第6話

 翌日からも、何度もナオヤに話を切り出そうとした。

 でも、いつもそのたびに、ナオヤから別の話題を持ち出されたり、用事ができたりして、なかなか話す時間を取れなかった。

 そうこうしているうちに中間テストが目前に迫り、話どころじゃなくなった。

 ナオヤの英語恐怖症が更に悪化していて、ちゃんとノートをとっているのに、授業後に俺のノートと比べると、半分ぐらい間違えている始末だったのだ。

 腐れ縁の幼馴染が入学早々赤点を取るところなど見たくなかったので、放課後にナオヤに英語を教えるハメになった。

 教えるってことは、俺はもっと英語を勉強しなくちゃいけないわけで。

 ……その御蔭で、テストの結果は割と良かったから、悪いことばかりじゃなかったが。


 そして気がつけば、長館さんに会ってから二ヶ月近く経っていた。




 ナオヤに、話がある、と切り出したのは、期末テストを終え夏休みを目前に控えた暑い日だった。

 俺の真剣な態度を見たナオヤは、

「それなら屋上へ行こうぜ!」

 と言い出した。

「なんで!?」

「青春だろ?」

「意味わからん」

 意味はわからなかったが、なんとなく他の人に聞かれたくないのは確かなので、屋上でいいや、ということになった。


 ところが屋上へ続く扉は……。

「……こんなに厳重に鍵することなくね?」

「ここまでされると引くよな……」

 鎖といくつもの南京錠で、固く閉ざされていたのだった。


 しかし校舎の最上階の更に上へ続く階段付近は、人が来なさそうな場所だった。

 屋上へ行けないんじゃ、こんなところに用事ないもんな。

 というわけで、扉の前の階段に座り込んだ。


「で、話ってなんだ?」

「この前、長館さんちで……」

 そう話し始めると、ナオヤが待ったをかけた。

「長館さんて誰だ?」

「は?」

 信じられないものを見る目でナオヤを見たが、ナオヤも真面目な顔をしていた。

 こんなこと嘘ついてもどうしようもない。

 そもそも嘘をつくようなやつじゃない。

「こないだ、学校でたくさんの妖怪に追われただろ?」

「妖怪に? あー、外で何度かあったな」

「外じゃなくて! ここで! 理科室で人体模型が動いてたり、銅像が笑ってたり!」

「それ妖怪じゃなくて学校の怪談だろ」

「そういう話もしたよな!?」

 立ち上がって、叫んだ。

 だがナオヤも困惑しているようだった。

「ハク、俺、本当に今の話に覚えがないぞ。高校入学からこっち、道で追いかけられたのが一回か二回だろ?」

「まじかよ……」

「一旦座れ? あと、あんまり大きい声だしてると流石に誰か来るかもしれないぞ」

 ナオヤにこんなこと言われる日が来るとは……いや、それどころじゃない。

 座ってから深呼吸して、ナオヤに向き直った。

「なんでお前が覚えてないのかはわかんねぇが……とにかくな、俺とお前が妖怪に追われて、そのあと……お前が覚えてないことも含めて俺は貝塚先生……保健の先生だ、妖人の。先生に相談したんだ。それで……」

 長館さんと出会い、ナオヤに話を聞けと言われた。

 しばらく黙って俺の話を聞いていたナオヤは腕を組み、うーんと唸り、口を開いた。

「……俺が覚えてないことも、ハクの中では問題なんだな?」

「ああ」

「記憶かぁ……記憶喪失になった覚えはないけどなぁ……」

 ナオヤはまた腕を組んで考えはじめた。

 こいつから一体どんな話が聞けるっていうんだろう?

 何にも覚えてないようなやつから……。

「ハク、声に出てるぞ」

「おや失敬」

「全く……深刻そうな顔して話があるっていうから聞いてるのに……ほんと昔から冷たいよなぁ」

 昔から。昔……?

「昔っていつからだ?」

「幼稚園からだろ。家も近いし……?」

 俺が気づいた違和感に、ナオヤも気づいたようだった。

「お前、引っ越しした?」

「いや、してない。生まれてからずっと同じ家だ」

「電車で降りる駅、違うよな?」

「……そういえば……」

 胸の奥からじわじわと、不安という名の黒いものが滲んでくる感覚がする。

「なあ」

「おい」

 同時に言ってしまう。


「お前の家、どこだ?」

「俺の家、どこだ?」



 ナオヤの顔が真っ青になった。多分俺も同じ顔色をしてる。

「自分の家ぐらい覚えとけよ」

「……一軒家で……」

「住宅情報は今はいいよ。場所は?」

「ナオヤの家の近く」

「だから降りる駅違う……そうだよな、幼馴染・・・の家は俺の家の近くだ」

 ナオヤは目を閉じて、頭を抱えて俯いた。

「俺の幼馴染は、家が近くて、幼稚園から一緒で……」

 心臓が早鐘を打ってる。膝の上で握った手が震える。

「小学校はクラス離れてたけど、運動会はお互いの家族一緒に弁当食って……」

 そんなことあったか? 記憶を辿っても、ナオヤが見えない。

「中学はずっと同じクラスだった……高校も一緒が良かったから春陽に決めて……それで……!?」

 ナオヤが顔を上げるが、俺はその顔を見れなかった。

「中学卒業の前の日に、俺の目の前で車にはねられて」

 世界がぐらつく。足元がなくなる感覚がする。


「死んだんだ」


 俺は死んでない。ここにいる。

 ナオヤは自分の手を見つめて震えている。

「俺、信じられなくて……葬式にも行けなくて……」

「それからお前は、血を見るのが苦手になった」

「そうだ」

 顔を正面から見られる。じっくりと、時間をかけて。


「じゃあ、ハク。お前は一体誰だ?」


 俺は立ち上がって、その場から逃げ出した。




 どこをどう走ったか覚えてないが、学校の外に出ていた。

 まだ真夏というには早い時期なのに、日差しがアスファルトを照りつけて、陽炎が立ち上る。

 道や建物の輪郭は曖昧で、何もかも存在感が薄い。

 そのまま消えそうなくらいに。

 俺も消えそうだ。

 白くなりつつある世界をフラフラと歩いていると、前方に小鬼の集団がいた。

 ガヤガヤと騒がしいが、真ん中にひときわはしゃいでるやつがいる。

 そいつの手首には、酷い傷跡が残っている。

 楽しそうに、傷跡を周りに見せびらかしている。

 治ったことを報告してるのか、勲章きずあとを自慢しているのか。


 わからない。知ったこっちゃない。


 そいつらを避けて他へ行こうとしたが、手首のやつに見つかった。

 キィギィと喚き散らしながら、俺を指差す。

 そういえば、前に妖怪の手首を千切ったっけ。

 そいつや他の小鬼が俺の目の前に立って通行の邪魔をする。

 面倒くさい。

「どけよ」

 ああ、俺、まだ喋れるんだ。

 そんなことをぼんやり考えていたら、何か気に触ったらしい小鬼が拳を振り上げた。

 拳は俺を殴打するつもりみたいだから、片手で受け止めた。

 いくら自分が消えそうでも、痛いのは嫌だからな。

 拳を止められた小鬼がキーキーとうるさい。

 もう一度、今度は腕ごと千切ってやろうか。

 できるだろ。



 俺、人間じゃないから。



「水為君」

 後ろから声がした。

 落ち着いてて、安心するような声。

 ゆっくり振り向くと、長館さんがいた。

「それ、やめといたほうがいいんじゃないかな」

 長館さんが俺と小鬼の間に立った。俺の手はいつのまにか小鬼を解放していた。

 小鬼は俺を指差しながら長館さんに何か言い募っている。

「……ふぅん。でも先に手を出したのはそっちでしょ?」

 会話してる。妖怪と妖人は会話ができるのかな。

「だからさ、自業自得っていうの。いや人間の価値観とかじゃなくて」

 小鬼は長館さんを困らせているようだ。

 辛抱強く話を聞き、何やら説得していた長館さんだったが……。

「御大に言いつけるよ?」

 苛立った上での発言ではなく、もうこれ以上は仕方ない、というふうに聞こえた。

 御大って……妖怪の偉い人といえばぬらりひょんのことだろうか。

「何ならお呼びするよ?」

 面識あるんだ。すごいな長館さん。

 小鬼はゴニョゴニョとなにか言い訳しながら後ずさり、仲間と一緒にどこかへ去った。


 そんな様子を見るともなく眺めていたら、目の前に長館さんが立った。

「あんなやつでも、消滅してしまったら後味悪いだろうからね」

 消そうなんて思ってなかったけど、結果的にそうしてたかもしれない。

「水為君。きみは、鳥飛君のところに帰りたいかい?」

「ナオヤのところ?」

 あいつの幼馴染のふりをして騙していた偽物が、同じ場所に戻れるわけない。

 もう俺の居場所はない。

 このまま消えてしまいたい……。

 ……いや。

 俺が消えるんじゃなくて―――。




*****




「ああ、そうなるのか」

 目の前には、水為ハクを名乗っていた、人の形をした力の塊が揺蕩っている。

 おそらく、自身の消滅を無意識のうちに忌避した結果、周りを消そうとしているのだろう。

 周りとは、街や人間、そんな小さなものではない。

 この世のすべてを指す。

 長館リオはこれを恐れ、ハクのような存在を探していた。

 止めるために。


 片足で地面を蹴りつけると、リオを中心に半球状の結界が広がった。

 結界内部を別の次元に切り離し、現実に影響を与えないようにするためである。

 次に、羽織の左の袖から、黒く太い腕が現れた。

 巨大な手の指は一本一本がハクの腕ほどもあり、先はすべて鉤爪状になっていて、禍々しい雰囲気を纏っている。

 腕と指の具合を確かめるように軽く振るうだけで、辺りに衝撃波を撒き散らす。

 もし常人がこの場に居たら、木っ端微塵になるような威力だ。

 力の塊はそれを受けてわずかに揺れる。

 揺蕩っていた力の塊は、再びハクの姿をとった。

 髪は長く白く、瞳は血の色へと変貌している。

 顔からは感情が抜け落ち、全身を赤黒い靄が厚く覆っている。

 妖怪ですら怯えて逃げ出すような、消滅の化身がそこにあった。

 しかし、それと直に相対するリオの顔に恐怖の色はなく、むしろ優しげですらあった。


「水為君」

 リオが話しかける。反応は、ない。

「水為君……いや」

 呼びかけて、彼の親友・・を思い出す。

「……ハク」


 ハクから、赤黒い瘴気が吹き出し、辺りを覆った。


 ハクから吹き出る赤黒い靄――瘴気は、人間は近づくだけで気が触れ、妖怪が触れれば存在ごと消え失せるような代物だった。

 そんな瘴気の中を、リオは平然とハクに近づいていく。

「――!?」

 自分の瘴気の性質を理解しつつあるハクは、驚愕の表情を浮かべてリオを見た。

 リオはへたり込んだハクの直ぐ側に立った。

 その異形の腕を振るうと、辺りの瘴気は霧散する。

 ハクはそれに気づくと、リオを見上げて声を出した。

「…………い」

「ん?」

 瘴気はハクから尚も吹き出ている。

 ハクの口から出たのは、困惑と、懇願だった。

「とまらない……。これ、どうしたら……」

「今ここは、僕が結界を張ったから。何をしても大丈夫」

「でも……」

「僕も平気」

 また溜まりだした瘴気へ腕を振る。腕も、リオ自身も、瘴気に影響を受けた様子はない。

「この前は急場だったから君を眠らせて終わりにしちゃったけど。あの時本当はどうしたかった?」

「あのとき……?」

 こみ上げてきた黒い何かを、すべて吐き出したかった。

 そして、ナオヤを怪我させた妖怪たちを……。

「けしたかった」

「その考えが物騒だってことは否定しないけど、我慢のしすぎも良くない」

 リオは小さな子供を諭すように、ハクに話しかける。

「鳥飛君とは、どういう話をしたんだい?」

 ハクの体が強張る。恐る恐る、そのことを口にする。

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