第7話
「俺、あいつの幼馴染じゃなくて……偽者だった」
「うん」
「よく考えたら、学校以外での……ナオヤと一緒のとき以外の記憶がない」
「うん」
ぽつりぽつりと語るハクの話に、リオは少しだけ相槌を打つ。
「俺は一体何なんですか……」
泣きそうな声になっていた。
「……ごめん」
「どうして長館さんが謝るんですか」
「君は、僕のせいで発生した、〝歪みを埋めるための存在〟なんだよ」
リオもまた、絞り出すような声で告白する。
「……意味わかんねぇ」
「でもね」
諦めたような声を出すハクに、被せるように言葉を重ねた。
「名前と、体を得たハクなら、人間にもなれるんだよ」
「……人間、に?」
「そう。……だから」
今度はハクが続きを遮る。
「今更人間になったって、ナオヤの幼馴染でもなんでもない。何が出来上がるってんだよ!!」
瘴気は、広大な結界内を覆い尽くした。
「自覚したね」
リオはホッと溜め息をついた。
ハクに語ったことに、偽りはない。
ただ、予想外の出来事があった。
〝歪みを埋めるための存在〟は、力の塊であって、どちらかといえば生き物よりも無機物に近い。
それが自我を持ち、器を得て名まで付き、この世に根付いたのは奇跡だった。
「鳥飛君と僕の状況が似てたせいかな」
6年前、目の前で友人を一度、亡くした。その際に放った力の残滓が、このところの妖怪騒ぎの一端を担っている。
ナオヤの友人は確かに亡くなったが、リオの友人はリオが時間を戻すことで死を回避した。
生き物の死は操れるものではない。
そんなことをしたために、リオは今、自身が望む以上の力を持ってしまい、ハクのような存在に対して後始末をしているのだった。
「後のことは後で考えるとして、今はハクの相手をしなくちゃね」
ジーンズや羽織のすそが、ちりちりと黒く千切れはじめた。
瘴気がリオの護りを上回りはじめたようだ。
右の袖からも黒い腕を生やすと、ハクに向き直る。
腕が動いたかと思ったら、次の瞬間ハクは殴り飛ばされていた。
体が高々と舞い上がり、重力に逆らわず落ちる。
地に着く前に体勢を整え、着地をそのまま踏み込みにして、リオへ向かった。
ハクに戦闘の経験は、ない。
ナオヤの幼馴染という役割を振られてから今まで、暴力でもって戦うことをしたことがない。
最初に遭った小鬼に対抗できたのは、無意識の力の差によるものだ。
ハクは生まれてはじめて、目の前のリオを〝敵〟と認識し、先程のリオを真似て殴りつけた。
拳は顔に当たったが、リオは微動だにしなかった。
力の塊と、それを生み出した元凶。
どちらが強いかは明白だ。
ハクは次第に消耗していった。
そうして瘴気が殆どなくなり、ハクが再び元のヒトの形になった頃、リオは術ではなく、当身でハクの意識を刈り取った。
*****
ナオヤと話をして、逃げて、長館さんに会って、それから……。
俺、長館さん殴ってた!?
がばりっ! と身を起こすと、長館さんちのソファーに寝かされてた。
髪や体を確認すると、黒髪で、体からも何も出てなかった。
体に掛けられてたらしい毛布が下にずり落ちそうになってる。
引っ張り上げつつソファーに座り直してたら、長館さんが部屋に入ってきた。
「おはよう。気分はどう?」
落ち着いたトーンで話しかけてくれたけど、それより。
長館さんの横に、グラスが2つ乗ったトレイが、ふよふよと浮いてるのに吃驚してしまった。
トレイはふわりとテーブルの上に移動して静かに着地した。
それを見てた俺の目は多分丸くなってたんだと思う。
長館さんは、ああそうだった、とか言いながら向かいの椅子に座った。
「生身の腕をね、別の用途で使ってるからさ。こういう手段を使ってるんだよ」
「どういう手段使えばトレイが浮くんですか!? あと腕を別の用途で使ってるって!?」
目の前の出来事や長館さんの話に混乱して、二つも質問をぶつけてしまう。
「えーっと、とりあえず落ち着いて? まだ万全じゃないかもしれないから」
俺の体のことを言ってるようだった。
思い出してきた。
学校を飛び出した後、どこをどう歩いたかは覚えてないけど、道で例の小鬼たちに絡まれた。
で、そいつらを……殺すか消すかしようとしたんだった。そういうことが、あのときの俺にはできそうな気がして。
そうやって自分の中に燻った力を……長館さんにぶつけてしまったんだ。
でも長館さん、俺が何をしても、びくともしなかったんだよなぁ……。
どうなってるんだろう、このひと。
「その……すいまむぐっ」
謝ろうとしたら、長館さんの袖で口を塞がれた。
袖に手や腕の感触はない。
「君が謝ることじゃないんだ。僕の後始末だからね」
「それは一体どういうことなんですか?」
「つまらない上にちょっと長い話になるんだけど……」
そう前置きされたけど、聞かないって選択肢は、ない。
*****
僕は生まれた時、力の塊だった。人の形をしてなかったんだ。
渾沌じゃないかって言われて、とりあえず人の体は取り繕ったけど、妖人にしても異常に力を持ってた。
結果的に言えば、妖怪じゃなくて渾沌の力の一部……欠片……とにかく、そういうモノなんだけどね。
高校生のときに、自分で死ねない妖人に目をつけられて、そいつが友人を操って……殺したんだ。
僕の力の暴走に巻き込まれれば、死ねるって思ったらしい。
まんまと暴走してこの世を壊しかけたよ。大丈夫、なんとかなったから今ここにいる。
それから、時間を巻き戻して、友人を死ななかったことにできた。
その時はこれでよかった、って思ってたんだ。
でも五年くらい前から、妖怪がおかしな行動を取るようになった。
本来、人に危害を加えることはしないやつまで、大怪我させたり、洒落にならない事をいくつも起こした。
嫌な予感がしてすぐに調べたよ。
僕が時間を戻したことで、この世に歪みができてた。
歪みを直すのに一番いい方法は……わかりきってるけど、それだけはやりたくないんだ。
それで、水為君。君はそういう歪みが生んだ存在なんだよ。
*****
自分の出自がさらっと世界がどうのという話にされてて目眩がした。
他にもなんかとんでもないことを言ってくれてる。
頭の中を懸命に整理して、話し終えた長館さんに尋ねた。
「どうしてナオヤの前だったんでしょうね」
ナオヤの幼馴染が死んだのは、つい最近のはずだ。
「時間を無理矢理元に戻した影響だからね。これから先も歪みは出てくると思う。鳥飛君の前に君が現れた訳だけど……」
長館さんは一度言葉を区切ってから続けた。
「鳥飛君からしたら、幼馴染のこと、僕と同じくらい受け入れられなくて、時間を戻したいって強く願ったからじゃないかな」
ストン、と納得してしまった。
俺に異常なくらいくっついてくるのは、一度失ったっていう体験が残ってたせいなんだ。
ナオヤと一緒のときの記憶しかないのは、俺に関する記憶をナオヤしか持ってないからだ。
俺はナオヤにつくられた存在だったのか……。
「それじゃあ、ナオヤも俺が偽物だって気づいた今、俺がいるのはおかしくないですか?」
「そこなんだけどね」
長館さんは俺をじっくりと見つめてくる。それから一つ頷いた。
「鳥飛君は今も君の存在が必要なんじゃないかな」
それが良いんだか悪いんだか。
この後もしばらく、わからないままだった。
「俺のことはわかったんですけど」
まだ聞いてないことがある。……聞いてもいいもんなのかはわからないけど。
「腕はどうしたんですか? 後始末のために?」
「これは別件なんだよ」
長館さんは両袖を浮かせてひらひらと振った。
「この家の奥で、僕の妻が寝込んでる」
「えっ!?」
俺とナオヤ、かなりうるさかったんじゃ……。
「僕の子を身籠ってるんだけど……ほら、僕の出自がアレだったから、子もそうかもしれなくて。お腹の中なのに妖気が凄いんだ」
妖気は人間に対して害になることもあるとか。
完全に害だと、そもそも妖人って存在は生まれないわけだから、妖気にも種類があるのだろう。
「それを抑えるために僕が結界を張ってるんだけど、そのままじゃ足りなくてね。腕を増幅器代わりにしてる」
奥さんとお子さんのために、自分の腕を犠牲にしたのか。
「えっと……お子さん産まれた後、腕は……」
「勿論元に戻すよ」
さっきから、なんでもありだな、このひと。
「そうだったんですか。すみません、変なこと聞いて」
「いや、いつかは話すことだからね。気にしないで」
長館さんは穏やかな笑みを浮かべてそう言ってくれた。
「さて、これからなんだけど……。君さえ良ければ、ひとまずここに住まない?」
「はい? え、なんで?」
思わず敬語を忘れた。
「鳥飛君と一緒のときの記憶しかないんだよね? じゃあ家は? ご両親は?」
「あ……あっ!?」
そうだ、家。親のこととか、考えもしなかった。
いや、でもナオヤの幼馴染っていう設定なら、そこに帰れば……。
「……帰れませんね」
ナオヤは、幼馴染とは家族ぐるみの付き合いだったようなことを言っていた。
でも今の俺に親や家の記憶は一切ないし、ナオヤの思い出と一致しない部分もあった。
多分、俺はもう幼馴染とは別の人間として扱われているのだろう。
「俺、どうやって生活してたんですかね」
家なき子生活を送っていた覚えもない。朝は学校へ行く、授業が終わったら帰る。それだけしか記憶がないのに、全く問題なかった。
「今までは鳥飛君の周りの歪みさえ埋めていれば問題なかったからね。生活するとかしないとか以前に、鳥飛君の前以外では実体もなかったんじゃないかな」
「今はそうなってないってことですか?」
「うん。鳥飛君が……幼馴染の死を受け入れた上で、君の存在を認識してるから、君が『個』を得たんだろうね」
「そうですか……」
存在、認識、個。自分のことなのに、概念的な話になるとよくわからなくなる。
「あの……」
「うん?」
「俺、バイト探します。それで……」
「あー。君はほんと律儀だね」
長館さんは困ったような顔で、少し笑った。
「遠慮は要らないよ。バイトもしなくていい。ここを実家だと思ってほしい」
「でも……」
「いいからいいから。実はもう部屋も決めてあるんだ」
長館さんは立ち上がって、こっちこっち、と手招き……ではなく、袖招きした。
リビングを出てすぐの扉の先へ案内された。
中には机と椅子、ベッドと本棚が置いてある。
本棚には文庫本が五割ぐらい詰まっていた。
クローゼットらしい扉も見える。というか……。
「広っ!?」
「十畳だったかな。ここでよかった?」
「逆にこんな広くていいんですか?」
「他にも使ってない部屋あるんだ。広すぎても使いづらいかと思って小さめの部屋なんだけど」
この家でかいな!?
「あ、本棚の本は邪魔なら他へやるから」
「いえ、俺も本は読むので……借りてもいいですか?」
「勿論」
行くところがないのは確かなので、お言葉に甘えてお世話になることにした。
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