第8話


 机の上には、俺が学校で使っていた教科書やノート、鞄などが置いてあった。長館さんが回収しておいてくれたらしい。いつのまに。

「今日は疲れたでしょ。お風呂案内するね。その間に夕食用意しておくから」

「何から何まですみません」

 長館さんはしきりに遠慮するなと言ってくれるけど、それで落ち着けるほど図太くない。

 とりあえず食後の片付けは俺が無理矢理やらせてもらった。

 さらに他の用事を探そうとしたら、今日はもう寝なさいと部屋に押し込まれた。

 慣れない部屋に一人になって、することも思いつかない。

 考えるために、少しのつもりでベッドに横になったら、そのまま眠ってしまっていた。




「寝坊した……!」

 目覚めて、ベッドに置いてあった時計を見たら、九時を回っていた。完全なる大遅刻だ。

 慌てて着替えてリビングへ行くと、長館さんが新聞を読みながらコーヒーを飲んでた。

 新聞もコーヒーカップも浮いていて、幻想的な雰囲気だ。

 何やってても絵になる人だなぁ……じゃなくて!

「いってきます!」

 慌てて玄関へ向かう途中で、長館さんがのんびりと声をかけてきた。

「おはよう水為君。今日は学校行かなくていいよ」

 急ブレーキをかけて長館さんの方を振り向く。

「えっ?」

「ごめん、言い忘れてた」

 新聞がひとりでにパタパタと折りたたまれて、コーヒーカップと一緒にテーブルの上へ着地する。

「そろそろ起こしに行こうと思ってたんだ。今日は一日、登録とか手続きとかあるんだよ」

「登録?」

「あ、制服より動きやすい服のほうがいいかな。ちょっと待ってね」

 そういえば普段着どころか、ジャージも見当たらない。制服と鞄一つで放り出されていたようだ。

 風呂上がりに着た下着やパジャマは、長館さんが「ゲスト用に」って置いてあったのをお借りした。

 というわけで、今回も好意に甘えて長館さんの服を貸してもらった。

 トレーナーはともかく、七分丈のカーゴパンツは長館さんが履くとハーフパンツだというのが切ない。ズボン類はこれしか穿けるのがなかったんだ……。




 妖人は、この国の法律上、半分は人間だ。

 残りの半分の妖怪部分で、普通の人間にない異能や性質を持っていることが多い。

 例えば入学式で見かけた羽の生えた妖人は、空を飛べるらしい。

 保健の貝塚先生は、周囲の気温を体温と同じにしてしまうのを防ぐために、オールシーズン厚着をしている。

 普通の人間より速く走れる、遠くを見ることができる、離れている人と話ができる……などなど。

 悪用されたら社会的被害が大きいので、能力持ちの妖人は国に登録して管理されることになっている。

 人間部分の人権もあるから、よっぽどの悪事を働かない限りは常時監視されたりはしない。

 つまり、能力は常識の範囲内で使用し、普通に生きていれば何ら問題はない、ってことだそうだ。



 俺たちは徒歩で警察署へ向かっている。

 その道すがら、長館さんが詳しい話をしてくれた。

 妖人は登録が必要って、そういえば聞いたことあったな、程度にしか覚えてなかった。

 ていうか、その登録とやらが必要だということは……。

「俺、妖人なんですね」

「そういうことになったかな」

 長館さんも登録は勿論してあるけど、力が大きすぎて管理しきれない、とされたそうだ。なにそれ強い。

 そんな長館さんが俺の後見人になる、と立候補してくれたので、俺というぼんやりした存在に、住民票とかそういう法律的な手続きができるようになった。

 詳しいことは警察署で待っている、長館さんの知人がやってくれる……ってことなんだけど。

 知人の話をする長館さんが何故か苦い顔をしていた。




「初めまして、興元こうもとシロトです。君が水為ハク君ね、よろしく~」

 興元さんという方が高めのテンションで挨拶してくれた。

 短い黒髪で、服は着流しと羽織の和装。俺と同じくらいの背丈だから後ろから見たら普通の人かと思ったけど、人の目だと白いところが真っ黒で、瞳は金色だ。

 興元さんはやたらニコニコしながら俺に近づいてくる。

「水為君、ちょっと長館君に似てるわね」

 顎に指を軽くあてて、首を傾げて俺をまじまじと見つめてくる。興元さん、見た目は男性なのに言葉遣いがおネエ系だ。あと近い。

 引き気味に困惑していると、長館さんが俺の前に立って、興元さんをやんわり押しのけた。

「今日はよろしく頼む。あとあんまり近づくな」

 長館さんが珍しく、苦虫噛み潰したような顔をしてる。どんな顔しててもイケメンなんだけど。

 っていうかそんなイケメンと俺は似てないと思う。

「はいはい。じゃあ早速行きましょ」

 興元さんはあっさり引いてくれて、俺達は手続きとやらに向かった。


 俺の名前なんだけど、ナオヤの亡くなった幼馴染とは異なるらしい。

 どうしてこうなったかは長館さんにもわからないそうだ。

「長館君が六月生まれだから、水無月から水為。ハクは、空白のハクってとこ?」

 と興元さんが推測していた。

 俺としては特に疑問も持たずにこの名前だったので、とりあえずなんでもいいや。


 渡された書類にせっせと記入し、妖人の警察官とあれこれ話をした。

 長館さんも付き合ってくれていたけど、一時間ぐらいしたところで興元さんが声をかけた。

「心配でしょ。後は引き受けるから、先に帰んなさいよ」

 長館さんは一瞬、ホッとしたような顔になったけど、すぐ顔を引き締めた。

「水為君のことも心配なんだよ」

 長館さんの心配って……家で寝てるっていう奥さんかな?

 っていうか一度も挨拶してないことに今更気づいた。え、いいのかな。でもあの家、俺と長館さん以外の人の気配がしないんだよな。奥さんに結界でも張ってるのかな。

「俺は大丈夫です。先帰っててください」

 だいぶ迷ってたけど、最終的に、

「何かあったら、骨の一本ぐらいなら折ってやってもいいからね」

 と物騒なことを言って帰っていった。

「私、信用ないわねぇ」

 興元さんはヘラヘラと笑っていた。



 長館さんが帰ってすぐ、雲外鏡うんがいきょうとご対面した。

 元々は妖怪の正体を暴く鏡だったのが、時代の流れとやらで、妖人の能力測定に使われてる。

 時代の流れで妖怪の有り様は変わるっていうけど……あからさまに人間にとって便利になったよなぁ。


渾沌こんとんジャネーカ。拒否」

「拒否らないでよ割るわよ? 長館君ほどじゃないでしょ」

「アイツノ名前ダサナイデ!?」

「長館さんと何かあったんですか?」

「関係者カヨー! ヤダー!」

 なんか雲外鏡、すごいグダグダなんですけど……。


 興元さんが雲外鏡をなだめたり脅したりして、なんとか測定してもらった。

 俺の妖人タイプはA+Bだった。Aが身体能力に秀でてるタイプで、Bは特殊能力持ちのこと。能力がない人はCタイプ。

 ちなみに長館さんは元Aから、高校生のとき規格外になり、現在測定不能。

 Sは一旦隔離されて、能力を詳しく調べたり、人間に危害を加えないか、定期的に確認されたりするそうだ。

 けど測定不能にまでなってしまったから、人間がどうこうできる存在じゃないし、本人の人柄も認められて、監視も調査もなくなった。

 改めてあのひと何者なんだよ。そら雲外鏡もキョドるわ。


 ところで俺のA+Bについてなんだけど……。

「身体能力も特殊能力も、自覚無いです」

 実は長館さんに色々ぶつけてから、妖怪を倒せそうとか、特殊な感覚があるとか、そういうイメージがまったく湧かない。

 普通の人間になったと思ってた。

 だから、身体能力が人間の数十倍だとか、例の赤黒い靄が万能の力を持つだとか言われても、ピンとこない。

「あら、自覚なかったの?」

 興元さんが不思議そうに聞いてきた。

「えーっと、どうしようかしら……そうだ、アレ使いましょ。ちょっとついてきて」

 そう言われて後をついていった先は、トレーニングルームだった。

 色んな筋トレ器具が置いてあったから、単純に体力測定でもするのかな、ってあれこれ見てたら、興元さんは奥の畳敷きになってる場所を指差した。

 柔道とかやるところだよな。何をさせられるんだろう。

 不安だけどとりあえず靴と靴下を脱いで畳の上に上がった。

 興元さんは畳の外で袂をゴソゴソして、紙切れを取り出した。

「こういうの見たことない? 式神しきじんっていうの」

 紙切れをよく見ると、単純化した人の形をしていた。

 興元さんがそれに息を吹きかけると、不自然なぐらい宙を舞って、俺の目の前に落ちた。

 かと思ったら、そこには麿眉毛で筋骨隆々な男性が立っていた。短パン一枚に、ボクシンググローブを付けてる。いかにも臨戦態勢って感じだ。

「使役者は私だけど、術を作ったのは長館君だから、そこそこ強いわよ」

「えっ、これどうするんですか?」

「ラウンド、ワン、ファイッ!」

 格ゲーみたいな掛け声とともに、式神が俺に向かってきた。

「うわっ!?」

 俺の足より太い腕が、目の前をかすめた。

 咄嗟に避けられたけど、次に蹴りが迫ってくる。

「っとと」

 それもかわせた。

 式神が次々に放ってくる突きや蹴りを、俺はなんとか捌ききれている。

 当たったら絶対痛い。全部避けなきゃ……!

 ところが外野から声が。

「反撃しなよー。じゃないと、わかんないでしょ」

「えっ、でも……」

「相手は式神、只の術よ。遠慮はいらないわ」

 って言われても……。

 俺の攻撃手段といえば……アレか。


 右手に力を溜めるイメージをしてみる。

 驚くほどすんなりと、あの赤黒い靄が噴出して右手にまとわり付いた。

 式神の大振りの一撃をなるべくギリギリで避けて、懐に入り込む。

「っりゃあ!!」

 式神の顔面に右ストレートが我ながらキレイに決まった。元は紙なのに、分厚い板かなにかを殴った感触がした。

 式神の体は宙を舞い、壁に激突して畳に落ちた。

 次の瞬間、式神は最初の紙人形に戻っていた。

「できた……」

「お疲れ様」

 興元さんが紙人形を拾い上げて、俺の近くへ来る。

「攻撃全部避けてたわね」

「はい、なんとか」

「この式神ね、人間で言ったらボクシングのチャンピオンぐらいの強さだったのよ」

「えっ!?」

 チャンピオンだったのか式神。

「いや、言い過ぎですよね?」

「ううん。本当」

 嘘をついてる感じじゃなかった。

 じゃあ俺は普通の人間相手なら圧勝できるってこと?

「もうちょっと苦戦するかと思ったんだけどね。君もSタイプになっちゃうのかしら」

「Sタイプって長館さんと同じですよね!? あんな強くないです!」

「そう、長館君と似たような力があるってことよ。さっき右手に纏わせてた靄を使いこなせば、同じようなことができるはず」

 長館さんと同じようなこと……。結界張ったり物浮かせたり……時間を戻したり?

 腕組みしてうんうん唸っていたら、興元さんは人懐っこそうな笑顔になって言った。

「ま、力の使い方は追々考えればいいわ」

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