、都市部にある公園だ、ジョギングしてる人はたくさん居る。そして、あー、カップルが痴話げんかしてらあ、微笑ましい、と言いたげにニヤニヤしている。

「仕方ない。俺の隠れ家に行くぞ」

「隠れ家?」

「近くに程よく人気のない神社があるんだ。」

「分かった。そこに移りましょ、もぅ、顔が熱い…」

「お前が招いた事態だろうが…」


 暗い道を、自転車を押した亮ちゃんと歩く。途中の自販機で私にカフェオレを買ってくれる。

「ま。待たせたびだ」

「アンタは?」

「コンビニ袋の中にホットココアがある。気にすんな」

 しばらく歩くと神社の鳥居。そこから階段が本殿に向かって伸びている―。二人でえっちらほっちら昇っていくと、騒がしい都市の中に切り取られた静謐せいひつな空間が広がっている。

「中々ナイスな静けさだろ?考え事と内緒話にはもってこいさ」

「中に宮司ぐうじさんの家とかないの?」

「何もないのは確認済みだ。あるのはちっさいプレハブ位だ」

「そう」

 色々走り回ったり、階段を昇ったりしたせいで上がってしまった息を整える為に息を吐き出す。白い筋になってそれは星空の中に吸い込まれていく。さっきもらったカフェオレの缶のプルタブを起こす。プシュッと間抜けな音と共に開栓。少しぬるくなったそれを喉に流し込むと、胃の辺りが暖かくなる。それをじっと眺めていた亮ちゃんはこう言う。

「少しは落ち着いたか?那美?」

「何とか、体が震えない程度には」

「よし、じゃあ、本題に入ろう。お前、一体何を見てしまったって言うんだよ?俺に関して」

 私は一呼吸おいて、こう言う。

「あのね―これからいう事はあなたにとっては死刑宣告にも等しいものなの」

 大げさな言葉。

 バッカみたい。

 我ながらアホな事を言ってると思う。でも、これ以外に表現が思いつかなかったのだ。

 亮ちゃんは驚いた顔を3秒程した後、呆れ顔に変わる。そして―

「お前さ、話ヘタな人?それとも大事なことは最初に言っちゃうタイプ?」

「え?」

「いや、死刑宣告って死ぬのモロばれやん、俺」

「あ」

「もー誤魔化ごまかされへんぞ?」

「ごめん…」

「良いよ」

「良くないでしょ!?アンタは明日、死ぬのよ?」

「うわ、りにもって明日かよ?たまんねえな、オイ?」

「アンタ、平然とし過ぎじゃない?ちょっとは驚きなさいよ」

「そー言われても現実感がまるきり無いんだよ。お前、役目入れ替えて想像してみ?俺に、あなたは明日死にます、間違いない予言です。って言われたらどう思う?」

「確かに現実感無いわね…悪い冗談か何かかと思うわ」

「そういう事。ただ、俺とお前には違う点が一つある」

「というと?」

「好きな女が一生懸命いっしょうけんめいになって伝えようとした事だ。それが嫌なことであれ、俺は1000%信じる。現実感がなくたって」

 言葉に詰まる。

 初めて、ストレートに好意を向けられたからだ。

 亮ちゃんが私に好意を向けているのは、うすうす分かっていた。でも、今日の今日まで気が付かないふりをしていた。

 なぜ気が付かないふりをしていたか。それは―

「お前は興味を向けたものに対して「予見」しちまう。恋の結末を垣間かいま見たくなかったからだろ?」

 だから心を読まないでよ…

「いや、顔に書いてあるからしかたないよなあ?」

「バカ…」

「うるせえよ。ま、いい。続きを言ってやる」

「お前はカッサンドラよろしく、俺がお前への好意から冷めて自分を捨て、去っていく『予見』を見たくなかった。だから、心の奥に鍵をかけて、『予見』をしまい込んじまった。最近、『予見』してないだろ?」

「うん…なんでわかるのよ?」

「なんとなく。男の勘だな。でも、今日、何かの拍子に鍵を開けちまったんだ」

 なんとなく思い当る節はある。彼への好意を認め、二人で歩んでいきたいと願った―あの時だ。

「なあ、那美」

「何?亮ちゃん?」

「俺は例え、お前から拒絶されようと、『呪い』なんかかけないよ。アポロンみたいに。大体『予見』だって、俺が授けた訳じゃない」

「うん」

「だから―とにかく。都合の悪いもんを見ちまったからって気にすんな」

「言ってる事滅茶苦茶じゃない?亮ちゃん。でも…信じてくれてありがとう」

「どういたしまして」


 それから後は、亮ちゃんに明日、どうやって死ぬのかを滔々とうとうと説明した。

「うへー。交通事故かよ…なさけねー」

「アンタ、そそっかしいからね…。でも、気を付ければ―回避できるかも…私の『予見』は百発百中って訳じゃないかもしれないし―」

 私は一縷いちるの望みをかけて、そういう。それを打ち砕いたのは他ならぬ亮ちゃんだった。

「アホ。都合よく未来がコロコロ変わってたまるか」

「何よ、アンタを救いたいから、こう言ってんのよ!!」

「アンタを救いたい、ね。なあ、那美。一つだけ教えてくれよ」

「何?」

「お前のその救いたいって気持ちは1000%俺への好意から来てるのか?」

「まじめな話してんのよ、今?」

「いいから。最後だろ。聞かせてほしい。お願いだから」

「そうよ!アンタに死んでほしくなんかない!!」

「ありがとう、安心してける。心残りはゼロだ」

「嘘つき」

「嘘じゃないって」

 

 一時間弱位話しただろうか。


「さて。ボチボチ帰るか。あんま遅くなるとマズいだろ?」

「アンタね…本当にこれが最後なのよ、もう少し、なんか言っとく事無いの?」

「急に言われても思いつかなんだ。とりあえず歩きながら、お前への遺言ゆいごん考えるから。帰ろう」


 帰り道はあっという間だった。亮ちゃんと過ごせる最後の時間なのに…亮ちゃんの家の前に着くと、今まで黙りこくっていた彼が口を開く。 

「えーとな」

「うん」

「まず、お前に『形見』を残す―あるSF小説だ」

「SF小説ぅ?私が文学少女だから?」

「まあ、それもあるかもしれんが、もっと大事なのはその中の一節いっせつでな。」

「何よ?」

「俺もあの文句もんくを正確に記憶している訳じゃないが―おおよそ、こういった事が書かれているんだ。その文句は、神への祈り、という体裁ていさいをとってる。元々はアメリカの神学者しんがくしゃの言葉らしくてな、いろんなバージョンが流布るふしているんだが、言いたい事だけまとめちまうと、こうなる―自分に変えられない事は受け入れよ、変えられる事は変える勇気を持て、そして、その二つを見分ける知恵を持て。祈りだから、神さまにそれらの事を授けて欲しい、って祈ってるんだが―俺は生憎あいにく、無神論者だ。だから、さっきの三つの言いきりの形でお前に託す」※1

「アンタね…仮にもお寺の子でしょうが…無神論者って言い切るのはどうなのよ?」

「ま、俺は上に存在する何やかんやよりは現世で踏ん張ってる人間たちの方を信じてるだけだ」

「そう」

「以上!」

 は?

 あっさりしたものである。もうちょっとロマンチックな事言えんのか?この男は?

あきれんなよなー。この言葉を伝えとけば、お前は大丈夫、って何故か思えるんだよ」

「はあ。もう…」

「さて、家の前で立ち話してると、親に感づかれるし、ボチボチお別れ―」

 彼がそう、言い切る前に私は彼のくちびるふさぐ―私のファーストキスはココアの残りと共に記憶される。

「うっわ、何すんだお前、家の前で!」

「いいじゃない、最後なんだし。私からの最後の餞別せんべつ。取っときなさい」

「おちおち死ねねえ…ま、いいか。ありがとよ。じゃ、さよなら」

「さようなら、亮ちゃん」


scene1-5 「ファントム・ペイン」


 私は気が付くと、国立高校の入試を終え―回答に何を書き込んだか、さっぱり覚えてない―、「予見」通り、彼の告別式、葬式に出席した。何故か涙は出なかった。現実感が足りてないのだ。亮ちゃんはまだ、どこかにいるんじゃないか、という思いにとらわれる。そんな訳ないのに。


 学校に行きはするけど、上の空。学校が終わると、部屋で「あの言葉」を噛みしめながら天井を眺める。彼なしで、この先、どう生きていけばいいのよ?油断するとすぐ彼の事を考えてしまう。


 私は、二人で受験するはずだった国立高校に落ちた。ま、当然よね。入試の時に回答欄に何書いたか、まるで覚えてないんだもの。

 万が一の為に受けておいたT市にある私立高校には合格していた―国立高校の入試前に受けたから―。


 私が悲嘆ひたんれていると、我が機能不全きのうふぜん家族に「事件」が起きた。

 両親が離婚したのだ。原因は双方の浮気。父はどこかで女を捕まえていたし、母は持ち前の闘争本能とうそうほんのうで若い年下の男の子をっていた。

 やれやれ。

 離婚に伴い、私の親権は母が得た。私はこの女とこの女の飼い犬―若い男の子―と一緒に暮らす気にはなれなかった。さて、どうやって、こいつらから離れるか?かといって、離婚に伴い完全に父のものになったこの家に残るのも問題が多い。久々に現実的な問題に頭を悩ませていると、携帯が鳴る。誰だろう?


「やあ、那美ちゃん。久しぶりだね。最近は高校入試や何やで大変だったろ?」

 お爺ちゃん。私に読書を教えてくれた古本屋の店主。

「久しぶり。お爺ちゃん。そうね、色々あり過ぎて頭が破裂するんじゃないかと思ったわ」

「15歳の女の子には中々ハードな日々だったようだ、声が沈んでる」

「そんな事無いわよ?私は平気…よ」

 少し息が詰まる。何でか視界が滲んでくる。鼻の奥がツン、とする。やめてお爺ちゃん。優しくしないで。泣いちゃうから。

「あのな、那美ちゃん。つらい時に泣かないのは心の為に良くない。しばらくはつだろうが何時か決定的にダメになってしまう」

「だって、私、大好きな人が居なくなったのに、まともに泣けなかったのよ?あのくそれ両親が離婚するってのに、何も感じないのよ?」

「糞垂れ、って言うのは止めてくれ、あんな不良娘でもただ一人の娘だからな」

「ごめん」

「話を変えよう。本題だ。那美ちゃん、K大付属高校に合格しただろ?」

「うん。何で知ってるの?」

「娘から聞いたんだよ。お前の事をアレはアレなりに心配してるからな。で、お前はアレと交際相手の久須くす君と一緒に暮らしたくないんだろ?」

「なんで、その事を知ってるのよ?母さんが」

「お前の事は放任してるが―我が娘ながらなげかかわしい―、キチンと見てはいるらしいぞ」

「そう。ちっとも嬉しくないわ」

「我が孫ながら手厳しい。ま、そこで爺ちゃんから提案だ。家に下宿して、K大付に通わないか?我が家がT市駅の一つ隣にあるのは覚えているだろう?」

「ああ、あの古墳の近くに家があるわよね?」

「そう。通学時間はかなり短縮されるし、不良娘からも離れられる、まさに一石二鳥とはこの事だろ?」

 私は検討してみる。この街を離れる…悪くないかも知れない。この街には亮ちゃんとの思い出がこびりついてて、暮らしてるだけで泣きそうになるし。

「分かった。お爺ちゃん。お世話になろうと思います」

「よし。アレには俺から話しておく。引越業者もこちらで手配する。心配しなくていい」

「ありがとう、お爺ちゃん」

「お礼はお前が大人になってから聞かせてくれ」


 三月の頭。

 卒業式。

 私は仮病けびょうを使ってサボった。

 あのトンチキ騒ぎには関わり合いになりたくなかったのだ。3年間、私は休むことなく学校に通ってきたんだ。最後の一日くらい大目に見てほしい。

 桜が咲き誇る通りをなんとなく歩き、緑地公園を東口から入り、西口から抜ける。あの日以来、何となく避けていたあの道を歩いて、途中の自販機でホットココアを買って、神社の鳥居を抜ける。長い長い階段を昇って境内へ。桜が咲き誇るそこはこの騒々しい「白路はくろ」の街の中にぽっかり空いた穴みたいに静まりかえっている。

 境内けいだいすみっこの桜の木の下にあるベンチに腰掛け―青い青い空を何となしに眺める。そして、カーディガンのポケットに差し込んでおいたホットココアを開け、飲む。顔が火照ってくる―亮ちゃんとのキスを思い出していたのだ―。


 はあ。れから二か月経とうというのに―私は彼の死を受け入れられていない。あるべきところに「彼」が居ない不在感は、始めのうちこそ、嘘だと思って目を逸らした。でも、逸らせば逸らすほど、そこにあるべき事が無い―という事実が私の心に刺さるのだった。まるで、足を無くしてしまった人がかつてあった足の痛みをありありと感じるように。


 葬式にはあれやこれやと煩雑はんざつな手続きがある。

 それは、受容しがたい故人の死という事実を感じる間もなく、色々な手続きに埋没させる事で、時間をかけて故人の「死」をじっくり体に染み込ませる為である―という説を私は聞いたことがある。

 亮ちゃんの死に関して言えば、私は遺族ではないので、大してやる事が無かった。精々葬式に出る位だ。お陰で、ダイレクトに彼の「死」という事実が私にのしかかってきた訳だが、私はそれをうまく体に染み込ませられないまま日々を過ごしている。


 亮ちゃん。貴方の言っていた事、口で言うのはたやすいけど、行うのは大概たいがい難しいわよ。


 私はココアを飲み干し終わると、立ち上がり、神社の入口へと向かっていく、階段をトボトボ下りていくと、だんだんと白路の街が見えてくる。明後日、私はこの街を出る。

 ごめんね、亮ちゃん。あなたの目が届かない処に行くわ―偶には墓参りに来てやるから勘弁してよね。



scene 1-6 「私は如何いかに日々に埋没まいぼつし、彼に出会ったか」



 引越してからの日々は流れるように過ぎていく。

 引越とそれに伴う諸々もろもろ―住民票を移したり、家具を買い足したり、お爺ちゃんの家付近を探検したり―をこなしてる内に、亮ちゃんの死という事実に少しは頭の中で折り合いをつけられたらしい。少しだけまともな顔になった私を見て、お爺ちゃんは安心した顔をしていた。


 高校に入学すると、かねてから決めておいた、多少アホなキャラで過ごす。私はやろうと思えば、人懐なつこい女にだってなれるのだ。

 気が付くと沢山の友達ができる。彼氏だって作ったことがある―性格の不一致のせいですぐ別れたけど―。

 そこそこ、楽しく青春してるわよ、亮ちゃん。



 高校二年。

 そろそろ本格的に進路の事を考えなくてはいけない。

 半ばバイトみたいな形で放課後を過ごす「雀久堂ジャンクどう」のカウンターの左端のスペースの丸椅子に腰かけ、お爺ちゃんに声をかける。

「お爺ちゃん、大学どうしよう?一応、内部進学コースにいるけど、このまま、K大に行くのもどうかなあ?って思ってんだよねー」

 白いマグカップを手にコーヒーメーカーで入れたコーヒーをすするお爺ちゃん―何故かこの古書店にはコーヒーメーカーがあるのだ。なんでここの水道の水(ものすごくカルキ臭い)でコーヒーれれるんだ、この人?と思うけど、私はそれに触れてこなかった―は、何の気もなさそうに、

「別にK大で良くないか?内部進学なんて楽できるなら、使っとく方が賢いってもんだ。あそこ学費高いんだから元は取らねばなるまい?」

「いやさ。一年生の頃からちょくちょくK大行って体験講義だの何の受けてきたけどさ、いまいちしっくり来ないんだよー。行きたい学部はあるけど、なんか違う気がしてさー。困っちゃうよ、まったく」

「何となく合わない気がするという曖昧あいまいな表現は引っかかるが…直観は大事にした方がいいというしな」

「そーなのよ。女の感は馬鹿にできないわよ?」

「ふむう」

 お爺ちゃんは眉根を寄せる。そしてうなり続けている―。マズい。なんか雲行きが怪しい気がする。

「おじいちゃん?私、もう一回考え直してみるからこの話忘れて―」

「ううん?那美、もう二年の秋口だぞ?いくら何でもそれはマズい。指針ししんなしに受験戦争に突っ込んでみろ、戦死(落第)するのがオチだぞ?」

「で、家には浪人させるような経済的余裕はないって訳ね?」

「察しのいい孫は嫌いじゃないぞ?」

「そ」

 我が家(私、実母、養父)の家計は火の車―らしい。らしいというのは私がまったく母の家に寄り付かないからだ。義父ちち(元飼い犬)は勤めていた企業を辞め、独立企業した。嫁(母)を巻き込み大海原に乗り出したはいいが、世界金融危機にモロに巻き込まれた。

 私の学費は堅実な実父ちちがこつこつ運用してきた学資保険で何とかまかなわれていた。ありがとう、とうさん、そして、●ァッキュー義父。

「うーむ。予備校…予備校にでも行くか?」

「そんな金何処にあるのよ、お爺ちゃん?」

「俺にだって金はある。孫の為に使えるなら本望だ」

「大手予備校は軒並み目が飛び出るほどの月謝持っていくわよ?」

「そうだな。確かにあんま無理されると、リタイア後の隠居ライフ資金がなあ」

「本音ポロリしないでよ、お爺ちゃん」

「正直が俺のポリシーだ。まあいい、この店でつちかったコネを最大限利用して、何とかしてやる。少し待っとれ」

「えーいいの?お爺ちゃん?月一の楽しみの純米じゅんまい大吟醸だいぎんじょうとお刺身を我慢することはないのよ?」

「ま、純米大吟醸を我慢すれば、ちっとはどうにかなるだろう」

 お爺ちゃんは楽天家だ。ま、こう言ってくれてるし、甘えちゃおう。


 後日。

 またもや、「雀久堂ジャンクどう」でまったりと放課後を過ごしていると、今日も今日とてカルキ臭いコーヒーを啜るお爺ちゃんが、

「今から十分じっぷんくらいしたら、俺の大事な客が来るからな」と言う。

「で?あたしは媚売って、あの不良在庫の山を売りつければいいの?」

「アホ。そんな話じゃない、お前に関するいい話を持ってくる」

「いい話?」

「ほれ、予備校の事だ」

 ああ、そういえばそんな話もしたっけな。最近遊び呆けているから、すっかり忘れてた。

 そんな事を思っていると、店の入り口には三十台後半と思しき男性。短髪に眼鏡。顔かたちは全然違う―何というかおっとりした顔をしている―けど、まとう雰囲気が亮ちゃんそっくりな男性が、紺のアーガイル柄のベストと灰色のパンツに身を包み立っている。

「おやっさん、時間、間に合ってます?スンマセン、授業長引いてもうて。走って来たんやけど」

「嘘つくなアホ明石あかしぃ…」

 お爺ちゃんは少し厳しめの表情でこう言う。こんな刺々しいお爺ちゃんは初めてだ。

「那美、こいつは明石という、職業は―」

「色々な大学で講師やったり、そこかしこの予備校で現代文の講師やったりしてます、明石です。君のお爺さんには学生時代からお世話になってます。初めまして」

「ええ―初めまして。で?お爺ちゃん、彼の勤め先に私を紹介しよう、って魂胆こんたんかしら?」

 お爺ちゃんの代わりに明石さんが返事をする。

「そ。この『茅場かやば駅前ビル』―あ、第一ね―の10階に「輝光塾きこうじゅく」ってあんま有名じゃない予備校があってな、学費の方は君のおじいさんのハードネゴシエーション―ありゃ、ほとんどキョーハクみたいなモンやったわ…あ、コップ投げないでおやっさん!―のお陰で安く済みそうなんよ。どない?」

「それは有り難い話ですけど…お爺ちゃん、この人と「輝光塾」のお偉いさんに何したのよ?」 

「ん?明石のアホはここに死ぬほどツケがある。そして、「輝光塾」のお偉いさんには居酒屋で二、三弱みをちらつかせただけだ」

「明石さんの言う通り脅迫じゃないの…」

「ま、孫を思う爺ちゃんは強し、ってとこやない?」

 悪戯っ気たっぷりの顔で明石さんはそう言った。

「そういう事だ那美。これでいいか?」

「うん。お願い」

 逆らったらお爺ちゃんに何されるか分かったもんじゃない。こういうのは一も二もなくただ、従うのが正解。



scene2-1 「麺麭パンと歯車で彼を知る」



 かくして私は「輝光塾」に通いだす。まずは週末だけのコースだ。

 金曜は夜だけだが、土日の朝10時~17時まで授業がみっちり詰まっている。

 ため息をつきながら鞄に参考書を詰め込み、適当な私服―中学時代よりやや派手になった―に身を包み、軽くメイク―別に誰に見せる訳でも無いが―し、お爺ちゃんと純和風な朝食を済ませると、家を出る。近所のT駅に向かう道中でパン屋さん巡りをするのが私の趣味になりつつあった―お爺ちゃんは料理ができるくせにお弁当を作ってくれない、いわく、面倒臭い―


 今日は奮発して、ハイウェイ11(イレブン)に寄って行くか。気合い入れたいし。

 ハイウェイ11、略してハイイレは私の家のすぐ近くにある。

 やや高めの値段設定だが、味は申し分ない。私はここのクロックムッシュを見ると自動的に唾液が出る―まるでパブロフの犬―

 三つほどパンを選んで購入、クリーム色の袋の中にはパンの形をした幸せが入っている。これなら退屈な予備校も耐えれそうだ。よし、頑張れ、私。


 JRに乗ってO駅へ。

 O駅はこの地方随一の駅だ。日本各地に繋がる路線が伸びている。人込みをかき分けながら、改札を抜け、地下街へ入る。地下街周辺を特に「茅場かやば」という。市営地下鉄と私鉄の駅は「茅場かやば駅」を名乗っている。ややこしい。

 茅場駅前第一ビルに入ったら、エレベーターゾーン―ホールではなくゾーン―を目指す。

 色んな服装をした人たちに混じり、10階へ。フロアの中ほどにある会議室のような場所―教室代わり―に入ると、周りの子たちと世間話。この年頃の女の子の話題といえば、服、メイク、恋愛、ドラマその諸々もろもろ。適当に話を合わせていると、汗びっちょりの明石さんが入ってくる。

「ごめん。寝坊して一本後の電車乗ったらえらい目あってん、ゴメンやで~」

 この人、いつも時間に遅れている気がする。私は時間にルーズな男は嫌いだ…

「ほな、始めよか。今日はねー、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『歯車』で問題を作ってみました。今から40分時間あげるから解いてみてね」 ※2

 芥川龍之介の「歯車」?この人のチョイスは何時もよく分からない。芥川龍之介なら「羅生門」や「鼻」とかまだマシなチョイスがあるでしょ…

「この作品はねー、芥川龍之介の遺作いさくなんよ。古典に材を取る事が多い芥川の作品の中では珍しいリアリズム系ちゅうか私小説ししょうせつ的な作品やね。作品としてのまとまりはゆるめやけど、偏執的へんしつてきな妄想にとらわれる描写は鬼気迫るモノがあるよなあ。若い君らにこんな不穏なもん読ませるのも何やけど、しっかり味わって問題を解いてや」


 この先生はどこかネジが緩い―学者バカ的な―んじゃないか。などと考えつつ、問題を解いていく。問題自体は優しいものだ。楽勝、楽勝。

 問題を解いた後に、答え合わせをし、授業終了。


 チャイムが鳴った後、お腹が空いたので、バックの中を弄る。クリーム色の袋を取り出すと、パテ・ド・カンパーニュのサンドを選び、かじり付く。口の中に麦の匂いとパテの芳醇ほうじゅんな味わいが広がる。だらしなくニヤけていると、目の前に明石さん。

「あれ?次は別の予備校で授業でしょう?急がなくていいんですか?」

「ま。せやけどな、君が懐かしいモン食べてるからつい」

「へ?明石さんK市生まれのK市育ちじゃないですか、知らないでしょう?ハイイレ」

「いや、ほれ、学生時代に高校の国語の教員免許取ったんやけど、指導教授のコネで君んトコの高校に教育実習に行ってな。その時の昼飯がハイイレやった訳よ」

「いや、ウチ学食ありますよ?」

「当時は委託先の企業がアレで食えたもんやあらへんかってん」

「ああ。なるほど、で、ハイイレT駅前店で昼飯仕入れてた訳ですね?」

「そそ。懐かしいわ~まだクロックムッシュあるん?」

「そりゃもちろん」

「で?今日買って来たん?」

「そりゃマストバイですし」

「ほえ~羨まし。分けてって言ってもアカンよな?」

「ダメです。当たり前でしょう?」

「ちっ、しゃーない、君の爺様にチクられても面倒やし、引き下がろか」

「そういえば先生、質問いいですか?」と、私はパンをモグモグしながらいう。

「ええよ。ただ手短にな。僕の昼飯タイムがガンガンけずれてるからな」

「じゃ、簡潔に聞きますけど。何で『歯車』なんて不穏な作品で問題作ったんですか?『羅生門』とか『鼻』とかおあつらえ向きなのはいくらでもあるでしょう?」

「えー。だって教科書にるような名作で問題作ってもつまらんやん?」

「作者が睡眠薬すいみんやくガブガブ飲んで、歯車の幻影見たり、最後に眠っている間に絞め殺してくれって懇願こんがんするような作品は教育的配慮の上、使わないもんでしょう?」

「あれ?そのくだり問題で使ったっけ?よう知ってるな」

「私もお爺ちゃんの孫ですからね。多少は仕込まれてますよ。最近はご無沙汰ですが」

「へえ、てっきり今どきの子や思ってたんやけどな、意外と文学少女なん?」

「ええまあ、『元』ですけど…ってそろそろ次の授業始まりますよ?先生、時間は大丈夫なんですか?」

「あ、しもた。ほな、ばいなら~」と言いながら明石さんは退散していくのだった。相変わらず変な人だ。

 表面上は明るいけど、どこか後ろ暗いものを持っている。彼が隠しているであろう「暗いもの」は一体何なんだろう?などと考えながら、残りの授業を受ける。半分くらいは聞いてたけど、内容は一向に頭に残っていないのだった。


 授業が終わると、「雀久堂ジャンクどう」へ。

 お爺ちゃんと明石さんの話をする。

「ねえ、明石さんって変な人よね?」

「まあ、ウチの常連客の中でもトップクラスの変人だな。奇行きこうへきがあるというか、学究的というか…もしかして、明石のアホに何かされたか?」

「いや。特に何も。ただ、あの人が授業で取り上げる作品がいちいち不穏で、不安になってくるのよ。今日なんか芥川の『歯車』だったし」

「『歯車』か。また不穏なチョイスだな。アイツ、周りにメッセージでも発信してるつもりか?そろそろ休み下さい、って」

「いや。あの人フリーランスみたいなもんでしょ?仕事の量くらい自分で調整効くでしょ?」

「そうとも限らん。唯でさえ少子化で子どもは減ってるし、この不況だ。いつ、どこから契約切られてもおかしいもんじゃない。出来るだけ走り回って顔を売り続けるしかないんだろう。アイツは割とよくやっている方だ…無理している嫌いはあるが」 

「へえ…世知辛いものね、フリーランスも」

日銭ひぜにを稼ぐのも楽じゃない、って事だ」

「ウチの店は大丈夫なの?」

「俺を誰だと思ってる。大丈夫だ。ここは家賃もほとんどタダみたいなもんだし、古書取引でそこそこ儲けさせてもらっているよ。お前を養う位余裕だな」

「そ。頼りにしてるわよ、お爺ちゃん」


scene2-2 「森の中(大型書店)で見つけた物」


 「雀久堂」を出ると、一九時近くになっていた。

 昼にそこそこ重ためのパンを三つも食べたので、余りお腹が空いていない。お爺ちゃんは第三ビルで呑んでから帰るって言ってたっけ。晩御飯どうしようかな?軽く済ませちゃいたいな。地元に戻ってから、スーパーで惣菜を買う、っていうのもなくはない選択肢だけど、あまり魅力的ではない。大体、油ものが多すぎる。私はジャンクフードは嫌いではないけど、油モノはご遠慮願いたい。じゃあ、うどんか蕎麦?でもなあ。二食連続小麦粉はどうなんだ?今の私は白飯をガツガツ食べたい気分なのだ。


 結局、カレースタンドでカレーをむさぼる私が居た。

 駅前第一ビルを抜けたすぐ、西茅場かやば駅の近くの店である。軽いものを食べたいとか言いながら、そこそこガッツリした夕飯を食べ終わると、少し地下街を歩く。そういえば、この辺に大きな書店があったはずだ。参考書と漫画本でも物色していこうかしら。


  大きなビジネスビルの二階から三階までが私の目指す書店だ。

 このビジネスビルは地下街に直接連絡していない。いちいち階段を昇って地上に出て、一階から入らなくてはいけない。食後の運動にはちょうどいいけど、普段使いするには面倒過ぎる。そんな訳で随分と久々にここに来たのだった。

 エスカレーターに乗り二階に着くと、広大なフロアの書店が広がっている。入って直ぐのところにレジがあり、そこから奥は本、本、本。

最近の特集の棚を流し見していると、ある作家の特集コーナーがあり、その周囲には、その作家が影響を受けたとする作家の作品がちらほら並んでいたのだが―その中に「あの日」彼が形見として残したSF小説が並んでいるのだった。

 私の心臓はゴトリ、と不穏な音を立てる―。そして、つとめて忘れようとていた「事実」が私の胸を締め付ける。ヤバい、このままだと泣く。足だって何だか震えてきたし―とりあえず帰ろう。

 複雑な思いのまま、電車に揺られる私。ドアのガラスに映る顔はこころなしか白い。しかし、油断しきっている時にああいったモノを突き付けられるのは勘弁してほしい。彼の死、というものを考える時には、相応そうおうの準備がいるのだ。あの小説を見たからじゃないけど、久しぶりに彼の事について、じっくり考えようかな。そういえば、あのSF小説、じっくり読んでないんだったっけ。あの文句ばかり目に入って筋を追った事は一度もない。


scene2-3 「祈りとワルツ、朝の衝撃」


 家の近所のT駅に着く。階段を昇って改札を抜け、駅前へ。帰り道の途中にある大型スーパーに寄る。夜ごはんはしっかり食べたけど、久々に読書するのだ、ちょっとした準備をしなくては。

 ペットボトルのブラックコーヒーと板チョコ―赤いパッケージではなく、茶色に金文字のアルファベットでメーカーの名前が記されているアレ、ちなみに近所に工場がある―を選び取るとレジに持っていく。

 家に帰ると、お風呂を済ませ、自分の部屋へ。

 勉強机の前に座る。そして、鍵付き引き出しの中から、あの本を取り出す。スーパーの白いポリエチレン袋からコーヒーとチョコを取り出す。うん。準備完了。さてさて。この中には何があるのかしら?亮ちゃん。

 チョコレートの銀紙をむしり、表紙を開け、タイトルのページをめくると―そこには白紙のページがあるのだが、そこの右端の方に懐かしい筆跡を見つけた。

「加藤亮平 蔵書」それを見た瞬間何とも言えない気持ちになったのだけど、その左隣にも文字。

「那美にこれを譲る。我が想い人たる悲しきカッサンドラに託す」

 わが想い人たる悲しきカッサンドラ。

 亮ちゃんは「予見」の事を気にしていないと言っていた。私の「カッサンドラ」的な部分は気にしてない、と。でも、「悲しきカッサンドラ」という部分には、亮ちゃんの私に対する思いが詰まっているように感じる。多分、それはあわれみからくるものではない。心から私の「存在」に対して、悲しみを感じてくれている―と私は解釈し、気が付けば泣いていた。声をあげて泣いた。泣き疲れると、手元にあったチョコレートを齧った。口の中に広がる優しい甘さ。その甘さは彼の優しさを思い返させる。

 落ち着いた後は、そのSF小説を読んだのだけど、やっぱり内容が頭に入って来なかった。なんといっても、あのSF小説は変わっていたから。そして、彼の遺言の元になった祈りのページ。私はその祈りを見て、亮ちゃんと大体同じ解釈を下すことになる。

―自分に変えられない事は受け入れよ、変えられる事は変える勇気を持て、そして、その二つを見分ける知恵を持て。

 言葉でいうのは容易たやすい。そしてそれをすのは困難だ。だからそれは祈りという形を取り、多くの人の口に膾炙かいしゃすることになったのだ。神様、お願いですから、私にそのような力を授けたまえ―と。

 亮ちゃんは自称無神論者だが―私から言わせれば無神論を信じてしまっている。彼もまた、大きな超常的存在に祈らざるを得なかったはずだ。どうか、お願いします、と。ただ、祈る先がメジャーな神じゃなく、この世で踏ん張ってる誰かしら達だっただけだ。私はその二つに大きな違いを見出すことは出来ない。

 さて。遺言に立ち戻ろう。

 変えられない事は受け入れる。変えられることは変える勇気を持つ。

 でも、私に変えられることって何だろう?私は亮ちゃんの死を変える事は叶わなかった。これから先の人生で、何か転機はあるのだろうか?分からない。私は随分前から意図的に「予見」する事を止めてしまっている。それは不幸しか呼び起さなかったから。大きな南京錠なんきんじょうをかけ、心の海の底に沈めてしまったし、二度とそれを掘り起こしたくない。


 そんな堂々巡どうどうめぐりする思考を纏めようとしながらも、それは確固たる形を取らない。どんどん絡まっていく。スパゲティーみたいに絡まった思考を解こうとしていると―私の頬に暖かいものを感じる。そう、私は悶々と考え続けた結果、徹夜していたのだった。

 マズい。

 ペットボトルの底にの少し残ったコーヒーを流し込むと、一階に降りる。キッチンには朝食のみそ汁の出汁ダシ取りをしているお爺ちゃん。

「おう。那美、おはよう。今日は随分早いじゃないか?」

「いや。なんか目が覚めちゃって」

「おまえ、朝はギリギリまで二度寝決め込む派じゃなかったか?」

「ま。偶にはいいでしょ?」

「まあな」

 朝ご飯を流し込み、洗面所に行き、身支度。今日はメイクは軽め。ファンデを軽くするだけ。トイレに行き、玄関へ。

「じゃ、お爺ちゃん、行ってくる」

「遅刻するからって飛ばすなよ。って、今日は遅刻寸前じゃないか。とりあえず気を付けろ。いってらっしゃい」

 自転車に跨り、幹線道路に出る。中々交通量の多い道路だ。朝日を浴びながらのんびりペダルを回す。耳にはイヤホン。音楽プレーヤーに繋がっている。危ないとは分かっていても、通学路は暇なので音楽が欠かせない。

 今日の一曲目はビル・エヴァンスの「Waltz for debby」。うん。美しい曲だ。自動車の音が割り込んできて少しうるさいけど、この美しい曲はノイズに負けない力を持っている。曲の中間の辺りでソロセクション。スコット・ラファロの短いソロ。ピアノがバッキングにまわる―

 そして―なんて考えていると、私の真横をスレスレにトラックが横切る。あぶな。下手したら死んでたわよ、私。徹夜で頭はボーっとしていたけど、こんな所で死ぬのはマズい。

 耳に音が入って来なくなる。

 曲の切り替わりだ。数秒後にアコースティックギターの音、それに続いて三本のギターが絡む印象的なリフ―ある有名なオルタナティブ・ロックバンドの初期曲。憂鬱な歌詞の曲だけど、リフがしびれるほどカッコいい。好きな曲だ。思わず口ずさむ。これだけ交通量の多いところだ、少しくらい歌ったって問題ない。曲が最後のギターソロの部分に入る―


 その時だった。


 鍵でグルグル巻きにして奥底に沈めたはずの「予見」の感覚に満たされる。

 最後に「予見」した、あの時並の眩暈めまいに襲われ体がグラつく。ああ。このままいくと私は車道に投げ出される。

 スローモーションになった光景が「予見」のものなのかはたまた「現実」のものなのか?私には判断がつかない。ただ、重力が私を横倒しにしようとする感覚と、うるさいくらいのホーンの音で満たされている。背中に大きな物が迫りくるのを感じる。思い切り踏まれて甲高い音を立てるブレーキ。ああ。私も亮ちゃんみたいに車にかれて死ぬんだ。何なら、もっと早くに轢かれておけば―なんて。愚かしい事を思っている私の背中に「何か」が衝突―痛い、なんて考える間もなくふっ飛ばされ、宙を舞い、やがて―



scene2-4 「私に王子さまのキスはない」


 体が痛い。

 全身が炎症でも起こしたみたいに熱を持っている。ここが死後の世界?亮ちゃんが呑気のんきな声で、

「お。お前も自動車にかれたクチか?」

 なんて、ヘラヘラ笑いながら出てきそうな気が―するのだけど、辺りは真っ暗。というか、私は目をつむっている?

「ピッピッピッ…」と一定のリズムで鳴り続ける電子音。口に意識をやると、何やらシューシューいうモノが私の口に突っ込まれている。

 何でかぼやけてよく働かない頭が何かがおかしい、と告げる。

 死んだにしては、なんかなあ。まるで集中治療室にいるみたいだよ?私?地獄って気の利かない集中治療室みたいなところなの?私、これから麻酔をされて、舌を引っこ抜かれるの?そんな事を考えていると近くに人の気配。目はつぶっているから見えないけど、誰かいる。喉に力を入れて、うめく。あなたが地獄の番人か何かですか?私の舌はシチューにして食べてもきっと美味しくないですよ。なんちゃって。しばらくすると、耳に電子音以外の音の連なり―それは言葉なんだけど、よく聞き取れない―が聞こえる。


「…!…!……めたのか?…!…!…………か?」

 私はその音の連なりに呻き声を返す。けど、なんか疲れてきちゃったな。このまま何やかんや考えるのは止め。襲ってくる暖かい感覚に身をゆだねよう。これが「死」なら、思ってたより、ずっと悪くない。


scene2-5-1 「レコードに針が落ちる時」


 また気が付く。

 意識が始まる。私の「存在」というレコードばんに針が静かに落ち、れるような不快な音がしたかと思うと、音が―

 痛い。超痛い。何コレ?全身に想像もつかないようなあれやこれやをされたみたいに痛い。思わず呻く。そして声を出す。

「痛い!痛い痛い痛い!誰か、誰かいないの?」声が出る。掠れてはいるけど、声が出る。自分の声にビックリした私はまぶたをこじ開ける。久々の仕事なんで多少は勘弁してくださいね、と言わんばかりに視界は半ばぼやけている。痛みを我慢しながら、視界がクリアになるのを待っていると、知らない天井。有名なアニメの台詞セリフがふと頭に上る。

 そう。今、私は車に轢かれ、入院しているのだ。ここは現実。地獄は気の利かない集中治療室なんかじゃない!

 ベットの上で腕を動かそうとしてみる。右腕は何か―石こう―で固められてて動かない。左腕は何とか動く。それを思い切り上げてみる、関節に少し痛みが走るけど我慢。ベットの上あたりにあるナースコールボタンに手を伸ばし、そのボタンを押す。


 しばらく、戻って来た現実に馴染もうと全身に神経を向けてみる。全体的に右半身が痛い。あばら骨も何本か折れてるかな。呼吸する度痛いし。脚は右は当然折れてるとして、左は―吊られてない。無事らしい。頭は―少し痛いけど、大したことないらしい。右目に眼帯をされている訳でも無い。そんな事を思っていると、医者を連れたナースが病室に入ってくる。

「おはよう。久須那美くすなみさん?」くたびれた医者が声をかける。

「おはようございます」

「体はどうだい?」

「右半身が痛いけど、何とか」

「そう。意識ははっきりしているみたいだね?」

「ええ。とりあえず、車に轢かれてここに担ぎ込まれたって事は分かります」

「記憶もはっきりしてるみたいだね。いま、私が君の顔に向けている手に指が何本見える?」

「当然、五本です」

「うん。奇跡的に脳みそに影響はなさそうだね。さて。幾つか質問を続けよう…」

 医者と軽く会話したり、目にペンライトを向けられたりする。そんな事をしている内に息を切らせたお爺ちゃんが病室に走りこんでくる。

「那美ぃ!目覚めたんか?」ナースさんの怪訝な目を気にせずお爺ちゃんが言う。

「うん。迷惑かけちゃったみたいだね」

「迷惑じゃなくて心配だ、馬鹿もん。まあ、怪我以外は大したことなさそうだな?頭は回っているな?」

「ええ。おかげさまで」

「感謝はどっかの神にでもしとけ、お前を引いた車がしっかりブレーキ踏んでなきゃ、今頃お前はミンチになっていただろうよ」

「手厳しいわね?お爺ちゃん」

「まあな。心配かけたんだからこれくらい甘受かんじゅせえ」

「ごめんなさい」

「まあまあ。落ち着いて」ドクターとナースが割って入る。


 私は一か月弱入院し、退院した。左腕はセメントでガチガチに固められ吊られていたし、松葉杖をつきながらだけど、何とか学校にも復帰できたし、予備校にも通えた。事故前の生活にそっくりそのまま戻った。


 ただ―私の「予見」は「タイムループ」に変化していた。しかも、都合の悪い事にそれは時系列順クロノロジカルにかつてを追体験するのではなく―私の人生の色々な時期が小間切れにされ、短い曲に編集され、私の人生という名の一枚の音楽アルバムに纏められ―それを音楽プレーヤーでシャッフル再生するような狂気じみた「タイムループ」。

 というか、感覚としてはテレビのチャンネルをザッピングしている、という方が近いかもしれない。

 まあ、口でアレコレいうよりは、実際に私の時間が、ひょい、と飛んだ初の体験を、ひも解いた方が分かりやすいだろう。では、どうぞ。



scene2-5-2 「A side 1:08」



 私はその時、お爺ちゃんの店にいる。


 ただ―まず、煙草たばこを吸っている。銀色のオイルライターで火を着けて。思い切り吸い込む。うむ。入院してるから久々のニコチン。頭に染み入るわあ。なんて思うんだけど、私が入院してたのは数年前だぞ?なんかおかしくない?記憶が混濁こんだくしている。

 しかし、私、なんで煙草なんか吸っているんだろう?お爺ちゃんは愛煙家スモーカーだけど、私はまだ吸ったこともないし、吸うつもりもないんだけどな…なんて考えていると、妙に肩のあたりが怠い。なんでだ?風邪?いやいや。それとも肩こり?

 私は自慢じゃないが、肩こりとは無縁の人生を送っているはずだ。なんたって胸が小さいのだ。てのひらに収まるサイズだ。ブラのストラップは確かに私の肩を締め付けはするけど、大した事はないはずだ。

 ふと視点を下に向ける。色気のない白のブラウスに緑色のエプロン。胸のところのロゴが膨らんでいる―え?私こんなに胸デカかったっけ?ビックリして、辺りを見回す。周りには誰も居ない。相変わらず暇だな。この店。

 よし。誰も居ないんだ。この不可思議に膨らんだ胸の謎を解こうじゃないか。もしや私は小さいい胸にコンプレックスを募らせた結果、パッドで胸を盛るという禁忌きんきに手を出したのか?気が付かない内に?まったく、情けない。

 もう一度周りを確認して、カウンターに背を向け、ブラウスのボタンを1、2個外してみる。色気のない黒のキャミソール。襟口をそっと摘まむと、中を覗き込む。さあ、どんなパッド買ったんだ、私―そこには立派な胸があった。パッドなどない。色気たっぷりなブラ―大きいサイズ用にしては可愛い―に包まれ、ピンと張った胸がそこにはあった。

 頭が混乱してくる。

 やったぜ、これで私も母性的な何かを得たに違いない、という喜びと、何で急に胸がこんなに膨らんだのか?という謎に対する不快感がないまぜになった感情で私は一杯になる。

 何かがおかしい。大体、今、何年だ?私はまだ高二だろう?

 黒のパンツのポケットに手を突っ込むと、つるりとしたものに手が触れる。携帯?これでちょっとカレンダーでも見てみよう。取り出してみると、見たことがないものが私のてのひらの上にあるのだった。何?コレ?どっかで見たことあるような…ああ。ニュースで似たものを見たことある。あのカリスマ経営者がプレゼンしていたアレに似ているんだ。じっくり眺めた後、右側に着いたボタンを押すと、真っ暗だった画面に水色の背景に白い水玉が浮かんだ画像が映る。時計は昼過ぎを示し、日は7月3日(月)とある。私に天才的な計算能力があれば、今が何年か割り出せるんだろうけど、残念ながら私はドがつくほどの文系だ。

 コレ、どうやってロックを解除するんだろうと思う。画面の下にある白いボタンを人さし指でつつく。画面の上方で鍵のマークが揺れる。もう一度。やっぱりダメ?何回か繰り返すと、ロックを解除するにはパスワードを入力してください、と出る。画面下部にキーボードのようなモノが表示される。そこに指をやると、文字が入力される。あ、そうか、アレはタッチスクリーンの端末だったものな。とりあえず、自分の生年月日を入れてみる、弾かれる。じゃあ次は、高校一年の時のクラスと出席番号と二年のクラスと出席番号の組み合わせ。やはり弾かれる。もしかして、数字とアルファベットの組み合わせ?マズい。選択肢が飛躍的に増えた。何も思いつかない。やけくそで「password」「qwerty」「123456789」「passw0rd」なんかというありがちなヤツを打ち込むけどダメ。

 しばらく煙草を吸いながらうんうん唸る。こういう時はどうすればいいのかしらん。もしかしたら、忘れっぽい私は手帳に何か書き付けてないかな?と思う。白の生なりのキャンバス地のリュックを弄るけど、ない。じゃあエプロンのポケットは?あった。

 ん?手帳?手帳か!コイツのロックなんか解除しなくたって、こいつにはカレンダーついてるじゃないか。私っていざって時に頭がまわらないんだなあ、と呆れながら表紙をめくる。

 2017 CALENDAR

 は?2017年?じゃあ私は、20代前半…

 ここは―未来じゃないか。

 なのに、私の記憶は混濁しているのだった。

 一方にはこの「今」を現実だ、と感じる理性がある。もう一方には私はまだ高校二年生で病院に入院している、という確信がある。頭がグラグラする。なのに同時に大して動じてない私がいる。まるでこんなことは何時でもあったじゃん。と言いたげな。

 2017年のカレンダーをパラパラめくり飛ばし、メモのページへ。よく分からない書き付けが一杯。この中に携帯のロックのパスワードのヒントは…あった。ヒントというか答えがそのものずばり、あった。あの小説に出てくる宇宙人の名前と数字が八桁の組み合わせ。未来の私、もしくは過去の私に感謝しながら、携帯のロックを解く。

 ロック解除。メニュー画面のようなものが映る。一杯アイコンが並んでいる中にコンパスのアイコンを見つける。お。これがブラウザかしら?アイコンをタップ。

 世界一有名な検索エンジンのサイトがホームに設定されているらしい。検索ボックスに

「今何時」と入力し、虫眼鏡のマークをタップ。

 表示されたページの一番上には、「13:24」と大きく太いフォントで表示され、その下に灰色の薄い文字で2017年7月3日(月曜日)(JST)と書かれている。何だか現実感に欠けているので、その検索結果の下に表示されたサイトをいくつか覗いてみる。どのサイトも「今」は2017年だ、と告げている。


 オーケー。認めましょう。「今」は2017年なのね。

 しかし、何でまたこんな事になっているのかしら。煙草をチェーンスモーク。肺に入れず吹かす。さて、もう一本吸うかと手を伸ばすけど、ソフトパックの中には何も入ってない。げ。煙草切らしたみたいだ。リュックの中にも予備はなかったはずだ。マズいなあ、と目をつむり、天井に顔を向ける―


 目を開けると、私は病室に戻ってきており、胸はしぼんでいた。そして鈍い痛みがそこに加わる。

 おおう。もしかして私は17歳に戻って来たのか?

 しかし。

 「予見」にしては長すぎ、手触りがあり過ぎ、リアリティがあり過ぎた。

 「こいつは『予見』なんかチャチなモノじゃないぞ、ワトソン君…」

 静まり返った病室でため息。私の人生に訳の分からないものが、もう一つ現れ始めている。



scene2-5-3 「リピートプレイ、カッサンドラの死」


 それからも私は、マッドな編集をほどこされた映画みたいな日々を過ごす。


 何かの拍子に気が付くと、カットが切り替わる。

 巨乳と化した私に戻ったり、はたまたおっぱいもへったくれもない幼稚園児の頃に戻ったり、松葉づえをつきながら高校に通っていたり、ファーストフード店でバイトをしていたり―明石さんが講師をやっているK市内の大学生になってた―、「雀久堂ジャンクどう」で店番してたり、はたまた中三になって亮平と過ごしていたり。大体は平和な記憶だったりしたけど、幾つかマズいものも含まれてる。


 結論から言えば、私は将来の旦那に殺される。


 首を絞められるのだ。何度も何度もその映像をみた。何度も何度も殺された。そして何度も何度も死んだ。死んだ後は間髪入れずに別の時間に吹き飛ばされていく。最初のうちは悲しいって感じたりもした。カットが切り替わり17歳に戻ると涙を流し、絶望した。私は20代前半で死んでしまう。それは確定した未来であり、変わる事はまずない。その事実に向き合った時、亮平の遺言が頭をよぎる。

―変えられぬものを受け入れる

 そう、私は変えられる未来を失った。もはや勇気を持つ必要もそれを判別する知恵も持つ必要はない―その事に思い立ったとき、私は諦めた。だって、どうしようもないじゃない?私も亮平も―死ぬのだ。そう遠くない未来で。

 こうなってくると、私の感覚はなまっていく。

 ま、そんなものでしょ、という気がしてくる。何時しか私の口癖は、

「そういうものよ。」

 というものになる。


 まるで私の人生は針飛びしたレコードみたいだな。「雀久堂」で煙草を吸いながら、そう思う。永遠に終わることなくリピート再生され続ける。


 たまに亮平の死の前のあの夜に戻ったりもする。でも、私は起こった事をそのまま繰り返す。同じ台詞、同じシチュエーション、舞台道具も変わりなし。

 亮平は死ぬけど、悲しく感じなくなってくる。彼が言った、

「アホ。都合よく未来がコロコロ変わって堪るか。」

 という台詞が身にみる。そう、未来は変えられるものではない。この宇宙で一回起こってしまった事は二度と変わる事はない。そういうものよ。


 さて。私の死に話を戻そう。

 私は未来の旦那―なんと明石さん―に絞め殺される。

 何で明石さんと結婚したのか?そういうものなの、としか言いようがない。大学生になってから急に親密な関係になり、避けようのない激しい恋に落ち、付き合ったり別れたりを繰り返しながら、最終的に結婚する。しかし、結婚生活はうまくいかない。彼は彼で心の底に狂気をはらんでいるし、私は私でマッドな編集の映画みたいな、針飛びしまくるレコードのような人生を過ごしているし、心の奥で決めた大事な人は結局亮平だから、表面上は愛しあってるように見えても、そこに本当の「愛」というものはない。

 結婚して一年も経たない内に―私は「雀久堂」をたたみ専業主婦になっている―ケンカが絶えなくなる。決まって、彼が帰宅し、二人で食卓を挟んで夕飯を食べている時に言い争いになるのだ。

「なあ。那美」

「何?あなた?」

「俺の事、本当にに愛しているか?何で俺と結婚してん?お前…」

「そういうもの、だからよ」

「またそのセリフか。大体夜の生活だって―」

「ないわね。いいじゃない、別にしなくたって死にはしないわよ?」

「でも、子ども作らんのは―」

「私、不妊症よ、多分」

「検査行った訳でも無いのに何でわかんねん?」

「そういうものだから」

「ああ、もう、腹立ってくるわ」

「別に私は風俗に行ってくれても構わないわよ?」

「あんなあ…。もうええわ。飯が不味まずなる」

 以上のような会話を繰り返していくうちに、彼の心の奥底の狂気に火を着けてしまうのだ。


 不幸な結婚の結末は、すぐにやってくる。

 私は飼い猫―三毛猫のアメリ―を撫でながら、食卓に座っている。目の前には冷めた晩御飯。お腹は空いてない。大体、最近は何を食べても味気ない。

 玄関の開く音。彼が帰って来たらしい。たぶん、彼はわなわな震えながら、大きな足音をさせながら、リビングに入ってくる。その音に怯えたアメリが私の膝から逃げ出す。

「おう、帰ったで」

「おかえりなさい」

「飯にしよか」

「ええ」

 彼は夕飯を食べる。私は食べない。これから死ぬのだから、お腹にモノがあるのはよろしくない。急に彼が食卓に拳を叩き付ける。大きな音にアメリがしゃー、っと怒る声が耳に入る。

 さて。さてさて。

「ええ加減にせえや、このアマぁ!!」怒鳴り慣れてない彼は声をひっくり返しながら叫ぶ。さて、あと3分くらいかな?

「俺の何が気に入らへんねん、言うてみぃ、おお?」

「全部よ」

「ああ?全部やと?ほな、何で結婚したんじゃ!何で頭のおかしい俺を受け入れたんや!」

「そういうものだからよ」

「それしか言えへんのか?このアマぁ!ほんま腹立つ!このまま永遠に何も言えへんようにしたろか?」

「うん。頼むわ、『今度は』余り苦しめないでよね」

「はあ?」

 彼は私の胸倉を掴み立ち上がらせると、首に手をかけ、押し倒す。私の気道がふさがり、酸素が供給されなくなると、頭にもやがかかり始める。無くなりかける意識の最後に聞こえるのは、彼の声ではない。三毛猫のアメリ、彼女の

「にゃあああああああ」

 という鳴き声。大丈夫よ。あなたの友達の私はこれからちょっと死ぬだけ。安心なさい、何でもないんだから。



scene2-5-4 「出会い side カッサンドラもしくはファム・ファタール」


 カットが飛ぶ。

 私は気が付くと「雀久堂」に戻り、煙草をふかしている。

 ふう、やっと「あの」シーンが終わった。何度繰り返していても気分のいいものじゃない。諦めがついてても、なお。

 さて。今は何年かしら?

 スマートフォンをチェック。ふむ。2017年。5月11日の木曜日。時刻は14時ちょっと。エプロンのポケットに手を入れ、手帳を出す。そしてカレンダーには目もくれず、メモへ。そこに書きつけられた文字群は針飛びレコード的な私の人生に対する備忘録びぼうろくが書きつけられてる。探すべき文字列はっと。あったコレコレ。「17.5.11、t、2001、m、fc」

 意味は、今日2001年生まれの男とファーストコンタクト。これで大体、次に何をすべきかを想起する。そう、少年が初めて店に訪れる日だ。

 私は何回もそのシーンを演じているので、大体のセッティングが分かれば、後は難しくない。私はカウンターを離れ、店の出口へ。文庫本を夢中でペラペラしている彼の横に忍び寄り、こう声をかけるのだ。


「や、少年。立ち読みかい?」

 以下省略。


 いくつか少年とシーンを演じ、仲を深めていく、明石さんに彼を紹介し、彼が「輝光塾」に通うようになり、しばしば店に顔を出すようになる。

 時たま私が「台本」を忘れるせいで、シーンが狂うが、そこはテキトーに誤魔化ごまかす。


「あ、そういえば」なんだい少年?しかし、次はなんて台詞を言うんだっけ?

「うん。どうした?」

「あの小説の主人公、世界的バンドの元ギタリストの殺害犯に影響与えたって、久須さん、知ってて僕にあの本渡しました?」

 どうだったかなあ?あんまり同じことばかりしてきたもんで、たまに台詞とぶんだよなあ。

「いや、どうだったっけなあ―多分、知らなかったと思うよ?」

「多分って、なんですか?もう」

「いや、ただ忘れてただけだと思う。君にそう言われるまで、まったく思いもよらなんだ」これで誤魔化ごまかせるかしらん?さあ、少年!持ち前の鈍感力を活かせ。

「そうですか」納得してる訳じゃないみたいだけど、誤魔化せたよね?よし、煙草吸って、文字通り少年をけむに巻こう。

 少年は納得できない、という事を顔の端の方ににじませながら、店を去っていく。


 最近―というか、この日以降―のシーンをよく演じ間違える私。今までは大して疑問に感じてこなかったけど、「今」はその事が妙に気になる。

 私がこのグルグル回る音飛びレコードの中で、演じ間違えるのは、大体この期間に集中している。他の時期は寸分違わず、台詞を言えるのに、この期間だけはうまくいかない。

 なんでだろう?まるで、見えない何かがこの期間に干渉しているみたいな。

 うーん。

 「時間」っていうのは琥珀に似ている。あの樹液が固まって、時たま虫が閉じ込められているアレ。いろんな人たちの人生が琥珀に固められている。その中で、多少の誤差が発生しようが、結局はひとつしかない結末に向かい、収束していく。宇宙における人間の影響力なんてそんなもんなのよ。風が吹けば桶屋が儲かる、という語句に代表されるバタフライエフェクトに関して、私は懐疑的だ。「ド」文系だから詳しくないけど。

 この広大な宇宙においての人間の行動なんて、ミクロもミクロ、マクロの極みたる宇宙には何の影響も与えない――本当に?考えれば考えるほど分からなくなる。

 考えるの止め止め!時間の無駄!いや、私にとっての時間に無駄が出るかどうかはよく分からないけど。


scene2-5-5 「変えられる未来を変える勇気」


 またカットが飛ぶ。

 今度はおっぱいないし、体は痛いし…入院中か。手帳は手元にない。でも、頭の中に記憶はある。珍しい。私は手帳なしでは、台詞とセッティングを度々忘れる「うっかりさん」なんだけど。まあいい。

 そう。なんで私は特定の期間に演じ間違いが多発するか、疑問に思っているのだ。なんであの少年絡みでうまく演技できないんだろう?もう一度頭を回してみるけど、うまい考えは浮かんでこない。ああ、糞、こういう時はニコチンが欲しい。くせ毛のロングヘアを掻き上げる、うげ。脂っぽい。今週はまだ入浴してなかったっけ?

 まあいい。思考に戻る。ぐちゃぐちゃに絡まったスパゲティみたいな思考を解こうと、悪戦苦闘する。

 さてさて。最後の一本になった。私が出した結論は――時という大きな流れの大河に小石を投げ込んでみる、というものだった。彼を巻き込もう。もう、ひとりであれやこれやするのには疲れちまった。具体的な手段としては…彼にあのSF小説を渡すかな。あの亮平のメッセージを彼の目に入れるのだ。気が付かないなら、それはそれでいい。

 でも、彼が気が付いたなら、すべて話そう。そして、私なりに変えれらる未来を変えるアプローチをするのだ。それが無益な試みでもいい。運命を甘受し続けるのにも飽きてきたのだ。


 私は、伊織いおり少年に事情を告白し、協力を求めた。

 変えられぬ未来を変える力になって欲しいと。

 結論から言えば、これは大失敗だった。大きな時という流れに「小石」を投げ込む―すると、どうなるか?答えは底に沈むだけ。私の狂った劇の台本を無視し、アドリブを混ぜ込んでも、劇の大筋には大きな変化は起きないのだ。結局はたった一つの結末に向かい、収束していく。私が試みたアドリブは、大きな犠牲をもたらした。そう、伊織君の死だ。ありとあらゆるバリエーションで彼は死ぬ。私が殺される日に私の家に来、明石さんと対峙する彼が包丁で殺害され、挙句に私も絞殺されたり、まったく関係のない時間に、二人でドライブしている時に交通事故にあったり、はたまた、駅のホームで誰かに突き飛ばされ亡くなったり…

 私は自分の無力さを思い知り、変えられる未来なんかひとつもない、と結論付けるようになった。

 それからは、伊織君と付き合いはしながらも、真実を告げないようにした、でも完全に遠ざける事は出来なかった。なんでだろう?やはり、いろんな瞬間を共にした(でも、彼はそんな事いちいち覚えてないけど)から少しじょうがでちゃったのかも知れない。亮平にはまったく似ていない―彼は亮平ほどニヒルじゃなくて、心根は情熱家のお節介焼だ―けど、眼鏡をかけた鼻筋が少し彼に似ている…


 scene 2-5-6 「シンデレラ・コンプレックス」


 さ。今はいつかな?おっぱいはあるし、「雀久堂ジャンクどう」にいるから、大学を卒業した後って事になる。

 お爺ちゃんは―少し前に亡くなっている。がんだった。抗がん剤治療をしながら、入退院を繰り返し、最終的に病院のベットの上で最後を迎える。


 亡くなる前日、私はベットの横に座っている。もう、目を覚ますことも少なくなってきた。入院したばかりの頃は減らず口をたたく元気があったくせに。

「お爺ちゃん。あなたは明日、まるで寝ているみたいに亡くなるの。今まで黙っててゴメン」

 私は一人ごちる。返事はないはずだけど、このときお爺ちゃんは、妙にはっきりとした声で、

「そうか」返事をするのだった。


 そうして、私は「雀久堂」の店主になったのだった。大学四年の頃からは続けていたバイトやサークルを辞め、ほぼほぼ1人で店で過ごしていたから、店の回し方はよく分かっているし、問題ない。権利もきっちり私のものになっている。

 さて。今しなきゃならないのは―そう、手帳の仕込み。私は手帳に色々文字列を書き込み、最後にスマホのパスワードを書く。

 オッケイ、準備完了。ああ、ひとつ忘れていたことがある。久々に机の鍵付き引き出しから出したあの本を―ウチの売場に忍び込ませる。もう、これからは私が直接、彼に手渡さない。何かの拍子に彼が手に取り、気が付いたら―また、あの絶望的な試みを暇つぶしにしようじゃないか。私はこの本を処分してしまうのが一番いいんだろうけど―それは出来ない。彼を巻き込んじゃいけないと分かっていても―いつか「白馬の王子さま」みたいに助けてくれることを期待してしまう。


scene2-6 「無益な試み、再び」


 さて、今日はあの少年は来るだろうか、彼は、偶然なのか必然なのか分からないけど、あの本に行きついた。私が強く推薦した訳じゃない。いろんな本を読むうちにアレに行き当たったらしい。


 ―ただ、後年の伊織君はそのタイトルを失念したと言っていた。なんでだろうね?よっぽど、あの表紙裏のメッセージに気を取られたと見える。


「こんにちは、久須さん」

「おっす。少年、どうした?あの本の感想、言いに来たかい?」

「いいや、あの本、実は全く読んでないんです」

「そいじゃまた、どうしたのさ?」

 と私は分かりきった事をわざとらしく尋ねる。

「ええ。実は―買った本にある書き込みを見つけまして」

「ふーん。まあ古書ではよくある事じゃん?状態悪いもの売ったのは謝るけどさ」

「書き込みがあった事自体は問題じゃない。内容が問題なんです」

「お宝の地図でも書いてあった?」

「那美にこれを譲る。わが想いびとたる悲しきカッサンドラに託す」

「へえ…前の持ち主は随分とロマンティックな恋でもしてたらしいじゃないか、でも手放しちゃったんだね」

「いや、この「那美」は貴女の事では?」

「いやあ?那美なんてありふれた名前じゃない?」

「本にチョコレートのカスを残す那美となると、大分絞れますよ…ね?那美さん」

「そっか『今回』も気がついちゃったか」

「『今回』も?まるで―何回も繰り返したように言いますね…」

「いや、実際何回も繰り返したんだよ、君は覚えてないだろうけど」

「は?」

「さて、少年、都合の悪い未来を知る覚悟はできてるかい?」

「いや、何を言い出すんですか?『予見』ですか?」

「うーん。『予見』は前の話なんだよね、いまは―レコードみたいにグルグル回る永遠の中にいるんだ、私」

「いや、荒唐無稽すぎて信じられないですよ…そんな話」

「こういうのはね、信じる信じないじゃないよ、伊織君、ただ事実がそこにある。それがどんなものであれ―そういうものだ、と受け入れてもらうしかないんだよ」


scene3 「皮肉屋ジェイキス


 そして私は彼に過去、現在、未来をひも解く―が、彼の死は伏せさせてもらう。「今回」は知らずにいてもらおう、その方がいい。「死」なんてことをあらかじめ知るのは、彼の存在にとって毒でしかない。だけど、私の死はひも解く。私はその事に一抹いちまつの罪悪感を覚える。何てずるい女なんだろう、私。

「ねえ、伊織君」と私は膨大な情報とショッキングなニュースのせいで混乱気味の彼に声をかける。

「なんですか?」と青い顔の彼が答える。

「私はね、この狂った劇を繰り返すようになってから切実に感じる事がある」

「なんですか?」

「世界っていうのは大きな劇場で、私達はそのうえで演技する役者に過ぎない、と。これはウィリアム・シェイクスピアの『お気に召すまま』っていう喜劇の中の一節だ。ちょっと待ってて、この店にその本の対訳版が転がっているはずだから」

 私は林立する本棚の中から目当ての本を見つけ、彼に向かって朗読する。


 『DUKE SENIOR

 Thou seest we are not all alone unhappy;

 This wide and universal theatre

 Presents more woeful pageants than the scene

 Wherein we play in.


 JAQUES

 All the world's a stage,

 And all the men and women merely players;

 They have their exits and their entrances;

 And one man in his time plays many parts,

 His acts being seven ages.

 (以下略)』 [1] 


「この公爵さんが言う通り、この世界という舞台の上では私たちが出ている『場』より、はるかに悲惨な『場』はいくらでも起きているだろうね。でも、私たちは皮肉屋のジェイキス君の言う通り、世界という舞台にたった一介の役者に過ぎないんだ。だから、できる事には限界がある。精々、アドリブでバリエーションをつけるのが限界だね」

「じゃあ、運命を甘受しろ、と?」

「うん。変えられぬ事は受け入れるしかないんだ」

「じゃあ、貴女は何を俺に期待しているんですか?」

「助けてほしいさ、本音はね。でも、同時にどうにもならないとも諦めてもいる」

「…少し考えさせてください。今は貴女に諦めんなよ、って怒鳴る位しかできそうにない」

「分かった。ゴメンね、こんなことに巻き込んで」

「良いんですよ、貴女には暗いところから引き揚げてもらった恩がありますから」


↑本文、了


[1]

Title: As You Like It

Author: William Shakespeare [Collins edition]

Release Date: November, 1998 [EBook #1523]

[This HTML file was first posted on July 21, 2003]

Edition: 10

Language: English

Character set encoding: iso-8859-1


*** START OF THE PROJECT GUTENBERG EBOOK, AS YOU LIKE IT ***


This etext was prepared by the PG Shakespeare Team,

a team of about twenty Project Gutenberg volunteers.

HTML version prepared by Joseph E. Loewenstein, M.D.


https://gutenberg.org/ebooks/1523 ※3


 本稿の執筆に当たり、以下のサイトの記述を参考にしたことを明記します。


※1 『ニ―バーの祈り』

https://ja.wikipedia.org/wiki/二―バーの祈り


※2 『歯車』

芥川龍之介

1927

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.html

@青空文庫


※3 『お気に召すまま』

ウィリアム・シェイクスピア

福田恒存 訳

1981

新潮社文庫

新潮社

















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