第9話
半日かけて登録と、その他諸々が終わった。
帰ろうとしたら興元さんに、
「もう少しだけいい?」
と呼び止められた。
長館さんに言われたことを思い出して身構えていると、
「変なことはしないわよぉー。話するだけ」
嘘をついているような顔ではなかったので、大人しく話を聞くことにした。
「長館君、後始末とかなんとか言ってなかった?」
「言ってました。最近の妖怪の騒ぎは自分のせいだから、って」
「それね、長館君のせいだけじゃないの」
「え?」
「元々、妖怪ってのは定期的に暴れるものなのよ。原因は色々で、人間のせいだってこともあるし、最近のことは確かに長館君の影響もある」
興元さんはとても真面目な表情をしていた。
「でも彼のせいだけじゃない。原因は本当に色々なの。長館君の件は、悪い偶然が重なっただけ。……勿論、本人には何度も言ったわ。でも、『それでも』って。意地だとか頑固だとかじゃなくて、責任感が強すぎるのよね」
俺は頷いた。長館さんはその延長で、俺の後見人になってくれたんだと思う。
「けどね、君に関しては、責任感とかの話じゃないと思うわ」
「どういうことですか?」
「君は彼に、一番近い存在なの。持っているものも、性質も。彼には奥さんがいて、二人のことは昔から知ってる……妬けるほど仲がいいのよ。でも、そういうのじゃない。無事にお子さんが生まれたとしても、君ほど近い存在には成り得ない」
俺はどう反応していいか悩んでいたけど、興元さんは続けた。
「難しく考えることはないわ。長館君のことを親戚かお兄さんだって考えてみて。君は寄る辺のない未成年なんだから、もう少し大人に甘えていいのよ。それで……彼の側に居てあげて」
近い存在……。
興元さんは最初に、俺が長館さんに似てると言ってた。
あれだけ強くて、色んなことができて、イケメンで……。確かにあんなひとは他にいない。
そんなひとと近い、似てるって言われても、俺じゃ足元にも及ばない気がする。
ただ、興元さんの言わんとすることも、なんとなくわかる。
俺が今こうしてここにいるのは、長館さんがいたからだ。
そのことに対して、良いのか悪いのか、まだ何の答えも持っていない。
ただ、不思議と嫌だという感情はない。
これも作られた感情だ……とか言い出したらキリがないから、そこはこれ以上突き詰めるのはやめた。
俺の存在に関しては、あとはナオヤとのことがあるけど……これもきっと、なんとかなるだろう。
「俺、まだ色々考えなくちゃいけないことはあると思うんですけど……今は、
興元さんは柔和な顔つきになって、頷いた。
「引き止めて悪かったわね。気をつけて」
「はい。では失礼します」
俺は警察署を後にした。
「ただいまー」
なるべく元気よく、ただし奥で寝ているだろう奥さんには配慮したボリュームで帰宅を告げた。
「おかえり」
長館さんはキッチンで何かしていた。コンロに鍋がかかっている。
そういえば昼食をとってなかった。
「手伝いますよ」
腕まくりして手を洗い、鍋の中身を見る。うどんが茹でられていた。
「もうすぐできるから、座ってて」
「長館さん」
真剣なトーンで呼びかけたら、長館さんは麺つゆのパックを浮かせたまま振り返った。
「俺、長館さん……リオさんのこと家族だと思っていいんですよね?」
「! ……うん」
「じゃあ手伝います。そういうモンでしょ?」
リオさんは驚いた様子だったが、すぐ柔らかい表情を浮かべた。
「そうだね。頼むよ、ハク」
うどんは少し茹ですぎてしまったけど、美味しかった。
「料理あんまり得意じゃないんだよね」
うどんをもぐもぐしていたら、リオさんがつぶやく。
リオさんは基本的に少食だ。甘いものはいくらでも入るそうだが。
「俺もやったことないです」
ナオヤの前以外では存在していなかったのだから食事をすることは当然ながら、料理をすることが一切なかった。
学校の昼食は、校内販売に頼っていた。
お金は……どこから来たものだったのだろう。深く考えちゃいけない気がした。
「でもこれから困りますし、俺、覚えますよ」
うどんを茹でて、市販の麺つゆをかけただけで美味しい。
このくらいでいいなら、俺にもなんとかなりそうだ。
「僕ももうちょっと覚える。一緒に頑張ろうか」
もう食べ終えたリオさんが提案する。
「はい」
片付けを終えて、一旦部屋に戻った。
明日は学校へ行かなきゃいけない。
俺の存在は、一旦リセットされて殆どの人の記憶や記録から消えたため、明日からは編入生扱いだ。
手続きは興元さんとリオさんが済ませてくれてある。
ごく一部の人には、俺の記憶が残ってる。その、ごく一部に、ナオヤが含まれている。
今朝は寝坊しなかった。
というか、ほとんど眠れなくて、気づいたら明け方だったからそのまま起きてた。
なのに眠いとかだるいとかっていう感じはしない。
むしろ調子が良くて、頭もスッキリしてる。
一昨日かなり長い時間爆睡してたから、そのせいかな。
登校時間まであと一時間半はある。かといって他にすることも思いつかないから、着替えてリビングへ向かった。
なんとなく、リオさんが家にいない、って直感した。
奥さんのところかな? とか考えつつ、コーヒーを淹れる。
コーヒーマシンの使い方は、昨日のうちに教わった。
リオさんは、
「豆にこだわりはないけど、挽きたての香りが好き」
って言ってた。
確かにいい香りがしてきた。
マシンは五杯分まで作れて、「作るときはまとめて作っちゃって」と言われているので、そうした。
一杯を半分くらい飲んだところで、リオさんが玄関から入ってきた。
「おかえりなさい。おはようございます」
「おはよう」
リオさんの分のコーヒーを用意したら「ありがとう」を言われた。
「どこ行ってたんですか?」
「散歩してきた」
「こんな早くから?」
「うん。人より睡眠時間短くてね。夜は時間持て余すから」
「短いって、どのくらいですか?」
「三十分」
「短っ! ……あ」
そういうことか?
あまり眠れなかったんじゃなくて、少ない時間で十分だったんだ。
いや、一昨日は普通の人並みによく眠ってた。
変わったのは、昨日から? 俺が自分の力を自覚したからかな。
俺とリオさんが似てるなら、俺もリオさんみたいなことができるようになるんだろうか。
触れずにものを動かしたり、足をタンッてしただけで結界張ったり……。
一人で納得したり、考え込んで俯いていたら、リオさんに心配そうな顔で覗かれてしまった
「なんでもないです。ところでリオさん、散歩って一人のほうがいいですか?」
「ん? 僕の散歩って普通に道歩くやつじゃないからなぁ。必然的に一人というか」
そういや飛べるんだった。
「そうですか……。俺は、まだ飛べる気しないなぁ……」
ブツブツ言ってたら、リオさんは首を傾げた。
「もしかして、一緒に散歩行きたい?」
「はい。あの、俺も睡眠時間短くなりそうなんで」
「じゃあ、しばらくは散歩じゃなくて、飛ぶ練習してみる? 力の使い方も、僕が教えられることなら教えるよ」
「いいんですか?」
「ハクと一緒に散歩するのも楽しそうだからね」
リオさんはいい笑顔でそう言ってくれた。
リオさんの家から春陽高校まで、徒歩十分と近い。
俺の存在は最初からなかったことになっているので、自分の下駄箱はまだない。まずは職員室へ向かい、担任の先生に「はじめまして」と挨拶した。前と同じ先生だから、妙な気分だった。
HRで先生から紹介された後、自己紹介した。クラスメイトも知った顔で、ナオヤもその中にいた。
ナオヤは、俺のことを覚えている……はずだ。
チラリと見たら、すごく真面目な顔で俺をガン見してた。
あいつ、何をどう聞かされたんだろう。
休み時間になったら、色んなクラスメイトが俺のところへ来た。
どこ住み? とか、SNS教えてとか、彼女いるの? とか。
知った顔にあれこれ質問されるのって変な気分だな……とかぼんやり考えつつ、答えたり、はぐらかしたりした。SNSって、俺スマホ持ってないや。
人だかりが厚すぎたせいか、ナオヤは寄ってこなかった。
授業、休憩、授業、昼休み……。普通に学校生活をこなして、HRも終わってあとは帰るだけになった。
ナオヤは結局一日中、接触してこなかった。
俺以外の友達がいて、そいつらとつるんでた。それはそれでいいかな、って思った。
俺はといえば、石髪さん――記憶リセット前に、一度話したことのある女子だ――に「一緒に帰らない?」と声をかけられていた。編入生が珍しいんだろうな。
断る理由もないし、承諾しようとしたら――。
「おい」
ナオヤだ。ずかずかと近づいてきて、俺の腕を掴んだ。
「ちょっと顔かせ」
どうして不良の常套句?
「すまん石髪。今日は俺が借りる」
俺じゃなくて石髪さんに断って、俺は引きずられるように教室を後にした。
連れてこられた場所は、体育館裏……ではなく、あの屋上入口前の階段だ。
ナオヤが無言で座り込んだので、俺も二人分くらい間を空けて座る。
沈黙を破ったのはナオヤだ。
「お前……水為ハク、でいいんだよな。あのハクだよな?」
「多分そうだ」
「多分ってなんだよ……」
「あのハクがどのハクか知らないけど、俺は俺だ」
そう言ってやると、ナオヤは一瞬言葉に詰まったが、すぐにまた質問してきた。
「最後にどこで会ったか、覚えてるか?」
なるほど、そうやって確認してくのか。意外と賢いな。
「ここ」
座ってる階段を指差して答えてやると、ナオヤはホッと溜め息をついた。かと思うと顔を膝の上の腕に押し付けた。
「よかった……」
え、泣いてる?
「何泣いてんだよ」
しばらく待ってやったが、鼻をすする音がなかなか止まない。
今朝リオさんが用意してくれていたので有り難く持たせてもらったポケットティッシュを、まるごと渡してやった。
ナオヤはそれを受け取ると、俺から顔をそむけて鼻をかんで、今度は両手で顔を覆った。
そこからは殆ど待たずにすんだ。
「昨日、貝塚先生に呼ばれた」
俺が何なのか、この後どうなるのか。そのあたりの説明は、貝塚先生がだいたい済ませてくれていた。貝塚先生も前の俺のことを忘れていない一人だ。後でお礼を言いに行こう。
「先生に『君はどうしたい?』って聞かれたよ。そんなの決まってるよなぁ」
「なんて答えた?」
「『俺はずっとハクの親友です』、って言ったぞ!」
久しぶりのドヤ顔。なんだか懐かしさすら覚えた。だけど……。
「俺は、お前の幼馴染に成り代わってた偽者だぞ。いいのかそれで」
深く考えずに、ただ友達が戻ってきたことを喜べるのなら、それはそれで幸せかもしれない。
でも、俺はこいつを騙していたようなものだ。
お互い知らなかったとはいえ、俺には罪悪感がある。そんなに素直に、元の場所へ戻れると思えない。
「あのな、俺の幼馴染、死んだんだよ」
ドキリとした。ナオヤの方から、その話が出てくるとは。
俺の動揺をよそに、ナオヤは続ける。
「確かにあの直後は、信じたくなかったし、時間が戻ればいいのに、って思った。高校の入学は決まってたけど、ギリギリまで……入学式の前の日まで自分の部屋に引きこもってたんだ。でもあの日、急に、行かなきゃって思って……そんで行ったらハクがいた」
ナオヤはどんどん喋り続ける。
「幼馴染は
イケメンかどうかの判断はひとまず措いておく。
「ハクがどういう理屈で俺の前に現れたのか、実は話聞いてもサッパリでさ。この世の歪み? とか存在がズレた、とか言われても、なぁ?」
「それは俺もそう思う」
「本人ですらこうなのかよ! ……まぁとにかく何が言いたいかってぇと」
ナオヤはそこで言葉を切って、俺を真剣な眼差しで見つめてきた。
「カズは死んで、もういない。そんで、俺は高校で、ハクっていう新しい親友ができた」
単純明快だった。正直に白状すれば、ナオヤならこうなるんじゃないかって、どこか期待してた。
本当に、そのとおりになるんだから……本当に馬鹿だよな。
軽口でも叩いて色々誤魔化してしまおうかと口を開きかけた時だった。
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