第5話

 何が起こったんだ……?

 見渡す限り、更地になっていた。

 妖怪の群れどころか、学校や、周囲の建物もきれいに無くなっている。

 俺の腕の中には肩から血を流したナオヤがいて、苦しそうに呻いている。

 前はどうしたんだっけ? 治した? 俺が? 治さなきゃとは思ったけど、俺が治せるとは思えない。

 ナオヤがまた呻いたので、体勢が辛いかもしれないから地面に寝かそうとした。

 視界に白い毛の房が入る。

 ナオヤを地面に寝かせてそれを引っ張ると、自分の髪を引く感触があった。

 髪が、白く長くなっている!?

 手を見て気づいたが、体から赤黒い靄が出ている。

「俺……一体……?」


 頭上から何か来る気がして、上を向いた。本当に誰かが降ってきた。

 その人……いや、妖人は俺の目の前にふわりと降り立った。

 耳が普通の人間の二倍位長くて先が尖っているから、妖人だろうと推測した。

 貝塚先生ほどじゃないがナオヤよりは長身で、長い銀髪を後ろで束ね、シンプルなシャツとジーンズの上から和風のカーディガンを羽織っている。本当に肩に羽織っているだけで、腕の入っていない袖がゆるく靡いている。

 こちらを見下ろす顔は……美形だ。こんなに整った顔というのを見るのは初めてかもしれない。

 周りが更地で、妖人が空から降ってきて、幻想的なイケメンで……あまりの非現実感にしばらく呆けてしまった。

「君は……」

 先に声を発したのは、その妖人だった。

 妖人は俺を見て、地面のナオヤを見て顔をわずかに顰めた。

 俺は妖人から目を離したつもりはない。

 なのに、気づいたら妖人はナオヤの側に屈んでいた。

「あっ!?」

「治すのは得意じゃないんだ。一旦うちに来てくれる?」

「は? 何を言って……」

 俺は混乱していた。

 妖怪は俺たちを襲ってきたのに、妖人は治すとか何とか言ってる。

 なにより、この妖人は何故、どこから来たんだ? どうやって上から?

 そもそもこの光景を見て何も言わないのか?

 言いたいこと、聞きたいことで頭がぐるぐるして、言葉が出てこない。

 そのまま黙り込んでしまった俺を見て、妖人はようやくあたりを見回した。

「……そういうことか。大丈夫だよ」

 何が大丈夫なのか、聞くより先に、妖人は立ち上がると地面を爪先で軽く叩いた。

 遠くで、シャラン、と鈴が鳴るような音がしたかと思うと、あたりの景色が変わった。

 変わったというか、俺の感覚で言えば、更地になる前の状態に戻った。

たちの悪い幻覚だよ。君は何も壊してない」

 幻覚……。でも、俺の髪や赤黒い靄はまだそのままだ。

「俺……俺は?」

 学校や建物はもとに戻ったが、妖怪の群れはいない。

 あの瞬間、ナオヤの怪我を見て、血が流れてて、目の前が真っ赤になって……。


「違う……妖怪は俺が……俺が?」

 胸の奥がざわつく。何かがこみ上げてくる。吐き気? いや、高揚?


 とにかくこれを出してしまえば……すっきりする……?

 全身に漲る何かに身を任せようか。


 そんなことを考えていたら、また妖人が地面を爪先で叩いた。


 瞬間、俺の足元が円形に光って……意識が……。


「ごめん」


 遠くで妖人の声が聞こえた気がした。




*****




 気がついたら、見覚えのない部屋で一人がけのソファーに座っていた。

 横を見ると、別の三人がけのソファーにナオヤが寝そべっていた。眠ってるようだ。

「起きた?」

 テーブルを挟んだ向かい側の椅子には、あの美形の妖人が座っていた。

「えっと……?」

 頭はハッキリしているが、考えがまとまらない……。

 そういえば俺の体は?

 髪の毛を掴んでみたが、短くなってる。色も黒に戻っていた。

 手や体を眺めても、あの赤黒い靄は出ていない。

 学校で妖怪に追われて、閉じ込められて、ナオヤが怪我をして、気がついたら更地になってて、妖人が降ってきて……。

 それから俺は今、知らない人の家にいる。

 助けてもらったことになるんだろうか。

 ならばここは……。


「お邪魔してます」


 我ながら間抜けな一言だけど、筋は通すべきだと思ったんだ。


「礼儀正しいんだね。でも、ここへは僕が無理矢理連れ込んだんだ。だから……」

イケメンさんは少しキョトンとしただけで、すぐに真面目な顔になった。そしてスッと立ち上がって、俺に頭を下げた。

「ごめんなさい」

 これには俺のほうが驚いた。

「いえ、あの、でも俺たちを助けてくれた……んですよね? だから貴方が謝るようなことはないというか」

 立ち上がってあわあわしていると、イケメンさんは頭を上げてくれた。

「そう言ってくれるとありがたいよ」

 イケメンさんが椅子に座り直したので、俺もそうした。

「僕は長館ながしろリオといいます。気づいてると思うけど、妖人です」

「水為ハクです。高一です。そっちの寝てるのは同級生の鳥飛ナオヤです」

 イケメンさん改め長館さんが自己紹介してくれたので、俺も自己紹介しておく。ついでにナオヤも紹介した

「水為君と、鳥飛君だね。そうそう、鳥飛君の肩だけど、治るまでもう少しかかるかな」

「えっ」

 ナオヤをよく見ると、怪我をしていた肩の辺りに真っ黒い靄がぞわわ……という感じで取り付いている。

 なんていうか……色や雰囲気が不安なんですけど……。

 俺の不安を感じ取ったのか、長館さんが慌てた様子で説明しだした。

「治すって言っても、傷を癒やすってわけじゃないんだよね。その部分の時間を怪我する前の状態まで戻して、その後同じ怪我をしないように因果律を調整してるんだよ」

「へ? はぁ……???」

 何を言ってるんだろう、このひと。

 俺はますます怪訝そうな顔になったらしく、長館さんはどこかしょんぼりした様子で、

「説明苦手なんだよなぁ……」

 とつぶやいた。

 なんだか気の毒になってきたので、

「ナオヤは治るんですよね? だったらよかったです」

 と、フォローを入れてみた。

「うん、そこは大丈夫」

 長館さんはハッキリと肯定してくれた。


 ところで、と気を取り直した長館さんが話しはじめた。

「君たち、春陽高校に居たってことは、あそこの生徒だよね?」

「はい」

「もしかして、貝塚先生が言ってたのは君たちのことかな」

「……! そうです」

 このひとが、貝塚先生の話に出てきた妖人だったのか。

「僕の方であれこれ調べてはみたんだけど、せっかく直接会えたことだし、答え合わせも兼ねて詳しく話してもらっていいかな?」

 勿論快諾して、これまでの一連の出来事を話した。



「そうか……」

 話を聞き終えた長館さんは、そのまましばらく黙り込んでしまった。

 俺は話しきってしまったし、それ以上のことがわからなくて相談しているので、答えが出るのを大人しく待った。

 長館さんは椅子に深く腰掛けて、顔は足元へ向いている。

 それにしても、本当に綺麗なひとだなぁ。

 男性ならばカッコイイっていう形容詞の方がいいんだろうけど、長館さんには綺麗という言葉のほうがしっくりくる。

 肌の色が白くて、足は長い。

 ……身長、分けてくれないかな。

 長館さんが黙っている間、ついそんなことを考えていて、気づいたら顔を見られていた。

「あっ、すいません……」

 相談してるのはこっちなのに、ジロジロ観察した挙げ句ボケっとしてるなんて、失礼なことをしでかしてしまった。

 だから謝ったのだが……長館さんは俺をまじまじと見つめたままだ。

 怒ってらっしゃる?

「ええと……さっきの通り、僕は説明が苦手でね」

「は、はい」

 声色は怒ってなかった。むしろ、申し訳ない、っていう気持ちが入ってるように思えた。

「一度、鳥飛君とちゃんと話をしてみてほしい」

「……はい?」

 どうしてナオヤ?

 ナオヤが一体何を知ってるっていうんだ?




*****




「ナオヤ、起きろナオヤ」

「ん……んん~……あと5分……」

「朝じゃねーよ」

 こいつしょっちゅう寝てる気がするなぁ。




 ――鳥飛君と話をしてほしい。

 そう言った長館さんに、俺はもちろん詳しい説明を求めた。

 だけど、

「鳥飛君と話してみて、その後君になにか思うところがあったら、また僕に会ってほしい」

 って、とにかくナオヤと話せの一点張りだった。

 納得いかないし、それで何がわかるのか甚だ疑問だ。

 でも、長館さんは今はこれ以上話せないとも言っていた。




 ナオヤの肩からはいつの間にか黒いモヤモヤが消えていて、傷どころか制服まで元通りになっていた。

 本当に時間を戻せるらしい。そんな妖怪いたかな。どうして長館さんにそんなことができるのだろう。

 傷が治ったことで今度は安眠モードに切り替わったナオヤを、無理やり叩き起こした。

 初めは目覚めたら知らない人の家ということもあり、ナオヤも流石に驚いていた。

 長館さんを、助けてくれた恩人だと紹介し、経緯を軽く説明した。長館さんは「恩人は言い過ぎだよ」と謙遜していたが。

 ナオヤは長館さんにお礼を言ったかと思えば

「何食ったらそんなイケメンになるんスか!?」

 などと阿呆なことを抜かしやがった。

「恩人だって言っただろ!?」

 俺はナオヤの頭をスパンと叩いてやった。

 長館さんは苦笑いしてた。




「お邪魔しました!」

「ありがとうございました」

「うん、またね」

 長館さんに見送られて、家を後にした。



 帰り道の途中、俺がナオヤにどう話を切り出そうか考え込んでいたら、ナオヤが先に話を振ってきた。

「あのひと、腕、ないのか?」

「えっ?」

 そういえば長館さんの手や腕を一度も見ていない。

 上着を肩に引っ掛けて着ているのはおしゃれの一種なだけかと思ってたけど、和風カーディガンの袖は、ずっと垂れたままだった。

 話の途中で長館さんが出してくれたお茶も、気がついたらテーブルの上に置いてあった。

「俺、気づかなかった……。どうしてそう思ったんだ?」

 ナオヤに聞くと、ナオヤは手を軽く握って顎にあてた。

「こう、考えるときとか、ちょっと困ったときとか、手をこういうふうにするだろ?」

「それは人それぞれじゃないか?」

「まぁそうなんだけど……とにかくさ、そういう動きが全くなかったから、違和感あったんだよ」

 ナオヤのくせに細かいところに気づくなぁ……。

「今失礼なこと考えただろ」

「うん」

 俺が即答すると、ナオヤはわざとらしく肩を落としてジト目で俺を睨む。

 スルーして話を続けた。

「でもさ、腕がないからってなんだよ」

「いや、日常生活が大変だろうなぁ……って思って。そんだけ」

「ふーん」

 こんなことを話していて、結局この日はナオヤに話を聞けなかった。

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