第4話

 教室へ戻る道すがら、貝塚先生に相談したことを話そうとして、やめた。

 ナオヤは妖怪のことを気にしていないどころか、日毎に記憶自体が薄れてる節がある。

 そんなやつにこの話をしても、心配のしすぎと笑われそうだ。



 この後のナオヤは、いつにもまして鬱陶しかった。

 授業の教室移動の度に俺の荷物を持とうとしたり、俺が何か用事を言われると代わりにやろうとしたり。

 提出物を集めて職員室へ届けるのを頼まれ、クラスの殆どが自主的に俺の机に置いてくれたプリントの束を持ちあげようとしたらナオヤに取られた。

「過保護か」

 プリントはせいぜい数十枚、ノート一冊分程度だ。これで鼻血がぶり返すようなら既に病院で寝ている。

 俺はプリントの束を取り返して睨んだが、ナオヤは意に介さない。

「いや、だってあんなに血ぃ出して……あ、思い出したら」

「思い出すなよ」

 やっぱり思い出し失神するやつだ。

 本当にふらつきだしたナオヤを椅子に座らせてため息をついていたら、別の誰かの手がプリントを取り上げた。

「俺が代わるよ」

 そう言うのは、体育の授業で俺にボールをぶつけた傘原かさはらだ。

「傘原も気にするなよ。あれは俺がボーッとしてたのが悪かったんだし」

「いや、それでも結構な量の血、出てただろ? 誰が見たって心配するさ。今日はこのくらい、やらせてくれ。つーか先生も間が悪いよな、何も今日の水為に頼まなくてもいいのに」

 そう言って笑うと、傘原は別のクラスメイトと一緒に教室を出ていってしまった。律儀なやつだ。

「ありがとう」

 傘原の背中に声をかけると、傘原は片手を振って返した。



 HRも終わり、いつものようにナオヤと二人で下校する。

 校門の正面の道は、駅までほぼ一本道の最短ルートだ。そのルートには例の道がある。

 俺とナオヤは一旦右か左へ行き、適当に駅方向へ曲がる、という少し遠回りなルートを選んで登下校するのが最近の常になっている。

 学校を出て左の道にはバス停があるため、登下校時はそこそこ混む。

 だから右の道をよく選ぶ。

 今日は周りに誰もいない。

 もうすぐ中間テストだし、部活をやってる生徒の方が多いから、まだ学校に残ってる生徒の方が多いのかもしれない。

 それにしても……。


 俺は突然、そのことに気づいた。


「なぁ」

「どうした?」

 少し震えそうな声を堪えながら訊いたら、ナオヤは普段どおりに返事する。

「なんで俺ら、帰るときいつも二人だけなんだ?」

 今日だけじゃない。最初のときもその次のときも、周りに他の人の姿はなかった。

「そりゃ俺とハクの仲だからな」

「そういうことじゃなくて」

 ナオヤの茶化しに返す余裕すら失って、俺はあたりを見回す。

 誰もいない。奇妙なほど静かだ。

 っていうか……。


「おい!なんでここへ!?」

 もうすでに、例の道の半ばまで来ていた。


「俺、右に曲がったよな!?」

 悲鳴みたいな声を上げてしまった。

「いや、今日は学校出て真っ直ぐ進んだから、もう怖くないのかなーって」

 ナオヤは暢気にそう返してそのまま行こうとする。

「もう俺が怖いってことでいいから、戻るぞ!」

 ナオヤを無理やり引っ張って学校まで引き返した。


 校門の付近まで行くと、ちょうどバスが来たところだった。

「たまには乗っちゃおうぜ」

 ナオヤがどこかワクワクした風でバスの方へ向かう。

 俺は精神的な疲れで考えるのが億劫になったので、大人しくついていった。



 冷静になって考えれば、バスにしてはおかしかったんだ。

 学校前は終点ではないし、俺たち以外の乗降客はいなかったのに結構長い時間停車してた。


 乗り込んでしばらくしても走り出さずアナウンスもないので、俺とナオヤが顔を見合わせていると、運転席から声がした。

「お客さん、行き先あってます?」

 運転席の位置からしてありえない場所まで伸び、人には出来ない角度まで曲がった首についている頭には、顔がなかった。


 俺もナオヤも、転がるようにバスから降りた。


 バスを飛び出して、学校へ逃げ込んだ。

 真っ先に、妖人である貝塚先生を頼ろうと保健室へ行ったが、いなかった。

 それどころか……。

「すっげ静かだな」

「一旦学校出てから、そんなに時間経ってないよな?」

 校内は俺たちの話し声や歩く音以外の物音が一つもなく、通りすがる教室や廊下には他の生徒や先生の姿が見当たらない。

 職員室の扉を開けたが、誰一人いなかった。先生たちが会議に使っている空き教室や、入ったことのない校長室も覗いたが、同じだった。

「これは……なにかおかしいな……」

 さすがのナオヤも青ざめて、口調が沈んでいる。

「わけがわからないけど、誰もいないならここにいても仕方ないよな」

 俺は自分を落ち着かせるためと、考えをまとめるために、現状を声に出した。

「だな。まだ学校出て右は行ってないよな? あっち行こうぜ」

 ナオヤも多分似たような理由で会話に乗ってきた。

 二人でできるだけ他愛のない話をしよう、という暗黙のルールがこの瞬間に出来上がった。

 不本意だが、俺とナオヤだからこそ、少しの会話でお互いの考えを読みあえた。

「一応、俺らの教室も見にいこうぜ。邪馬本やまもととかまだいるかもしれない」

 俺たちの教室は校舎の隅のほうにある。

「そうだな」

 邪馬本は、いつも教室の隅で本を読んでいる男だ。大柄で、某五十歳まで現役だったレジェンドピッチャーに似た名前と風体をしているが、本人は野球どころかスポーツ全般苦手だそうだ。

 授業が終わると図書室へ行き、借りてきた本をちょっと読むつもりが、警備員さんに怒られる時間まで教室に居座ることもたびたびあるらしい。

 変わったやつだが、本をたくさん読んでるだけあって頭がいい。

 現状の打開策が全く見えない俺らだから、そんな邪馬本がまだ残ってないかな、という打算もあった。

 ……こんな感じの話を先程の暗黙ルールに則って駄弁り、わずかでも気分を上げつつ教室の扉を開けた。


 開けたところ一面に、無数の小鬼の顔がびっしりと並んでいた。


 速攻で閉めて、扉に背を向けて、ダッシュで逃げた。


 電灯という電灯はLEDのはずなのに蛍光灯のように明滅している。

 理科室の前を通れば、人骨標本と人体模型が机の上で取っ組み合ってる。

 最上階にある音楽室からギリギリ原曲を留めている「エリーゼのために」が気味の悪いアレンジで流れてくる。

 廊下の窓ガラスに小鬼が映った気がして振り向いたが、なにもいなかった。

 女子トイレの前ではおかっぱ頭にサスペンダーのついた赤いスカート姿の小学生が行列を作っていた。

 行く先の教室の窓や扉から大小様々な鬼、狸に狐に鼬、一つ目三つ目百目、多首、首なし、手長足長、顔のある布、手足の生えた壁、目がたくさんある障子……色んなやつがこっちを見てた。

 体感的に倍以上長くなっていた廊下を走り抜け、なんとか昇降口へたどり着き、校舎から出たら、校庭では初代校長の銅像が笑いながら踊っていた。


「これ妖怪変化じゃなくて学校の怪談じゃね!?」

「どっちでもいいから逃げるぞ!」

 怖いと言うより、不気味。

 いたずら妖怪の仕業には間違いないが、それをこんなに大量に、俺たちに見せる理由がわからない。


 校門まであと数メートルのところで、俺より少し先を走っていたナオヤが突然何かにぶつかったように弾んだ。

 反応が間に合わず、俺も同じ目に遭った。

「っ! なんだ?」

 そこには見えない壁があった。なにもない空間なのに、それ以上進めないのだ。

「どうなってんだ……」

 ナオヤが見えない壁を左手に触りながら校庭の端の方へ走る。十メートルも進んだあたりで、校舎へ向かいだした。

 壁はまっすぐではなく、校舎か、あるいは俺たちを取り囲むように円を描いているようだ。

「逃さない、ってか? ……巫山戯んなっ!」

 俺は思い切り見えない壁を殴った。拳は弾かれて、それ以上何も起きない。

「ハク……後ろ……」

 ナオヤが校舎を見て震えている。

 さっき見た妖怪たちと、見たことない妖怪たちが俺たちを取り囲むように近寄ってきていた。

 ナオヤはついにその場にへたり込んでしまった。

「しっかりしろよ!」

 逃げ場は見つからないが、ここで動かないのはもっと良くない。

「だって……こんなの……」

 ナオヤはガチガチと震えだした。立たせようと引っ張るが、動かない。

 妖怪の群れは俺達から少し離れたところで静止したが、中から一匹だけ更にこちらに近づいてきた。

 大きな棍棒を持った、大きな赤鬼だ。貝塚先生が小柄に思えるほど、でかい。

 俺はへたり込んだナオヤの前に立った。赤鬼を睨みつけるが、情けないことに俺の腰は引けていた。


「ッアア!!」

 次の瞬間、後ろから叫び声がした。

 振り返るとナオヤが左肩を手で抑えて転がっている。

 すぐ横に小さな鬼がいて、口から赤い血が滴っていた。

「!」



 ナオヤが何をしたっていうんだ。

 そもそも先にちょっかい出してきたのはそっちだろう。

 反撃したのは俺だ。

 ナオヤは怪我をしただけの、被害者だ。

 何故また、ナオヤを狙ったんだ。


 ナオヤは悪くない。

 小鬼になにかしたのは俺だ。

 その悪意を向けるなら、俺にしろ。


 これ以上、ナオヤに何かするなら……。


 小鬼を退けようと伸ばした俺の手から、赤黒い靄が立ち上る。

 多分、良くないものだ。


 だけど俺は、それを使うことに躊躇わなかった。




*****




 春陽高校から数キロ離れた場所、とある大きく古い一軒家の一室で、椅子に座っていた一人の妖人の男が顔を上げた。

 妖人の前にはダブルサイズのベッドがあり、そこには人間の女がひとり、目を閉じて横になっていた。

 妖人が立ち上がる気配で、女が目を開けた。

「どうしたの?」

 小さな、か細い声で問う。

「少し出掛けてくる。すぐ戻るよ」

 妖人は優しく答えると、女の額に貼り付いた髪を指で払い、そこへ軽く口づけした。

「いってらっしゃい」

 女はまた目を閉じた。

 妖人はそれを見届け、ベッドから二、三歩離れたかと思うと、音もなく部屋から消えた。




*****

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